私は親に悩まされながら育ちました。
実家を出てからも長い間、精神的に不安定な日々を過ごしました。
たまったストレスが体や精神症状に出ており、悩まされながらもどうにか生きてきました。
精神的な拠り所が欲しかったのだと思います。
彼氏に依存しがちで「男の趣味が悪い」と言われてきました。
尽くしてくれる男性と出会い、長く付き合いました。
幸せな家族を作りたくてその男性と婚約しますが、彼は途端に私への態度を変えました。
私を酷くぞんざいに扱い、愛情を“与えられる側”に徹して奉仕されることを当然だと思うようになりました。
彼の変化に戸惑いながらも何度も話し合いを持ち掛けましたが、彼は応じませんでした。
彼と一緒になっても寂しいだけだと痛感して婚約破棄に到ります。
私は精神的にも肉体的にも弱り、ボロボロの状態でした。
その頃夫と出会い、流されるようにしてスピード婚に到ります。
結婚から12年が過ぎました。
3人の子どもに恵まれて、子育てに追われる日々を送っています。
私は両親と距離をとっており、会うのは数年に一度。
年に数回連絡を取ることもありますが、全くとらないこともあります。
夫は私の一番の理解者です。私の両親の異常なまでの不安定さや私への言動の酷さに怒りを感じており、夫は私の両親と関ることを拒否しています。私もそれでいいと、支持しています。
私の家族は、夫と子どもたちだけです。
それでいいのです。
そんな中。
11歳になる長女(当時)が、ある夢を見ました。
その日の晩、長女は家族団らん中に夢の話しをしました。
私は驚きました。
長女の夢は、私が幼いころから頻繁に見ていた“恐怖の夢”と酷似していたからです。
“恐怖の夢”は“実家に居場所がない”私の不安定な精神状態が色濃く現れているものでした。
長女が見た夢は、私が苛まれた夢の続きでした。
長女は私の恐怖の夢をいとも簡単に壊し、夢の中で私を救ったのです。
私と娘の夢の共通点が面白いと感じましたし、単なる夢とも思えず、また、娘が私が抱いてきた「恐怖の塊」を壊してくれたことがとても嬉しく感動したので、以下に記します。
毒親育ちが作り出した亡霊と、怖い夢
前述したように、私は精神的に不安定な両親に育てられました。
日に何度も癇癪を起し、どこに地雷があるかわからない暴力を奮う父親と、発言が支離滅裂で常に自分が被害者だと主張、他責が激しく、他人の経験話を自分が経験したものと思い込み記憶のすり替えが頻繁に起こるヒステリーな母親。
私は主に母親の精神的サンドバッグとなり、逃げられない環境にいました。
詳しくはこちらの記事に書いています。
毒親にはいろいろなタイプがあり、軽いものから犯罪に当たるものまで様々です。親と子の相性の違いも関係してくるでしょう。これは私が体験した話しです。☆ 毒親に悩んだら読む本・8選毒親家族私はごく普通の一般家庭で育ちました。両[…]
☟毒親育ちの続きです。[sitecard subtitle=関連記事 url=https://kirinroom.com/2020/06/24/memories-with-poisoned-parents1/ target=]就[…]
幼少期は風呂や着替えを制限された時期もありました。
弟との格差を感じることも多くありましたが、弟と飼い猫が唯一の心の支えであり、反面、家から逃げられない足かせでもありました。
私には幼いころから何度も見る、怖い夢がありました。
家に入れない夢
幼少期から小学生の頃によく見たのは、正義の味方「〇〇レンジャー」に命を狙われる夢でした。
私は何も悪いことをしていないのに、なぜか彼らは私を退治しようと命を狙って追いかけてきます。
周囲の人たちも、〇〇レンジャーを応援しています。
私は死なないために逃げ続けるしかありませんでした。
夢の舞台はいつも家の周辺です。
家に帰って隠れたいのに、私は一度も家に入れたことがありません。
その頃住んでいたのは大規模マンションでした。
延々と追いかけられて恐怖に襲われながら家を探します。
家があるはずの場所に行っても扉がなかったり、ドアノブがなかったり、時にはそこに家自体がないといったケースばかりでした。
怖くてマンション周辺の物陰に隠れて泣いていると、マンションの一室の窓から何者かの腕が伸びてきて、私の腕を引っ張りました。
驚きましたが、声が出せませんでした。
実際の生活でも、怖いときや辛いとき悲しい時、私はいつも声が出せません。
私は無言のまま、誰にも気づかれることなく部屋に引き込まれ、窓が閉められました。
そこには怪獣たちがいました。
〇〇レンジャーの敵である怪獣です。
怪獣に食われて終わるのだと思いましたが、怪獣たちは優しく「ここに居れば大丈夫。守ってあげる」といいました。
怪獣たちは「僕たちは何も悪いことはしていないのに、悪者と決めつけられてレンジャーたちに襲われるんだ」と悲しそうに話しました。
「沢山の人たちはレンジャーを正義の味方と思っている。僕たちが醜い姿だから悪者だと決めつけて、本当の姿を見てくれない。でも僕たちは君のことも、レンジャーたちも、誰のことも傷つけたりしない」
彼らはとても優しくて、私は居場所を見つけた安心感に包まれました。
この夢を見るたびに、いつも泣きたくなりました。
夢が示すもの
私の性根が捻くれている現れなのでしょうか。
正義と悪が逆転する夢をよく見ました。
家の一部に秘密の入り口があり、白黒の現実世界から、カラフルな楽しい世界に行けるといった夢も度々見ました。
夢に意味があるなら、体裁を繕って外面が良い両親とそれを信じている知人たちへの不信感が現れていたのだと思います。
現実世界の家庭が少しでも和やかな雰囲気になると「これは嘘だ」と自分に言い聞かせました。両親が暴れ出すと「ほら、やっぱり。油断してはいけない」とホッとするという異常な日々でした。
常に神経が張り詰めていて、両親が和やかな雰囲気になり緊張が緩みそうになると「信じるな」と自分を律する癖がついていました。油断したあとにくる精神的ショックは、耐えがたいものがあります。確実に心がバランスを崩していくのです。
そんな世界から逃げ出したいという願望が、カラフルな世界への憧れに現れていたのでしょう。
引っ越した先に現れた、黒いフードの男
マンションで暮らしていた頃は、まだ救いがありました。
近所に住む友人の親が、理想が強すぎる私の母に気付いていたようで、気遣ってくれていました。
小学校高学年になるころ、マンションから一軒家に引っ越しをしました。
県内ではありましたが、学区も環境も大きく変わりました。
落ち着いた環境から、裕福な人が少ない地域に変わり、人間関係や近所付き合いが少しばかり殺伐としたものになりました。
景気が悪くなり、両親の喧嘩が益々増えました。
元々四六時中喧嘩ばかりしていましたが、本当に、一時の静寂もなくなったのです。
臭いに敏感な両親は、常に家中の窓を全開にしました。両親の喧嘩する声が家の外に漏れてうるさかったのか、近所の家から深夜にいたずら電話がかかって来たり、丸太を窓にぶつけられるなどの被害が相次ぐようになりました。
父親は家が監視されている、盗聴されている、覗かれていると言い出し、家に仕掛けられていると思い込んでいる盗聴器に向かって「おい、聞いてるんだろう、ぶっ〇してやるからな」と怒鳴る姿が見られるようになりました。
母は全ての元凶は私にあると言って、以前にも増して、私を責めるようになりました。
なぜ元凶が私にあるのか、今でもわかりません。母は感情を抑えられない人でしたから、人のせいにして発散したかったのでしょう。
その頃見ていた夢には、黒いフードの男がいました。
私の命を狙う、黒いフードとマントの男
男はひょろっとした体型で背が高く、黒いマントに黒いフードを被っていました。
男は私を追いかけてきます。
捕まれば殺されることは、直感でわかりました。
男が現れるのは、私が住む一軒家のすぐ近くです。
怖くて家に逃げ込もうとしますが、マンション時代と同様にドアノブはなく、玄関のドアもありませんでした。
狭い庭を走り、開いている窓を探しますが、どれもしっかり閉められていて開けられません。
手をかける場所さえありませんでした。
ただただ「怖い。誰か助けて」と思いながら走って逃げました。
何度もその夢を見るうちに、男が刃物らしきものを握っていることに気が付きました。
いつも家の周りを、男に追いかけられながら、ただぐるぐると回りました。
どうして私は家に入れないのか。
どうして誰も助けてくれないのか。
いっそ捕まってしまったら楽なのか。でも怖い。
恐怖がただループする夢でした。
小学校高学年から中学校、高校時代にもこの夢を見ていましたが、大学進学で家を出ると頻度が減って行きました。
しかし何度も見た夢でしたので、記憶にはっきりと残っています。
社会人になり自分の育った環境を振り返るようになると、私の精神的な拠り所のなさがそんな夢を見せていたのだと考えるようになっていきました。
親子の夢がリンク・黒いフードの男を倒したのは、娘だった
私と夫、小学校5年生になる長女(当時)と同じく小学生の次女、幼稚園児の三女で夕食を食べていたある日の話です。
長女が「今日の朝、怖い夢を見た」と言いました。
そういえばその日の朝にも「怖い夢を見た」と言っていましたが、詳しい話を聞く時間がないまま学校に送り出していました。
子どもの頃は怖い夢を見るもんだよね、どんな夢だったの? と、食事をしながら何気なく聞きました。
「怖い夢は何度も見たことがあるけど、今日の夢は特別怖かった」といいます。
酒を飲み、食事を口に運びつつ、聞きました。
「黒いね、パーカーみたいな、なんかひらひらした感じの服とフード被ってる背の高い男の人がね、追いかけてくるの」
……私が子どもの時に見た夢と同じだ、と思いました。
他方で、こんな風貌の“怖い存在”が夢に出てくることはよくあるものなのかもしれないとも思いました。
「場所はね、ママの方のおばあちゃんたちが、前に住んでた家だった」
ママの方のおばあちゃんたちとは、私の両親のことです。
両親は数年前に新たに引っ越しをしており、長女が言う「前の家」とは、私が最も辛い時期を過ごした戸建ての家を指しています。私が黒いフードを被った男に家の周りを追いかけられる夢を見ていた、あの家です。
「ママとね、私がね、おばあちゃんの家のリビングにいるんだけど、背の高い黒いフードを被った男の人が入って来てね、しかもナイフを持ってたの。その人ね、ママだけを狙って刺そうとするの」
驚きました。
黒い背の高い男が私を刺そうとする、ここまで夢がリンクするものでしょうか。もちろん長女は、私が何度も見た夢の話を知りません。
しかし私は、夢の中で実家に入れたことがありません。
私が独身の時は、実家に滅多に帰りませんでした。結婚して子どもが産まれてからは両親が孫に会いたいと言い、実家に呼ばれることがありました。私にとって実家は緊張する場所に変わりありませんが、両親が子どもを可愛がってくれるのは嬉しくもあります。
夢ではあるものの“長女と一緒なら実家に入れる”という状況は、理解できました。
男の人の体型覚えてる? と聞いてみました。
長女は「痩せててひょろっと背が高い男の人」と即答しました。
顔は良く見えないけれど、30歳前後の若く背の高い、痩せた男性という特徴も一致していました。
「刺されたらママが死んじゃうって思って怖かった。男の人はママしか狙ってないの。ママはリビングのソファの陰に隠れようとしたけど、ママの頭から背中に向かって、男の人がナイフを振り上げた。私は怖かったけど、男の人を後ろから蹴ったら、男の人が倒れた」
……蹴ったら倒れた?
「なんかね、男の人弱かったよ。思いっきり足を蹴ったら倒れ込んで、もう起き上がらなかった」
マジか。
弱っ。
長女の話を聞いていて、面白くなってきました。
私を長い間追いかけてきた正体不明の黒いフードの男が私だけを狙っていたことに、妙に納得しました。
大事な娘が狙われることがなくてよかったと、夢の話なのに安堵もしました。
と同時に、長女の蹴りで倒れるほど弱かったとは、驚きです。
ナイフという「脅し」より、しっかり立って踏ん張るための足が大切だとも受け取ることができます。ひょろっと背の高い黒いフードの男は、もしかしたら“私自身”だったのかもしれません。
何より、娘が私を救ってくれたことに感動しました。
長女は産まれた時からよく泣く子でした。気性が激しく、頻繁に癇癪を起こして苦労しました。長女とどう接するべきなのかわからず、とにかく話しをしたり、聞くことに徹するなどして試行錯誤してきました。
そんな手のかかる長女はあっさりと、私を脅かしてきたものをやっつけてくれました。
酒を飲んでいたこともあり、うっすらと涙が込み上げるほど、嬉しい夢の話でした。
私が笑うので、長女は「ママが死んじゃうと思って怖かったんだよ!」とすこし怒って言いました。
私は「やっつけてくれて、ありがとう」と伝えました。
毒親育ちの苦悩の「仕舞い」
私が子どもの頃に見ていた夢と、自分の子どもが見た夢がリンクするなんてことがあるものなのですね。
同じような経験をされた方は、いらっしゃるでしょうか。
不思議です。
偶然の一致?
ここまでの偶然はあるものでしょうか。
私はこのサイトで、両親についての記事を書いてきました。
「書く」たびに感情が整理されていくので、徐々に過去が片付いていく感覚があります。
長女が夢で黒いフードの男を蹴り倒してくれたのが、「仕舞い」のようにも感じられました。
家族って、自分で作るものなんですよね。
産まれた家だけが家族ではないのです。
縛られるものでもありません。
それを再確認した一件でした。
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