育った環境で愛し方が変わるのか・児童相談所に来られたある母親の話 

二人の子どもを育てる、ある母親の実話です。

育った環境で愛し方が変わるのか

彼女は親がおらず、施設に入居後に弟と共に里親に引き取られて育ちました。

髪やファッションを飾り、いわゆるギャルとなります。(現代のギャルはファッションのジャンルですが、当時はヤンキーに近い要素が多い時代でした)

あるアーティストの熱狂的なファンとなり、専門雑誌で知る人ぞ知る人となります。同じくファンの年下男性と意気投合し結婚。出産を機に仕事を辞めて、専業主婦となりました。

私は同年代の子どもを持つ母として、彼女と知り合いました。

彼女は二人の子をもうけた後に社会復帰をします。
生涯暮らせる一戸建てが欲しいと常々語っていました。

ダブルローンで念願の一戸建てを購入しましたが、間もなく夫が別のファン仲間と不倫を開始。
夫は徐々に生活費を出さなくなり、発覚時には全く妻子を構わなくなっていました。

彼女はそれまで仲がよかった義母に助けを乞いますが、義母から彼女が料理をしないことなどを責められます。
夫も義母の言葉に乗って不倫を正当化。関係修復が見込めず離婚に至りました。

離婚後は一戸建てを売り、子どもを連れて実家に帰りました。

そのあたりから私は彼女と会うことがなくなりました。
彼女の様子はSNSで近況の断片を知り、あとは知人伝に詳細を聞くようになりました。

愛してやまない子どもたちと、母親の不安定

彼女の夫の不倫が発覚する前—。
彼女は大抵笑っていました。

たまに笑っていない時は、一転して怒っていました。
ママ友の誰かが自分の悪口を言ったからなどと話していましたが、真相はわかりませんでした。

後に私も知るママ友が、彼女とトラブルになりました。
やはり「嫌なことを言った、言わない」の攻防となり、仲違いとなりました。

彼女の長男は4歳頃にADHDの診断を受けました。息子の対応に苦慮しながらも、子どもには彼女なりの愛情をたっぷり注いでいました。子どもたちもまた、母親をとても慕っています。

家事が苦手な彼女は、子どもたちに離乳食の時期からお菓子を与えて育てました。ママ友たちが簡単に作れる料理などを教えましたが、彼女自身が一般的な食事が好きではなく、必要も感じていなかったので作ろうとしませんでした。

子どもが欲しがるままにゲームを何台も与え、課金も自由にさせました。

「子どもたちに見放されたくない。好かれていたい」という現れに、見えました。

離婚と交通事故

離婚をしてシングルマザーとして働きだしました。

軽量物の運搬を兼ねた業務でしたが、会社所有の車で頻繁に交通事故を起こしました。
何度もぶつけて再三注意を受けていたため、4度目にぶつけた時に居づらくなって退職をしました。

マイカーも何度も事故をして廃車にしており、不注意の一言で片づけていいレベルを超えていました。

元夫から養育費を受け取れないにも関わらず、その後もブランドバッグを買い、子どもに惜しげなく物を買い与え、実家の改装費を出していました。

彼女にとって目に見える「プレゼント」は、愛情の度合いを表す重要なアイテムの要でした。

周囲は彼女の収入源が何なのか疑問に思い聞きましたが、ハッキリとは答えませんでした。

ふくよかだった体型から、目に見えて一気に痩せて行きました。
明らかにガラの悪い年の離れた既婚のおじさんと付き合うようにもなっており、薬物をやっているのではと噂になりました。

気が付くと付き合う男性が変わっていました。
既婚者が多いようで、妻と思われる女性への恨み言のような投稿をSNSにすることもありました。

次第に整形手術を重ねるようになっていきます。
顔を変え、脂肪吸引や豊胸手術をしていることをSNSで報告し、変化を披露しました。

豊胸手術は痛みがあるようですが、どれだけいたくても構わないのだと意気込みを語り、医師に「危険だからこれ以上できない」と言われたことを愉快そうに投稿しました。

小学生になった息子たちは髪を染め、過激な言葉を使いました。
夜更かししてゲームをするため、朝起きられずに学校を休むことが多くありました。

「夜は寝るように。課金は月に数万まで」と言葉をかけるものの、大抵のことは約束を破られても「仕方ない」と許容していました。

彼女は息子たちを宝だと言いました。
離婚前から所謂一般の母親像とは違うものの、子どもを思っている様子はよく伝わってきていました。シングルマザーとなった今でも、変わっていないことがわかります。

彼女と継続して連絡を取っている知人から、彼女が「風俗で働いている」と聞きました。

児童相談所職員が来る

ある日「児相が来た」と投稿がありました。
育児放棄しているという通報があり、児童相談所の担当が自宅を訪れたようです。

児相担当者はその場で子どもたちの身体や子どもたちが母親を庇った姿を確認した後、「問題がない(彼女の投稿ではこう記されていました)」と言って帰ったと言います。

SNSの文面は終始、通報者への怒りに溢れていました。
子どもを愛していること、決して手放したくないということと、根拠はわかりませんが、通報者はママ友の一人だと断定して憤っていました。

その後も「事実無根。ママ友がおかしい。私の無実が証明された」と投稿が続きました。しかし数日経って再度、児相から引き続き面談をしたいと申し入れられ、さらに憤慨することになりました。

何度か児相の要望に従い面談をしているようですが、彼女は子どもを愛していることを理解してもらうことに執着しており、子育て環境の改善にどれほど効果が出ているのかは不明です。

因みに同居している里親との関係は良好です。
しかし彼女の行動に深入りしないために、関係が保たれているようでもあります。

何度か意見されたと憤慨する投稿がされ、その度に子どもを連れて家を出ることを計画していましたので、里親も対応に悩んでいるのかもしれません。

育った環境と孤独

彼女は今も整形手術を受ける計画を立てています。
すっかり私が出会った頃の容貌ではなくなりました。

子どもを愛しているのに、児相の要観察となった彼女。

元々不安定な印象がある女性でしたが、児相が介入したころから加速しているように思います。

言動を肯定してくれる人の言葉しか、受け入れなくなっています。
(もとからその傾向があり、意見するタイプの私は当初好まれませんでしたが、その後害がないとみなされたようで仲が良くなりました。現在はより顕著となっている印象です)

金遣いや子どもの世話の仕方、整形手術に意見する人は「嫌い」とシャットアウトするので、彼女に意見する人は誰もいなくなりました。周囲にいるのは、彼女の行動を「すごい」ともてはやす人だけです。

私が知っていた頃の彼女は、家庭を持ったこと、子どもを持ったことに安心していました。
一軒家を買い、夫や義母と良好な関係を保ちたいと努力していました。

夫が裏切らぎることなく、夫婦がぶつかっていれば、今の彼女ではなかったように思います。
彼女が料理が苦手なのであれば、夫が担うことも不可能ではなかったはずです。

それとも補うあうなど、そんなレベルの食い違いではなかったのでしょうか。

彼女の行動のすべてが「愛情の欲求」に繋がっているように感じられました。

また行動をあげれば虐待と思われるかもしれませんが、親子を見ている私にはそう言い切っていいものか疑問があります。
児童相談所の対応の難しさも考えさせられました。

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