再構築7年目を迎えた私の実体験です。
再構築の締めくくりのような体験でしたので、記します。
離婚危機と夫婦再構築に到るまで
結婚12年が過ぎました。
結婚5年目に夫の裏切りがありました。
家族を蔑ろにして、妻である私への関心がなくなっていることがよくわかりました。
職場の人間関係に悩んだことがきっかけでギャンブル中毒に陥り、仕事と偽ってパチンコ屋に通っていました。
仕事と見せかけるために漫画喫茶に泊まり、パチンコ攻略動画を観て早朝から店舗に並びました。休日にも疲れを取るためにスーパー銭湯に行きたいと言って妻に送迎をさせ、実はパチンコ屋に入り浸っていました。
小遣いを使い果たした夫は、街金で借金をしました。
借金の返済を小遣いでするのは無理があり、昼食が満足に取れなくなりました。
それもこれも妻が厳しい金の管理をしているからだと夫は考え、益々私にきつく当たるようになりました。
毎月「会社で財布から金を抜き取られた」などと言って、小遣いの補填を求めてきました。
その時期、夫の小遣いが10万を超えることが少なくありませんでした。
夫は大抵不機嫌で、夫が家にいると私は緊張しました。
そんな生活が半年を過ぎたころ、夫は身なりを気にするようになりました。
家族で出かけようと言われて喜んだのも束の間、夫は私に服を選ばせて家計で購入し、帰宅するだけの日もありました。
子どもや私を思いやる気持ちが、全く感じられません。
夫はトイレにも風呂にも、スマートフォンを持ち歩くようになりました。
夫が帰宅したタイミングで夕食ができていない日がありました。
夫は腹を立てて、外で食べると言って出て行きました。
再度帰宅したのは、5時間程経った深夜でした。
どこで何をしていたのか聞きましたが、要領を得ない返答が返ってきました。
私は幼い娘二人の相手と、いつもピリピリしている夫の相手をすることに疲れ果てていました。
ある晩に上機嫌で帰宅した夫は、約半年ぶりに子どもたちを風呂に入れてくれました。
スマホをリビングに置いて。
私は初めて夫のスマホを盗み見ました。
案の定、複数の女性とのやり取りがありました。
仕事だと言っていた晩、女性と会っていたらしいやり取もありました。
手が震えました。
おぼつかない手で自分のスマホを取り、夫のLINE画面を撮影しました。
撮影を終えると風呂場に直行し、勢いよくドアを開けました。
「バカにしないでよ!」と怒りのまま叫びました。
子どもたちは驚いていましたが、衝動を止められませんでした。
それまで私は、家庭で感情的になることがありませんでした。
不仲な両親の怒号や泣いて叫ぶ声、激しい物音の中で育ったので、両親を反面教師にして自分を抑え、夫に感情的に何かを伝えたことは一切なかったのです。
私のあまりの変わりように、夫は何が起きたかを理解しました。
リビングに戻った私を、夫は素っ裸のまま、水を拭うことなく追いかけてきました。
リビングに水たまりを作りながら真っ青な顔色で、全裸です。
「風俗に行ったんだ」と自ら言いました。
一部始終を別記事にまとめています。
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夫はパチンコで勝った金で、本番アリの風俗とキャバクラに通うようになっていました。
出身校や趣味のスポーツなど、共通点が多かったキャバクラ嬢と仲良くなり、彼女を指名して何度も店に通っていました。
一緒にスポーツをしようと、LINEで盛り上がっています。
嬢は仕事として夫に接しているはずですので、どこまで本気かはわかりません。しかし見せかけではなく、夫を気に入っているように見えました。夫はイケメンと言われることが度々ありますので、気に入られることがあるのかもしれないと思いました。
私が気づかず二人が店の外で会うようになっていたら、危うかったかもしれないと感じました。
生涯愛し合い、共に生きると約束したはずの夫が、他の女性に惹かれている状況を目の当たりにする。これほど惨めなことはありませんでした。
自尊心も、夫婦で築いてきたもの何もかもが、見せかけで嘘だったのだと感じました。
そこにあるのは絶望より深い虚無でした。
どうやって息をしたのか、どうやって時間を過ごしてきたかもわからない日々が始まりました。
私は散々夫に当たり散らしました。
出産して睡眠がろくにとれない日でも理性で冷静を装ってきたのに、あの私はどこに行ったのか。
我慢してきた反動なのか。
他人から見たら惨めでヒステリーで、狂った女でした。
今思うと、自分を止めずに爆発してよかったと思います。
あそこで自分の感情を止めてしまっていたら、夫を本心から愛してやり直すことはできなかったでしょう。
私がこれまで勝手に溜め込んできた不満、裏切られた恨み辛み、続くはずだった未来への不安を、感情の波に合わせて疲れ切るまでぶつけ続けました。
夫は誤魔化すことなく受け止め続けました。
夫は青ざめて震えて泣きながら謝り、とことん私の話を聞きました。
私は昂ったり冷静になるのを繰り返しながら、夫婦の睡眠時間を削って、話し合いを続けました。
これらを数ヶ月と繰り返す中で、私は段々と“受け止められている”感覚になって行きました。
しかし感情の揺れは、数年の間なくなることはありませんでした。
フラッシュバックで荒れたり、荒れるほどではなくても思い出して一人で抱えていると夫がすぐに気が付くようになり、その度に夫が愛情を言葉と行動で示してくれました。
話し合いは夫婦を続けるにあたり、絶大な効果がありました。
夫に感情をぶつけまくったのと同様に、話し合いが十分にできていなかったら、夫婦は終わっていたと思います。
話し合いで夫は、私の言動を悪く誤解していたことに気が付きました。
そして自分がいかに愛されていたか、それを裏切ってしまったことに気が付き、深く後悔していました。私も夫の話を聞くことで、改めるべき言動があったことに気が付きました。
夫は酷い後悔に襲われて、私より痩せました。(それはそれで腹立たしかったです)
妻に弱音が言えない夫は少なくありません。言わない、言えない理由は様々です。〇 妻に情けない姿を見せたくない〇 男らしくいたいから〇 妻に聞き入れてもらえる気がしないから〇 言っても無駄だから〇 妻と会話をしないか[…]
夫の風俗が発覚し、大揉めに揉めた経験があります。パチンコ中毒に陥ったのちに、風俗やキャバクラ通いに発展していました。中毒期間に家族を蔑ろにしていたことが、悔しくて悲しくてたまりませんでした。その上、金の使い込みや風俗(ソ[…]
そうして夫婦再構築が進んで行きました。
発覚してから2、3年は離婚したい衝動に駆られることがありましたが、5年経つ頃には「再構築は完了した」と思うほどに落ち着いていました。夫のスマホを見たいと思うこともなくなりました。
夫のことが大好きだし、夫の愛情も強く感じていました。
あの離婚危機が夫婦の愛情を深めたと言っても過言ではないと、思うようになっていました。
夫婦再構築の後遺症
結婚10年目を迎える時、子どもたちを預けて夫婦で飲み歩きに行こうと計画していました。
しかし感染予防策として自粛が呼びかけられ始めた時でしたので、諦めました。
11年目も状況は変わらず、自宅で好物の寿司をとって酒を飲みました。
12年目の今年は感染者が増えているものの、外食の自粛が呼びかけられているわけではありませんでした。さすがに飲み歩くのはどうかと思いますが、昼食を食べに出るくらいであればできるのではないかと夫と話していました。
社内で感染者や感染疑いで休む社員が増えたこともあり、夫はしばらくまともな休みが取れていませんでした。
技術職で屋外作業もあるため、寒い中で過ごさねばならず腰を痛めがちでした。
決まった休みやシフトがある仕事ではないことや、当日急遽夜勤になることもある仕事のため、結婚記念日を祝う日と、記念日より前に、体を休めるための休みを別に取った方がいいと勧めました。
一度夫が、結婚記念日に休みを入れると言いました。
結婚記念日当日は子どもの習い事の送迎で遅くなる日でしたので、一日ずらしたらどうかと話しました。
夫はそこから中々休みを申請しませんでした。
結婚記念日が近づいても、何もしません。
記念日が近づくころには、休みは取れていないものの、早めに帰って来れるようになっていました。
記念日を二日後に控えてもまだ休みを入れていなかったので、体は大丈夫なのか、休みは取らないのかと何度か聞きました。せっついてやっと夫は、記念日の翌日に休みを入れました。
「記念日に何食べたい?」と聞いても「別に。何でも」と言われたり、「じゃあお寿司取ろうか」と言うと「寿司はなぁ」と否定的なことを言われました。
いくつか提案をしてもあまり乗り気ではない様子で、夫の目はずっとスマホのyoutubeに向けられていました。
「お祝いはしなくてもいいかなって感じ?」と聞くと、「そんなことないよ」と返事がありました。
「休みも入れる気がなかったみたいだから……」と言うと、「休み取ってほしくなさそうだったから取らなかった」と夫が言いました。
前述したように、私は以前から何度も休みを取るように勧めていました。
無理をして体を壊してほしくなかったからです。
しかし夫は、私が休みを取ってほしくなさそうだったと言います。
全く理解ができませんでした。
「記念日の一日前か後にずらしてほしいって言ったこと? その日は送迎で遅くなるから、ずらした方がいいって夫も言ってたよね? 記念日より前にも休みをいれた方がいいって何度も言ったのに……」
「あぁ……」
気のない返事が返ってきました。
「お祝いに食べたいものある?」
再度聞きました。
この時私は、お祝いが楽しみで仕方ありませんでした。
「別に。わかんない」
「……じゃあ、お寿司でいい?」
一か月ほど前から、美味しいと評判の地元の寿司屋の寿司を食べたいと言っていたのは、夫でした。
「わかんない。考えられない」
ああ、この感じ。
あの時と一緒だ。
7年前に、夫に蔑ろにされていた頃のことを思い出しました。
会話をしてもずっと暖簾に腕押し状態で、虚しい日々でした。
しかしまだ夫の嘘も裏切りも知りませんでしたので、「私は幸せな結婚をしたのだ」と思い込もうとしていました。
惨めな自分の姿が目に浮かびました。
あの時と今の私は同じ。
結局何も変わっていない。
結婚記念日で私一人が浮かれるなんて、バカだ。
下らない自分。気持ちが悪い。
負の感情が負の感情を呼び、膨れ上がりました。
夫の裏切り発覚以前なら、自分をコントロールして完全に抑えられていたのでしょう。
でもこの時の私は、「感情を爆発させる」ことを経験している私です。
感情を抑えても、いい結果にならないことを知っています。
妻が不満を溜め込んでも、夫は気が付きません。
妻が黙っていることに乗じて、横柄な態度をエスカレートさせるだけなのです。
そんな思考から、一口に言えば「幼い」私が全面に出てきました。
「祝う気がないなら、祝わなくていい。もう(祝うのは)やめよう」と言いました。
スーッと冷めていく感覚がありました。
本当にどうでもいいような気持になりました。
この人と相容れる夫婦なんて無理なのだ。
互いに自由にやればいいとさえ思ったのです。
なぜこんな人とやり直そうとしたのだろう。私はバカだと思いました。
夫は足音を立ててイライラをアピールしながら、普段は持っていく畳まれた洗濯物を放置して、寝室に行ってしまいました。
私は夕食の片づけと、翌日の準備を終えました。
夫の隣で眠るのに抵抗がありましたが、ソファーで寝て風邪を引いたら子どもたちの世話ができなくて困ると思い、寝室に入りました。
心が離れる夫婦の性行為
夫は布団に入ってスマホを見ていました。
私は声をかけずに布団に入り、寝ました。
暫くして夫の手が私の手を握ってきて、起きました。
夫なりに思うことがあったのだろうかと思い、手を握り返しました。
しかし夫はすぐに手をほどき、私の体を触ってきました。
「何だ。私に素っ気ない態度取っちゃったって反省したとか、仲直りしたいとかそんなんじゃなくて、性欲だったのか……」
結婚以来、夫の誘いは断らないようにしていました。
男性にとって性交渉を断られるのは、存在を否定されるような意味があると聞いたからです。
しかし断る妻の気持ちもわかります。
家事や育児、仕事で忙殺される中、夫の愛情を感じられなければ、命をかける出産に至るための行為=性交渉をしたいなど思えないのです。
自分が我慢すれば、夫と良好な関係を築けられる。
良好な家庭が作れると思っていました。
夫の裏切りが発覚する前に夫が私を蔑ろにしていた頃は、まるで性欲を晴らすための人形のような扱いだと思ったこともあります。
再構築以降は夫の愛情を感じるようになりました。
夫婦のコミュニケーションとして性行為は必要だと思い、再構築当初は辛かったものの積極的に持ってきました。
それでもこの晩は、「嫌だ」と思いました。
夫の手を何度か払いましたが、夫はやめませんでした。
ここで完全に拒否するか受け入れるか悩み、心のどこかで「楽しみにしていた結婚記念日前に決定的な亀裂を入れたくない」と思って人形になりました。
結婚記念日の再構築夫婦の不和
翌日は結婚記念日でした。
夫が休みを取ったのは記念日の翌日ですので、祝いをする予定はありませんでした。当日にしろ翌日にしろ、祝いをする気はなくなっていました。
晩に「結婚記念日前に決定的な亀裂を入れたくない」と夫を受け入れておきながら、祝いたい気持ちは微塵も残っていませんでした。
出勤する夫を送り出す時、キスとハグをするのが習慣です。
いつものようにこなしましたが、早く離れたいと思いました。
夫は晩に性交渉をしたことで「仲直りした」と思っていたようです。
私の態度を見て多少素っ気なさを感じたようでしたが、「12年間一緒にいてくれてありがとう。これからもよろしくお願いします」と言って出て行きました。
私は小さく頷きました。
その後夫から何度か、どうでもいい内容のLINEを送ってきましたが、私はスマホを触りたくなくて放っておきました。
ポツポツと涙が出てきて止まらなくなり、一頻り泣きました。
15時過ぎに夫から電話がかかってきました。
夫と話したいことなどありません。
無視するべきか迷いましたが、電話に出ました。
夫は仕事が早く終わったので、通勤で使っている自家用車から電話をかけてきたのです。これも習慣でした。
話したいことはありませんでした。
オリンピックのニュースを一つ二つ話した程度で、無言の時間が続きました。
自分がどれだけ「面倒な女」なのかはよくわかっていました。
でも何をどうしたいのか、自分でもわかりませんでした。
結婚記念日の祝い方と面倒なサレ妻の最期
子どもたちが小学校や幼稚園から帰宅して、夫も帰宅しました。
続いて私は、子どもの習い事の送迎をしなければなりません。
私がバタバタと準備をする間、夫は所在なくソファに座っていました。
いつも帰宅するとスマホでゲームやらyoutubeやらを見ていますが、それもありません。
子どもを連れて家を出る時、夫は弱ったウサギのような顔をして私を見ていました。
(猫好きな夫婦ですが、この時はうさぎっぽかったです)
(激似)
子どもを習い事に送り、一旦帰宅して食事を作り出しました。
夫は私の側に来て、「ごめんね」と言いました。
「体を心配して休みを入れたらと何度も言ったのに、休みを取らなかったのは私のせいだとあなたは言った。あなたはそういう人だ。パチンコ中毒に陥り、借金をして、私に嘘をついて金を出させ、風俗もキャバクラも通って女の子とやり取りしていたのも、私への不満が原因だとかつてあなたは言った。話し合いをして、仕事のストレスを私のせいだとすり替えて、私に当たっていたと反省していたけど、今回も私のせいにした。あなたは何も変わっていない。あれだけ裏切られたのに、すっかり信じてしまった私がばかだった。二度と祝いたいなんて言わないから安心して」
夫の裏切りを蒸し返したのは、恐らく2年か3年ぶりでしょうか。
「俺のこと好きじゃなくなった?」(夫)
「……そう見えるならそうだと思う。もう何も感じない。失望した。それだけ」(私)
「仕事で色々あって。またストレスを妻のせいにしてしまった」(夫)
「そうですか。あなたは変わらないね。もうどうでもいい」(私)
問題となった晩、夫は仕事の疲れを引きずったまま家に帰り、見たかったyoutubeをずっと見ていました。
自分の欲を満たしているときに私が話しかけたので、「うるさい」と感じたのでしょう。
休みを取らなかったのは単に面倒だったから。祝いの食事をどうするかの相談に乗り気でなかったのも、youtubeが見たかったからですが、それらを私のせいにしておけば、私を一時的に黙らせられると思ったのかもしれません。
そこに悪意はなく、咄嗟の行動だったのです。
しかしこの咄嗟の行動を放置するのは危険です。一時的に妻のせいにして黙らせることに成功してしまうと、やり方を覚えて次回も同じ手を使います。
繰り返すうちに妻のせいにした原因を忘れます。また、自分の言動を正当化するために「本当」と思い込み、自分の記憶を塗り替えてしまいます。
極たまにであればいいのですが、「人のせいにする」言動を放置するのは危険なのです。
これは私が夫と離婚危機を迎えた時に、学んだことでした。
それでも普段は「仕事で疲れているのだから仕方ない」と思うこともあるのですが、私にとって結婚記念日のお祝いは特別でした。
最近は夫の仕事が忙しく、ゆっくり共通の趣味の酒を飲むことが少なくなっていました。夫が休みを取るなら二人の時間を楽しめると舞い上がっていました。
すっかり夫も結婚記念日を一緒に喜んでくれるものだと思い込んでいましたが、祝いに乗り気でない夫に気付いたとき、苦い記憶と重なる言動もあって、一気に失望しました。
「……でも俺、前とは違うよ。家族のことをいつも思ってる。前とは絶対に違う」(夫)
口答えしてんじゃねぇよと腹が立ちましたが、確かに前とは違うことは分かっていました。
「『俺は怒ってるぞ』って態度で先に寝室に行ったよね。夜中に手を繋いでハグしてきて、何か思うところがあったのかと思ったら、単なる性欲かよ。愛情なんて感じない。一緒にいる意味も感じない」(私)
夫の誘いを受け入れた私もいけないのです。
その時にきちんと話ができていればよかった。でもできませんでした。
そして誘いに乗ったのは私なのに、夫のせいにしました。
私も夫も似たもの同士です。
「……」(夫)
夫が黙ったので洗面所に入り、洗濯物を畳もうとしました。
すると夫が洗面所に入ってきました。
「なに。ちょっとどいて」と洗面所から出ようとしましたが、夫が通せん坊をして、そのまま抱きしめてきました。
「もう嫌だよ。喧嘩なんてしたくないよ。俺は麒麟(私)がいないとダメなんだよ。愛してるんだよ。俺が悪かったよぉぉぉ……」と言って、オロオロという効果音がぴったりな声を出しながら、夫は号泣しました。
久々に夫の号泣を見ました。
抱きしめられながら「ぷっ」と声を漏らして笑いました。
無性に笑いたくなったのです。
夫は私が笑った意味が分からず、私がまた離れていくのではないかと心配になったようで、一層力強く抱きしめてきました。
夫が嘘をついているか本心なのかは、今の私にはよくわかります。
夫が号泣するほど追い詰められ、私の気持ちを確かめようとしている状況に安心しました。
何度も謝って「麒麟がいないと生きていけない」と泣いて話す夫を見て、「私は何を疑っていたんだろう」と思いました。
疑う必要がない物を疑っていたのだと気が付きました。
すると、すっかりなくなっていたように感じていた「夫と一緒に人生を歩む幸せ」「夫と結婚記念日を祝いたい気持ち」が一気に蘇りました。
「私は夫とやり直して(再構築して)よかったと思ってる。愛情が深まったと思ってる。片思いみたいのは嫌。愛情を感じてたい。一緒にお祝いしたかった。私ばっかり楽しみにしているみたいで、寂しかった」
そう言っているうちに涙がどんどんと流れてきました。
夫も「うん、うん」と頷きながら泣き続けました。
結局私は、夫が私のせいにしたとかそんなことよりも、夫の愛情を失うことが何よりも怖かったのだと気が付きました。
夫の愛がほしい。感じていたい。それに尽きるのです。
二人でハグをしながら泣いていましたが、夫の方が中々泣き止みませんでした。
「性欲かよって言われた……。愛情だもん」(夫)
「あの晩はそう思っちゃったんだ」(私)
と泣いて笑いながら話しました。
「俺、本当に前とは違うから」
「うん。わかってるよ」
涙を拭いたり鼻をかんだりして、ティッシュ箱が軽くなりました。
再構築7年目の結婚記念日
女性は負の感情の長期記憶に長けているといわれます。
もう大丈夫だと思っていても、何かのきっかけで呼び起こされることがあるのです。
厄介です。
でも……今回の私の子どものような面倒な感情を夫が受け止めてくれたことで、「もう大丈夫」だと感じました。
過去の夫と今の夫は違います。
人は変わるものだから永遠なんてものはないのだけど、よほどの変化を感じない限り、夫の愛情を疑うことはないでしょう。
夫が休みを取った結婚記念日翌日は、子どもたちが小学校や幼稚園に行っている間に夫婦でちょっといい店に行き、家で楽しめない酒を飲みました。
夜は寿司を取り、家族でお祝いをしました。
幸せでした。
夫婦再構築の締めくくりのような体験だと感じました。
私の幼さや恥部をさらけ出すような事実です。
どなたかの参考になりますように。
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