毒親育ちに言ってはいけないこと

子の成長に悪影響を及ぼす親を毒親と言います。
毒親に育てられた子を、毒親育ちと言います。

毒親はネグレクトや虐待などの犯罪から、表立って見えない精神的支配や過干渉まで様々なタイプがあります。

育った環境は人格の形成や人付き合いに影響し、一生に関わります。

結婚して子を産んでもなお、悩まされる例が珍しくありません。

友人が、彼氏彼女が、夫、妻が毒親に悩んでいたら、どう声をかけますか?

ここでは毒親育ちを追い詰める言葉とかけられたい言葉についてお知らせします。

毒親の話しをするとき


友人同士で、カップルや夫婦間で、親の話しをするのはどんな時でしょうか。


この記事では私の体験をもとに学んだことを記します。


私は精神的に不安定な両親の元で育ちました。


親なりに愛情があるとわかっていましたが、私には非常に苦しいものでした。




フリードリヒ2世が行った有名な実験に、乳児50名と目を合わせず、言葉や愛情を与えず、ミルクやおむつ替え、沐浴などの必要な処置だけしたらどうなるかというものがあります。
結果は全員が1歳になる前に死亡しました。

子どもにとってスキンシップや情操教育がいかに必要なのかがよくわかります。



私は実験同様の扱いを受けたわけではありません。

しかし母親とスキンシップをした記憶はなく(ほとんど泣かない子であった。泣いても放っておけばすぐに寝たので手間がかからなかったと聞かされています)、母が感情を高ぶらせている時以外に目を見て話した覚えもありません。
多くのことを否定されて育ちましたので、自己肯定感は酷く低かったように思います。

学校に通い、人付き合いをしなければなりませんでしたので、精神を保つために強く装いました。


心理学や虐待の心理の本を読み漁り、気持ちの消化を進める中で、どうしても消せない思いが残りました。

「誰かに私の感情を認めてもらいたい。」という承認欲求でした。


自己肯定感は、誰かに認められることでしか生まれないのかもしれません。

自分の感情を認めてもらうために、第三者に話をするようになります。

毒親育ちへの世間の反応


私が外で親の話しをするようになったのは社会人になってからでした。



精神が安定した親に育てられた方は、「親を悪くいうものではない」「わがままだ」「被害者意識が強いだけ」と思うようです。


私が親についてポツリポツリと外で話すようになると、よく言われました。

親を悪く言うなんて子どものやること。

親だって間違うことはある。

育ててもらったんだから感謝するべき。


人によっては、「俺は親にこんなことをされたんだぞ……。」とエピソードを話し始めます。


毒親との生活は“いくつかのエピソード”では済みません。
毎日、朝から晩まで常に強いストレスに晒されます。


話だけではどれだけのストレスであったか伝わらないのでしょう。
知らないのだから仕方がないのかもしれません。


それでも「親を悪く言うべきでない」という言葉は、毒親を無条件に肯定し、毒親育ちの苦しみを無条件に否定する辛いものでした。

毒親育ちの思考


親には親の立場があります。育ててもらったことに恩を感じるべきなのでしょう。

しかし生まれてこないほうがよかったと思いながら、恩を感じなければならないのは非常に苦しいことです。

否定される怖さから人に吐き出すことを躊躇い、鬱憤を心にため込みやすくなることが珍しくありません。

辛いと思うことは間違いだ。
親が正しいのだ。
親を悪く言ったり、思ったりしてはいけないのだ。
私がおかしいのだ。

母も私がおかしいとよく言っていたな。

親に言われた言葉に繋がり、辛かった記憶が蘇ることがありました。



自分の価値を見出せず混乱すると、自暴自棄や性依存に繋がったり、不安定になって周囲を振り回す場合があります。


私が頼っていたのは酒でした。
飲んでいれば全てがどうでもよくなります。大量に食べて飲み、吐きました。

毒親育ちが毒親を肯定する


そのうち「親に恩を感じるべきだ。」という人の中に毒親に育てられた人がいることに気が付きます。


煙草の火を押し付けて躾られた元彼(参照)をはじめとし、男性に多く見られました。
彼らは親の行動を「仕方なかった」と好意的に受け止め、同じことを繰り返そうとしました。

辛かったのに同じことを繰り返すのはなぜなの。

そういうものだから。俺が耐えられたんだから、子どもも耐えて当然。親は正しかった。


子どもの発達障害を受け入れられない父親が多いのも、自分の遺伝子を否定したくないという保守的な本能が働いているように感じますが、どうなのでしょう。※個人的見解です。

毒親育ち同士の繋がり


私が酒と彼氏への依存があったものの、大きく乱れなかったのには、私の話しをきっかけに「実は。」と親からの虐待を告白してくれた方がいたからです。

その方の受けた虐待は、私の経験よりはるかに厳しい性虐待でしたが、周囲に言いにくい、理解されにくい葛藤を抱えている者同士、気兼ねなく親の話しをできる存在は貴重でした。

傍から見れば、「親の悪口を言う幼い人」なのでしょうか。

人の支えになれたことが、私の存在意義であり勇気となりました。

理解されたい相手


毒親や虐待は家庭内で起こります。
気がつきにくく、気が付いていても他人の家庭に口を出すべきではないと思ったり、揉めたくないという思いから、見て見ぬフリをすることが珍しくありません。

毒親に悩む人は「話しても理解されない、受け入れられない。」と心にため込む場合が少なくありません。


それでも大切な人ができると、「この人ならわかってくれるんじゃないか」「この人にだけはわかってほしい」と期待し、話そうとするでしょう。

傷があまりに深い場合は、結婚後しばらくしてから夫や妻に話すこともあります。

絶縁

そんなに親がストレスなら、絶縁したらいい。
なぜ離れないの?


第三者はこのように思うでしょう。
親から離れないのは甘えだと受け取る方もいます。


私の場合は、どれだけ夫に愛され幸せな暮らしができていても、心のどこかで「両親が自身より私を愛してくれる時が来るのでは」と期待してしまい離れられないのだと感じています。

不足した愛情の穴を完全に埋められるのは、親だけなのかもしれません。(産まれながらに両親と離れた方は里親など特定の大人。)


私は連絡を数ヶ月に1回、会う頻度はまちまちですが、一年に1回程度あり、絶縁はしていません。

両親のことで傷つくたびに、夫は「両親と縁を切った方がいいのでは。」と心配しますが、踏み切れていません。



毒親から離れ、平穏な暮らしをしている毒親育ちの方がいます。
彼らの勇気はとても大きいものだったと思います。

絶縁の覚悟もまた辛いものです。

毒親育ちに言わないでほしいこと

親を許してあげたら。
会いに行ってあげたら。
話したら分かり合えるよ。


毒親と距離を置いている場合に、結婚や親の病気など人生の節目に言われがちな言葉です。

トラウマをほじくり返す、危険な言葉だと思ってください。

話し合える相手なら、距離を置く必要もなかったでしょう。
いたずらな和解の持ち掛けは、毒親育ちの方の精神を崩す可能性があります。

親との関係の修復は本人が判断するものです。
周囲が強要しないよう、お勧めします。

毒親育ちが欲しいもの


毒親に悩む人があなたに話しをしたら、どうか否定せず聞いてください。

「頑張ったね」と言われるだけで救われることがあります。

毒親育ちが求めるものは、自分の存在意義と尊重し合える関係性です。




毒親育ちの方に、いつか安らげる家族ができることを願っています。














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