実の親を知らない高齢女性が「私は幸せ者」と言った理由

90歳になる私の祖母は、実の親を知りません。

祖母は中学生の頃、親戚が漏らしたことにより親が実の親でないことを知りました。

祖母は事実を知ってしまったことを、両親に隠して生活しました。
後に結婚した夫には話しましたが、子どもたちにも知らせることはありませんでした。

そして90歳となる今、孫である私に話しました。

祖母は「言う必要がなかった」「実の親の顔を知っていることと、幸せかどうかは別の問題」「私は幸せ者」と言いました。

これらについて、備忘録もかねて記します。

実の親を知らない高齢女性の話

私の祖母は昭和初期の生まれです。

身体が弱かった祖母は、幼い頃から度々体調を崩しました。

その度に両親は幼かった祖母を抱えて隣町の医院まで運んだり、看病をしました。

祖母は小学生から中学生になるころに、第二次世界大戦を経験しました。
長崎で被爆をして、足に酷い怪我を負いながら避難生活を送りました。

関連記事

私の祖母は長崎の原爆、祖父は東京大空襲を経験しています。孫の私が聞いても直接語ることはありませんでした。しかし口を噤むのではなく、手紙という形で知らせてくれました。当時普通の小学生、中学生だった祖父母が体験した戦争を知っていただ[…]

父親は容姿がよく、女性にとてもモテました。
女癖が悪い父に、母は頭を悩ませました。

祖母は、父親のことを「仕様もない人」と思いながらも、嫌いになれませんでした。

原爆で怪我をした足の治療に役立つ情報を探してくれたり、食料を調達したり、戦後も技術を生かして厳しい時代を乗り切り、家族を支えてくれたからです。

父親を悪く思わないのには、母親の存在も大きく影響しています。

母親は父親の女癖に悩んでいましたが、祖母に当たることもなく、祖母に一身に愛情を注ぎました。
一番の理解者で、支えでした。

祖母は被爆後、歩いて3時間かかる山を越えた先にある親戚の家に世話になっていました。
両親は被爆した家と親戚の家を往復して物を調達したり、新たな家を捜して歩きました。

祖母は親戚の家で待っていたのですが、このころ親戚から両親と血が繋がっていないことを知らされました。

結婚後、子どもが授からなかった両親は悩んだと言います。
その後父親が子どもが作れない身体であることが分かり、里子をもらいました。それが生まれたばかりの祖母だというのです。

親戚は「女遊びばかりしているから子種がなくなったんだ」と父親の噂をしました。(昭和中期に男性不妊がどの程度知られていたかは不明です。子種がないというのも医療的な根拠があったのか、親戚の噂だったのかもわかりません)

祖母は多感な時期に、両親と血が繋がっていないことを知りました。

里子である事実を隠す理由

私が祖母からこの話を聞いたのは、施設に入った祖母と、電話で話しをしている最中でした。

世間話から祖母の父親の話になりました。

「女遊びが凄く激しくて、家に帰ってこないこともある父親で……」と話す祖母。
祖母の父親は容姿が良く、女遊びが激しかったというのは、以前にも聞いたことがありました。

祖母は肌が白く目鼻立ちがハッキリとしていて堀が深い、ヨーロッパ系の白人に近い容姿です。
孫の私から見ても美人です。これらは父親譲りなのかと思っていました。

私が「そんなに女遊びが激しいと、外に子どもを作ったりしなかったの?」と聞くと、「父親は子種がない人だったから、作る心配がなかったのよ。母親もその点は安心していた」と祖母が答えました。

私:「子種がないなら、おばあちゃんも産まれないじゃん」
祖母:「あ、そうよね。そう思うよね。……そうなのよ。あなたの親にも言ってないんだけどね、私は里子で、本当の親の顔を知らないの」

私は祖母と亡くなった祖父とは仲が良く、これまでたくさんの話しをしてきました。
しかしこの話しを聞いたのは初めてでした。

私:「へぇ、知らなかったよ」
祖母:「わざわざ言う事じゃないから、麒麟(私)と息子(私の叔父)夫婦しか知らないの。だから他の人には言わないでね」

叔父夫婦は、数年前に祖母が施設に入る際に手続きをして、知ったようです。
施設に入所する際に必要となる戸籍謄本に、記録が残っていたためです。

私は3人の子どもを育てる親です。
親になる前もそうですが、親になってからの方がずっと、虐待などのニュースに胸が痛むようになりました。

その度に「血の繋がりがあることで、安心してしまう親が多い」ことを痛感しました。

親の務めを果たさないまま「俺(私)は親だ。子どもは親の言うことを聞くものだ」と、理想を押し付けたり、子どもの意思を蔑ろにする親が少なくありません。

子どもはどんなに悪い親でも、本能から親を求めてしまいます。
自分で生きていく力が備わるまで、嫌いになりたくてもなれないのです。それを親はわかっているから、努力を怠ります。

しかしステップファミリーや里親として血のつながらない子の親になる人は、血のつながりに甘えられない分、子どもをよくみて接し方に悩んだり、試行錯誤をします。

血のつながりに関係なく、親とは本来そうあるべきものだと自戒を込めて感じるのです。

実の親に育てられたから幸せだとは限りません。
同時に、血が繋がらない親に育てられたからこそ、幸せを感じられる子どもがいるはずだと想像していました。

私:「私は親になるのに、血のつながりは関係がないと思うんだよね」
祖母:「そうね。本当にそう。だけど周囲に話すと、『かわいそう』だと思われたり、どこの誰だかわからない実の親を怒って責める人もいるから、そういうの面倒なのよね。だから言わないの」

実の親に会いたくない理由

祖母は、事実を知ったことを親に隠しました。

親戚から親に「話した」ことが伝わったのかどうかはわかりませんが、両親も態度が変わることはありませんでしたし、親から事実の告知がされることもありませんでした。

私:「親にどんな経緯で自分が引き取られたかを聞いたり、血のつながった親がどこのだれか聞いたことはなかったの?」
祖母:「ないよ。何も変わらないのに、知ってどうするの。聞きたいと思ったことは一度もない」

祖母が事実を知ったのは、1950年より前でした。

1987年に特別養子制度(参考)が成立しています。
条件を満たせば戸籍上も実の親として記されますが、事実の告知は必要であり、子どもは血のつながった親を知る権利が守られています。

祖母のように親以外から事実が漏れ知れた場合に傷つき悩まないよう、また、出生を知りたいと思う子どもを尊重するためにできた制度なのでしょう。

私:「里親制度や精子提供で生まれた子は、実の親を知りたいと悩む子がいるみたいだよ」
祖母:「知ってどうするのかしらね。いい親とは限らないのに。私は育ててくれた両親が唯一無二の親だと思ってる。血がつながった親に興味はなかったわ」

祖母は90歳になりますので、若い頃に悩んだとしても忘れているのかもしれませんし、今とは違って調べる手段が限られている時代でしたので、知りたいと思ったところでどうにもならなかったのかもしれません。

事実を知ったのは戦後の混乱期でしたから、生きていくのに精一杯だったという環境も影響しているでしょう。

当時は生きていくのが難しいほど、貧しい生活をしている子どもたちが多くいました。
親戚間や知人間で養子をもらうことが少なくなかったことも、影響しているかもしれません。

祖母:「育ててくれた両親が愛情をすごくくれたからね。それで十分だったのよ」

産みの親と育ての親がいる幸せ

祖母の話しを聞いて、私は幼馴染を思い出しました。

私の幼馴染の女の子は、一人っ子です。
まじめで静かな両親の元に育ちました。

幼馴染の父親には、4人の親がいました。
親戚間で養子として引き取られ、育ての親の元で育ったのです。

子どもの頃は産みの親と会うことはなかったそうですが、大人になって育ての親の家を出てから、産みの親と連絡を取って会うようになりました。

産みの親は進んで子どもを手放したわけではなかったようです。
詳しい理由はわかりません。

育ての親と産みの親は、仲が良いとはいえない関係でした。

父親が結婚をして子ども(私の幼馴染)が産まれると、お食い初め等の行事に双方の親が参加をしたがりました。

育ての親は産みの親をなぜ呼ぶのかと怒り、産みの親は「私が本当の親だ」と育ての親を黙らせようとしました。

この争いは産みの親と育ての親の間に限らず、父親とその妻の間にも影を落としました。
双方の親が妻に連絡をしてくるなどして、妻にストレスをかけたのです。

子どもである幼馴染は、「私のお祝いがある度に喧嘩になるのが悲しい」と話していました。

当時小学生だった私と幼馴染は、「お父さんは4人の親から大事にされて幸せ者だよね。なのに何でこんなことになっちゃうんだろう。皆で仲良くしたらいいのにね」と話していました。

実の親を知らない高齢女性が「私は幸せ者」と言った理由

私は小学生の娘から、「私はパパとママと血が繋がってるんだよね?」と聞かれたことがあります。

「血が繋がってるし、顔も似てるでしょ」と答えると、「よかったー」と言います。

なぜそんなことを聞くのかと訊ねると、「聞きたかっただけ」と言われました。

私も小学生から中学生くらいの頃、両親の本当の子どもか確認したくなったことがありました。
気性が激しい両親に悩んでいたので、本当の親は違うところに居るのでは、と思ったのです。結果は実子でした。

血のつながりが怖く感じることがあるのですよね。
私も親のようになるのではという恐怖が、今でもあります。

娘には「血のつながりは親である証明にはならないんだよ。血のつながりに甘えてしまって親になれない親がいるし、血がつながっている親より子どもを愛する親もいる。それこそが本当の親だと思う」と伝えました。

綺麗ごとかもしれませんが、血のつながりは親子の証明にはならないと思えるのです。

祖母は「私は両親に愛されていたし、おじいちゃん(祖母の夫)と出会って結婚して大切にしてもらって、子どもが3人も産まれてちゃんと育ってくれた。良い施設に入って暮らしに困ってないし友達もいるし、子どもたちや孫が頻繁に連絡してきてくれて、私は幸せ者よ」と言いました。

(祖母と私の母(祖母の娘)の関係は拗れていますが、総じて幸せな人生だと言っていました)

答えは人によって違います。
出生を知る権利は守られて当然だと思います。

しかし、血のつながった親がいるかいないか。親がどこの誰かを知っているか知らないか。
それが人生を決定づけることはないと、祖母が証明したように感じた一件でした。

 

関連記事

これは私と私の母と、その母の、三世代の母娘の実話である。関係はよくない。母と娘の関係について、事実をただ書く記事である。【毒親育ち】祖母と母と私母は結婚当初から、度々実家に帰っていた。私や弟が産まれてからも大[…]

関連記事

私は母が苦手です。これまでこのブログで私の生い立ちや母への疑問を吐き出してきました。結婚し、子どもが産まれて初めて、母を理解できた部分もあります。それでも母の言動を思い出すたびに、「なぜ?」と思わずにはいられないエピソー[…]

関連記事

犯罪とは、法によって禁じられ刑罰が科される行為を指します。14歳未満の者は刑事責任能力に欠けるとされているため、犯罪と同等の行為を働いても、「犯罪に該当する行為」という言い方をされます。事件は不可罰となり少年事件として処理されます。[…]

最新情報をチェックしよう!