末期癌の親を自宅で看取った実体験・満足度と家族の思い

大好きだった義父を看取りました。

義父の希望で入院はせず、自宅で最期を迎えました。

「自宅で最期を迎える」というのはどういう事なのか。

直面した問題。
息を引き取った時の対応。
家族の心境。
費用。

これらについて備忘録もかねて記します。

癌の発覚と告知

義父は80代前半です。
義母は70代後半で、足が悪く、家の中であっても歩くことに困難が伴います。

私は長男の嫁に当たります。結婚して13年が経ちました。
義実家から車で25分程度の場所に住んでいます。これは日中の渋滞を加味した時間ですので、空いていれば15分程度の近居と言えます。

夫には姉がいます。同じ県内ではありますが公共交通機関を使っての移動が基本となりますので、義実家までは1時間以上かかる距離に住んでいます。

元旦

義両親と義姉親子をわが家に招いて、新年を祝いました。

義両親は嫁である私をとても可愛がってくれています。夫と二人きりの姉弟である義姉も、優しく丁寧に接してくれます。私は義家族が大好きです。

5月

義父が「腹が痛い」と言い出し、病院にかかりました。
その前から排便が思わしくないと漏らしていたことを、義母から聞いていました。

近所のクリニックで総合病院での検査を勧められました。

嫌な予感がしました。

6月

検査が続きました。
義父が検査入院を断ったのか、病院側の都合なのか、数日おきに病院で検査をしなければならない期間がありました。

義父は車の運転をしていましたがナビをつけておらず、総合病院は馴染みがない場所にあったため、道に迷い辿り着けず、バスと電車と徒歩で通いました。義実家から病院までは車で30分の距離ですが、公共交通機関では1時間以上かかります。

義母は足が悪く、歩くことも簡単ではありません。猛暑だったこともあり、高齢だった義父と付き添っていた義母はすっかり疲れました。

私は5月末に「腫瘍があるらしい」という話しを聞いていましたが、「大腸癌らしいが、それ以上のはっきりとした診断結果は聞いていない」とまでしか知らされませんでした。「大丈夫なのか」「どうなっているのか」と聞いて不安をあおるのは良くないと思い、逐一詳細を聞くことはしませんでした。夫も義父を心配していましたが、怖さもあり、詳しい話を聞かないまま時間が過ぎました。

私が何度か病院への送迎を名乗り出たのですが、「自分たちでどうにかできる。小さい子どももいるのだから迷惑はかけられない」と断られました。しかし6月の下旬ころには義両親の疲労の色が明らかに濃くなっていました。そこで再度「頼ってほしい」と声をかけたところ、送迎を頼まれるようになります。

その頃義父は、食べる量が酷く落ちていました。

食べられていないからなのか、呆然とすることが増えました。
耳が遠かったこともあり、言葉をかけても的外れな言葉が返ってくることが度々ありました。

私の家から義両親宅までは車で30分程度かかります。道が空いていれば15分で着くのですが、朝から昼間は渋滞するので時間がかかるのです。義両親宅から病院までは車で30分。体の自由が利きにくい義両親が車に乗り込む時間を考えると、わが家から病院までは1時間20分程度見なければなりません。

診察室まで付き添いたいと言うと、「そこまでは大丈夫」と断られました。そのため私は義両親を病院に送り、一旦家に帰ったり用事を済ませるなどして待ち、数時間後に病院に迎えに行き義実家に送り届ける生活となりました。

7月

中旬に義父の入院が決まりました。
手術のための入院と聞き、治療ができる段階なのだと理解して胸を撫でおろしました。

義父は「体調が悪い」と言うことが増え、長く会話をするのははばかられました。そこで義母に「義父の身体について医師からどんな説明を受けているのか」と聞いても、「よくわからない」とばかり言われました。

どうやら義母は診察室に入らないこともあるようで、状況がよくわかりませんでした。

7月中旬・入院

元々細かった義父は食べられなくなったことで益々痩せ、足元がおぼつかなくなりました。義母も足が悪いため重い荷物は持てません。入院のための荷物があったため「荷物持ちとして同行します。断られても行きます」と主張し、初めて病院内まで付き添いました。

感染症の検査や入院受付で待ち時間が続きます。
こまごまとした動作が必要なことは、私が代理で行いました。

義父も義母も病院のロビーのベンチに座っただけで、酷く疲れているように見えました。

いざ受付の順番が来ると、入院時に必要な書類や保険証等全てを持ってきていないことがわかりました。

義母は義父に「なんでちゃんと持ってこないの」と言い、叱りました。前の晩に書類の確認を終えており、入院の荷物と一緒に置いていたのに、義父がわざわざ別の場所に移動をして忘れてしまったようです。

元々義父はとてもしっかりした人です。社会的地位と人望もあり、ある団体の会長も務めています。
義母も自立心がある人なので、妻が一方的に夫の世話をする“亭主関白”のようなことはなく、互いに助け合ってきました。

思い返せば義父が体調を悪くしてから「なんでもっとしっかりしないの」と義母が義父に怒ることが増えていました。以前は義父を褒めることはあっても、叱ることは滅多にない義母の変化に少々驚きました。

私の報告を聞いた夫は、「母さん、酷いな」と呟きましたが、私は体力的、身体的に辛い義母が義父の世話を続けることになり、精神的に追い詰められた結果(主に通院のストレス)、義父に少々厳しくなっているのだと感じました。つまり老々介護の結果だと感じたのです。早くから私がサポートをしていれば、と悔やまれました。

大病を患うと認知症が進みやすいと聞きます。義父もそうではないかと家族間で噂されました。確かにそうなのかもしれませんが、他の臓器に転移した影響で思考がハッキリしない症状が現れていたようです。そのために不要な行動をとったのではないかと、今となっては思います。

忘れてしまった書類一式は後日持参すればよいとのことで、無事に入院できました。

入院後は持病の糖尿病の症状を見て手術日が決まると事前に説明されていました。

二週間の予定の入院生活が始まりました。

義母は「気が楽になった」と喜びました。見舞いの送迎を名乗り出ると、「しばらく見舞いをする予定はないから大丈夫」と笑顔が見えました。それならばと「良ければ洗濯物を私や夫が代わりに届けますよ」と言うと、「着替えを沢山持たせたので、しばらく必要ない」との返答。誰も見舞いに行く必要はないと言うのです。

義母は疲れが溜まっていましたので、少し休む時間が欲しかったのだと思います。子どもたちや嫁の私が動くと「迷惑をかけて申し訳ない」と引け目を感じてしまうようでした。

しかし数日後、義父から「着替えがないので持ってきて」と電話がかかってきました。義母は「あれだけ持たせたんだから足りないわけがない」と怒っていましたが、求められたものを持って、義母と私が向かいました。

義父は備え付けの棚に荷物を仕舞いこんでいました。十分な数の着替えの存在を忘れて「着替えがない」と思い込み電話をかけてきたのです。義母は酷く怒りました。

「自分で棚に荷物を入れたんじゃないの!? なんで棚を見ないの!?」と何度か繰り返し、義父を責めました。私はそんな義母を初めて見ましたし、後からその時の様子を知った夫も、そんな義母を見たことがないと言います。

私は「お義父さんは殆ど食事ができていないし、体調も悪いから思考が回らなくても仕方ない」と義母を宥め、帰宅の道中で義母の愚痴を聞き続けました。

7月下旬・退院

手術は無事に終わり、退院しました。

人工肛門になるかもしれないと言われていましたがそうはならず、義父の笑顔を見ることができました。

義父は日課だった散歩を、これまでより時間を短縮させて再開しました。

8月

子どもたちが長期休みに入り、義姉が子どもを連れて義実家に長期滞在することになりました。

義姉は車の運転ができないため通院の送迎は私が継続しましたが、それ以外で義実家に行く機会が減りました。

義母から「お義父さんの癌は肝臓と肺に転移していて、ステージⅣだって」と聞きました。この時義母はステージⅤまである中のⅣだと勘違いしており、まだ大丈夫だと楽観視していました。

8月下旬に義姉は帰って行きました。

義父は7月の退院後、一旦食事量が回復したのですが、すぐに以前よりずっと少ない量しか食べなくなりました。
大抵の物を「苦い」と言い、食べる気がしないのだと言います。

9月

上旬に「今後は通院や入院ではなく、在宅医療に切り替える」と義母伝に聞きました。

私は驚き、「積極的な治療はしないということですか」と聞きましたが、義母は相変わらず「よくわからない」と言います。
医師と義父が診察室でどんな会話をしていたのか聞きましたが、やはりわからないという答えでした。

自宅でできる癌治療は限られます。というか、ないのではないでしょうか。
積極的な治療をしないということは、癌の進行を受け入れて残りの時間を過ごすという事です。

在宅医療でどれだけ生きられるのだろうと疑問に思いましたが、義母も義姉もまだまだ先は長いと思っているようでした。
夫も同様の捉え方をしていたので、私が心配し過ぎなのかと自分を疑いました。

このころ、義母は初めてステージⅣが最も悪いステージであることを知りました。それでもそこまで危機感を抱いていません。私は義父から、義父が代表を務めていたある団体の手伝いを求められ、活動するようになりました。

義父はすっかり食欲をなくして、激痩せをしました。
認知症らしき症状も強くなっています。

義父は私を名指しして、これまで取り組んでいたある活動を「引き継いでほしい」と頼んできました。私は数々の確認をした上で疑問に思ったことを義父に訊ねると、的を得た、しっかりとした返答が返ってきました。認知症が進んでいるというのとは少し違うようにも感じましたが、よくわかりませんでした。

初めての在宅診療がありました。
義父は現役さながらの収入があるため、医師の簡単な問診と薬の処方だけで一回当たり約2万円の出費となりました。薬代は別途かかります。

処方箋を持って、私が薬を受け取りに行きました。通常であれば30分程度で受け取れるはずですが、1時間程度待たなければなりませんでした。処方された薬が痛みを和らげるための数種の麻薬で、在庫確認から始まり引き渡しまで時間がかかると言われました。

薬を受け取る際の薬剤師の説明は厳しいものばかりで、事態の深刻さを突きつけられて苦しくなり、涙が溢れました。
これら麻薬は自宅に保管するもので、医師の指示がない限り勝手に使用してはいけないという前提で処方されたものでした。

このころ、義母は義姉の助けを借りて要介護認定の調査の申請を済ませました。
結果が出るまでは3週間から一か月ほどかかると言われたと言います。

義父は、食が細くなってから好んで食べていたヨーグルトなども、食べられなくなりました。毎日少量のお粥などをなんとか食べている状態だったにも関わらず、ある日義父は自ら義母を誘い、外食をしました。

やはり義父は大半の食事を残すことになりました。対して義母は久々の外食を喜び、完食します。

普段は家計を管理している義母が支払いをしていたのですが、この日は「俺が払う」と言って義父は自分の財布を出し、支払いました。義母は「珍しい」と思い、強く記憶に残ったと言います。

これが二人の最後のデートとなりました。

10月

総合病院から、「義父の病状について、義母以外の家族にまずは電話で病状を説明したい」という話しがありました。
そこで義母は病院に、実娘である義姉と、息子(私の夫)の家の固定電話番号を告げました。

夫は仕事があったため、私が指定された日に電話がかかってくるのを待ちましたが、かかってくることはありませんでした。
不思議に思っていると、義姉から夫に連絡がありました。

病院はまず義姉に連絡をして、病状を説明したようです。説明を聞いた義姉は、病院の手間を省くために、「弟には自分から伝える」と告げたため、わが家に電話がかかってこなかったことがわかりました。

義姉の説明は、少し前に義母に聞いた内容と同じでした。「癌が転移していて、これ以上の治療が難しい」という事でした。余命については何とも言えない、と濁されたものの、ただいつ急激に具合が悪くなるかわからないという説明だったと言います。義姉も義母と同様に、「義父はまだしばらく生存できる」と受け止めていました。

病院から改まって説明をしたいと言われた割に、これまで聞いていた内容と変わらないことに、違和感を覚えました。

義母は在宅医療の費用が高額なことや、薬を取りに行く手間を考え、通院の方が良いのではないかと何度も口にしました。
また、9月の時点で義父が医師に「家で死にたい」と言ったことに対し、「家族の負担が増える」と不満を漏らしていました。

義姉は義父が今後何年も生きると信じていました。
物忘れ外来に通わせ、認知症の進行を遅らせる必要があるのではないかとも言いました。私は「癌の進行具合によっては、義父に負担を強いるだけになるのでは」と言いましたが、義姉には上手く伝わっていないようです。

義姉は具合が悪くなっている義父を見ていないことや、義母が楽観視した話を伝えていることから深刻さが伝わっていないようでした。

私は義姉に処方された麻薬等の情報を伝え、義姉が病院から「いつ急激に具合が悪くなるかわからない」と説明されたことにも言及し、「かなり厳しい状況ではないか」と話しました。しかし嫁の立場で「近々に亡くなるかも」とまでは言えませんでした。

直接医師の話しを聞きたいと強く思うようになりました。

自宅医療に完全に切り替えるのを前に、最後の総合病院の通院が予定されていました。
義姉は病院から電話で説明を受けた際、家族の同席を求められていましたので、二つ返事で私と夫が同席することにしました。

10月中旬

歩くのもままならない義父を気遣いながら、診察室に入りました。義父の皮膚は黄色くなっています。

医師は病院にかかった時点から今に到るまでの経緯を説明しました。

体調不良を訴えてクリニックにかかり、紹介状を持って総合病院にかかった時には、大腸がんが肺と肝臓に転移していました。ステージⅣで既に手の施しようがない状態だったと言います。

手術をしたのは癌が腸を塞ぎそうだったからで、癌自体の治療のためではなかったという説明もありました。

私が「何を食べても苦みがあるので食が進みません。食べやすいものなどあれば教えてほしい」と聞くと、「食べなくなるのが自然」と言われました。義母は「点滴などで栄養剤を入れてほしい」と求めました。医師は、「絶対にできないということはありませんが、苦しみが続くだけなので進めない」と答えます。

食べなくなり、自然に亡くなるのを待つしかない段階なのだと再確認しました。

夫は一言も話しませんでした。義母は何度も「栄養剤を入れてほしい」と言いました。私が義母に「お義父さんのためにならないんですって」と言うと、「そうなの?」と言いながら、それでも何度か「点滴して欲しい」と呟きました。

術後の検査の説明では、転移した癌が成長していることがわかりました。
「急激に悪化している」とのこと。今日には黄疸が色濃く出ていて、肝臓が働いていないためボーっとしやすいのだとも聞きました。

参考までに義姉との話にあった認知症外来に通うべきかを聞いてみましたが、「いつどうなってもおかしくないため勧めない」と言いました。医師からの一連の説明はかなり言葉を選び、濁しているため、これでは義母に伝わらないかもと感じました。

義母は「まだまだ義父と共に生きたい」と思っているため、受け入れがたい状況です。
濁された言葉の中に希望を探したくなるのは、理解できました。

義父は耳が悪く、説明が聴こえているのかどうかわからない反応でした。背中を丸め、小さくなってただ黙って座っていました。義母は最後まで「栄養剤を……」と言っており、医師は私に「お二人(義両親)が理解しているのかわからないため、ご家族に来てもらいました」と言いました。

一通り説明されて診察室を出た後、看護師から介護認定結果が出たかどうかの確認がありました。「要介護1」の結果がでたと伝えると、「今日時点で1の度合いではない。3~4になっているので、ケアマネージャーに問い合わせて再度申請するように(再申請は早く、通りやすいのだそう)」と言われます。

一週間後の訪問医療の予約日も、早めた方が良いのではという提案もありました。

病院からの帰りの車内でも、義母は「栄養剤を入れたら長く生きれるって聞いたのよ」と話していました。

夫も義父も黙っています。私はまた「お義父さんに無理に食べさせたり、栄養を入れるのはお義父さんのためにならないんですって」と答えました。またしても義母は「そうなの?」と言うものの、納得していないようでした。

この日、義両親は酷く疲れていました。
何か手伝いできることはないかと聞きましたが、とにかく休みたいとのことだったので、家に送り届けた後、私と夫は自分の家に帰りました。

早速病院で聞いたことを電話で義姉に伝えました。
半年先のことは考えられない状況であること、一か月先も分からないことを伝えました。
義姉は動揺していました。

10月下旬

度々義母に「手助けは要らないか」と電話をかけましたが、義父は体調が良くないようだけど寝てるだけだし大丈夫だと言います。

一週間後に予定されていた訪問医療は早めることなく、予定の日に行われました。
「私も立ち合います」と、半ば強引に義実家に上がらせてもらいました。

義父は布団に横向きに横たわったまま、「うー、うー」と小さく唸り声をあげていました。
会話はできる状態ではありません。

素人目にもかなり悪いことがわかりましたので、夫に連絡をして、仕事の帰りに義実家に寄るよう求めました。

訪問医療の医師はとても物腰が柔らかく、優しい印象の方です。

要介護認定の再申請については、義母にケアマネージャーの連絡先を聞いてもわからない状態でした。
私は訪問医師がケアマネージャーを知っているものだと勘違いしており(無知で恥ずかしいのですが)、訪問看護や要介護認定について医師に聞きました。

医師は義父が一度も訪問看護を受けていないことに驚き、知っている限りの情報を教えてくれましたが、ケアマネージャー等の情報はわかりませんでした。

横浜市では地域ケアプラザか役所が担当地区を分けて管轄していて、病院等への聞き取りと本人の状況を確認して要介護認定を行い、必要があればケアマネージャーを立てて訪問看護や介護サービスを受けることができます。

義父の場合は介護認定を受けたものの、調査を受けた当時は自分で動けたため、要介護1という一番軽度の認定でした。その後サービスを受ける旨の申し出をしていなかったためにケアマネージャーは決まっておらず、訪問看護も一切のサービスも受けていなかったことがわかりました。

私が各所に電話をかけて、途中、訪問医師に代わってもらうなどして、急遽ケアマネージャーが決まりました。

また、床に布団を敷いて過ごしている義父にベッドがあった方が良いのでは、という話しになり、医師は「手配しても間に合わないかも」と言ったものの、義母の希望で翌日介護ベッドを入れてもらうことになりました。

一通りの手配が終わった後、医師から義父の血圧が測れないほど低下していることを、優しく伝えられました。

血圧がそれほど低下しているということは、今すぐに亡くなってもおかしくないと理解しました。
ベッドが必要なのかもわかりません。

義母は「ふぅん」という感じで、悪い足を引きずって台所に向かいました。

医師は私に、「奥様(義母)は事態を理解していないようです。もしかしたら認知が低下しているかもしれません。ご家族に、お父様の様態が良くないことを伝えて頂いた方が良いと思います」と言いました。

総合病院の医師も訪問医療の医師も義母の認知を疑っていますが、私は義母の認知がしっかりしていることを知っています。ただ義父の件だけは、なぜか理解が遅いのです。

「義父はあとどれくらいですか。症状などについて、覚悟しておいた方が良いことはありますか」と聞くと、「すぐにでもあり得ますし、もって二日程度です」と答えます。

「明らかに様子がおかしいと思ったら、訪問看護を呼んでください。既に亡くなっていたら、深夜であっても私(訪問医師)に連絡して下さい。救急車は呼ばないでください。希望していない延命治療をされてしまったり、場合によっては遺体を警察に送られてその後手間と費用がかかる事態になることもありますので」

医師と私の元に戻ってきた義母に、私から「様子がおかしかったら訪問看護に電話。既に亡くなっていたら訪問医師に電話。救急車は呼んではいけないそうです」と簡潔に伝え、各連絡先を壁に貼り付けました。

医師は去り際に義母に、「お別れがすぐ迫っています。今夜かもしれないし、2日後かもしれません。覚悟しておいてください」と、優しく、しかしはっきりと伝えました。

義母は「え……」と言い、明らかに動揺しました。

私は義父も義母もとても好きなので込み上げるものがありましたが、まだ息のある義父と酷く動揺している義母の前ではいつも通り振る舞いたいと思い、堪えました。

医師が帰ったのと入れ替わりで、夫が到着しました。

義母は夫と私に「(別れが近いことを指し)そうなのかしらね。大丈夫だと思うけど……。わからないわ」と言いました。

10月末・亡くなった晩

私は義実家に、子どもたちを連れて来ていました。

義父が寝ている側で騒がしくしてはいけないと、子どもたちを別室で遊ばせていました。
訪問医師が来て私と話をしている間、義母は別室や台所を行き来して、孫たちを構ってくれました。

義母は子どもたちと一緒にいるときは、とても楽しそうにしています。

医師と入れ替わりに夫が到着し、私は医師に言われたことを夫に伝えました。

義母は医師からの「覚悟してください」という宣告に動揺が見えましたが、少しすると子どもたちの相手をし出しました。

私は新たに処方された薬(強い麻薬の貼り薬)をもらいに、処方箋薬局に向かいました。この日も長く待たされ、「在庫が足りないので取り寄せになる。後日入荷次第連絡する」と言われ、ある分だけをもらって帰宅し、すっかり黄色くなった義父の肌に貼りました。薬が効いて、少しでも楽になってほしいと願いました。

夜になると子どもだちが「まだ家に帰らないの?」と言い出しました。
翌日は学校があります。

義母はそろそろ帰った方がいいのでは、と言いました。
しかし義父は今夜にも他界してしまうかもしれません。

私だけでも泊った方が、と言うと、「大丈夫。子どもたちを見てあげて」と言われ、確かにやらなければならないこともあったので一旦帰ることにしました。

何かあったら何時でもいいから連絡して欲しいとお願いし、帰宅後は義姉に状況を伝えて、酒を飲まずに就寝しました。

深夜1時前に、不思議な夢を見てふと目が覚めました。

義父が寝ている和室の様子が夢に現れました。
天井の四隅の内、2か所か3か所に火が点いたタバコが刺さっていて、部屋自体が揺れて傾いているという不可解な夢でした。

義父の様子が気になりましたが、寝ているだろう義母を起こすわけにもいかないと思い、寝直しました。

翌朝、いつものように5時半に起床し夫の出勤を見送る準備をしていると、家の電話が鳴りました。

嫌な予感がしながらもすぐに出ると、義母が涙声で「おとうさん(義父)が冷たいの」と言いました。

ああ、やはり泊るべきだった。
義母を一人で辛い目に合わせてしまったと、酷く後悔しました。

「すぐに行きます」と電話を切り、夫に会社を休む連絡をしてもらい、子どもたちの学校の準備を粗方して義実家に向かいました。

道路が混んでいたため、着いたときには訪問医師が死亡診断書を書いて帰った後でした。

夫は義姉に連絡をして、義父が亡くなったことを伝えました。

死亡直後の家族

義父はこれまでそうしてきたように義母と同じ布団で眠り、そこで亡くなりました。

義母と夫と私は、冷たく固くなった義父を前に泣きました。

今後どうしたらよいのかわからなかったため、一先ず私は訪問看護に電話をして、この日搬入される予定だった介護ベッドと訪問看護が不要になったことを伝えました。そして体の安置をどうしたらよいかと聞きました。

訪問看護でも遺体の処置(体勢を整えて冷やす等)はできるが、亡くなった後は保険の対象外となるため2万~3万円程度の支払いが生じること、大抵の場合は葬儀会社を決めて、葬儀会社が処置をすることが多いと教えてくれました。

義父は生前より葬儀会社と契約をして積み立てを行っていました。
そこに連絡をして、来てもらうことになりました。

また、処方された麻薬類を使用しないまま不要になった場合、薬局に返さねばならないと処方箋薬局で説明されていましたので、さっそく返しに行きました。「麻薬」と聞いて、義母もその他家族も少々「怖い」という思いがあったからです。在庫が足りず取り寄せになっていた薬も不要になったことを伝えました。

在宅医療を受けた約2か月間の間、個人の裁量に任された痛み止めは使いましたが、殆どの麻薬を使うことはなく、また点滴等も一度も行いませんでした。

薬の返却時に特別な確認があるのかと思いましたが、ただ渡して終わりました。

自宅で看取るなら、家族の助けが必要不可欠

私は以前、「自宅で看取る」ノンフィクション番組を観たことがありました。

本人の意思を尊重できること、さらに家族の満足度も高いという内容でした。

その番組を観ていた時も思いましたし、実際に体験しても思ったのですが、自宅での看取りには家族の協力が必要不可欠です。

義父は義母と二人暮らしで、義母は弱っていく義父を目の当たりにし続けることになりました。
一呼吸おく場がないのです。

義母は義父の死後、「医師の説明は耳に入っていたのだけれど、受け入れたくなかったのよね」と漏らしました。
医師たちが義母を「認知に問題があるのでは」と疑った原因は、不安によるストレスからの逃避だったのです。

それにより、夫や義姉は事態の把握が遅れました。

義父の病気が発覚してから亡くなるまで一番サポートしたのは私でしたが、別居でしたし子ども世話や義父に頼まれた仕事もしていたので、義父母は「できるだけ迷惑をかけてはいけない」と思っていたようです。私は何度も手伝いを申し出て幾度となく動いてはいましたが、義母の精神的負担を分け合うには足りませんでした。

そうなると、義母の精神的負担がとても大きくなってしまいます。
長らく付き添った伴侶が亡くなっていく様を一人でただ見て過ごすのは、あまりに辛いことです。

また義母は高齢で足を悪くしていることもあり、何かと負担が大きくなりました。

自宅前の落ち葉の掃き掃除も、ゴミ捨ても、買い出しの荷物持ちも、義父がやっていたことを義母がやることになっただけでなく、病院に通い、様々な機関に電話連絡をして申請をしたり手配をし、さらに目をそらすことができない不安とただ向き合わねばなりません。

私が手伝ってはいましたが「人を頼る」こと自体がストレスになっている節もありました。

私は、無理な延命をせずに自宅で最期を迎えることは、とても良いことだと感じました。
当人の希望を叶えられること自体が、家族の満足度にも繋がります。

しかしそうするなら、家族にはしっかりと「迷惑をかけてほしい」と願います。

不安も悲しみも、家族みんなで分け合い、助け合うことが絶対に必要です。

 

義父は生前からある葬儀会社グループと契約をして積み立てをしていましたが、結果的に別の葬儀会社に葬儀を頼みました。
疑問に思うことがあったからです。これについては「こういう問題がある」と広く知ってほしいと思いましたので、次回記事にします。

 

因みに義父が亡くなった晩に私が見た煙草の夢は、「ストレスや疲れなどを表す警告夢」だそうです。
なるほど……。

 

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