私は母が苦手です。
これまでこのブログで私の生い立ちや母への疑問を吐き出してきました。
結婚し、子どもが産まれて初めて、母を理解できた部分もあります。
それでも母の言動を思い出すたびに、「なぜ?」と思わずにはいられないエピソードが数多くあります。
なぜ私を支配し、ストレスのはけ口に使ったのかを知りたくてシミュレーションするたび、出てくる結論は「憐れな人だから」でした。
結論に至るまでの思いを記事にまとめようとしましたが、何度挑戦しても心が乱れて上手くまとまりませんでした。
恐らくは、私の中で未消化な部分があるのだと思います。
そこで、事例ごとにまとめる記事を書こうと思い立ちました。
今回は「居場所がなくて早朝から友人宅を回り、お菓子を求めた面倒な子ども」だった私についてです。
放置子とは
自分の家には帰らずに近所や友達の家に上がりこんだり、遅い時間になっても帰らなかったりする子供のこと
家に居場所がなく、親やそれに代わる保護者の目がない状況下の子どもに多く現れる行動です。
普通の主婦がインターネットを通じて発信できる時代になった今、「放置子」の実例が度々挙げられるようになりました。
それを見ていると、私もそれに近いものがあったように感じます。
「放置子」一歩手前だった私の話
家にいると怒られる
私が小学校に入学すると、二学年下の当時幼稚園生の弟を連れて、家に帰らないよう母に求められました。
学校の放課後や、休日の昼間がそれにあたりました。
家に居場所がありませんでした
休日に父が家にいる時は、外に行くようには言われませんでした。
しかし父は休日出勤が珍しくありませんでしたので、多くの時間を外で過ごすことになります。
母は裁縫が趣味でミシンに向かっている時間が多くありました。集中できる時間を確保するために、子どもを外に出したかったのだと思います。
因みに中学、高校時代は一転して外に出ないよう制限されるようになるのですが、それは先の話しです。
理想の子育て
とにかく小学校低学年の私は当時幼稚園児だった弟を連れて、公園や人の家を渡り歩きました。
親の付き添いがない幼稚園児の外出が今ほど珍しくなかったものの、常に幼稚園児を連れて遊びに出ている小学生は私だけでした。
母は子育てに高い理想を持っていました。
テレビは教育に悪いと、父がいる時間以外は殆ど見られませんでした。
テレビゲームも当然許されませんでした。
長期休みは母の両親(私の祖父母)の家に長期で泊まりに行くのですが、その時は何の制限をかけられることもなく、祖父のテレビゲームをさせてもらうことができました。
自宅ではスナック菓子やジュース、チョコレートなどの甘いものは体に毒だと言って禁止され、母だけが食べていました。
私や弟にはたまに手作りのドーナツを作ってくれました。非常に美味しくて大好きだったのですが、やはり手間がかかりますので滅多に作ってくれることはありません。普段は煎餅とデオドラントガムが与えられました。
母は友達を家に連れてくることをたまに許してくれましたが、おやつを出すことはありませんでした。
過剰に砂糖の摂取を減らそうとする理由には、父の実家が甘い味付けだったことが関係しているように思います。
母は料理の手間を省くため父の実家から積極的におかずをもらって帰るのに、味付けが体に悪い、カロリーの摂り過ぎだと家でよく文句を言っていました。
それまで殆ど甘いものを食べていなかったので、舌が甘い物を感知できず辛く感じたようです。
母は私の友達を叱るので、厳しい母親として知られていました。
挨拶の仕方を叱るのはいいのですが、男の子が自分を「俺」と呼ぶのが下品だと言って言い直すよう求めるので、友達は黙ってしまいました。母は自分を「他人の子でも注意できる」と誇らしげに語っていました。
そんな母ですので、弟はずっと自分を「僕」と呼んでいます。
母は子どもに説明したり諭すことはせず怒って理想を押し付けるので、私も弟も母に意見を言えませんでした。母が激高すると、そのまま母と父との喧嘩に突入し、暴力沙汰になって収拾がつかなくなるのが常でした。母は朝起きた時から眠るまで殆どの時間を怒っていました。
友人宅で菓子をねだる
友達の家に遊びに行くと、ゲームがあり、スナック菓子やジュースを出してくれました。
弟はゲームに飛びつき、私はお菓子を貪りつくように食べました。
お菓子がなくなるともっと欲しいと友達に言いました。
友達はそれを親に言い、出してくれることもあれば断られることもありました。
おやつを出されなかった時には、「おやつがないなら帰る」と言って友達を脅しました。
親の立場になった今となっては、おやつで脅してくる友達など縁を切ってしまえと思うのですが、当時の友達は困って親におやつを求めに行きました。
「おやつ出さないと帰るって言う。おやつ出して!」と言う声をよく耳にしました。
弟が小学校に入ると、私とは別行動で遊ぶようになりました。
小遣いは悪
友達は一か月に2、3回、百円程度を握って近所の商店でおやつを買っていました。
弟は度々許されていましたが、私はお小遣いを一切もらえませんでした。
お小遣いが欲しいと言うと、母はとても怒りました。
小学生にお金は必要ない。お金を使うのは悪だと言いました。
弟は許されるのに私が許されない理由がわかりませんでした。母は私が女の子だからダメだと言いました。納得ができないまま、母親が激高するのを抑えるために諦めるしかありませんでした。「女の子だからダメ」には、女の子は母親の言うとおりにするものだという意味が込められているように感じました。
私が祖父母からもらったお年玉を入れた小銭入れから、百円を出して出かけたことがありました。
しかしすぐに母に見つかって叩かれました。なぜここまでと疑問に思うほど、喚いて怒り叩かれました。当時の父の稼ぎは決して悪くなく平均以上の給与を受け取っていましたので、理想に反した私がただ憎かったのかもしれません。
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憐れまれる
クラス替えで仲良くなった同級生は、友達が小遣いを持って買い物に行く商店の娘でした。
よく家に遊びに行かせてもらいました。
その家はお菓子をたくさん出してくれました。
店番をしているお父さんやお母さんが店の商品からキャラメルを一箱取って娘に渡し、私と一緒に食べるよう言ってくれるのです。
週一で販売に来るアイスのキッチンカーが来た時は、何度か私の分も買ってくれました。
そのお母さんは日本の暮らしが長い、元中国籍の方でした。
とても親切で温かくて、好きでした。
私の母は「あの母親は派手だ」と常々言っていました。それに加え「他の保護者は差別するかもしれないが、私はしない」と誇らしげに言っていました。
しかし商店一家の母親は、私の母よりずっと社交的で保護者付き合いが盛んな方でした。
私が家でお菓子を与えられていないことを、他の保護者からも聞いていたのでしょう。
「お小遣いが欲しいと言うと怒られる。お年玉を使うと怒られて叩かれる」と同級生のお母さんに聞かれて話した覚えがあります。
小学校四年生が終わるころに私は引っ越しをし、付き合いがなくなりました。
心配されていたのか、厄介な子どもがいなくなってホッとしたのか、今となってはわかりません。
放置子の将来
平日は18時に家に帰るよう言われて守っていました。
休日は8時半ころから遊びに出て昼に帰り、また家を出て18時までには帰る生活です。ごく一般的な生活スタイルでした。
家は片付けが苦手な母の影響で物が散乱しているものの、食事が用意され、2日~3日ごとの入浴や着替えも許されていました。
母の手作りの服を着せられ、たまにあるお弁当の日にはひよこ型にした茹で卵を入れてくれました。図書館で借りた紙芝居を読んでくれることもありました。
放置子とは言えない範囲でした。
友達は多く居ましたし、当時は人付き合いに悩むことはありませんでしたが、友達の親からみたら厄介な子どもだったと思います。
それが環境からくるものなのか、私の性格の問題だったのか……。
昔を思い出すと
転校した先は荒れた生活環境の人が少なくない地域でした。私はごく普通の生徒でしたが、友人に荒れていた子がいたからか母は私の行動を強く制限するようになりました。私は母の病的な支配欲に負け、精神的バランスを崩すようになっていきます。
精神的に楽でした
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私は決してすごく不幸な子どもだったわけではありません。
もっと大変な環境に置かれる子どもがいることを知っています。
しかし、何かあった時に「親に話を聞いてもらいたい。甘えたい」と思ったことはありません。「言ったら責められる。怒られる。とにかく怒らせないように。今日の親の機嫌はどうか」と親の顔色を窺って生活していました。
虐待とは言えないレベルの放置子一歩手前の事例は多いのではないでしょうか。
私が放置子一歩手前だった体験を、ただ吐き出す記事でした。
終わり。
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