【毒親育ち】就職結婚・祖父の死と親戚が揉めるまで

☟毒親育ちの続きです。

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就職と被虐待児の彼氏

就職と同棲

地方都市の大学を卒業し、レストランイベント企画の仕事に就きました。
就職と同時に年下の彼氏に押され、同棲を始めました。

彼は高卒で働いていました。
とても結婚願望が強く、頻繁に結婚しようと言ってくるのですが、私は結婚を考えられる状況にありませんでした。

就職した会社は約束していた社会保険に入れてくれず、最低給与も守られず、その7割程度で、国民健康保険や年金を払うのが厳しい状況でした。他の内定を蹴ってまで決めたレストランでしたが、奨学金の返済も市民税も払えず焦ります。

会社に訴えても辞めていくか諦めて我慢するかの二択でした。労働基準局に相談してみましたが、数人の訴えでは動いてくれず、改善は叶いませんでした。

危ない彼氏

彼氏は貯金意識のない人でした。定収入でしたので、貯金ができない状況であったのも確かです。

人のバイクを借りて自損事故を起こし、弁償のためサラ金から金を借りると言い出したので慌てて止め、私が貸すことになりました。

お金がない中、彼氏が「いい話があると友達が教えてくれた。」と言いました。嫌な予感がしてどんな話なのか聞いてみると、初めに数十万出せばそのあと高い利息が入り続け、儲けられると言います。
その高利息はどういったシステムで金を生み出すのか理屈で考えてほしいと、怪しい箇所を説明しようとすると、「俺の友達が嘘を言っているというのか!」と怒り出しました。

「ではその友達も騙されているのかもしれない。」と言いましたが、「俺は友達を信じて説明会に行ってくる。」と言って聞きません。
何とか引き止めましたが、チャンスを潰されたとしばらく文句を言っていました。

子どもを脅して育てる

彼は結婚したら子どもが欲しいとよく言っていました。
「子どもは可愛いだろうけど、生意気なことも言うし、大変そう。」と言うと、「それなら煙草の火を押し付ければいい。」と言います。

驚きました。「何言ってるの、虐待だよ!?」と言うと「俺はそうやって育てられた。」と煙草の痕が残る腕や足を見せられました。
痕があると思ってはいたけど、煙草の痕だとは思っていませんでした。

「そんな人と子育てはできない。」と言うと、「じゃあ、体には当てないから。近づけて脅すだけならいいでしょ。俺はそうしないと止まらなかったと思うし。」

彼は幼い頃の両親が離婚し、母と弟と暮らしていました。恐らくは煙草を押し付ける夫に耐えられず離婚したのだと想像しますが、息子である彼は何もわかっていませんでした。

私は虚無感を感じるようになり、猫を里親募集でもらい受け、一緒に暮らすようになりました。

全てを捨てていく

別のレストランウエディング会社に転職をしましたが、なぜだかそこでも提示された基本給や社会保険が守られず、出勤初日に、事前に提示した内容とは変わるからと宣言されました。
地方都市だからなのか、それともレストラン業界は嘘が普通なのか? と悩み、彼氏とも続けていけないと考え生まれ育った関東に帰り、東京で転職することにしました。

あっという間に転職先と住居を決め、彼氏を置いて関東に帰りました。
少しして彼氏とは別れました。

私は誰も私を知らない場所に行くことが好きでした。
高校も大学もそれまでの知り合いがいない学校でしたので、自分がリセットされる感覚で心が軽くなりました。
生まれ変わるつもりで環境を選びました。

東京に戻った時、全てを捨てて行った、もう連絡が取れないかもしれないと思った、と大学時代の友人に言われました。
そんなつもりはなかったのですが、断ち切りたい思いがそう見せたのかもしれません。

毒親の影響を受けた不安定な友人

シェアリング

都内で最初に住んだ家は、大学時代の元彼氏が契約した家の一部屋でした。

当初もう一部屋に違う人が住み、三人でシェアハウスのようにして住む予定だったのですが、一人が住めなくなってしまい、私と元彼氏の二人になってしまいました。
女の友人を誘い、三人で住み始めました。

不安定な友人

彼女は非常に精神が不安定でした。

高校生の時から父親に金をせびられ、父の作った借金で苦労し、兄弟を守るために奔走していました。自分の意見をしっかりと持っていてとてもモテる子だったのですが、根強い男性不信を抱えていました。

彼氏にとても愛されていても「信用できない」と言いました。
貞操を軽く考え、男性たちを試すような言動をしました。股をかける付き合いを続け、妊娠し、それぞれから金をもらって堕胎することを繰り返しました。
そのうち双方の男が互いを知ることになり、修羅場となりました。

そのころに私が彼女を誘い出し、一緒に暮らすようになったのです。

性依存症

仕事帰りに待ち合わせて飲みに行くと、簡単にナンパについて行ってしまいます。気づいたら一人の男と消えていて、慌てて走って探し、引き離してタクシーで帰宅するなどを繰り返しました。

ある晩、彼女が酔っぱらってシェアハウスの私の元カレを誘惑しました。元カレは誘いに乗ろうとしましたが、彼女は土壇場で友人の元カレはマズいと思い直し、寝たフリをして未遂に終わりました。
彼女はその話を私にして、謝ってきました。

彼女が男性不信を抱え、貞操を軽く見て性依存に陥っていることを元カレにも話していました。彼女には彼氏がいて、堕胎して日が経っていないことも知っていました。
それで誘いに乗るとはどういうことかと私は怒りました。

元カレはその時も、その10年後くらいまで、私によりを戻そうと言っていました。
元カレには何の興味もなくなっていたのですが、彼女の精神状態より肉欲を優先する男なのだと心底呆れました。
怒る私に、彼女は「私が悪いのだから怒らないで。」と言いました。

色々あって同居を解消することになりました。彼女には同棲していた彼氏の元へ戻るようお願いしました。

シェアリング解消で自殺未遂

解消して四か月ほどした頃、久しぶりに会いました。そこで、同居を解消してすぐに彼氏の家で自殺未遂をしたと聞かされました。

バファリンを数箱買い込み、多量の酒で飲みほしたと言います。
寝てしまった彼女を彼氏が発見し、嘔吐させたあと病院で手当てを受けました。後に医者から、数箱では死ねないと聞いたと言います。
あれ以上飲むのは無理だと彼女は笑いました。

彼女は新宿のメンタルクリニックにかかることにしたのだけど、一人は不安なのでついてきてほしいと言いました。

初回は付き添いました。その後通院しましたが効果をあまり感じられませんでした。

海外に逃げる

彼女は逃げ場を求めて海外に移住しました。

海外でも股をかける付き合いを続けていました。彼女から話を聞くだけで、海外の男性の情熱が強いことがわかりました。いつか刺されるのではないかと心配しました。

東日本大震災が起きた時も彼女は海外にいました。日本が心配、皆が心配だから帰りたいと言っていましたが、国内が混乱していた時でしたので止めました。その後少しして彼女は日本に戻ってきました。

海外で付き合っていた男性たちと距離ができたこともあり、別れました。
かつて修羅場を経験したうちの一人と結婚しました。

結婚するときにわかったのですが、彼は家が資産家で、彼自身も勤め先でしっかりとした稼ぎがあり、彼女は初めて経済的、精神的な安定を得ました。
安定が得られたことで、心配していた貞操が落ち着き、子どもにも恵まれ仲良く暮らしています。

友人と暮らしている間、死にたいと思うことはあまりありませんでした。
友人もそうだったようです。そのため同居解消をしてからの揺れが酷く、自殺未遂に到ったようです。

同居を解消してからの私は、新しい会社の仕事に慣れるのに忙しくなりました。家には疲れて帰るだけだったため、余計なことを考えずに済みました。
社会保険を約束通り入れてくれました。仕事は忙しいけど給料をきちんと払ってくれるので満足していました。

弟とは頻繁に連絡を取っていました。
両親も年を取り以前ほど激しさがなくなり、たまに外食に行ったり夫婦で旅行に行ったりするようになったと言います。
親も変わったのだろうか。そうだったらいいな。そう油断していました。

実家に帰る

数年ぶりに正月に実家に帰りました。
実家と言っても、実家の両親と弟が母方の祖父母の家に行くのが恒例となっているので、祖父母宅に向かいました。

年始の挨拶をして酒を飲みおせちを食べました。
その日の夜、父が自慢の料理を用意しました。
手伝いをした母が興奮して料理を落とし、食べられなくなりました。

父は激しく怒り、母はいつものように謝ることなく「私は悪くない!」と泣いて喚きました。
父は「いい加減、お前にはうんざりなんだ。どれだけ我慢してきてると思ってるんだ!」と言いました。母は慌てて祖父母に「わざと嫌味で聞かせるようにああ言っているんだ。我慢しているのは私の方。」と言いました。

父は部屋に籠り、母は祖父母に泣いて自分は悪くないと訴えました。
酒が入っていたため車で帰宅ができず一夜を明かしましたが、翌朝になっても激しい喧嘩が続きました。

両親と弟は車に乗って実家に帰っていき、私は一人暮らしの部屋に帰りました。
喧嘩をしながらでしたので、事故を起こすのではないかと心配でしたが、そのような連絡はありませんでした。

殺される

家に帰ったら、また殺し合いのような喧嘩を繰り返すのだろうと思いました。
両親は全く変わっていませんでした。油断していた分心構えができておらず、ショックが大きかったです。両親のことを考えると呼吸が浅くなりました。

弟は大丈夫だろうかと心配になりました。
弟にメールをしましたが、返信がありません。
そのまま数日が過ぎても連絡がありませんでした。実家に電話をしても誰も出ません。

まさか両親だけでなく、弟が巻き添えを食って殺されたりしないよね?
心配でたまらなくなりました。
その時の彼氏(後の婚約者)に不安を言うと、「家族内で殺しあうなんてあるわけないじゃん。心配し過ぎだから。」と笑いました。

私が心配し過ぎなのだろうか。怖い。悶々と考え続けました。

都内で一人暮らしをしている部屋から実家まで、電車と徒歩で二時間弱かかります。無事を確かめに行くべきか迷いました。
すると祖母から電話がありました。

「あの子(私の母)と連絡が取れない。殺されているかもしれない。麒麟は何か知らない?」

心臓が強く鼓動し、冷や汗が出ました。
祖母も私と同じことを思っている。やっぱり死んでいるのかもしれないと血の気が引きました。

「何言ってるの。大丈夫だよ。」

心にもないことを繰り返し、祖母を安心させて電話を切りました。

弟に何度電話をしても出ません。
実家の電話も誰も出ません。母の携帯電話にかけても出ません。父の電話にはかけませんでした。
喧嘩から一週間が経っていました。不安でいっぱいでしたが、実家に確かめに行く勇気はありませんでした。

死んでいたら遺体が腐り始めるころだと思いました。

連れ出したい

それから数日して弟からメールがありました。

「酷い喧嘩だった。やっと落ち着いた」

みんな生きていました。祖父母宅から帰宅して10日あまりのことでした。

それをきっかけに私の髪に大量の白髪が生えだしました。幼い頃から数本あったのですが、職場で指摘されるほど一気に増えました。
美容院で白髪染めをするようになりました。白髪は頭頂部に集中しており、美容師からストレスだと言われました。

弟は都内の有名大学に通っていましたので、都内に暮らす私の家によく遊びに来ました。弟を家から連れ出したくて、一緒に暮らそうと持ち掛けると、弟は喜びました。

しかし弟から話しを聞いた母が激高し、私に怒りの電話をかけてきました。

お決まりの、「あんたの言葉は人を不幸にする!」やら何やらを叫ばれました。
弟を家から出したくない母親にとって、私は弟をたぶらかす悪者でした。

珍しく母は弟にも喚き散らしたようで、お母さんが怒るから出られない、と弟から連絡をもらいました。
弟には、私の家に頻繁に泊ればいいと話しました。そして実際、よく泊まりに来ていました。

婚約

数年間、実家とほとんど連絡を取りませんでした。

関わりたくないというのが強かったと思います。弟とはよく会い、出かけるなどしていました。

弟は大学院に進み、大手に就職をしました。弟の奨学金返済の保証人になるよう母から頼まれ、保証人になりました。
就職を機に弟は実家を出ました。弟一人の希望であれば、母は反対しませんでした。

4年付き合った彼氏と結婚の話しになりました。同棲を始め、両親の顔合わせをすることになりました。

久々に両親と話しをしました。両親は喜びました。

独身最後の海外旅行

父はお小遣いを貯めた中から5万円をくれ、母と娘で独身最後の旅行に行っておいでと言いました。

母はとても喜びました。私が二人分の旅費を負担し、グアムに行くことにしました。母は生活に変化がなく、ストレスを発散できる場がなかったからです。海外は刺激的で楽しめるのではないかと思いました。5万円は母の活動費にしました。母は初めての海外でした。

会社で休みを取り、楽しむつもりで行ったグアムは苦痛の連続でした。
母は常に父や世間の悪口を続け、母と弟がいかに可哀そうかを話し、私のせいだと言いました。逃げ場がなく、地獄でした。

婚約者の態度が一変

同棲を始めて彼氏の態度が一変し、私をバカにするようになりました。

金曜は仕事が終わると昔からの友人と遊びに出かけ、深夜友人たちを連れて帰宅し、マージャンを日曜まで続けるのです。
その間私が声をかけてもなぜか無視をされ、空気のような扱いをされていました。

生活費は折半ですが、私の方が稼ぎがあったので外食費など何かと出し、家事は当然のように全てやることになりました。

ゴミをゴミ箱に入れられず、煙草のフィルムなど床に落とされるので、ゴミや脱いだ服を拾い集め、散らかった漫画や雑誌を片づけました。同棲する前は実家に住んでおり、母親がすべて世話をしていたと言います。

彼の母親が頻繁に訪ねてきました。

私が夕飯を作っていると、彼がふと家を出て行きました。戻ってきてからどうしたのか聞くと、彼の両親が食材を届けに来て帰ったと言います。声をかけてくれれば挨拶したのにと言うと、「言わなくても分かるはず。自分で気づいて出てくるのが普通。両親に悪いと思わないのか。」と言いました。

私は意味が分かりません。「言われなきゃわからない。じっくり話し合おう」と持ち掛けました。このままだと付き合い続けられないとまで言いましたが、「麒麟は俺が好きなんでしょ? それなら問題ない。解決している」と話し合いになりませんでした。

両親の顔合わせの日を迎えました。彼はそれまで私の両親に会ったことがありませんでした。会ってほしいと何度か持ち掛けたのですが、緊張すると言って避けていました。

顔合わせは無事に終わりました。
彼には両親が不安定なことを話していましたが「とてもいい人たちだった。おかしな両親だとはとても思えない。これまでの話しは作り話しだったんでしょう。」と言いました。この人と結婚したら私の居場所はますますなくなると感じました。

婚約破棄

婚約破棄をするなら両親に知らせなければいけないと、同棲で生じた問題を母に相談しました。

母は彼の態度が私の父親に似ていると言い、別れなければ後悔すると熱弁しました。父は結婚後本性を現し、彼は婚約して本性を現したのだと言います。母には否定ばかりされてきましたので、私がおかしいと責められると思っていましたが、意外にも強い味方となりました。

無事に婚約を破棄することができました。
彼の母親は私ではなく私の両親に婚約破棄の理由を聞いてきました。

母は私から聞いた話をそのまま伝えました。彼の母親は「私の育て方が悪かったと夫に責められている」と話しました。
彼の両親はコミュニケーションを取れていませんでした。彼はそれが正しい形だと思っていたようです。

彼は私が家を出るその日も、「麒麟は俺から離れられない、必ず戻ってくる。待ってる」と言いました。
別れなければ、私は母のようになっていたのかも知れません。

夫と出会いスピード結婚

夫との出会い

家を出た後、猫と荷物は実家に預け、弟の家に居候させてもらいました。

後輩に勧められたSNSのミニゲームがきっかけで猫好きな男性とメッセージのやり取りをするようになりました。
婚約破棄や仕事のことなどを相談するうちに、住む場所が近く、同じ赤ワイン好きであることがわかります。彼も猫を飼っており、共通項が多くありました。
顔を知らないまま待ち合わせ、飲んだことがきっかけで自然と付き合うようになりました。

彼は同棲経験が何度かあり、一人暮らしも長かったので一緒にいてとても楽でした。
彼もそう思っていたようで、一緒に暮らそうと言われました。

婚約破棄をしてすぐでしたのでためらいました。それに婚約破棄や実家、仕事のことで精神的に疲れ果てていて、自分から何かをしようという意欲がありませんでした。

猫を預けていたので時たま母と話しをしていました。そこで彼の話しをすると、一緒に暮らすなら結婚をしなさいと言われます。
その時は結婚願望がありませんでしたし、彼も同棲していた彼女に結婚を持ち掛けられたがその気になれず別れたと聞いていましたので、同棲は無理だと思いました。

結婚

母に言われたことを彼に話すと、では結婚しようと言いだします。私は驚きました。嫌だとも、いいとも思わず、彼が乗り気になって結婚の話しを進めているのを眺めていました。
流されるままに同棲を始め、婚姻届けを提出しました。

結婚しても夫も私も変わらず、一緒にいて心地よく楽でした。出会った時から猛烈な恋心のようなものはなかったのですが、癒され、安心感を感じるうちに深い愛情のようなものが沸き上がるのを感じました。

夫が私を選んでくれてよかったと思いました。私なら、父に似た人を選んでしまったでしょう。

挙式

結婚式はするつもりがありませんでした。彼は人が良く、騙されて負った借金が200万残っていました。
私の貯金や退職金と彼の稼ぎですぐに返済を終えましたが、貯金は多くありませんでした。

しかし借金のことを知らない母は、娘の結婚式を経験したかったようで、結婚式を挙げないのは許さないと言い、すぐに挙げないのならこれまでかかった学費の一切を即返せと怒りました。

新婚旅行に海外に行こうとしていたので、現地まで自費で来てくれるなら現地で挙げると持ち掛けると、意外にも乗り気になり決まりました。
互いの両親と兄弟だけを招いて海外で挙式をしました。

両親は日本語以外話せず心配でしたので、弟にアテンドを頼みました。やはり海外でも終始喧嘩をして、弟に全てを任せていたようです。弟に負担をかけることになりました。

妊娠出産

実家や仕事のストレスで、治療をしないと妊娠が難しいと言われたことがありました。

仕事を辞めて少しずつストレスから解放されているのを感じました。
漢方治療を勧める中、ほどなくして妊娠がわかりました。

産後は実母が娘ケアするものという意識が強かったようで、母は帰省を勧めました。
出産してから恐る恐る帰省すると、驚くほど献身的に世話をしてくれました。とても嬉しかったです。母はやはり私のことを思ってくれているのだと思いました。
しかし二人目以降は両親の家事も私がすることになり、ほどなくして夫に迎えに来てもらうことになりました。

特に三人目の妊娠について報告した時には、「三人産むなんて普通じゃない。普通は二人だ。どうすんの、それ。」と言われ、グッとストレスを感じた当日に出血し、そのまま流産しました。私の覚悟が足りなかったのだと思います。母の言葉に耐えられるだけの覚悟ができていませんでした。
その後少しの間妊娠に到らず、子どもは二人にしようと夫と決めた直後に妊娠がわかり、三人目を出産しました。

三人目を出産後は、帰省せずに自宅で過ごす予定でした。出産時に母胎にトラブルがあり一時危険な状態に陥りました。家族の助けを受けるべきだと助産師に勧められ、急遽実家に世話になることになりました。

父親の妄想

父は癇癪が激しく、妄想に囚われやすい人でした。

産後世話になっているとき、父は仕掛けられていると思い込んでいる盗聴器に向かって「おい、聴いてるんだろ。いつかぶっ殺してやるからな。」と言いました。隣の部屋で私や子どもたちが寝ていても、関係ないようでした。

子どもたちにも突然癇癪を起こしました。子どもたちは怒られた意味が分からず、恐怖の表情で私に「なんでおじいちゃんは怒ったの?」と聞きに来ました。

子どもに悪影響だから自宅に帰ろうと思うと母に言うと、孫を帰したくない母は、「別に大したことじゃない。気にする麒麟がおかしい」と言いました。

母は長女と二人きりになると、「麒麟に嫌なことをされていないか、言われていないか、麒麟の悪いところはここだ」と話しているようでした。長女は、「おばあちゃんは何でそんなこと言うの?」と私に聞いてくるのでした。

両親は孫をとても可愛がっていますが、不安定さは相変わらずでした。三人目の産後は両親の分の家事も私がやることになり、精神的にも身体的にも辛くなりました。夫に伝えると、夜勤明けで寝ていないのに車を飛ばして迎えに来てくれました。

夫が弁当などの食料を買いだめしてくれました。私は最低限の掃除と洗濯だけして、末っ子や上二人の世話をしました。
自宅に帰った方が楽でした。

おかしい母

裁縫が得意な母がジッパーが壊れたパンツを直すと言ってくれたのでお願いしました。するとジッパーを直した後に、パンツを膝丈に切られて着られなくなりました。
どうして切ったのか聞くと、「麒麟がそうしてくれと頼んだ」と言います。当然ですがそんなことは言うわけがありませんでした。

夫が母にサッカー漫画を貸したことがありました。母はそれを読んだ後に売ってしまいました。
母の何気ない会話から売ったという話しを聞き、驚きました。

母は、夫が「売っていい」と言ったと主張し、「夫はそんなこと言っていなかった。夫が大切にしていた漫画だ」と伝えると、あんたの記憶がおかしいと言われました。

夫に確認しましたが、「売っていいなど言うわけがない」とショックを受けていました。母は私の夫には強気に出られないようで、夫に謝りました。母が謝るのを初めて見ました。
その漫画は古く廃盤になっていて、再度集めるのは難しいものでした。

夫が私の両親と顔を合わせることは滅多にありませんでした。正月や盆にも帰省しないですし、たまに会うのは産後世話になった時の挨拶か、ごくたまに両親が孫に会いに来た時に仕事帰りの夫と挨拶する程度で、数年に一度のことでした。
それでも夫は私の両親の不安定さを肌で感じていました。

父の突発的な怒りと、それを堪えている(夫の前では我慢している)場面を何度も見たり、母の「麒麟に対する発言が酷すぎるとよく漏らしていました。どうして実の娘を全否定することを言い続けられるのか、俺から注意していいか」とよく聞かれました。

両親を刺激すると面倒なので、何もしないでほしいと頼みました。
夫には申し訳なく思い謝り、私の両親とは付き合わなくていいと伝えています。

精神的やまいか発達障がいか

母は家事が非常に丁寧です。しかしかなり無駄な動きが多く感じられます。キッチンも物が散乱し、探し物をしたり作業場の確保に時間がとられます。

思い込みが激しく、こだわりが強く、神経が過敏で生きずらいように感じました。

私が社会人になったころ、発達障がいの存在が広く知られるようになりました。
興味を持ち調べていくと、両親に当てはまることが多くありました。

父は実父から暴力を受けていましたので、第4の発達障がい(毒親に悩んだら読む本)か自閉症、母はADHDか、精神疾患ではないかと思うようになりました。

両親がそうなのであれば、私や弟に遺伝している可能性が高いと考え、インターネットの簡易調査をいくつもしましたが、どれも可能性は低いと出ました。
弟はストレスがかかると瞬間的な記憶をなくすことを、職場の人と奥さんから証言されていますが、人付き合いに問題はなく特別症状は感じられません。

母に父は自閉症ではないかと言うと、そうかもしれない! と嬉々として答えました。
しかし自分については全く考えていないようで、自分の家系からそういう人は出ていない! と激しく言うため、母については触れずに話題を終えています。

母方の祖父の死・両親と祖母の同居

母方の祖父が亡くなり、祖母が一人で暮らすことになりました。祖母の世話をするために、母は片道二時間の場所にある祖母宅に通っていました。

祖母を一人にしておくのは危険なので、母は一緒に暮らそうと持ち掛けました。

父が祖母との同居を許すだろうかと疑問でした。父は繊細で、人に厳しかったからです。
祖母も両親の激しい喧嘩を目の当たりにするのは良くないように思いました。
しかし私がその話を聞いたときには、既に母と祖母は乗り気でした。

祖母には、喧嘩が激しいけど大丈夫? と声をかけました。祖母は、娘が一緒に暮らそうと言ってくれて嬉しいと言って泣きました。
昔から母と祖母で一緒になって私の服やらを決めていましたし、長期で祖父母宅に泊まっていましたので、私と母は合わないけど、母と祖母は合うのだと思いました。

両親が引っ越す

実家は介護に向かない家でした。リビングが二階にあり、足の悪い祖母には負担が大きかったのです。

母は前々から引っ越しをしたがっていました。父が「裏の家の息子が覗いている、盗聴器が仕掛けられている」と頻りに言うからです。祖母との同居は渡りに船でした。
父がどうやって納得したのかわかりませんでしたが、ほどなくして中古住宅に引っ越しを決めたと連絡をもらいました。

引っ越し先を調べると、実家と同じ県内ですが非常に不便な土地でした。店も少なく、交通の便も少ないのです。
祖母だけでなく両親も高齢の域に入っていますので、車を運転できない年齢になったら生活できないよと言いましたが、聞く耳を持ちませんでした。

祖母宅からかなり距離がありましたので、祖母は現地を知らないのでは? と聞きました。
母のことなので、祖母から多額の援助をもらっているだろうと想像しました。祖母が了解しているのかを知りたかったのです。

すると祖母を現地に連れて行き、説明をしたら祖母が気に入ったのだと言います。援助はごく少額受けたのみで、大半を両親が出したのだと言いました。
意外に思いましたが、それなら私がどうこう言うことではないと思い、「決まってよかったね」と話しました。

祖母と同居開始

両親が引っ越しを終え、少しして祖母も移り住みました。

祖母の家は単身赴任している母の弟(叔父)が住んでいました。祖母に少額の家賃を払っていました。
叔父は俺がいるのだから無理に引っ越さなくてもいいだろうと言いましたが、祖母は叔父の世話をしなければいけないと思うのが嫌だと拒否しました。

両親と祖母が同居して三ヶ月ほど経ち、祖母が心配で遊びに行きました。
祖母の部屋は8畳と床の間がありましたが、物があまりありません。こんなに荷物が少ないの? と聞くと、祖母は殆ど捨てられたのだと言います。

両親と祖母の軋轢

祖母は暗い顔をして、私の両親の顔を見ようとしませんでした。
祖母と二人になり話しを聞くと、やはり両親の喧嘩があまりに激しく頻繁で、毎日顔色を窺ってびくびくしてしまうと話しました。

祖母宅の家具の方が上等だったため、両親は自分たちが持っていた多くの家具を処分していました。「家具がないと不便」と母が祖母に話していたため、祖母は予定より早く引っ越しを決めました。いざ引っ越すと、なんでこんなに早く来るんだと母が祖母に当たり散らしたと言います。

冬でしたが匂いに敏感な母は多くの窓を開け放っていて、祖母は寒がりました。エアコンは祖母のお金で取り付けていましたが、電気代がかかるので使うなと言われ、リビングに据えられた祖母のテレビも、耳が悪いため音量を上げようとすると、うるさいと怒られました。

母は自分は悪くないと主張していましたが、祖母に言ったことは確かなようでした。

「食費が跳ね上がった」と責められると、祖母が泣きました。

祖母は毎月三万五千円を渡していました。食生活を見る限り、祖母の食費と光熱費を賄える額です。
母に確認すると、祖母が贅沢をするので全く足りないのだと言います。

確かに祖母は両親に比べ生活レベルが高いですが、食べたがった梅干しや鰻は祖母が両親の分もその都度払っています。
母の言うことは根拠がありませんでした。内訳を教えてと詰め寄りましたが、足りないの! と怒るばかりで埒があきませんでした。

祖母は亡くなった祖父の仏壇に添えるために、庭の花を一本切りました。
両親は花に興味がないにも関わらず、花を切ったことに揃って怒りました。

花を切るときは父に許可を得てからにするようにと祖母に言ったと言います。仏壇に添える花さえ自由にできないと祖母は悲しみました。

祖母から聞いた話は、全て両親が言いそうなことでした。

あんな子だったなんてわからなかった。父もおかしいが、母(祖母にとって娘)は言っていることがおかしい。
何かあれば私は苦労してきたんだから、お母さんにはわからないでしょ! と泣いて喚いて気が狂っているように感じる、と涙ぐみました。

私が言われてきたことを、祖母が経験しているのだと思いました。高齢の祖母にはあまりに辛い環境でした。
祖母はもとの家に戻りたいと言いましたが、私にはどうすることもできませんでした。

そのあたりから、母が私に妙に優しいことに気が付きました。
母のターゲットが私から祖母に移ったようでした。

祖母について

母は三人兄弟です。上に兄(伯父)、母、弟(叔父)がいます。
叔父は単身赴任で祖母宅に住んでおり、家族は飛行機を乗る距離に住んでいます。重病を抱えた子どもがいることもあり、一緒に暮らすのは難しい状況でした。叔父は施設に入るのがいいと勧めましたが、祖母は嫌がりました。

伯父は車で二時間程度の場所に住んでいて、奥さん(伯母)と成人した子どもが一人います。伯母は癖のある人で私の母と祖母とも仲が悪く、世話になりたくないと言いました。

ほどなくして祖母から、数ヶ月限定で元の家に帰らせてもらったと聞きました。気が楽になった。数年先になるかも知れないが、私の両親を説得して施設に入ることにしたと言います。そして数ヶ月の期限を待たず、祖母が施設に入ることになったと、母から聞くことになりました。

急展開で驚きましたが、祖母にとって両親との暮らしは避けるべきものでしたので、良かったと思いました。
母は嬉々とした声で、「おばあちゃん、ボケちゃったんだって!」と嬉しそうに話しました。

施設を勧めたのは叔父さんでした。叔父さんは勝手に同居を決めた母に怒っていました。

祖母が施設に入る理由を、母は叔父と叔母から聞きました。「ボケが一気に進んで面倒が見られないから施設に入れるしかない。」と言われたのだそうです。
それでなぜ母が嬉しそうなのか疑問でした。

祖母が施設に入居 叔父嫁(叔母)に謝る

急転直下で叔父嫁(叔母)の家のそばの施設に入居が決まり、あっという間に飛行機に乗って移っていきました。

母はストレスから解放されたかのように晴れやかな声で連絡をしてきました。
相変わらず、妙に優しいままで、恐らくこれが私や祖母以外に向けられた顔なのだろうと思いました。

祖母に電話をすると、ボケているようには感じませんでした。両親との暮らしの話しをしっかり覚えていて、解放されて快適だと喜んでいました。
ボケは日常的に接していないとわからないとも聞きますので、ボケたと強調したのは叔父たちが母を説得するためではないかと思いました。

私は両親について謝ろうと、叔母に電話をかけました。
叔母は忙しい中、長く話してくれました。

〇 祖父の通夜や葬式で伯父叔父家族が集まった際、母が伯母に対し非常識な非難を繰り返し精神的な攻撃をし続けたこと。
〇 祖母が伯母を嫌うのは、母が伯母を悪者に思い込み、嘘の話しをでっち上げて洗脳した結果だということ。
〇 伯母も叔母も葬式での母の態度に精神的ダメージを負い、しばらく立ち直れなかったこと。
〇 祖母が元の家に帰ると、母は祖母が同居しないなら引越ししなかった、無駄な金を使ったと怒ったこと。
〇 引っ越し先を決めるとき、祖母には一切相談がなく、決まってから「ここにした。」と言われたこと。
〇 中古住宅を購入するにあたって、半額近い援助をしたのに、扱いが酷かったこと。
〇 ボケの兆候は確かにあり、それを理由に母を説得したこと。
〇 同居を解消しても援助した金を返さなくていいと祖母が母に言ったら、施設入りを賛成したこと。
〇 半額近い援助をしなければ、もっとランクの高い施設に入れたこと。
〇 祖母から聞いた両親の話しは壮絶すぎて、どこまで本当か疑問だったが、麒麟の話しを聞いて本当だと確信したこと。
〇 母の本性を知っている麒麟が同居に反対していれば、大金を失うことにならなかったと叔父や祖母たちが話していること。

色々なことを教えてくれました。
私には謝ることしかできませんでした。

私は近年伯母を避けていました。母の話しを鵜呑みにはしていませんでしたが、伯母に一時疑問を感じたことがあり、叔母に伯母について聞いたことがありました。「伯母は癖があるから関わらないほうがいい」と聞き、それからは母の言うことが正しかったのだと思い込んでいました。

叔母は、母が伯母を嫌っているので、私が伯母と関わると板挟みになると考え、そう言ったようです。
勘違いしていた自分を恥じ、伯母に申し訳なく思いました。

母から聞いていたことと違うことがたくさん出てきたこと、母が話しをすり替えて話が通じないことを叔母たちも気づいていたと知りました。

因みに母は引っ越しを祖母のせいにしていますが、祖母を理由に引っ越しできるよう、父を誘導したのだと確信しています。
母は自分の決断を人のせいにして思い込むので、また記憶のすり替えが起きているのだと思いました。

叔母は、私が子育てしていることを心配しました。
叔母にとって母と私は母娘であり、同一視しているのでしょう。

祖父の葬式で集まったときに長女に手がかかっていると話したことを持ち出し、毒親に育てられると連鎖するのでその影響ではないかと心配されました。
心配は当然のことだと思います。でも親の影響を断ち切ろうとしてきた私にとって、とても苦しい言葉でした。
そして私の夫や弟の妻の実家が裕福なため、母の影響でお金目当てで結婚相手を選んだのではないかと聞かれました。
非常にショックでした。親の影響が親戚の目にも出ていました。

元看護士の叔母は、母がミュンヒハウゼン症候群ではないかと言いました。
私が両親ともに発達障がいだと思っていると話すと、そうかもしれない! と納得しました。病気だと思えば、諦めて接することができると言います。

叔母の言葉をきっかけに、自殺願望がまた現れるようになりました。

 
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