私の夫と三女は先天性の難病を抱えています。
遺伝子上の問題なため、根治はありません。
患者数が少ない病気のため、身バレ防止のために病名を伏せています。
この記事は、幼い三女が病気を自覚していくに伴い、母親の私が抱いた不安と迷いを、ただ吐き出すために書いています。
夫は足の爪がほぼ欠損しています。
手の爪はありますが、薬指が通常の爪に近い巻き爪である以外は、全て変形しています。
三女も同じ道を辿るだろうと専門医に言われています。
三女は夫からの遺伝、夫は母親から。
母親はその父親からの遺伝であったことがわかっています。
夫の母は変形、欠損している爪に大きなコンプレックスを感じて生きてきました。
人の目に触れやすい手の爪が、白癬菌に間違われやすい変形をしていることは、女性として受け入れがたいものだったのです。
幼かった夫とその母は都内の大学病院を回ったことがありましたが、病名の診断には至りませんでした。
当時は知られていない病気だったからです。
今でも、ほとんどの医師が文献でしか知らず、患者を診たことがないと言われています。
三女が生まれ、出産時に異常があったことから難病だったことを知ります。
三女と夫は日本で4か所しかない専門外来にかかり、軽度と診断されます。
軽度と言うと健康な方は「大した事ないんだ。」と思われますが、一般の方とは明らかに異なります。
とはいえ、軽度である幸運も感じています。
重い方々は想像を絶する苦労をされていますから。
病気が発覚してしばらくは悩みましたが、三女が三歳になった今は毎日の皮膚の処置に慣れ、常に頭の片隅にあるものの、思い悩むことは少なくなりました。
それもやはり軽度だからだと思います。
それでもたまに、グッと胸にこみ上げて、どうしていいかわからなくなる出来事が起こります。
それは三女の無垢な言葉で引き起こされます。
風呂上がりに専用のガーゼをあて、包帯をつけている最中のことでした。
三女は爪が欠損した足の小指を撫でながらいいました。
「爪がないねぇ。あーし(わたし)の爪はどこに行っちゃったの?」
つい先日、損傷が重なり変形した足の親指の爪が、根元から落ちたばかりでした。
欠損になるか、新しく生えて来るかはまだはっきりとはわかっていません。
足の小指の爪は2歳で欠損しました。
今の医療では再生できません。
爪を作り出す爪母という組織を他の指から移植すれば再生できますが、組織を含め皮膚の弱い病気なため成功するかはわかりませんし、移植するために取った指の爪は欠損しますので、意味がありません。
三女の言葉にドキリとし、どう答えようか一瞬迷いましたが、正直に答えました。
「三女は少し肌が弱いから、怪我を繰り返した時に爪を作る部分がなくなっちゃったみたい」
「あーしは肌弱いからねぇ」
定期的に通院しているからか、人より皮膚が弱いことは既に自覚しています。
「今は一度生えなくなった爪を直すことはできないんだって。でも三女が大人になるころには、医療が進んで再生できるようになっているかもしれないし、他の人から組織を移植することができるようになっているかもしれない」
医療や移植という言葉をどの程度理解しているのかはわかりませんが、このように伝えました。
「そっかぁ。爪もうないんだぁ」
「医療が進んでたら、ママの爪の組織をあげるよ。ママは爪がなくなっても全然いいんだ」
「ほんとう!? やったー!!」
「医療が進むといいね」
「うん!」
処置を終えると、三女は姉たちの元に行って遊びだしました。
三女は徐々に自分の病気を知り、自覚するとともに、思春期に入っていきます。
遺伝すること。
結婚や出産に関わること。
見た目に現れること。
運動の制限があること。
小学校に入れば、素直な子どもの言葉に傷つくこともあるでしょう。
夫が小学校高学年のころ、爪や体質に悩み、母親に当たってしまったことがあると言います。
人と違うことに悩み、気持ちを吐き出したら母親を傷つけてしまった。「気持ちを言葉にすると碌なことがない。」と夫は理解し、心にため込む性格になりました。
私はその話を聞いて、三女の気持ちを全て受け止めることを覚悟しました。
それなのに、三女のちょっとした言葉に動揺してしまいました。
表情や言葉には現れないように努めていますが、動揺する自分に嫌気が差すのです。
私と三女の会話を聞いていた夫は何も言わずに黙っていました。
胸を痛めているのは私だけではありません。
テレビを観ながら晩酌をして笑って、たくさん会話をしてその日を終えました。
いつもいつも思う、「私は弱い」
なぜ大きく構えて受け止められないのでしょうか。
もっと大変な思いをしている人たちにも、申し訳が立ちません。
甘ちゃんです。
あれだけの質問に動揺するなんて、どう考えても覚悟が足りていません。
これからたくさんあるのだから、慣れなければ。
不幸がるな。どれだけ恵まれていると思っているんだ。
親が動揺したら、隠していても子どもに伝わってしまうかもしれません。
感情を否定すると膨らみやすくなるので、まずは「母親が子を案じて不安になるのは当然。」と肯定します。
その上で、「子を思うからこそ、強くなれ!」と自分にエールを送ることにします。
あー、頑張ろう。
夫と三女の病気は重症度や型の違いにより、様々な身体的変化をもたらします。
手足の指の癒着、皮膚がんの発症、歩行困難、髪や歯、爪の異常、寝がえりさえ打てずベッドの上で短い生涯を終える方もいます。
平均寿命が30歳と言われている病気です。
夫と三女は軽度ですが、成人するまでは特に皮膚が弱いため、常に包帯をする生活をしています。
家の中であっても皮膚がずる剥け出血することがあります。
また、爪が欠損、変形していきます。
欠損した爪の回復はありません。
変形した爪は補正技術を施すことにより、一定の効果をもたらすことがわかっていて、私は資格の勉強をしています。
夫は足の爪がほぼ欠損しています。
手の爪はありますが、薬指が通常の爪に近い巻き爪である以外は、全て変形しています。
三女も同じ道を辿るだろうと専門医に言われています。
三女は夫からの遺伝、夫は母親から。
母親はその父親からの遺伝であったことがわかっています。
夫の母は変形、欠損している爪に大きなコンプレックスを感じて生きてきました。
人の目に触れやすい手の爪が、白癬菌に間違われやすい変形をしていることは、女性として受け入れがたいものだったのです。
幼かった夫とその母は都内の大学病院を回ったことがありましたが、病名の診断には至りませんでした。
当時は知られていない病気だったからです。
今でも、ほとんどの医師が文献でしか知らず、患者を診たことがないと言われています。
三女が生まれ、出産時に異常があったことから難病だったことを知ります。
三女と夫は日本で4か所しかない専門外来にかかり、軽度と診断されます。
軽度と言うと健康な方は「大した事ないんだ。」と思われますが、一般の方とは明らかに異なります。
とはいえ、軽度である幸運も感じています。
重い方々は想像を絶する苦労をされていますから。
病気が発覚してしばらくは悩みましたが、三女が三歳になった今は毎日の皮膚の処置に慣れ、常に頭の片隅にあるものの、思い悩むことは少なくなりました。
それもやはり軽度だからだと思います。
それでもたまに、グッと胸にこみ上げて、どうしていいかわからなくなる出来事が起こります。
それは三女の無垢な言葉で引き起こされます。
風呂上がりに専用のガーゼをあて、包帯をつけている最中のことでした。
三女は爪が欠損した足の小指を撫でながらいいました。
「爪がないねぇ。あーし(わたし)の爪はどこに行っちゃったの?」
つい先日、損傷が重なり変形した足の親指の爪が、根元から落ちたばかりでした。
欠損になるか、新しく生えて来るかはまだはっきりとはわかっていません。
足の小指の爪は2歳で欠損しました。
今の医療では再生できません。
爪を作り出す爪母という組織を他の指から移植すれば再生できますが、組織を含め皮膚の弱い病気なため成功するかはわかりませんし、移植するために取った指の爪は欠損しますので、意味がありません。
三女の言葉にドキリとし、どう答えようか一瞬迷いましたが、正直に答えました。
「三女は少し肌が弱いから、怪我を繰り返した時に爪を作る部分がなくなっちゃったみたい」
「あーしは肌弱いからねぇ」
定期的に通院しているからか、人より皮膚が弱いことは既に自覚しています。
「今は一度生えなくなった爪を直すことはできないんだって。でも三女が大人になるころには、医療が進んで再生できるようになっているかもしれないし、他の人から組織を移植することができるようになっているかもしれない」
医療や移植という言葉をどの程度理解しているのかはわかりませんが、このように伝えました。
「そっかぁ。爪もうないんだぁ」
「医療が進んでたら、ママの爪の組織をあげるよ。ママは爪がなくなっても全然いいんだ」
「ほんとう!? やったー!!」
「医療が進むといいね」
「うん!」
処置を終えると、三女は姉たちの元に行って遊びだしました。
三女は徐々に自分の病気を知り、自覚するとともに、思春期に入っていきます。
遺伝すること。
結婚や出産に関わること。
見た目に現れること。
運動の制限があること。
小学校に入れば、素直な子どもの言葉に傷つくこともあるでしょう。
夫が小学校高学年のころ、爪や体質に悩み、母親に当たってしまったことがあると言います。
人と違うことに悩み、気持ちを吐き出したら母親を傷つけてしまった。「気持ちを言葉にすると碌なことがない。」と夫は理解し、心にため込む性格になりました。
私はその話を聞いて、三女の気持ちを全て受け止めることを覚悟しました。
それなのに、三女のちょっとした言葉に動揺してしまいました。
表情や言葉には現れないように努めていますが、動揺する自分に嫌気が差すのです。
私と三女の会話を聞いていた夫は何も言わずに黙っていました。
胸を痛めているのは私だけではありません。
テレビを観ながら晩酌をして笑って、たくさん会話をしてその日を終えました。
いつもいつも思う、「私は弱い」
なぜ大きく構えて受け止められないのでしょうか。
もっと大変な思いをしている人たちにも、申し訳が立ちません。
甘ちゃんです。
あれだけの質問に動揺するなんて、どう考えても覚悟が足りていません。
これからたくさんあるのだから、慣れなければ。
不幸がるな。どれだけ恵まれていると思っているんだ。
親が動揺したら、隠していても子どもに伝わってしまうかもしれません。
感情を否定すると膨らみやすくなるので、まずは「母親が子を案じて不安になるのは当然。」と肯定します。
その上で、「子を思うからこそ、強くなれ!」と自分にエールを送ることにします。
あー、頑張ろう。