毒親育ちが母の不満を発散させようとして潰れた話

毒親育ちが母を救いたいと思うまで

毒親育ちが病むまで

私は両親との関係に悩み、精神的に不安定だった期間が長くありました。

頻繁に癇癪を起し、家族を威圧。盗聴されている、家を覗かれていると話す父。
離婚できなかったのはあんたがお腹にできたからだ。こうなっているのはあんたのせいだと、私に日々数時間罵声を浴びせる母。
両親の怒号や激しい物音を聞いて育ちました。
耳が籠ったように聴こえづらくなり、痛みを感じる感覚も鈍りました。母に罵声を浴びさせられる時は、視界が白く抜ける感覚が毎回起こりました。
表情が出にくくなり、笑いが嘘くさいといって母に叱られました。
内臓が汚れている感覚が常にありました。
内臓を綺麗にしたくて明け方家の外に出て清い空気を吸っていましたが、それも危ないからやめるよう注意され、できなくなりました。
家に居場所を感じられませんでした。
外出を制限されていましたので、外にも居場所はありません。どこにも安らげる場所がありませんでした。
高校時代、かわいがっていた飼い猫の首を絞めたらどうなるか、と想像するところまで追いつめられていました。

毒親育ちが家から逃げ出す

これ以上家に居たらおかしくなってしまうと思い、大学進学をきっかけに家を出ました。
解放され、自由な時間と仲間ができて、笑えるようになりました。

親と私の関係は、こちらの記事にまとめています。

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毒親育ちが自分と親を分析する

家を出ると同時に、精神不安が噴き出します。

誰にも言わずに一人で耐えていました。
支えは心理学や虐待のノンフィクション本を読むことでした。
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親や自分に当てはめて、自分なりの分析を重ねました。

毒親育ちが両親と距離をとる

両親と連絡を取ることは滅多にありませんでした。
数年会わない期間もありました。
私が年齢を重ねると同時に、両親も年を取っていきました。
弟から近況を聞き、年齢を重ねて丸くなったかと油断していると、酷いしっぺ返しに合って一気に白髪が増えたこともありました。

毒親育ちが母の不満を聞く

私の結婚を機に、月に一、二度ほど母と連絡を取るようになりました。
母は常に何かしらに文句を言っていました。
父への不満、家の不満、近所への不満、政治の不満、私への不満、親戚への不満です。
母から楽しい話を聞くことは一切ありませんでした。
よくここまで文句ばかり言えるものだと感心しました。
母は父と結婚して以来、父に束縛されて生きてきたと話します。
友人は居らず、仕事や家族のための外出以外はすることがありません。
母は節約や生活への理想が高く、自分で自分に制約をかけてがんじがらめになっていました。
収入への不安から安いものを買いあさり、家は物で溢れているのに、妥協して購入するので精神的に満足できず、買い足し続ける悪循環にはまっていました。
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毒親育ちが挑む-母の不満を晴らしたい

母は友人と会うことも、保護者間の付き合いも父に反対されたと言います。
行動を制限され、父の癇癪や暴力を受け止め、家事や育児を一手に引き受けたのが本当であれば、辛い日々だったでしょう。

幼いところがある母が精神的な余裕をなくして、同性の娘である私に当たるのは自然なことだったのかもしれません。

父が出かけようと母に声をかけても、母は文句ばかり言いました。
それなのに母が出かけようと声をかけると、父が「うん」と言わないと文句を言います。

母の話しは矛盾ばかりですし、人が言ったことを自分が言ったと言い張ったり、逆もあり得るので世間話をするのも気を使います。

母がこうなったのは性質なのか、長年にわたる父との確執のせいなのかがはっきりとしません。
父との関係が原因なのであれば、父と離婚すれば解決するはずです。

しかし今更離婚はしたくないと、母が言います。

母は結婚直後から父の暴力に耐えかねて実家に帰っています。
私がお腹にできるまで二年間ありました。その間母の親が離婚を勧めたと聞いています。

離婚を選ばなかった母の選択の結果が、今なのです。

母は誰を思い、何のために離婚しなかったのか、離婚できなかったのかを考えました。

子どもが巣立って15年経っても、何かと理由をつけて母は離婚をしません。
父や私に酷く当たるその姿は、まともとは思えないヒステリーぶりでした。

自分の責任から目を背けて、人のせいにする人生でいいのだろうかと思いました。

母の立場に立ってシミュレーションを重ねる中で、理解できる部分が多分にありました。それでも行きつくのは、母自身が「保身」から離婚を選ばなかったという結論でした。

それを私のせいにするのは母の弱さです。

決断ができず、人のせいにして生きてきた母。
母の人生を思うと、憐れに感じました。

私は結婚して居場所ができたことで、精神的に落ち着きました。
産まれた孫を可愛がってくれる母に、母なりの幸せを感じてもらいたいと思いました。

少しでも母の負担を軽くできるとしたら、母を否定せず、とことん話を聞いて発散させることだと思いました。

毒親育ちが母の不満を発散させようとして潰れた話

母は新しい経験をしたがりました。

私が出費をして、水槽のあるお洒落なレストランに行ったり、バーに誘いました。
母と子どもを連れて、クラシックの祭典であるラフォルジュルネTOKYOに行くなどしました。

母は楽しいと言いましたが、表情からは伺えませんでした。

出かけている間も母は父の悪口を言い続けていました。
母に同意できる部分もあれば、母の言いがかりではないかと思う部分も多くありました。

私から見ると、どちらも問題があるように見えました。

しかし私が何かを言えば、母は自分の正当性を認めさせるために関係ない話を持ち出し、私を育てるためにどれだけ苦労したかを泣きながら話しだします。終いには泣き叫ぶこともあります。

母の気が済むまで吐き出させるには、母が不幸になったのは私のせいだという言葉を、頷いて朗らかに、或いは時に謝り感謝の言葉を言いながら聞かなければなりませんでした。

母と会った日はドッと疲れました。

夫は私の疲れ方を見て、無理して会う必要があるのかと心配しました。

独身時代の貯金を使い、母に財布などをプレゼントしました。
母は次はいつ買い換えてくれるのかと、暗に出費を求めてきました。
極たまに実家に遊びに行くと、家で使う収納の購入も暗に求めてきます。
しかし子どもが滞在中の食費を出費するのが“いい親”だと思っているようで、食費については半額以上の出費をしてくれました。
いい母親でいたいという理想が垣間見えました。
二年程度の間、年に二度ほど会い、それ以外はメールや電話で話しを聞きました。
私のせいで不幸になったという言葉を聞き続けていると、かつて実家にいた時のように視界が白く抜けるようになりました。
3人目を妊娠したと報告したときに「3人子どもを産むなんて普通じゃない。どうするの、それ」と言われました。母にとって子どもが二人いるのが普通で、三人はあり得なかったようです。こだわりが強い母なので、どんな言葉を言ったところで私が異常扱いされるのはわかっていました。
腹にグッとストレスがかかったのがわかりました。すぐに出血が始まり、病院にかかると流産が進行していました。数回の通院を経て流産の完了が確認されました。
母を受け止めるなんて、到底無理なのだとわかりました。
母は変わろうと思っていないし、自分を見つめなおそうとも思っていません。
環境を変えることもありません。
ただ、父や私に思い通りに動いてほしいと思っているだけでした。
母の思い通りに動いたところで、母が不満を無くすことはありません。要求が大きくなるだけです。
私には母を丸ごと受け止めるだけの器がありません。
母親の言葉にいとも簡単に傷つき、打ちのめされてしまいます。
落ち込み、夫や子どもたちに影響してしまいます。
私が母親を助けようなんて、とんだ思い上がりでした。

毒親を子どもが変えることはできない

母と母の実母(私の祖母)が同居したのをきっかけに、祖母は母の異常さを訴えるようになりました。
かつて私が受けていた扱いを、祖母が受けていました。
祖母は実の娘を「狂ってるんじゃないか」と言いました。
私もそう思っていましたので、祖母の言う事がよくわかりました。
祖母の話しを聞いた親戚は当初、祖母がオーバーに言っているのではないかと疑いました。
「昔はこんな子ではなかったはず」と祖母は言いましたが、私にはわからないことですし、できることはありませんでした。
祖母の訴えをきっかけに、母が親戚内で起こしていた問題を知ることになりました。
祖母はあっという間に母の家を出ることになりました。
詳しくはこちらの記事に書いています。
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親戚に、母と距離を置くよう忠告されました。
親戚は母がおかしいことを昔から知っていたようです。
多くの大人がどうにもできずにいた母を、私が変えられるはずがないのかもしれません。
母の不満は父というきっかけにより、母自身が作り出したものであり、母が向き合わなければならないものだと感じています。
私ができるのは、夫と子どもたちという私の家族を守ることだけでした。
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