遺伝性の病気の出産「産みたい」はエゴですか

妊娠の継続を反対された経験のある方は、どれくらいいるでしょうか。

学生が妊娠、未婚で妊娠、不倫で妊娠、性暴力で妊娠、経済的な不安など、環境の理由で反対される場合が多いでしょう。

私は結婚後、夫の子どもを妊娠するたびに義母に出産を反対されました。
義母と夫は体の一部変形がありました。当時は誰もそれが難病を原因としたものだと分かっておらず、夫も私もただ「変形する遺伝」だと理解していました。

出産後、子どもに遺伝したことがわかります。
体の変形は病気が原因とわかり、変形より別の症状が日常生活に影響を及ぼすことを、身をもって知ることになりました。

病気だと知らず、「人と違う」ことを目の当たりにしてきた義母が多くの葛藤や悩みを抱えてきたこと。夫に「麒麟さん(私)が辛い思いをするのよ」と言い、出産を反対した義母の気持ちがわかりました。しかしながら、子どもが将来出産を望んだら、応援しようと心に決めました。

何かに迷いインターネットで検索をするとき、誰にでも当てはまる当たり障りのないことを書いているサイトより、誰かの経験談が参考になりました。何が正解かは人によって変わります。たくさんの正解を知ることで考えが深まり、自分だけの正解を見つけるきっかけになります。

これは私の現時点での正解です。「エゴ」と非難する方もいるでしょう。

身体的理由で出産を反対されて、迷いのある方へ。一つの例として参考になりますように。

妊娠の報告

入籍し、結婚式を終えて程なくして妊娠がわかりました。

安定期だとかそんな知識もほとんどなかった私は、妊娠が確定して舞い上がり、産婦人科を出てすぐに夫と夫の両親に電話で報告しました。

義母の第一声は、「嬉しいわ。夢みたい。」でした。

義両親は落ち着いた方達で、非常によくしてもらっていました。二人兄弟である夫の姉は長く不妊治療をしていて、まだ授かっていませんでした。私の妊娠が出産に到れば、初孫となります。

私の妊娠が義姉のストレスにならないかという心配はありましたが、隠すことで傷つけることもあります。私の妊娠は義母から義姉に伝えられました。

私の妊娠が義姉に伝えられた3か月後に、義姉も妊娠しました。

10年近く治療を続け、着床しても継続しないことが多かったそうですが、「麒麟さんの妊娠がわかって、親に孫を見せてあげられないストレスから解放された」と言い、私も義姉も同じ学年の子どもを出産しました。

義母は2人の孫をとても可愛がっていました。「孫ができたのだから長生きしなきゃ」と言って笑いました。

出産を反対される

子どもは一人でいいという義母

産後一年くらいしたころ、義実家で「もう一人子どもが欲しい」と話すと、「子どもは一人がいいわよ」と義母が言いました。
夫は普通に稼ぎがあり、貧しいわけではありません。二人目を作ることを反対する義母を不思議に思っていました。

少しして二人目を妊娠し、義実家で報告をしました。

義母の反応が怖かったのですが、その場では「おめでとう」と言ってくれました。
しかし帰宅後、夫に義母から電話がかかってきます。

中絶のすすめ

通話の内容が聴こえました。「二人目を産むの? 子どもは一人で十分じゃない? 堕ろしたら?」というものでした。
夫は途中から部屋の外に出ていきましたので、その後どんな話をしたのかがわかりません。

お腹の子が歓迎されていないと思うと、お腹が痛みました。

それにしてもなぜ出産に反対するのかがわかりませんでした。義母は明るく前向きで、嫁の私にも驕ったことを言う人ではありません。車で20分程度の距離に住んでいますが、適度な距離を保ってよくしてくれる、良識的な方です。義父も同様に、対等に扱ってくれる方です。

義父が出産に反対している様子は見られませんでした。それでは義母はなぜ反対するのだろうと考えました。私が二人目を作ると、義姉にプレッシャーがかかる可能性があるから? それくらいしか思いつきませんでした。それも、義姉の優しい性格や「麒麟の妊娠でプレッシャーから解放された」と言っていたことと噛み合いません。

母親が辛い思いをする

電話を終えて戻ってきた夫は「きちんと話して納得してもらったから大丈夫」と言いました。
義母と夫の体にある、一部変形が遺伝することを恐れて反対していて、実は第一子の妊娠がわかった時にも中絶を勧められていたと言います。「遺伝をどこかで止めなければいけない。遺伝したら麒麟さんが辛い思いをするのよ」と義母が言うのだそうです。

夫は私が気に病むと思い、黙っていたのでした。

確かに義母と夫が体の一部変形にコンプレックスを抱いていたことを知っています。しかし義姉には遺伝していませんし、私と夫の第一子である長女にも遺伝しませんでした。仮に遺伝したとしても、命に別状はなく、生活に多大な影響が出るわけでもありません。歯並びの悪さと同じ程度の不便さとしか思えず、中絶を勧めるほどのこととは感じませんでした。

出産に反対する謎

義姉が子どもを連れて我が家に遊びに来た時に、義母が中絶を勧めることを相談しました。
義姉はとても驚きました。「お母さんがそんなこと言うなんて信じられない。私の不妊治療をすごく応援してくれていたのに。中絶を勧めるなんてありえない。」

義姉の驚きはよくわかりました。「お義母さんはおかしなことを言う人ではありません。だから驚いているんです。長女の時も、今回の妊娠も堕胎を勧めた理由が、お義母さんと夫の体の特徴が遺伝しないようにということらしいんですが、出産を諦めなきゃいけないほどのことだとは思いません。他に心当たりはありませんか?」

「変形についても気にしているそぶりを感じたことはなかったよ。ごめんね、何もわからなくて。お母さんが中絶を勧めたことも今は信じられない。」そういって考え込んでしまいました。

再度妊娠

義母は私にも何度か「お腹の子を諦めたら?」と言いましたが、優しく言うに留め、次第に何も言わなくなりました。子どもの誕生は凄く喜んでくれました。見舞いには美味しいクッキーを持ってきて労ってくれました。
そして生まれた次女にも遺伝しませんでした。

男の子が欲しいという気持ちから、第三子を望みました。一度初期で流産しました。私と夫双方の母の反対があったこともあり、諦めようとした矢先に妊娠がわかりました。

長女と次女に遺伝しなかったものの、第三子には遺伝するだろうと私も夫も覚悟していました。

出産を迎え、三女の誕生と共に異常が認められました。

病気が発覚

身体の変形を伴う難病が発覚

国内に症例が非常に少ない皮膚の難病であることがわかります。
平均寿命は30歳と言われ、手足の自由が奪われ、寝がえりさえ打てない方もいる厳しい病気でした。

産院で医師に病名を告げられ、専門の病院にかかるよう勧められた時、「ご家族でよく話し合ってください」と言われました。

遺伝性の病気である場合、家族が病気と認識することで結婚に影響が出たり、偏見の目にさらされることがあるため、敢えて「知りたくない」という家庭もあるのだそうです。
病院にかかれば症例が少ない分、熱心に診てもらえるし、薬がない難病ではあるものの、最善の対処法が学べる利点があることを説明されます。

私は夫と義母の体の一部変形しか知りませんでしたが、幼い頃は異常に皮膚が弱く、常に包帯をし、出血していたと三女を出産後に初めて聞きました。それは難病のせいでした。病気の影響で一部変形が現れていたのです。

夫が幼い頃、義母と一緒に都内の大学病院を回りましたが、病名が知られていなかったために診断に行きつかなかったと言います。

出産を反対した理由は病気だった

発覚後はしばらく辛い日々が続きました。

夫は軽度だからこれまで生きて来れました。そして成人するころには普通の人の皮膚の強度に近づくため、徐々に症状が治まり、残るのは皮膚の損傷の影響で変形した一部が主な症状となります。※依然として残る症状もありますが、一見してわかるのは変形です。

夫は幼かったころの辛かった記憶を忘れていきました。そして私と出会い結婚します。

義母も夫や三女と同様の軽度のため、感染症に気をつければ生きることができました。
義母も夫を出産するまで、幼かったころの自分を忘れていたかもしれません。しかし夫を育て、明らかに他の子と違うことに大いに悩んだのだと思います。

それが、「遺伝をどこかで止めなければいけない。遺伝したら麒麟さんが辛い思いをするのよ」という言葉になったのです。

出産を反対する愛情

義母の気持ちが痛いほどわかりました。

第三子まで産んだ私を、義母はどんな気持ちで見ていたのだろうかと思うと、申し訳ない気持ちになりました。
※優性遺伝のため長女と次女はキャリアでもありません。三女のみが因子を持っています。

義母が止めたのに3人の子を産んだにも関わらず、病気がわかると義母は「ごめんなさいね」と私に謝りました。
病気は誰のせいでもありません。義母も夫も悪くありません。そして止められても産んだのは私なのに、義母は謝りました。

義母の温かさを感じました。

義母に申し訳ない気持ちはありますが、三女を産んだことに後悔はありません。
困難は多くても、例え三女に将来責められたとしても、産みたかったから産んだのだと胸を張って言えます。

出産を勧める理由

将来三女が出産を望めば、応援しようと決めています。

〇 親と同程度で遺伝することがわかっている病気であり、我が家の場合は命に係わるレベルではないこと。
〇 軽度は大人になれば多少症状が軽くなること。
〇 制限はあるが日常生活に混ざれること。
〇 優性遺伝のため50%の確率でしか現れないこと。

重い症状がある患者は、出生前診断が認められている病気ですが、軽度患者は倫理的観点から対象外です。生活の不便や困難はありますが、生涯を全うできる率が高いからです。

それはつまり、十分に生きられる可能性があるということです。

また、イギリスのケンブリッジ大学の研究でも、完璧な遺伝子を持つ人間はおらず、どの人間も数十から数百のバグを持っていることがわかっています。

発達障害や歯列、視力、がん発生や心臓病の発生率など、現れ方は人それぞれです。
現れる症状の程度によって、生きやすさが変わります。

三女の誕生で病気の正体がわかったことで、恐れるべき事柄と安心していい事柄がわかるようになりました。
決して生きやすくはありませんが、絶望する症状ではありません。

私は当事者ではないので本人がどう思うかではありますが、義母や夫を見ていると、十分未来を描ける程度であると思っています。

正体不明と旧優生保護法

義母が夫を育てていた時は病気だと分かっておらず、「正体不明の奇異な症状」と捉えていました。

病気がわかることで結婚や出産に問題が生じることがありますが、病気の正体を知らないことで周囲の理解が得られなかったり、疑念が膨らんで大きなコンプレックスを抱えてしまうことがあります。

義母が反対した理由は、そんな「正体不明」の怖さが大きかったように想像します。

また、旧優生保護法で淘汰されてしまう時代を生きていますので、「病気を隠す」習慣もあったように感じられました。

旧優生保護法とは

戦後人口過多の懸念から「不良な子孫の出生を防ぐ」目的で、1948年に施行された。
知的障害や精神疾患、遺伝性の疾患などと診断され、都道府県の審査会で「適当」とされた場合、本人の同意がなくても不妊手術ができた。96年に母体保護法に改正されるまで、全国で少なくとも男女1万6475人が不妊手術を強いられた。(参考コトバンク一部補足しています)

遺伝を背負う覚悟

私は結婚前に夫の病気がわかっていたらどうしていただろうと想像しました。

痛い、悲しい思いをして、運動に制限が出たとしても、やはり結婚したと思います。
3人もうけたかはわかりませんが、出産にも挑んだでしょう。

病気の程度と生活環境のバランス、周囲の助けと覚悟が必要です。決して楽観視できることでないのは確かですが、三女が出産を望むなら、諦めないでほしいと切に願っています。

私は三女の病気がわかって落ち込みました。「産まなかったら」と想像したこともありましたが、可愛くて失いたくない、産むのは必然だったとしか思えませんでした。

病気の人を生かすと医療費が嵩み、健康保険が破綻するという意見があります。
難病指定の病気のため、生検を受けて受給者証をもらえば助成を受けられることもありますが、現状受けていません。軽度なこともあり、このまま一般の保険証で診察を受けていくと思われます。

生検に必要な症状が現れにくいこと、少なくない範囲の皮膚を採取することへの抵抗があるのが理由です。実際同じ病気の方の1/3以下しか受給者証を受けていません。

持病のある人はコストがかかる、という理論なら難病患者に限りませんし、通院の増えるお年寄りも淘汰されるべきという乱暴な意見となるでしょう。



賛否あるのは当然です。
エゴと言われればそうなのだと思います。

それでも諦めるべきではないと思うのです。
甘いでしょうか。


三女が出産をするなら、サポートをする気満々です。

こんな答えもあります。

どなたかの参考になりますように。

 

 

 

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