低所得地域の学校の荒れ方と学力と進学・子どもの混乱と生き方

低所得地域の学校の荒れ方と学力と進学

私が小4から高校卒業まで育ったのは、都内で稼ぐ人達のベッドタウンとして開けた地域だった。

県営やら市営やらが集まった大規模な集合団地だけの地区があり、周囲は畑が殆どだったのだけど、そこを切り開いてたくさんの戸建て住宅が建つことになった。

そこの団地は、所得が低い住人の割合が高かったようだ。
薬で逮捕されて、服役して出てきては再逮捕される親を持つ姉弟がいたり、親の再婚相手に日常的に殴られてご飯を与えられない男子もいた。

殴られている男子の家に上がらせてもらったことがあるが、足のふみ場がなく、掃除をする習慣もないようだった。

幼い妹はボロボロの服を着て、ジッと物欲しそうに見つめてくる。
あまり発語もなかった。

両親は子どもたちの目を気にせず交わりを見せるので、その方面への関心だけは高かった。

彼らは同じ団地に住む先輩の制服やジャージをお下がりでもらっていた。その時すでに日本は不況に陥っていたのだが、好景気時代にいたというツッパリのように、背中には命をかけて愛を貫く刺繍が入り、短ランでボンタンの制服だった。2〜30年は時代に遅れていた。

彼らは揃って親との関係が悪く、毎日を過ごすのに精一杯だった。

勉強をする意味もわからなければ進学するお金もない。
先輩のつてから暴力団員のテキ屋に呼ばれて祭りに出店し、日銭を稼ぐようになっていく。

中には学校には滅多にこないけど、勉強が飛び抜けてできる子がいた。
全国統一のテストで満点をいくつもとるのだ。
私は彼女と仲が良かったので結果を見せてもらったのだけど、全国でもトップレベルの成績。しかし進学はしないと言った。
学校が嫌だからと。

彼らは家庭に居場所がないことが多く、虚勢を張っていた。

髪を染め真っ赤な口紅を塗って言葉遣いも乱暴だった。教師に注意され親に連絡が行くと、彼らはさらに暴れて学校の窓ガラスを割り、机と椅子を窓から放り投げ、牛乳をプールに投げ込んだ。

衛生面への懸念からプール授業はなくなった。校舎脇を歩くと机や水が入ったバケツが落ちてきて、当たると死ぬので近づかないよう注意されていた。

校舎から校舎に飛び移る遊びも流行っていた。
4階の高さで、1、5mほど開いている校舎のベランダ間を飛ぶのだ。

教師たちが止めても止まらない。彼らにとっては度胸試しであり、自暴自棄にも陥っているので、死んだところで怖くはない。

荒れた子たちの一部はシンナーを吸っていた。袋に薬液(?)を入れて吸う。その吸い殻が校舎のベランダの隅や教室の後ろによく落ちていて、朝教師が拾い集めるのが習慣だった。

校舎には隠語がスプレーで落書きされた。教師たちがバケツにスポンジを持ち消そうとしているのを何度も見た。(私は隠語のマークの意味を知らなかったので、同級生たちに「あれはどういう意味か」と聞いて勉強になった)

授業中、どうやって持ち込んだのか、バイクや自転車を廊下で走らせる子たちもいた。
空き教室でシンナーを吸ったり、イタズラをする子たちもいた。

そんなわけで教師たちは4〜5人のグループを組み、授業中に見回りをしていた。
一人二人の教師では、生徒たちに殴られて抵抗できなくなるからだった。

その影響で、本来やるべき授業が自習になるのが普通だった。(私が英語が苦手になったのは、このせいだと思っている)

時代錯誤な話だと思う人がいるだろうけど、本当の話しだ。

現に生徒たちは殴る蹴る等で数人の教師を辞めさせていたが、教師たちは生徒に手を出していない。
教師が手をあげると、体罰だと責められる時代になっていたからだ。

唯一手をあげたのは、事故で生死を彷徨うことになった生徒あてに作った千羽鶴の羽の裏に、「しね」と書き込んだ現場を発見された時だけだ。
理科の男性教師が力いっぱい平手打ちをした。生徒たちも親も、誰も問題にしなかった。

教師たちは校内で起きる様々な問題を隠ぺいすることはなく、事あるごとに警察を呼んだ。

週に2〜3日は校内でパトカーを見ていた。むしろ警察がいる時の方が、学校が静かになる。
警察に連れていかれ、鑑別に入る生徒もいた。罪名は知らない。色々やっているので、何が問題なのかもはやわからなかった。

保護者が集まる懇談会で、生徒たちの素行が度々問題として挙げられた。
元々その団地に住む家庭の子(みんなではないが)と、新たに拓けた住宅に越してきた家庭の子たちの差があまりに大きく、「どうにかしろ」という内容だった。

問題として挙げた保護者は、やはり新興住宅の家庭の親。

問題を起こす生徒の親は大半が団地に住んでいて、懇談会に出ることは少なかった。

もちろん団地に住んでいても問題がない家庭は多数ある。
しかし同じ団地に住み一見問題がない家庭の子が、荒れている生徒に憧れて仲間になり、同じように荒れていくことがあった。

一見問題がない家庭の親は、肩身が狭そうに懇談会に出席していた。

問題がある生徒達について、親たちが1人ずつ意見を言っていく段で、その親は「私が問題のある生徒の親です。申し訳ありません。どうしたらいいかわからない」と言って頭を下げ、泣いた。(親だけが出席する懇談会。私は親から話を聞いた)

教室は静まり返ったという。

私は至って真面目な生徒だったが、荒れている子たちとも仲が良かった。私自身、一見普通に見える家庭だったが両親仲が悪く、母に当たられていたので内面が彼らに近かったのかもしれない。

そんなわけで母親には、彼ら一人一人は悪い子たちではないと話していた。懇談会に向け、母に聞かれたからそう答えた。母親はそれを懇談会で話したらしい。

それを誰がどう受け止めたかは、わからない。

懇談会で謝罪し泣いた親は、嫌がる子どもを連れて、引っ越しをした。
環境を変えて友達付き合いを変えようとしたのだ。

しかし中学生の彼女は家出をして、戻ってきてしまう。連れ戻したり家出をしたりと何度も繰り返し、彼女は先輩の家などを渡り歩くうちにヤクザに行き着いてしまった。

中学を卒業(できたのか不明だが)の後、15でヤクザの女になってからどうなったのかは知らない。

荒れていたが学力の高い友人は、「あの子はバカだった」と言った。

荒れていた子たちは、中卒で社会に出ることになった。

卒業式はこれまたタイムスリップしたのか? と思えるような、サラシに刺繍入りの長ランや短ラン。
女子のスカートが短くルーズソックスだったところだけは時代に沿っていた。

卒業式の厳粛な空気をわざと壊し、自分たちの好きなタイミングで歩き、卒業証書を受け取って壇上から在校生や保護者たちに笑顔でピースサインをした。保護者には不評だったようだが、私は不快感を感じることはなく清々しく感じた。何より卒業式に気合を入れて来ているのが嬉しかった。

教師たちは驚くほど「憑き物が落ちた」ような笑顔で、求められるがまま彼らと写真を撮り、送り出していた。

お礼参りもないだろう。
教師たちは千羽鶴の一件以外は、暴力でねじ伏せたりしていないのだから。

彼らの一部は同級生から金を巻き上げていた。
被害総額は2〜30万ほど。

私は被害生徒から相談を受けていたので、学校に相談するよう勧めた。
彼女が親と共に学校に相談すると、学校では対応できないので警察に被害届を出すよう勧められたという。

警察に相談すると、被害届を出すか迫られた。

金を巻き上げる際、脅しや暴力はなかった。被害生徒には好きな男子がおり、学年の生徒の多くが知っていた。「好きな男の子と話せるよう計らってあげる」という手数料名目で、数十回に渡り金を渡してしまっていたのだ。

結局被害届は出さなかった。加害生徒の親から返金があったと聞いたような気がするが、定かでない。
学校が荒れまくっている割にはいじめなどが少なく、妙な健全さがあったように思う。

中学を卒業後、私は荒れていた男子生徒の一人と付き合った。継父に殴られ食事を与えられていなかった彼だ。

中学からタバコを吸い、先輩から引き継いだ小さな暴走族(無免許運転)の頭だったが、族は自然消滅したらしい。

彼は中卒で工場に働きに出た。
月収は手取りで12万。家を出る金はなかった。

持っていると使いこんでしまうからと、タバコ代以外を渡されて私が管理をした。

私は学区がない美術の高校に進学したので家を出るのが早く、彼もそれに合わせて待ち合わせて一緒に通った。

彼の給料から一部をもらい、材料費として親に渡して、彼の朝食を作って渡していた。

彼は仕事が終わると携帯電話(当時はPHS)で家に電話をかけてきた。
私は携帯電話を持っていなかったからだ。

1時間程度話して切るが、またかけてくる。或いは会おうと求められた。
私の親は厳しかったので、学校から帰宅したあとに外出するのを許さなかった。
すると彼は私の部屋の窓の外に来た。

私の家は一戸建てで、リビングは二階にあり、私の部屋は1階にあった。
初めは窓越しに話をするだけだったが、そのうち入るようになった。夜中まで居座ろうとする。

学校でデッサンの補講があり放課後の電話ができないと、不満を漏らされた。休みの日も常に一緒に居たがった。
学祭に呼んだあとは、「学校に行く意味がわからない。学校なんてやめちゃえよ」と頻繁に言うようになった。
私は親とのストレスを絵を描くことで発散していたので、そう言われることがストレスだった。

彼は本当は高校に通いたかったようだ。
しかし通える環境ではなかった。落ち着いて勉強できる環境でもなかった。

中学から勉強についていけず、学校をサボりがちでもあったので、高校進学を諦めざるを得なかった。

定時制高校への進学を勧め、必要なものを調べるなどしたが、彼は「行く」とは言わなかった。

劣等感と虚勢があったように思う。
新しい環境に飛び込む精神的余裕もバイタリティもなかった。

定時制高校の卒業率は高くない。働きながら通う難しさ、意欲の維持の難しさがあるのだと思う。
本来は“定時制高校に通う意思”だけでも、彼らには大きな勇気なのだ。

私は親との関係に悩んではいたが、学べる環境を与えてくれたことに感謝している。
やはり人が生きる上で教育はとても重要だ。

彼との付き合いは1年経たずに終わった。私に依存する彼が、重荷になってしまったのだ。

別れを告げた晩、彼は私の部屋に来ていつものように窓を叩いた。
私は寝たフリをしてカーテンを開けなかった。

彼は何度も強く窓を叩いた。
2階にいた母が不審に思い私の部屋に来てカーテンを開け、外を確認した。

一旦窓を叩く音は止んでいたが、母が「おかしいな?」といいながら2階に戻ると、再開した。
しかししばらくして音はやみ、以降窓が叩かれることはなかった。

子どもの混乱と生き方

数か月して彼の数少ない友人から、実父を頼って東北に行ったと聞いた。
実父が塗装業を営んでいると聞いたことがある。本当の父親は彼を殴らないといいなと思った。

その後10年以上経って、SNS経由で連絡をもらった。

「あの時はごめん」という内容だった。その時私は結婚して妊娠していた。
彼の近況は聞かなかったが、「落ち着いたんだな」と感じた。

同時期に、学力が高かったが進学しなかった彼女と卒業以来の連絡を取ることがあった。

彼女は中学を卒業後フリーターになり、本人曰く「適当に稼いで適当に暮らした」らしい。
仲間の年上男性と結婚して子どもを産んだが、働くことに不真面目で喧嘩が絶えず、浮気もされているという。
だから自分も新しい男を探しているのだと笑っていた。

相変わらず勉強が好きなようだ。進学しないのはもったいないと思ったが、彼女はいい学校に行く意味を感じないと言った。
勉強したいからする。それだけなのだと。
環境が違えば、彼女の一生は大きく変わったと思う。

また別の荒れ気味だった同級生の男は、相変わらずあの団地に住んでいた。彼もまた中卒で社会に出て、免許を取ったあとはルート配送の仕事をしていた。

実家ではなく、シングルマザーの内縁の夫として、団地内の別の部屋に転がり込んでいた。

シングルマザーは貧困で、生活保護を受けていた。彼女の子どもたちもまた、進学は難しい状況だった。彼女は彼の給料を当てにしていたし、精神的にも依存していたようだが、進学させるほどの余裕はなかった。

「子どもたちは可愛いが、結婚をして本当の父親になり責任を負う自信がない」と彼は言い、寄生できる別の彼女を探していた。

私は彼と友達としてよく会っていたが、会うたびに関係を持とうと誘われた。
きっぱり断るとあっさり引き下がる。

彼は別の同級生の女の子と久々に会ったときに、私にしたように迫ったら、ヤれたと報告してきた。
正直気まずい報告だ。

どうやら迫られ慣れてなかったその女の子は、断り方がわからずにコトに及んでしまったらしい。その後会ってくれなくなったという。

彼は、中学を卒業以降友達ができないとたまに冗談ぽく言った。
こんなことを繰り返していたら、どんどん友達がいなくなるよと話した。そんな私と彼の友人としての付き合いも、私が当時付き合っていた束縛彼氏によって断たれてしまう。

私も親に頼れないまま育ち、依存心が強かったので彼氏にされるがままになってしまった。
後悔している。

今彼らがどう過ごしているのかわからない。きっとそれなりに元気だろうと想像している。

でも育った環境が違えば、せめて食や教育の支援が整っていれば、もっと違う人生だったろうと思う。

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