【猫】ペットロスのリアルと乗り越え方・ロスを共有しませんか

我が家の愛猫(仮名ツチノコ)が息を引き取りました。
ツチノコと私は16年連れ添いました。現在は亡くなって三日目です。

喪失感が酷く、気持ちの浮き沈みが激しい状況です。

そんな時に救われたのが、経験者の言葉でした。

現在ペットロスの渦中の方、後にペットロスを経験する方へ。
一人ではないことを知ってもらうために、現在の私のリアルな姿と、“ペットロスの共有の勧め”についてお知らせします。

息を引き取るまで

死が近いことはわかっていましたが、まだ数日は一緒に過ごせると思っていました。

最後に一緒に寝たのは何日前だったでしょうか。
夏は私の布団の上で眠り、冬は布団に入って私の腕枕で寝ていました。

まだ小さい子どもに布団をかけなおすため腕枕を外すと、「もー。」としぶしぶ動き、私が戻るとまた腕枕をして幸せそうな顔をしていたことを思い出します。

亡くなる一週間前くらいには寝室のある二階にほとんど上がらなくなっていました。後ろ足が衰え、歩くのもおぼつかなくなっていました。
二階に連れて行けば一階に下りたがるので、深夜落下するのを恐れて、寝室に連れて行くことがなくなっていました。いよいよ死が見えたら一階に布団を敷いて一緒に寝ようと思っていました。

当日未明の容態

数日の間、夜中に何度も目が覚めました。
ツチノコは大丈夫だろうか。きっと大丈夫だ。まだ大丈夫。

しかし一階に降りて確かめる勇気がありませんでした。

亡くなる日の未明、夫も同じように夜中に目を覚まし、一階に降りていきました。
ツチノコを見て戻ってきた夫が、「洗面所にいたよ。元気はなかったけど」と言いました。

ツチノコは病気で鼻が詰まっていたため蒸気を好み、風呂場に入りたがるようになっていました。そのため洗面所によくいるようになっていました。風呂場を蒸らし、寒くないよう床暖房をつけっぱなしにして一階を温めていました。夫の話しを聞いてホッとして眠りにつきました。

早朝の容態

早朝5時半にいつものように起床しました。ツチノコは相変わらず洗面所にいました。

朝起きると、ツチノコの鼻や口の周りを拭って綺麗にするのが習慣になっていました。
しかしその朝はあまりついていませんでした。

洗面所にいたがるツチノコのために、お気に入りのブランケットを敷いていました。ツチノコはその上に横たわっています。
普通であれば床に寝ていると暑く感じるくらいなのに、体が少し冷たく感じました。

何とか体を起こそうとしますが、顔を上げるのが精いっぱいで立ち上がれず、右へ、左へと受け身を取れずに倒れ込みました。
窓辺に置いている猫カゴに、ブランケットごと移しました。

「今日か、明日には逝ってしまうかもしれない。」そうわかりました。

堪えきれず、涙が流れました。

一緒にいたいけど、楽にしてあげたい。

相反する思いが錯綜していました。

夫の出勤を見送る時は私や起きている子どもたちとハグとキスをします。最後にツチノコもやってきて、夫が撫でて玄関を出ていくのが恒例でした。
ツチノコの見送りは、亡くなる五日ほど前からなくなっていました。夫は「行ってくるね。」とツチノコに呼びかけて、私と起きてきた長女とハグを交わし出勤していきました。

私がツチノコを撫でていると、小学校中学年の長女も一緒に撫で始めました。
長女も、小学校低学年の次女も、ツチノコが長くないことを知っていました。

ふと気が付くと、息をするたびに上下していたお腹の動きが殆ど見られなくなっていました。

「え、こんなに早く亡くなってしまうの?」

長女に次女を起こしてくるように頼みました。
長女と次女に、「学校に行っている間に亡くなるかもしれない。たくさん撫でてあげて。」とお願いしました。

ツチノコの呼吸は明らかに減っていました。
20秒に一度、思い出したように深く息を吸い込んでいました。

長女も次女も泣きながら「大好きだよ」と言って撫でました。

息を引き取る

今か今かと思っていました。
しかし深く、少ない呼吸が続きました。

子どもたちが学校に向かう時間が迫っていました。
「休ませようか」と頭を過りましたが、長女が楽しみにしていた校外学習の日でもあり、いつも通り送り出すことにしました。休ませたら、死を待っているようだとも思えました。

朝食を摂らせ、送り出しました。
三歳の三女が起きてきました。朝食を摂らせようと席についてふとツチノコを見ると、呼吸がなくなり体温がなくなっていました。

ペットロスのリアル

覚悟していたことなのに、とめどなく涙があふれてきました。

ツチノコを撫でて頬を寄せながら、「楽になったかな。頑張ったね。一緒にいてくれてありがとうね。」と言葉をかけ続けました。

涙は止まらないものの大きな動揺はなく、落ち着いていました。
5年ほど前に夫が独身時代から飼っていた猫(仮名を先住君とします)を亡くしたときの方が、動揺が大きかったように思います。

先住君も病気で亡くしていますが、もう助からないとわかってから亡くなるまでが10日程度で早かったため、心の準備ができていなかったのかもしれません。「大丈夫。私は冷静だ」そう言い聞かせ、夫やかつてツチノコの世話を頼んだことのある親族に連絡をしました。

三女を幼稚園に送り出し、家には私とツチノコだけになりました。

息を引き取ってから一時間が経過すると、徐々に体が硬くなり始めました。
その朝は晴れていて、部屋に日差しが差し込みました。
日向ぼっこが好きだったけど、体が痛んでしまうかもしれないと思い、日差しを少し避けて保冷剤を置きました。
二時間が立つと完全に体が硬直しました。

泣きはらし、頭が痛くなりました。
亡くなる直前に、口に水を運んだスポイトやトイレを猫カゴの側に置いていましたが、もう使われることはありません。
不要になったものを集めて積み重ね、呆然と眺めました。

ふと、「これでよかったんだ。もうツチノコは辛くない」と思うと涙が止まりました。
しかし台所に立つたび、手洗いに行くたび、ソファーに座るたびに、「ツチノコがご飯くれって泣いてたな。ツチノコが私が出てくるのを待っていたな。私の膝に乗りたがっていたな。」と思い出し、また泣くことを繰り返しました。

ふと涙が止まると目が乾きました。そして普段食べない甘いものが食べたくなりました。
食欲はないので、甘いものを一口齧るとお腹がいっぱいになりました。

子どもたちや夫にツチノコの「死」を見せてきちんとお別れをした方がいいと考えました。
即日火葬することもできたのですが、子どもたちと夫の帰りを待つことにしました。

子どもたちが幼稚園や小学校から帰るまで、朝方仕事を終えた夫が帰宅するまで、保冷剤を入れ替えながら、ツチノコを撫で続けました。

幼児と小学生の受け止め方

長女と次女が帰宅しました。開口一番「ツチノコは!?」と言いました。

「長女と次女が学校に行ってすぐに亡くなったよ。」と言うと、次女は立ち尽くして泣き出しました。
長女は涙を浮かべながら手を洗い、ツチノコの側にやって来ました。

「撫でてあげて。」そう言うと、次女もやってきて静かに泣きながら撫でました。

「冷たい。」
「そうだよ。亡くなると体温がなくなるから冷たくなるんだよ。」
「なんで体冷やすの? 風邪ひいちゃうよ。」
「動物も人間も、死んだら土に還るように体が崩れていくようにできてるの。火葬しようと思っているから、それまで傷まないように冷やすんだよ。」
「寒そう。」
そう言って長女と次女はツチノコの体に毛布をかけました。

三女が帰宅しました。
「ツチノコがこの姿でいられるのはあと少しだから、撫でてあげて。」というと、黙って顔を横に振りました。
生きているときは撫でていたのに、亡くなったら怖く感じたようでした。強制することではありませんので、それならそれでいいと思いました。

長女と次女は一頻り泣いた後、「友達と遊ぶ約束をしたの。行ってもいいのかな。」と聞きました。

「行っておいで。」と送り出しました。

ツチノコの死を悲しむことと、日常生活を続けることはどちらも大切です。
それはそれ、これはこれ、と切り替えられる子どもが逞しく感じました。

大人の受け止め方

子どもが遊びに出た後、私はまた泣いては泣き止むことを繰り返しました。

「泣くことは消化である。泣いて消化して少しずつ風化させていくもの」と、昔誰かに聞いたことを思い出しました。
「風化させたくないあまり、泣くことを堪えてしまうことがある。そうすると心にどんどんと積み重なって、重くなって自分がつぶれてしまうことがある。」のだそうです。

無理をせず、泣きたいだけ泣こうと思いました。

子どもたちにご飯を食べさせて寝かしつけました。
私は仮眠を取りながら、明け方に仕事から帰って来る夫を待ちました。

帰宅した夫は、ツチノコの体を前にこわばって泣きました。
酒を飲んで献杯し、また泣きました。

「ツチノコや先住君がいなかったら、俺たちは出会ってないもんな。」
私と夫は猫を飼っていて酒が好きという共通点から知り合い、結婚に至っています。そんな思い出話をしながら泣いて、眠りにつきました。

ペットロスのその後

火葬

翌朝、子どもたちを学校と幼稚園に送り出しました。

10時に出張火葬を予約していました。

先住君もツチノコもジャパンペットセレモニーに頼みました。

自宅前で炉を積んだ車に引き渡し、一時間半後に骨壺に入れられた状態で引き渡されました。
骨壺を抱くと、また涙が込み上げました。

余裕がなくなる

泣きつかれていましたし、満足に眠れていませんでした。
食欲がなく、骨壺の前で呆然としていましたが、夫が「お腹が空いた」と言います。

ソファーに座ったまま何もしない夫の横で、家事や食事作りをしてテーブルに運びました。
食べ終わると夫はそのままスマートフォンでゲームを始めました。

先住君が亡くなった時は、私も大きなショックを受けましたが、付き合いの長い夫を気遣いました。
しかしツチノコが亡くなっても、私への特別な気遣いはありませんでした。

……私はツチノコをもらう前の保護活動者とのやり取りから、初めてツチノコと出会った時、もらってすぐからくしゃみをしていたこと。
トイレの躾をしたこと、私の帰りを待っている姿など、思い出が巡りに巡っているのに、なぜ食欲がない私があなたの食事を用意しなきゃいけないんだ! と腹が立ちました。

そこで、自分の感じ方が普段と違うことに気が付きました。普段ならこんなことで腹は立ちません。

考えてみれば、夫は出勤してすぐにツチノコの訃報を受け取っています。飼い猫が死んでも会社は帰宅させてくれません。
日中から深夜まで仕事をして、朝方やっと帰宅してツチノコと対面できました。
泣いて眠りにつきましたが、数時間で火葬車の予約時間となり、起きてまた泣き、火葬と収骨が終わるまで起きて待っていなければなりませんでした。私の方がツチノコとの付き合いは長いですが、夫も10年の時を一緒に過ごしてきました。悲しみの大きさに違いはないのだと気が付きました。

悲しくて余裕がなくなって、自分ばかり不幸なような気になっていました。

ふとした時に思い出す

子どもの習い事の送迎でツチノコの通った病院の前を通ると、胸が詰まりました。
習い事のビルの前で終わるのを待っているときも、思い出して涙が出てきました。

骨壺の前で座り込み、ジッと見つめている次女を見ると涙が出ました。

朝起きる時、「にゃー」と泣きながら足にまとわりつき、ご飯を強請ったツチノコはもういません。
眠る時、一緒に寝室に入ったツチノコもいません。
「ツチノコー!」と呼ぶと、ちょっと面倒臭そうに現れたツチノコがいません。
そこに、骨壺があるだけでした。

喪失感がついて回りました。

ペットロスの乗り越え方

親しい人たちへの報告と気持ちの発散のために、亡くなったことをfacebookやtwitterに載せました。

ツチノコと関わりのあった友人達や、ペットを亡くした経験のある人が、コメントや個人的な連絡をくれました。
皆がペットとの思い出や辛かった別れを話してくれました。

それがとても心に響きました。

「たかが動物の死」とみられることもあるペットロスですから、元気になれない自分が悪いような気になっていました。
しかしペットを失った悲しみを共有することで「ペットは家族。悲しくて当たり前。簡単に吹っ切れるものではない。私だけが悲しいわけではない。一人ではない。」そう肯定されたように感じました。

先住君を亡くしたときも、たまたま玄関先で会ったご近所さんが「ペットを亡くした悲しみがわかる」と、一緒に泣いてくれたことがありました。とても温かい気持ちになりました。

悲しみの共有は、通夜振る舞いのようでした。

通夜振る舞いとは、通夜のお焼香後に案内される食事の場をいいます。
故人と最後の食事を楽しむ場として設けられていて、思い出を語ったりお別れをする目的があります。
ペットロスは分かち合えるのだと感じました。

ペットロスは共有できる

辛いときは吐き出しましょう。

悲しいままでいい。泣いていていい。思い出や後悔を吐き出しましょう。
自分を否定しないで。

……まだ乗り越えてもいない私ですが、そうしないと消化ができないように思うのです。
消化したら忘れてしまう気がして、怖いとも思うのですが。

私はまだまだ道半ばです。

ペットロスを共有しませんか。

 

 

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