自分の内臓を洗いたくて未明に外出を繰り返した10代女子の話

子育てをしていると、わが子のことであっても「なぜこの子はこんな行動をするのだろう」とわからないことがあります。

話しを聞いて理解できることもあれば、当人さえ自分の言動の理由を理解しておらず、「わからない」と言われたり、無言を貫かれることも。

私は子育て中の主婦です。
子どもは三人。上の子は思春期に足を突っ込んでいます。

親と子の関係は難しいものです。親の理想を押し付けて良いことはありませんが、子どもの言うとおりにすることが子どものためになるわけでもありません。

子どもと向き合おうと「話し合い」の場を設けても、親が気づかないうちに子どもの主張を頭から否定してしまうことが少なくありません。

子どもが深夜徘徊をするようになったら、あなたはどうしますか。

これは自分の内臓を洗いたくて未明に外出を繰り返した、10代の頃の私の話です。

親子関係と子どもの思考

私はかつて、母親の所有物でした。

気性が激しい母は、支離滅裂な言動が多い人です。夫婦の不満を娘である私で晴らしてもいました。私は当たられ、否定され続け、母にとっては家事をする道具でもありました。

両親の激しい喧嘩は毎日必ずと言っていいほど起こりました。周囲の家にも聴こえるほどの怒号と物が当たる音と、父が母に手をあげる様子を見て育ちました。

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中学から高校生になるころには、私は耳が聴こえずらくなり、皮膚の感覚を失い、通学の電車で軽いパニック症状が出るようになっていました。

「なんか変だな。おかしいな」とは思うものの、親に言ったところで「そんなわけがない」と否定されることがわかっていました。自分の身体に無関心だったのか、大したことないと思っていましたし、「耐えればよい」と考えていました。

母は私の外出を制限し、毎日一時間から三時間ほど拘束をして酷く叱責しました。当時は携帯電話の前身のPHSが流行っていました。弟はもたせてもらっていましたが私は許されず、友人との連絡もできずに一人で閉じこもるしかありませんでした。

文字通り、狂っているようにしか見えない母に何時間も拘束される毎日で、私は常に緊張していました。どうしたらこの場から逃げられるかしか考えられません。虐待のノンフィクション本や精神科医の本を読む以外は、何をするのも集中ができず、成績も奮いませんでした。

当時高校の美術科に通っていましたが、絵を描くだけでは発散しきれないほど、大きな「黒い何か」が私の中にありました。

私の肺や胃や、腸に、悪い靄のようなものが溜まっているようでした。

どうにかこの靄を出したいと思うようになりました。
内臓を取り出して洗いたいと考えたのです。

幸い、私の皮膚は痛みを感じにくくなっていました。
しかし全く痛みがないわけではありませんし、自分で腹を切って内臓を出したら死ぬでしょう。

美術科の講師には東京芸大出身者が多くいました。

芸大の授業の一環で、東京大学に安置されている亡くなった方のホルマリン漬けの人体標本(生前に当人の了承を得て標本になっている)を見た経験のある講師から、「腸は一度取り出すと、腹圧で綺麗に元に戻すのが大変だ」という生々しい話しを聞いていました。

自ら腸を飛びださせて死ぬのは嫌でした。

腹を切るとか痛いことはせずに、内臓を綺麗にしたいと考えました。

自分の内臓を洗いたくて未明に外出を繰り返した10代女子の話

私は春が嫌いでした。

夏も嫌いでした。

湿度が高く、空気が重くなります。生ぬるい「優しいふり」をした空気が嫌でした。
それは極たまにあった、両親が喧嘩をしない日の「楽しい団欒」を彷彿とさせました。団欒は私にとって怖いものでした。どうせすぐにそんな「安心できる空気」はなくなると分かっているからです。

実際、「楽しい団欒」は父の癇癪や母のヒステリーで突如としてなくなります。すると「ああ、よかった」と安心するのです。油断をしていると、心はより傷つきやすくなります。そんな油断を誘う空気が、とても嫌いでした。

好きなのは、秋の終わりの、良く晴れた日の空気や風でした。
ツンと冷たい空気が心地よく、澄んでいるように感じられました。

その空気を吸うと、私の中身=内臓が浄化されるようです。

父は片道2時間以上をかけて通勤していました。そのため朝6時頃には起きます。両親の険悪な空気もその時間から発生しました。夜は22時から深夜1時頃に帰宅することが多かったのですが、そこから就寝まで、両親の言い争いや荒れた物音がすることが多くありました。

ですから私は、朝も深夜も嫌いでした。
唯一安らげる時間は、未明でした。

両親が寝ていて静かです。外の世界も、朝から深夜まで人にかき回された空気が落ち着いて、汚いものは地面に伏しているように感じました。太陽が沈んでから何時間も経っているので、冷たく澄んでいます。

その空気のうわばみを目いっぱい吸ったら、内臓に留まっている黒い靄も洗い流せるような気がしました。

私は特に春から夏にかけて、太陽が昇る前の未明に家を出て、近所を回るようになりました。

灯りを点けず、暗がりに目を澄ませて静かに玄関の鍵を開けて外に出ると、まず一度深呼吸をします。
淀みで一杯の家から出て吸う最初の空気は、冷たくて清く、食道から肺の一歩手前までを掃除してくれるようでした。

暗く、人通りのない住宅街をただ歩くのは怖いので、自転車を取り出して漕ぎました。

通っていた中学校を過ぎて、広めの公園に佇む大きな木々が揺れるのを眺めながら進みました。

暗い空が少しずつ濃紺に変わり、青に変わり、星が見えなくなる時間まで自転車を漕ぎ続けました。

そうしてすっかり明るくなったころに家に入りました。

眠くはありませんでした。
いえ、常に頭が冴えない生活でしたので、眠いとか眠くないとかの感覚がなかったように思います。常に眠く、常に覚醒しているような感覚でした。

眠りは現実からの逃避でしたから、一度死に、生まれ変わるつもりで眠り、深夜に自然と起きて未明に家を出る生活を繰り返しました。

そんな生活が続くと、母親に「あんた、夜中に家を出てるの?」と聞かれるようになりました。

心臓が高鳴りました。母親にバレたら止められることがわかっていました。母親を興奮させないように努めていた私は、止められるがまま外出をやめました。

そうして私の精神的な症状は少しずつ悪化して行きました。

子育ての迷いと学び

私が両親との関係に悩んだことを誰かに話すようになったのは、社会人になってからでした。

なぜか私の周囲には、私よりずっと酷い虐待を受けていた子が何人もいました。
彼女たちが私にポツリポツリと話してくれるようになる中で、私も口にするようになったのです。

結婚して出産し、何年も経ってから、このサイトを立ち上げて記すようになりました。

出産をして痛感したことは、「親の未消化な過去や感情が露呈する」ことでした。

子どもが産まれると、生活が一変します。体がダメージを負っているにも関わらず睡眠が十分にとれず、精神的に追い詰められます。子どもの性質にもよりますが、よく泣く子であったりすると、母親の精神はさらに乱れやすくなります。

また、子育ては選択の連続です。何が正しくて何が間違っているのかの答えは、ずっと先にならないと分かりません。

私は両親の様にはなりたくない。子どもの話しをよく聞いて、寄り添える育児がしたいと思っていても、まず対峙するのは言葉を知らない、泣くだけの赤ちゃんです。

その不安感に呼び起こされるように頭に浮かぶのは、自分の過去の出来事や感情でした。

・私は何かを主張する度に否定され続けた。
・認めてもらったことがない。
・暴力を目の当たりにして成長した。
・可愛いはずのわが子に、私の親はなぜあんなことができたのだろう……。

疑問や理不尽な記憶がよみがえる反面、親になったことで、両親の立場や感情が理解できる部分も出てきます。

でも「だから仕方なかった」とは思わないようにしています。

子どもが親を理解し、寄り添い過ぎてはいけないのです。子どもらしい生活を送れずに育った子どもなら尚更です。無理に大人にならざるを得なかった子どもは、拠り所のない不安感を抱えたまま生きることになってしまうからです。

自分で自分の感情を肯定することで初めて、遜ることなく、虚勢を張ることもなく、フラットな気持ちで他人と対することができると実感しています。……そうやって親子関係について散々考えてきたにも関わらず、私は子どもの対応に悩むことが多くあるのですが。

夫婦関係も、親子関係も簡単ではありません。

「未明に家を出る子ども」がいたとしたら、私がそうであったような理由かもしれません。

私が私の母親だったなら、どうしただろうと考えます。
あの時の私は、「私も一緒に行っていい?」と母親に言ってもらえたなら、それだけで少し満たされたかもしれません。

寄り添ってほしかった。
私の希望を少しでいいから、認めて欲しかった。

それだけでした。

どなたかの参考になりますように。

私が通った中学校は、貧困家庭が多くありました。
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