祖父の闘病で安楽死という尊厳死の必要性を感じた話

持病により頻繁に病院を受診していた祖父は、食べ物の味がわからなくなり、食欲を失い、息苦しさや痰に悩まされながら数年生き延びました。
祖父はいっそ死にたいと言いました。

祖父の死をきっかけに安楽死や尊厳死について調べ、考えたことを記します。

祖父の闘病・医療の発展で生きながらえる

祖父の危篤の知らせを受け、入院先の病院に会いに行きました。
心筋梗塞を起こして緊急入院し、厳しい状況とのことでした。

同じ病室には、恐らく最期を待つ患者が数人静かに眠ってました。

その中で一人、祖父は苦しみ悶えていました。
血の混ざった痰が出続け、何度吸引をしても苦しがります。呼吸器や酸素計、点滴などの管類を外してくれと訴えます。

消え入りそうな声で私と会話をしました。

耳の悪い祖母は祖父の声が聞き取れません。
祖父の横に立つ私の後ろで、所在なく不安そうに佇んでいました。

祖父は元々心臓を悪くしていました。他にも脳や心臓、皮膚の手術をしていましたが、近年は味覚がなくなり、痩せて、常に息苦しさを訴え、休む時間が増えていました。

しかし思考はハッキリしていました。
それが苦しさを増幅させているようでした。

大好きだった酒の味がわからない。食べ物の味がわからない。
常に息苦しい。
隔日毎の通院。

それが何年も続いていました。

心筋梗塞による危篤

ある日いつもよりさらに苦しそうな祖父を見て、祖母は診察を勧めましたが、祖父はそれを断っています。

2日経って病院で診察を受け、心筋梗塞を起こしていたことが分かりました。入院措置となりましたが、手の施しようがない状態で、院長から家族に知らせるように言われます。

私は苦しむ祖父の姿を見て、まるで陣痛のようだと思いました。
生命の誕生のための苦しみは我慢できても、死を待つ苦しみを耐える必要があるんだろうかと考えました。祖父は解放されたいと全身で言っているような気がしました。

反面、それだけ苦しくても大好きなアイスクリームを口に含みたがりました。「何でお前が来てるんだ」とも聞きました。

危篤の知らせを受け、生きているうちに会うために来たとは言えず、たまたま夫の休みが取れて暇だったから遊びに来たと話しました。

「辛いところごめんね、もっと元気な時にまた来るわ。私の若いパワー送っとくから」と言うと、いらんいらんと弱弱しく手で払われました。

その日、院長から緩和ケアの提案がありました。

眠れないまま苦しい状態が続いており、回復の望みはなく、悪化の一途である。寿命は縮むが、睡眠導入剤とモルヒネで苦しみを緩和し眠らせ、死を待つ方がいい。家族の同意が欲しい、とのことでした。

祖母と、祖母を手伝いに来ていた母が話しを聞き、その場で同意しました。

母から緩和ケアの提案を受け入れたと報告された時、「こんな苦しみが続くなら死んだほうがマシだ」と以前祖父が言ってたのだと説明を続けられました。

「それでいいと思う、おじいちゃんは解放されたがっていたよ」と話すと、「そう!?そうだよね?」と母は安心したようでした。

親族が死を選ぶのか

わかっていても、覚悟していても、いざ目の前に、人の命の終わりを決めてくださいと同意書を出されると不安になるのだと思います。

祖父と同室の静かに眠り続ける患者は、恐らく緩和ケアに入っていたのでしょう。
院長との話しを終え、母は祖父の病室に寄り、

「楽になるからね」と声をかけました。

祖父はうん、うんと頷いたと聞きました。

その後一気に血圧が下がり、私が見舞ったちょうど24時間後に亡くなりました。

結局緩和ケアをする間もなかったと祖母は泣きました。
「まだ数日もつんじゃないかと思っていた。こんなに早いと思わなかった。また会えると思っていた」と泣いて話しました。

安楽死という尊厳死の必要性を感じた話

祖父は聡明な人でした。酒が好きで、自宅ではウイスキーのグラスを片手に動き回っていました。理論的で、討論好きで、研究好きで、新しいものが好きで多趣味で、面白い人でした。

安楽死が認められていればもしかしたら希望したかもしれないと、苦しみ悶える祖父を見ながら思いました。

私は夫と三女の持病のことがあり医学の発展を強く望んでいますが、医学が進んで命を延ばせてしまうからこそ、終わり方を選択できるようになるのも人権を守ることになるんじゃないかと考えさせられました。

もちろん医師の診断と、本人の希望があった上での安楽死という尊厳死です。

祖母は祖父が亡くなるのが怖かったはずです。
それを祖父もわかっていました。

尊厳死を選択したくても、家族を思うとできない場合が往々としてあるかもしれません。

でも回復の見込みのない苦しみを終わりにできる。
家族もきちんとお別れを言える。

そういう選択肢があってもいいと思います。

祖父は87歳だったので、病死とはいえ大往生でした。
持病のために頻繁に通院し、検査を受けていたから他の病気の早期発見に繋がり、長生きできました。

若くして亡くなる人に比べたら贅沢な話しなのだけど、長生きできてしまう時代だからこそ、医師の診断の元、死に方を選べてもいいのではないでしょうか。

死の迎え方

何で麒麟がいるんだと祖父に聞かれたとき、私は咄嗟に嘘をつきました。

母や祖母や他の親族は、私が見舞うことに若干の躊躇がありました。祖父が自分の死を知ってしまうから、勘づかせてストレスを与えたり傷つけたくないと考えました。
大好きな祖父だったので会いに行きましたが、良くなかったのだろうかと考えます。

親族が死を見守るのは当人を傷つけることになるのでしょうか。
死が迫っていると言うことはタブーなのでしょうか。

結局祖父は誰も親族がいないタイミングで亡くなりました。

自宅で最期を見送る看取りを選択する人が増えているそうです。

在宅看取りをする看護師と話しをしたことがあります。
彼女は365日昼夜問わず、連絡があったら駆けつけるのだと言いました。死化粧もするのだそうです。
仕事にとても厳しい人で、頼れる方でした。そんな選択肢があるのだと知りました。

当時祖父は危篤に陥る前で、具合が悪いまま在宅が続いていました。
祖母と母に看取りの話しをしましたが、自宅で何かあった時に対処が遅れることや、亡くなった時にどうしていいかわからないので病院の方が安心だと言いました。

在宅の看取りは人の手がある環境と、それぞれが勉強をする必要があります。

私は愛猫の看取りさえ怖かった、臆病者です。
怖い気持ちはよくわかります。

愛犬が癌になり、安楽死を勧められた知り合いがいます。安楽死を断り、最後まで看取ろうとしましたが、愛犬が苦しむ姿を見て楽にさせてあげたいと考えを変え、最終的に安楽死を選びました。

彼女の中に、自分が殺してしまったのだろうかという意識が残りました。

安楽死と尊厳死の違い

安楽死は命を殺すことなのでしょうか。そこに尊厳や愛はないのでしょうか。

安楽死が認められている諸外国では、安楽死を選べる条件が厳しく定められています。さらに自ら薬を飲むことができたり、死に至る点滴のコックを自ら開けられる必要があるなど定められている国もあります。

https://stonewashersjournal.com/2016/08/17/livingwill/

☝こちらのサイトによれば、諸外国の認識として、薬を使う「積極的安楽死」を「安楽死」と呼び、治療を止める「消極的安楽死」は「尊厳死」と呼び分けられ、寿命を縮めるのが安楽死であり、寿命を延ばさないのが尊厳死と捉えられているそうです。

これをもとにすれば、日本は尊厳死があるということになります。緩和ケアもある意味安楽死の考え方に近いかもしれません。

一方で「薬を医師が投与する場合は安楽死(日本では嘱託殺人)」で「医師が用意した薬を自分で飲む場合には尊厳死(日本では自殺幇助)」のような区別をされることもあるのだとか。

安楽死と尊厳死は違うという意識があるのですね。

https://diamond.jp/articles/-/134137

☝のように、死の迎え方に大きな意識の違いがある国もあります。

私は祖父の死から、回復の見込みがなく耐えがたい苦しみを味わう状況で死の時期を選ぶのは尊厳死であると考えました。つまり安楽死は尊厳死なのだと思いました。諸外国がどうであれ、そうであってほしいと今も思っています。

正解は人によって変わります。

死は生物の根源です。
タブー視するのではなく、慣例を正しいと決めつけるのではなく、大いに議論されて欲しいと願います。

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