難病の我が子は「かわいそう」?

我が家の末っ子は珍しい難病を持っています。

これまで「病気でかわいそうに。」と何度も言われてきました。

悪意がないこと、心配してくれていることは分かります。
しかしどうしても「かわいそう」という言葉が引っかかりました。

引っかかりの正体は何なのか、気持ちの整理を兼ねて考えてみようと思います。

かわいそうと言われるまで

出産は総合病院でした。
通常は起こりえない異常が三女の体にあったため、小児科医や皮膚科医に連絡が行き、小児科医5名、皮膚科医3名が三女を見に産科にやって来ました。

こんな例は初めてだ。
何かしらの疾患があるのは確かだが、何か確証が持てない。
文献を当たるので時間が欲しい。

と言われました。

何の病気か知らされたのは一か月検診の時でした。
今思い出しても、辛い日です。
その日についてはいつか別に記事を書こうと思います。



三女の病気は非常に珍しく、日本に1000人ほどしかいないと言われています。
病名を書くと個人の特定がされやすいため伏せています。

皮膚科医は教科書で病気の存在を知っているものの、実際には見たことがない場合が多く、対処療法しかないため、知識のある専門医にかかるように言われるのが普通でした。

専門外来で病気の対処がかかれた冊子をもらい、専門医から丁寧な説明を受けることができました。
その時は産後3ヶ月頃だったと思います。

夫にも子どもたちにも、大丈夫、未来は明るいと言い続けていましたが、内心はとても不安定でした。

夫や子どもたちのいない場ではすぐに涙が溢れました。声を殺して泣く日々が続きました。
三女の未来を悲観するようで、自分の涙に腹が立ちました。

夜眠れず、病気や治療方法を研究する医師の検索、世界の研究結果を繰り返し検索し続けました。


一生を病気と共に暮らしていく子どものために、親として何ができるのかを考えました。

病気を隠すことなく「これが私。」と自信を持って生きてほしいと思いました。

「私は病人。」と意識し過ぎず、三女らしく生活を楽しむために、周囲の理解が必要でした。
周囲が三女を腫物のように扱えば、三女にも伝わってしまうからです。

三女が言葉を理解する前に、よく会うご近所や周囲のママ友達に病気について知ってもらい、普通に接してもらえるようにと、積極的に説明をするようになりました。


そして「病気を持ってかわいそうに。」と言われるようになります。


三女は「かわいそう」な子どもですか。
治らない病気である三女は、一生「かわいそう」ですか。



わたしは「かわいそうな子」なの?
三女がそう思ってしまうことがとても怖くなりました。

「可哀想・かわいそう」の意味

広辞苑では「可哀想」を、不憫なさま。同情に堪えぬさま。と説明しています。

病気で不憫。
同情に堪えない……。

別におかしなことを言われているわけではないのです。
本当に大変ね、と心配をしてくれているのです。

わかっているのに、どうしても、

「かわいそう」=「他人事という傍観」「強い憐れみ」

を感じてしまうのです。

他人だから他人事なのは当たり前です。

「憐れむ」とは不憫に思う。同情する。気の毒に思う。慈悲の心をかける。めぐむ。という意味があります。
高みからの見物と同情のさまを感じます。


すぐに治るような怪我を負って、泣いている子どもになら「かわいそうに、痛いね。」と言えるかもしれません。
しかし例えば癌の告知を受けた人に「かわいそう」とは口が裂けても言えません。


私は昔から同情されることが苦手でしたから、もともと「かわいそう」という言葉が嫌いなのかもしれません。
憐れまないで、という感情が強いのでしょう。

となると、個人的な拒否反応なのか? と思ったら、そうでもないことがわかりました。

「かわいそう」を嫌う人

自身の体にハンデがある人、子どもや家族が病気を持っている知り合いに聞くと、言われて嫌だった言葉の1位、あるいは2位に「かわいそう」がランクインしていました。

やっぱりそう!? 笑

と妙な安堵感がありました。

私たちにとってはこれが普通だから憐れまないでほしい。
できないことがあったり辛いことがあるのは確かだけど、だから不幸になるわけではない。
普通に接してほしい。
一歩引かないでほしい。
見下さないでほしい。
同じ人間で同じラインに立っている。
私たちはかわいそうではない。

この思いを知ってほしい。

これが引っかかりの正体でした。

因みに“かわいそう”と表現される人をインターネットで調べてみました。

就職氷河期で就職に苦労した人。
着付け会社の倒産で成人式に振袖が着られなかった人。

あるいは
人間関係がうまく運ばない人や仕事ができない人、空気が読めない人をかわいそうな人と言うことが多いようです。

中には「かわいそう」という人こそ「かわいそう」という表現もありました。

“言われていい気がしない言葉”と思っている人は多いようです。


病気やハンデに対し、かわいそうと表現することは少ないようですね。

嬉しかった言葉

他の子よりできない運動があったり、見た目にわかるので、他の子どもが疑問に思った時に、「いろんな子がいる。それが普通なんだよ。」と言ってほしいとお願いしていました。

ママさんたちが集まっている中で病気の話しをした際、

みんないろんなものを抱えているからね。
よし! みんなで支えて行こ!

あるママがさらっと言いました。
顔見知り程度のママさんでした。

涙が出るほど嬉しい言葉でした。

難病に限らず、色々なものを抱えている子ども、大人たちがいます。

自然に混ざり生活することが支えあいになります。
特に我が子の場合は誰かの手を借りなければいけないわけではありませんから、ただ普通に受け入れてほしいだけでした。



いつか末っ子が「わたしはかわいそうな子なの?」と疑問を持ったら、「違うよ、みんな心配する意味でかわいそうって言うんだよ。」と話そうと思っています。



普段「かわいそう」と言っている方には、嫌な記事かも知れません。

決して非難するつもりはなく、温かい心があることを知っています。
言葉をかけてくれる人の気持ちはわかるので、「かわいそうと言わないで!」と強く止める気持ちはありません。


でも「かわいそう」と言われる対象が一過性のものでないとき、「かわいそう」という言葉が惨めな気持ちを生む場合もある、と知っていただけると嬉しいです。

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