過干渉をする親は、“夫婦仲が上手く行っていない”、或いは“母親がもともと抱えていた精神不安が出ているケースが多い”ことについて個人的に考察する記事です。
母親から息子への過干渉例
親の過干渉に悩まされている男性がいます。
彼をAとします。
当時Aは20代中盤で、高身長で高学歴でした。
容姿端麗でお祭り好き。一見して異性にモテそうな人でした。
しかしずっと彼女がいません。
10代のころに彼女ができたことがありましたが、母親に別れるよう言われました。
反抗すると母親は酷く怒って泣き、収拾がつかなくなりました。
家にいても外にいても常に母親の監視があり、面倒になったAは彼女との別れを選びました。
Aは母親から逃れるために実家を出ようと思い、地方の家から通えない都内の大学を受験しました。
無事に大学に合格すると、母親はAについて行くと言いだしました。
家には父親と、高校生の妹がいましたが、母親は妹には関心がなく、Aにだけ執着していました。
Aは一人暮らしがしたいと言いましたが、母親は、子どもには母親が必要だと言いました。
正確には、「それらしきことを言っていた」です。
家に年下の妹を残す時点で言っていることが矛盾していますし、感情的でとにかく収拾がつかないので、母親の言うとおりにせざるを得ないと思い一緒に家を出ました。
また、母親がAを好きなことがよくわかっていましたので、母親を拒絶することは母を傷つけることになると思い、問題を先送りにしたのです。
大学に入り、それなりに充実した日々を送りました。
家に帰れば家事や食事は全て母親が世話をしてくれました。
母親はAの話しを聞きたがりました。
決まった女の子の名前が何度か出ると、相変わらず母親は荒れました。
Aが女の子を含めた友人達との集まりに顔を出すと、なぜか母親も現れて、その場にいる女の子に「男好き」「はしたない子」「早く帰りなさい」と言って帰らせてしまいました。
Aは母親に軽く「やめろよ」と言いますが、酷く反抗することはしませんでした。
母親が感情を荒げて面倒だからです。
Aの男友達の中でも、「Aの母親はヤバい」という噂が広まりました。
また、そんな母親を野放しにしておくAについても疑問を持ちました。
実際母親が女の子を追い払っているのを見た男友達は、「息子を男として見ているようだった。気持ちが悪い」と口を揃えました。
Aに母親をどうにかした方がいいんじゃないかと友人達がいいましたが、「昔からそうだから今更どうにもならない」と話します。
実家に帰れとか、出て行けと言うと、異常に泣いたり怒ったりするのだそうです。
それでいて「うるせえな」や「ばばあ」と言っても、「男の子だから仕方ない」と許されるのだとか。
Aの父親は何も言わないのか、妹はどう思っているのかについては、父親がどう思っているのかは全く知らないと言います。
Aの母親と父親は仲が悪く、夫婦が普通に会話をしている姿を見たことがないと言いました。
たまに見るのは、一方的に母親が父親に指示をして父親を動かしている姿だそうです。
Aと父親も、まともに話をしたことがありませんでした。
父は常に背中を向けていて、いてもいなくても気にならない存在だったと言います。
なぜそうなったのか、Aは知りませんでした。
Aは不満を感じながらも、金払いがよく、拒絶しなければ多少の暴言も笑って許してくれる母親の存在に安心している感がありました。
その後私はAと接することがなくなってしまいましたので、詳しいことはわかりません。
わかるのは、30代後半となっている今でもAが独身でいるということだけです。
母親から娘への過干渉例
小学生から知っているBさん(女性)の話しです。
Bさんは一人っ子です。
小学校のころから、母親に毎日のように自宅の机を調べられていました。
友達からの手紙を開けて読み、友達に母親が勝手に「もう手紙を送らないでくれ」と話していることもありました。
母親は人付き合いが得意ではなく、友達がいません。
近所付き合いも嫌っており、近所の人が挨拶をしても無視していました。
父親と母親が喧嘩をしているのをたまに見ましたが、頻繁ではありませんでした。
特別仲が悪いといった印象はありませんでしたが、仲良く会話をしている姿も見たことがありませんでした。
母親は度々、親戚と揉めていました。
Bの母親には生みの親と育ての親がいて、産まれて間もない頃に養子に出されたそうです。
どのような経緯で養子が整ったのかはわかりませんが、育ての親に子どもができなかったためにもらわれたのだと聞きました。
育ての親はBの母親が生みの親と会うことを嫌い、生みの親は育ての親を非難しました。
「他方の親と付き合うなんて、あんたはおかしい」とBの母親が言われているのを、Bは何度か見ています。
小さい頃から板挟みになっていたBの母親は、引っ込み思案で人付き合いが苦手になったようでした。
母親はBの友達付き合いを制限し、手紙、日記などを全て盗み見しました。
Bは自室の色々なところに隠しましたが、クローゼットの奥も机の鍵も破られてプライベートがありませんでした。
おもちゃや筆箱なども、母親が勧めるものにしなければなりませんでした。
読む漫画や本も決められました。
不要な物をバザーで売ろうとしたときは、「貧乏人と思われる」といって酷く叩かれました。
小学校の一時期は、Bは盗癖のような症状を出したことがありました。
私が祖父母からもらったばかりのペンケースが、自宅からなくなりました。Bを含めた友人達を家に招いた後に見当たらなくなっていました。
ある日Bに招かれ部屋に行くと、ふとBが開けた引き出しにペンケースが入っていたことがありました。
あ!! と思いましたがBは焦ったように急いで引き出しを閉めてしまい、異様な空気にそれ以上何も言えませんでした。
翌日か翌々日に、ペンケースは近くのドブに捨てられていました。
その後Bは私の悪口を言うようになりました。
「私より後に転校してきたくせに生意気」という、よくわからない悪口でしたが、数人の友人がわざわざそれを私に伝えて来るので知ってしまいました。
ちょっと嫌だなと思いながらも、いつも通りに接していました。
中学校になると、Bは驚くほどの変貌を遂げました。
それまでは人の悪口を言ったり、私以外の人の小物を盗るなどしていましたが、とても愛想がよく、人に同調する優しい子に変貌しました。
近所でも挨拶を無視する母親を庇うように、溌溂とした挨拶を返し、積極的に世間話をして、近所の子どもたちと遊ぶようになりました。
最初はパフォーマンスかと思っていましたが、話してみると心の底から変貌を遂げたようでした。
Bを悪く言う人はいなくなりました。
Bは母親が世間からどう思われているか、自分がどう振る舞ったら困らないかということを理解し、より良い方向へ変えようとしているように見えました。
しかし過干渉はまだ続いていました。
高校時代、アルバイトを母親が決めてきました。
Bは小言を言いながらも従いました。
進学し、資格を取って働きだしました。
就職先は母親が指定した施設の内から選びました。
そしてお金を貯めると、有無を言わさず家を出ました。
時々母親が職場を覗きに来ましたが、部外者が入れない施設だったため特別害はありませんでした。
Bは連絡を完全に断つことはせず、母親の話しを聞き、理解する姿勢をとっていました。
いい人と出会い結婚を決めると、より実家から離れたところに移り住みました。
幸い母親が求める学歴や人柄があったため、結婚には反対されずに済みました。
今は二人の子どもに恵まれ、落ち着いた生活をしています。
夫婦仲と精神不安が与える子どもへの影響
母親が過干渉の場合は、父親と関係が上手く行っておらず、ストレスの矛先が子どもに向かってしまうケースが多いように感じます。
母親がもともと持っている精神的な不安が、子どもに向かっているケースもあります。
毒親かどうかは関係なく、親の心は子育てに如実に影響すると考えます。
子どもの世話が生きがいになっており、子どもが自立することで孤独になることを恐れている。
夫婦間の問題から目を逸らしたくて、子どもを理由にしている。
子育てに失敗したら、母親が責められるという不安を抱いている。
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性的な関係になることはなくても、成人した息子の身体を洗いたがる母親でしたし、他の女性に敵意を向けることからも異常さがうかがえます。
Bはある時を境に、母親を庇い、ケアする立場に変わりました。
毒親育ちが考える原因と解決策
親が変わってくれると期待しないこと。
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