感性の衰えは加齢のせいなのか・感情の老化と自己を失う恐怖

感性の衰えは加齢のせいなのか

私は10代は物作りが好きで、絵を描き、木工作品を作り、文章を書いていました。
20代は文章に加え、何かを企画し、それを形にすることが好きでした。

心の中は常に何かを考えていて、考えることをやめられませんでした。

思考が心を追い詰めることもあれば、考え続けることで自分ではどうにもできない理不尽の答えが見つかることもありました。
精神的に塞ぎ込んだ時期にも、美しい景色や光を見ると、感動しました。

それが40代を目前にした今、減りました。

四六時中何かしら考えていたのに、心に、脳に、隙間ができました。
特に何も考えず、なんとなくネットを見たり、テレビを観るなどして空白の時間ができたのです。

感性の衰え

それと同時に、美しい夕焼け空を見た時に「美しい」けど「それだけ」と心のどこかで思うようになりました。

生きる時間が長いと、「どこかで見たことがある美しさ」だと感じて鈍感になるのか、単純に感情が鈍くなっているのかを考えます。

かつて創作活動をしていた時は、精神的に落ち込んでいるときの方が没頭できました。
感情のはけ口として作品に移すことができたからです。

社会に出て仕事に追われるようになると、創作活動をしなくなりました。
その頃SNSがはやっていましたので、そこに適当な文章を書いて、少ない創作意欲を発散しました。

結婚して精神的に落ち着くと、さらに創作意欲が失われて行きました。

やることはたくさんあるけど、脳は暇になりました。

精神的に落ち着いていくほど、生家への疑問が蘇り、親との軋轢についてじっくり考えるようになります。
このブログで度々、ドロドロとした感情を吐き出しました。

感情の消化

吐き出す行為や、聞いてくれる人がいる、大変な思いをしてきた人が他にもたくさんいることを知って、少しずつ消化されて行きました。
このブログは弱小ではありますが、少なからず読んでくれる人がいて、その存在に安心を感じるようになりました。

すると、文章でさえ勢いを持って書くことができなくなってきました。
怒りや苦しみといった、私の原動力になっていたものが消化されてなくなっているのです。

私にとって、絵も作品も文章もそれ自体が「好き」なのではなく、「伝える」「吐き出す」行為だったのかもしれません。

感情は私の感性に直結していました。

これは、感性の衰えだと感じました。

感性のピークと自己を失う恐怖

高校の美術科を受験する際、世話になった美術教師に言われたことが蘇ります。

「きっと今が感性のピークだよ」

美術教師は教師の傍ら個展を重ねている人でしたので、作品を作り続けていました。
年を重ねるごとに、感性の衰えを感じるのだと言います。

思春期はまさに感性のピークと、経験から語りました。

私は当時の美術教師の年齢になりました。

感情の揺れは疲れます。
敏感だったころに戻りたいとは思いません。

でも感性の衰えは怖いのです。

私が私らしさを失うような感覚です。

衰えた感性の表現力

感性の衰えについて調べてみると、音楽家や創作活動をしている方の実体験が出てきました。
やはり感情をのせる活動をしていると、感性の衰えを感じやすいようです。

同じように感じている方がいることに、ホッとしました。

彼らの答えは、「その時にあった表現をすること」でした。

若い時のような勢いや激しさがなくても、年を重ねたからこそ滲み出る、深い感性があるはずだという結論でした。

私は深い感性にはまだ遠く、どこまで行っても未消化な感覚がぬぐえないのだけど、今だからこそ出せる何かがあるのでしょうか。

感性は取り戻せるのか

感性を取り戻せるとしたら、若い頃感じたより、もっと大きなショックが必要なのかもしれません。
人生経験を重ねるごとに、対処法を学び、心への刺激は少なくなっていきます。

それを凌駕するほどの刺激です。
それは離婚や死別や、何か大きなものになるでしょう。

感性を取り戻すためだけに刺激を作ることなど、選んではいけないのです。
それこそ人生で得てきた大切なものを、失うことになりかねないからです。

若さへの憧れ

ふと想像すると、人はこういう衰えを感じた時に「若さ」を羨むように思います。

若い頃に戻りたくはないのだけど、あの時の勢いは羨ましく感じます。

老いるまでに長い時間が残され、いかようにも選べる未来があり、感性がある。
自分を振り返り、かつての可能性と爆発力を惜しく思うのかもしれません。

さらに想像すると、やたら若い異性を求める人は可能性のある若い子を手に入れることで、自分も若返った気になるのかなと。
私にはあり得ない選択肢ですが……。

つまり私は、感情の衰えに伴った感性の衰えを、受け入れるほかありません。

年を重ねるということ

年を取ることは、幸せなことです。

人は絶対に年を取れるわけではないからです。

年を取る幸せに並んで、学びと鈍りという変化が積み重なっていきます。
その重みが幸せなのかもしれませんね。

いつか私の文章にも、滲み出す何かが現れますように。

 

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