【出産時の出血多量】1800ml出血した話と出産までの経過

妊娠出産は文字通り命がけです。

三人出産している私は、第一子と第三子の出産でトラブルがありました。
身長165cmの普通体型、至って健康で、体力もありました。

今回は大量出血した出産の話しと、その後の経過についてお知らせします。

出産に至るまで


第一子の話しです。
自然妊娠でした。

悪阻が酷く、水を飲んでも嘔吐しました。
病院に行くこともできず、ピーク時はトイレで寝ていました。
しかし13週のピークを境に徐々によくなり、反動で太りました。

妊娠中は子どもが逆子になり、戻る、を二度ほど繰り返しました。

悪阻が明けてから雨の日以外は毎日4~5時間の散歩をしていましたが、陣痛がつきませんでした。


産院は総合病院でした。

私は身長があり普通体型で(妊娠で太りましたが)、お腹の子も心拍に問題がないということで、正期産ぎりぎりの42週まで待つことができると言われました。

陣痛促進剤を使って出産することもできたのですが、陣痛過多になりやすいと聞いていましたので、待つことにしました。

出産予定日を二週間過ぎた日、午前中から微弱な痛みを感じました。
午後の散歩中に定期的な、はっきりとした痛みを感じ、股からちょろちょろと何かが漏れるのを感じます。

妊娠後期は大きくなった子宮の圧迫で尿漏れが珍しくありません。

尿漏れか? もしや破水?

腰に感じる痛みは、変わらず続いていました。

自宅に帰り、下着を確認します。
匂いはなく、色は下着の色が影響してよくわかりませんでした。

産院に電話し、指示を仰ぎます。

破水か確認しますので、入院の支度をして来院してください。
尿漏れの場合は帰宅する可能性があります。

予定日から二週間遅れていましたので、いつ出産できるのかと待ちくたびれていました。
第一子の出産は遅れると聞くけど、遅れすぎだろう!?


やっと出産らしい状況になり、ドキドキわくわくと踊るような足取りでタクシーを捕まえ、病院に向かいました。



内診で破水が認められました。
高位破水で、いわゆるチョロチョロ破水です。

子宮口は1cmほど、微弱ながら陣痛も認められ、入院することになりました。

夜10時頃に夜勤だった夫にメールで入院を連絡しました。

陣痛も微弱だし、初産だし、しばらくかかるだろうからまだ病院に来なくていいからね。

と送ったにも関わらず、仕事を早退して20分くらいで病院にやって来ました。
夫の職場と産院は近いのですが、それにしても早い到着でした。

どの道を運転して来たか覚えてない。

仕事どころではなかったようで、周囲の気遣いもあって帰らせてもらったようです。

陣痛室のベッドに横になると、陣痛が遠のくのを感じました。

破水後24時間以内に陣痛がつかなければ陣痛促進剤を使って産むことになると説明されていました。
陣痛を逃してなるものかと、スクワットに勤しみます。

スクワットが効いたのか、陣痛が戻り、順調に強まっていきました。



深夜2時頃から激しい痛みに耐える時間が続きます。

ベッドの上にうずくまり、激しい痛みの時は世の中全てに腹が立ち、ベッドの布団をうずくまったまま蹴りました。
痛みが遠のくと気を失ったように眠り、1、2分後に強い痛みで目が覚めてベッドを蹴る、そして眠るを繰り返しました。

夫はうたた寝をしながら、腰を押す、飲み物を渡すなどしてくれていました。



そのうち便意を感じ、私は陣痛室のトイレにこもりました。

大便が出そうで出ないのです。

常に深い呼吸をしながら、出そうといきみましたが出血するばかりで出ませんでした。
そしてふと気が付きます。

これって出産のいきみなんじゃないの?

子宮口が全開し、分娩室の準備が整うまでいきんではいけないのに、いきんでしまったのかもしれないと焦り、呼吸を意識しながらベッドに戻りました。

呼吸を意識していてよかったと思いました。


私が声を発しないので、助産師たちはごくたまにしか見に来ませんでした。
ベッドに戻ってすぐに助産師が様子を見にやって来ました。

静かに痛みに耐えている私の様子を見て、子宮口を確認してくれました。

全開の10cmでした。


すぐに陣痛室の準備が始まります。
歩いて移動するつもりでしたが、子宮口が全開の場合は赤ちゃんが飛び出してくる危険があるため、車いすを用意されました。


夫は出産の立ち合いをしない予定でした。
出産時の衝撃が強くてセックスレスになった知り合いがおり、二人で話し合って立ち合いをやめようと言っていたにも関わらず、勢いでついて来てしまいました。
それでもついて来てくれてよかったと思います。
心強く感じました。


出産は人生でそう多くは体験できないため、記憶に留めようと周囲を観察し、あの器具は何に使うのか等質問を繰り返しました。

落ち着いてるねー。

あ、なんかいきみたくなる波が来ています。

準備がまだだからちょっと待ってね。

はーい。ふー。

分娩室は赤ちゃんの体温を奪わないよう室温が高く設定されており、暑いです。
夫が私の横で団扇で仰いでくれるのですが、その風が当たらず、しかも耳元に小さな声で

頑張って頑張って。

と囁くのが妙に気になり、

団扇はこの向きで仰いで!

と言ったのを、何年も経っている今でもこう言われます。

あの時の麒麟は怖かった。



準備が整い、いきみの波が来るたびに、

いきみます~。

といきむこと数分、無事出産に至ります。入院してから7時間で出産しました。

出血が止まらない


出産まではとても順調でした。

赤ちゃんも問題なく、体重を測り措置をされてすぐにカンガルーケアで胸元に寝かされました。

しかし胎盤がすぐに出て来ず、胎盤を出した後には出血が止まらない事態となります。
助産師が私の腹を押すたびに、ザバー、ザバーと血が出る音がしました。

ガーゼを大量に使い、詰めて血を吸わせているようです。

出血が非常に多いです。500mlを終えると出血多量と言われるのですが、現時点で1400mlを超えています。
輸血をするレベルですが、リスクがあるためギリギリまで耐えたいと思います。出血が続いているため動くのは危険です。このまま様子を見ます。

分娩台に乗ったまま、衣類は分娩用に着けた足の養生だけとり、血が付いた分娩着のまましばらく待つことになりました。

尿管を入れられ、何やら点滴をされます。

その間も出血は続いていました。



意識が朦朧とし始めました。
カンガルーケアをしていた赤ちゃんを赤ちゃん用のワゴンに移されました。

寒い。

布団が三枚かけられました。

夫は後にこう言いました。

麒麟の顔が真っ青で、このままどうにかなってしまうようで怖かった。

朦朧としていましたが、なんと私は産後ハイになっていました。


赤ちゃんと言う未知なる生物と出会い、観察したくてたまらなかったです。
しかし動いてはいけないと言われていたし、実際動けませんでした。体と心がえらく反してました。



朝7時になっていました。
夫は仕事があったので、眠らずに仕事に向かいました。

血がなくなると寒くなるんだな。聞いていた通りだったわ。なるほど。

ぼうっとそんなことを思いながら過ごしました。

6時間経ち、ある程度出血が落ち着いたということで大部屋に移れることになりました。

車いす移動で、尿管は入れっぱなし、ベッドから起き上がるのは禁止されました。

大量出血の原因は何ですか?

不明。鉄剤の点滴を続けて回復を図ります。

不明!?

……そんなことあるんだ。
私の血は一体どこから出てきたのだろう?

子宮の収縮が悪かったのは確かですが、大量出血の原因と限定できないようでした。

車いすに移る際、ベッドに移る際も産褥ナプキンから血液が漏れました。
入院着やベッドのシーツもことあるごとに血で汚し、交換してもらいました。

部屋に移ってからの出血は私が報告しなかったため、出血量には加算されていません。

本来母乳には糖分が良くないのですが、今は血を作るのが優先です。
カロリーのある水分を取ってください。ポカリスエットなどがいいと思います。

夫や双方の両親が見舞いに来る際、ポカリスエットを買ってきてくれて冷蔵庫がポカリスエットだらけになりました。

ベッドから降りるのを許されたのは三日後でした。その間風呂に入れず、非常に不快でした。

産後ハイでしたので、産後安静を言われている時から母子同室を希望し授乳やお世話をしました。

無理はしないで、赤ちゃんは預けていいんだよ。

そう言われていたにも関わらず、

大丈夫です!

とウキウキしていました。


今思うと本当に危険な行為だと思います。
産後はただでさえ休まないといけないのに、テンションだけで乗り切るのは危険です。
ハイテンションが終わったころ、ドッと疲れが出て鬱になりかねません。


初産だからなのか、出血が多かったからなのか、母乳の出がよくないのが悩みでした。
助産師が子どもを連れて行き、ミルクを飲ませてくれました。

母乳の分泌にはホルモンが関わっています。

「私は子どもに授乳している」と意識し脳に刺激を与えるとホルモンが出やすいと知り(そう解釈し)、たくさん吸わせ続けました。
すると徐々に母乳量が増え、ミルクを足す必要がなくなりました。


退院


産後すぐから繋がれていた鉄剤の点滴が外されたのは退院の前日でした。

解放感で一杯でした。点滴続きで内出血が多くできていました。

入院日数は通常分娩と同じでした。鉄剤の処方をされたのみで終わりました。

普通分娩では出産一時金の42万円では足りず、10万円ほどは出費があるはずなのですが、出血で保険が利き、6万円の出費で収まりました。

出生届や保険の手続きを済ませ帰宅することには足元がふらつきました。
子どもを抱いていたので、注意して歩きました。

それから時々眩暈がしていましたが、初めての出産であったこと、産後ハイであったことからあまり気にせずに生活がスタートしました。

無謀にも産後三週間で引っ越しを予定しており(出産が遅れなければ産後一か月以降になる予定でした)、産前に荷造りをほぼ終えていたものの、引っ越し当日に目が回ったことを覚えています。

悪露は三ヶ月続きました。

第二子の出産


第二子は悪阻が数回嘔吐する程度で軽く、予定日より二日遅れてドバッと羊水が漏れる完全破水から陣痛が始まり、出産もスムーズでした。入院から出産までの分娩時間は9時間でした。

隣の陣痛室の妊婦が痛みを叫んで発散するタイプだったため、夫が恐れおののいていました。
私が静かに耐えるタイプなため、そばに居ても痛みを過小評価していたようです。
男性に痛みの壮絶さを知らせるためには、声を出すのも一つかもしれません。

産後も母子ともに健康で、非常に体が楽に感じました。

※どんな出産でも、体に大きなダメージがあります。
第一子出産と比べた場合の話しです。

第三子の出産


第一子の時同様、悪阻が酷かったです。
嘔吐しても歩くことができましたので、心配してくれたママ友が車で病院まで送ってくれました。エチケット袋持参で点滴に通いました。点滴しながら嘔吐していましたが。

悪阻が明けた後は血圧の高さを指摘されるようになります。
妊娠中の高血圧は妊娠が終了すれば下がることが多いため、場合によっては帝王切開での出産になると言われました。

寒暖差のある建物に入った時は低血圧症を起こし、目の前が白くなり、気分が悪くなりました。
貧血気味でもあるのに、血圧が高くなる理由が私にはよくわかりませんでした。

血圧以外は順調に進みました。

おしるしと微弱陣痛から陣痛が進み、陣痛が10分間隔になってから入院しました。

夫に介抱されながら子宮口が開くのを待ち、平常時7cm、陣痛の波が来ると9cmまで広がるようになったタイミングで分娩室に移動しました。

歩いて分娩室に移動できますか?

できます。

さすが、経産婦は違いますね。

ふふ。

いい気になって分娩台に乗り血圧を測ると、上が179まで上がっていました。下は覚えていません。

妊娠高血圧症の方は200超えることもあるようなので、危険性がよくわかりませんが、助産師たちが血圧が高いことに驚き、医師に連絡するよう言い合っていました。

出産までは問題なく進みました。分娩時間は11時間でした。



赤ちゃんは先天性の難病を持っていましたので、色々あったのですが、それについてはこちらに書いています☟



産後、第一子出産時同様に出血が止まりませんでした。

医師が処置をしながら、過去の私の記録を確認しました。

第一子出産時に1800mlの出血をしていますね。今回も注意が必要です。

え、1400mlじゃなかったでしたっけ?

病院には1800mlの記録が残っています。

第一子出産時に出血の説明を受けた時点では1400mlと言われていました。
母子手帳には出血量1300mlと記載されていました。

母子手帳に助産師が記載した後も出血が続き、医師の説明を受けた時は1400ml、分娩室を出るまでに1800mlの出血があったようです。

その後もベッドで出血がありましたので、もう少しあったように思いますが、病院に報告しませんでしたし、悪露の判中だったのかもしれません。





心拍が150を超えたまま一向に下がりませんでした。

5分間隔で自動計測される血圧計を巻かれ、尿管を入れられ、心不全を察知するため心電図のケーブル3本を胸に貼られ、点滴を常時3〜5本タコ足で繋がれ、身動きできなくなりました。

培養製造される人造人間のように、四方八方を管で繋がれていました。

7時間分娩室で安静にした後、病院都合でナースステーション前の個室に入り、夫以外は面会謝絶となりました。

心電図は心拍が高すぎるという警告音を発し、血圧計も高すぎるという警告音を発し、機械制御の点滴のアラームも、繋がれている4本前後がそれぞれ鳴るので、ピコーンピコーン、ビービービービー、キンコンキンコン、、、とにかく煩かったです。

第一子、第二子ともに産後ハイになったのですが、第三子は元気が出ませんでした。
ベッドの上で寝がえりをうつのも辛く、おかしいな? と悔しくなりました。

血圧を下げるために血管を広げる点滴を打っていました。

筋力を弱める作用が効いてダルさを生むので、辛いのはそのせいです。赤ちゃんのお世話はこちらでするので、無理をしないでナースコールをしてください。

産後4日人造人間状態で、その後歩くのを許されました。

歩行練習をしている間に分娩時に担当してくれた助産師が出勤しました。
私の歩いている姿を見て、涙ぐみました。

麒麟さんが歩いてる! よかったよー!!

え、そんなに酷かったの??


妊娠後期に意識を失い、倒れたママ友がいます。
帝王切開で赤ちゃんが取り出されました。
母胎は死亡する可能性がある、植物状態になる可能性もある、目を覚ましても障がいが残る可能性があると家族が宣告されたそうです。
二日後ママ友は目を覚まし、幸い何の障がいも残りませんでした。

そんなママ友に比べたらそこまでに危機ではないのだと思いますし、何かしらトラブルがあった話は多いものです。出産が命がけなのは、いつの時代も変わらない事実なのだと思います。

降圧剤の点滴のだるさは酷かった。もう味わいたくない。


第三子の出血量は350mlほどであまり多くありませんでした。
血圧は退院するまで150から下がらず、服薬の降圧剤の処方を受けました。

産後三ヶ月までに下がらない場合は一生服薬をする可能性があると説明されます。
血圧を下げるために体を休めるほかないと注意を受けました。

出産経験から学ぶ


これ以上出産したら死ぬかもしれないと思っています。

第一子から総合病院を産院に選んでよかったと思いました。

例えば助産院で出産していたら搬送されていたと思います。
もちろん助産院の出産の利点もあります。

そのまま産後のケアが受けられる施設もあります。

自分の体、年齢、血縁関係の病歴や出産経験をよく聞いて施設選びをすることをお勧めします。

私の母や祖母も悪阻が酷く、出産でトラブルがあったようです。
遺伝するとは限りませんが、用心するに越したことはありません。

子どもは妊娠、出産、子育て期も親の思う通りには行かないものだと痛感しました。


子どもを産む度に体の栄養素を持っていかれ、加齢もあって弱くなったとは思いますが、今は健康です。(血圧高めではあるけど。酒のせいか?)


多量の出血された方も、よく休み、鉄分を摂って体を労われば徐々に回復します。


体を大事にしてください。


以上、出産経験と大量出血した話でした。





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