女の終わりってどこですか。出産と病気、精神と子宮と閉経・女の証明

私が女としての終わりを感じた時の話と、友人が子宮を取るかどうかを悩んだ話です。

出産と病気、精神が女の終わりを感じさせた話

私が第一子である長女を出産した時、子どもとはこんなに可愛いものかと驚いた。
眠れなくても、自分の時間がなくなっても、もう一人子どもが欲しいと思った。そして次女が産まれた。

少しして夫の裏切りが発覚。離婚危機を迎えた。
散々苦しんだが夫の努力もあり、夫婦の再構築に臨んだ。

夫婦で理解が深まって、愛情も絆も深まった。

さらにもう一人、子どもが欲しいと思った。
金銭的な心配があったが、赤ん坊のたまらない可愛さと育っていく幸せを味わいたかった。男の子が欲しいという思いもあった。

今思うと勝手な希望だ。

流産を経験し、夫と子どもは二人にしようと決めた直後に、三人目の妊娠がわかった。

三女を出産した時、私は30代中盤だった。

三女は根治が望めない難病を持って産まれた。
稀少難病で、出産した総合病院の医師たちが何人も三女を診に産婦人科病棟を訪れた。

文献を当たると言われ、病名がわかったのは一か月健診。
夫の遺伝だった。

夫は母からの遺伝だった。
さらにその父からの遺伝というところまでわかっている。

夫は特異な体質に悩んでいた。
幼い頃に都内の大学病院を回ったが、診断に行きつかなかった。
今でも多くの医師が教科書でしか見たことがないという病気で、夫が幼い頃は教科書にも載っておらず、知られていなかったのだ。

幸い夫と三女は軽度だが、一般の人とは明らかに違う。
日々痛みに悩まされ、感染症の危険性も深く、体の一部欠損と変形が現れる。

中等症以上の患者は一般生活に混ざることが難しく、体の一部だけでない、広範囲の変形が進行する。
痛みとの闘いと、栄養を摂取する困難、癌の発症に怯えることになる。

重度だと新生児の内に亡くなるケースも少なくない。
平均寿命は30歳と言われている病気だった。

私は酷く思い詰めた。
眠れずに検索に取りつかれる日々。

夫はさらに辛いだろうと想像した。
悩まされてきた体質が子どもに遺伝したことで、病気が原因だと分かったショックは大きいはずだ。

私は夫に弱音を言ってはならないと思った。

私と出会った時、夫はコンプレックスで一杯だった。病気による体の一部変形と体質が悩みの種だった。
友人にからかわれ、母に当たったことがあるが「そんなこと言わないで」と泣かれた。

母を傷つけてしまったと罪悪感に苛まれた夫は、気持ちを人に話さなくなっていったという。

私は夫が思い詰めることがないように、明るく振る舞った。

本当は泣きたいほど苦しいのに、反対の言動をすることで心が擦り切れるようだった。

もし耐えられなくなるようなら、その前に夫に本心を話して二人で泣こうと思っていた。
でも「耐えられなくなる地点」がよくわからなかった。

自分が何をどうしたいのかわからなくなり、自分が何者なのかもよくわからなくなった。

夫からセックスに誘われると、私は抵抗を感じた。

もう子どもは作らないと決めていたけれど、セックスの先に妊娠があるというイメージが抜けなかった。
また病気が遺伝するかもしれない。それなのに性欲が湧くことに嫌悪感さえあった。

酷い感情だ。
決して言ってはいけない感情だと理解していた。

気持ちを言葉にしたら、夫は酷く傷つき、夫と私の関係が終わってしまうかもしれない。
黙って耐えた。

三女が思春期を迎え大人になっていく中で、必ず病気について悩むことが出てくるだろうと、先のことを考えては一人で落ち込んだ。

そうして数ヶ月が経った頃、三女のために私にもできることがあることがわかり、ふと気持ちが軽くなった。

そこで気が付いた。

私の「女としての仕事」はもう終わったのではないかと。

人生自体が終わったような気持にもなった。
子どもは産んだだけで終わりではない。育てることも大きな仕事であると分かっているのに、「女」が終わるとともに「人生」が終わったような気になった。

なぜこんな思考になったのだろう。
あの時は産後だった。出産時に母胎にトラブルがあり、私は服薬が続いていた。
上に二人の子どももいて、寝不足で、三女の病気の手当ては手探り。

失敗しては心が乱れ、悩んで抱え込んで、自分にもできることがあることがわかって縋りついて、「私は大丈夫」と言い聞かせていたけど、実際疲れていたのだと思う。

三女の病気については、その後も一喜一憂を繰り返していった。
三女が一歳半の頃、身体の一部欠損が立て続けに進んだ。

病気が発覚した当初のようにグッと落ち込んだ。
爆発することはなかったけれど、夫の裏切りが発覚した後に深く落ち込んだ時と同様の、落ち込み具合だった。

誰にも当たれない。

私が思い詰めていることを、夫にも三女にも絶対に知られたくなかった。

三女が幼稚園に通うようになると、園の行事に合わせて病気の症状が出てきたことがあった。

行事と症状が出たことは関係なかったのだが、三女は幼稚園に行くことを嫌がるようになり、行っても部屋に入らず泣き続けるようになった。それも半日泣き続けるのだ。

先生に反抗をして困らせる日々が続き、園から相談を受けた。

病気さえなければ。
前向きに生活できるよう努めていたはずだけど、私の努力が足りなかったのかもしれない。もっと違う対応をしていれば……。

一頻り考えて想像しては、落ち込んだ。

園と協力をして三女に対応をしていき、徐々に園の行事に参加できるようになっていった。
この時も夫に相談はしたが、悩んでいることを隠していた。

数ヶ月悩んで、ふと気が付いた。

結局乗り越えるのは私ではない。

私がどれだけ三女の病気を代わりたいと思っても、叶わない。
三女の気持ちを理解したいと思っても、完全に理解することはできない。
私は同じ病気になりたくてもなれないのだから。

できることをするしかない。

三女が悩んだら、一緒に悩めばいい。

三女の様子を夫に報告すると、夫はいつも思い詰めたような表情をする。
夫は辛い思いをしている。
私も母として辛い。夫と私は同士だ。

「辛いよね。私も辛かった」と吐き出した。

夫婦で晩酌をしながら、二人で支えていくしかないねと話した。

心が軽くなった。
私は一人じゃない。夫がいる。

夫との営みに抵抗がなくなった。

夫は離婚危機以降、私を女性として妻として大切にしてくれている。
愛情を感じる。

夫は変わっていなかったのに、私が一人で耐えている気になって、「妻」より「母」に傾き、夫の愛情を感じられなくなっていた。

そうして「女」として終わった気になっていたのだ。

産まれた時から「女」であった私には、「女」の終わりは「人生」の終わりだった。
「女」は私の根本で、アイデンティティだった。

子宮と閉経・女の証明

子宮を残した女

40代後半の友人(女性)が、閉経が近いかも知れないと気にしていた。

月経の周期や経血量が、これまでと変わったのだという。

暫くして婦人科系の病気がわかった。
子宮を全摘出するか、一部のみ摘出するかを迫られた。

彼女は夫と関係がよくなかった。
性生活がなく、不妊治療で二人の子を出産してからもなお、夫は度々問題を起こしていた。

あまりの酷い扱いに離婚を勧めることもあったが、友人は離婚を迷いながらも結婚生活を続けていた。

夫の不貞がわかった時は、「もう諦めている」としながらも、「私もセックスがしたい」と冗談半分に私に漏らしたことが何度もあった。

友人が夫に相談すると、子宮を全摘出することを勧められた。
もう出産をすることがないのだからと。

友人には夫の言葉が「お前の『女』はもういらない」と言っているように聞こえた。

友人は悲しんだ。

でも確かに閉経が近い。
子宮を残しておくことに何の意味があるのかとも頭に浮かんだ。

そうして私に相談をしてきたのだ。

私は子宮の一部切除も全摘も、したことがない。
当然その選択を迫られたこともなかった。

私ももう出産する予定がない。
月経になる度に面倒で、なくなってしまえばいいのにと思うこともある。

では子宮を失ってもいいのかと聞かれると、怖いが先立つように思えた。

友人はこう言った。

「子宮を取るとホルモンが変わると言うけど、閉経したらどちらにしろ変わる。取った方が安心なことも分かってる。子宮がある、ないなんて関係ないって思う。人にならそう思うし言える。でも子宮を取ったら女が終わっちゃう気がする。夫と性生活がないから、とっくに終わってるんだけど、本当に終わっちゃう気がする。それが嫌」

結局友人はしばらく悩み、一部切除をすることを選んだ。

「全摘出をする勇気が出なかった」と友人は言った。

子宮を全摘出した女

40代半ばの知人(女性)は、長く子宮筋腫に悩まされていた。

月経過多で貧血や疲れやすさがあり、日常生活に困っていた。

医師から子宮を全摘出する選択肢を与えられ、あっさりと全摘出を選択した。

知人は二人の子どもを育てている。
韓流ドラマや歌手を好んで、仕事の間にライブに行ったりグッズを買ったり、韓流好きの仲間とオフ会を開くなどして日々を楽しんでいる。

夫との関係は悪くなく、頻繁ではないものの営みもある。
夫は「子宮全摘の方がいいと思うけど、好きな方を選んだらいい」と言った。

知人も子宮の全摘出の話に戸惑わなかったわけではないが、客観的に考えると全摘出するのが最善だと結論付けた。
開腹ではなく、腹腔鏡手術が選択できるというのも後押しした。

「もう子ども生まないし、閉経も近いからちょっと早まるだけだし、生理から解放されたい」とあっけらかんと語った。

「子宮があってもなくても私は女。韓流の逞しい男の子たちが好きな、女だよ」と笑う。

女の終わりってどこですか

私が「女として終わった」と思った時のあの感情は、なんだったのだろうと考えた。

子宮があるとかないとか、出産を終えたとかまだだとか、閉経したとかしてないとか、そんなことが女の条件になると思わない。

私にとっては女として愛されているかどうか、それを実感できているのかどうかが大きいのだと思い至った。

そしてそれは人によって違う。
そもそも条件や証明など必要がないようにも思う。

身体が男性でも心が女性の人もいるのだから。

終わりがあるものでもないのだ。
全ては自分がどう思っているかに尽きる。

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