話し合いができないことが原因で、婚約を破棄した経験があります。
結婚後、話し合いができる人だったはずの夫と、話し合いにならない時期がありました。
その後離婚の危機を迎えて互いに改め、今は良好な関係を築いています。
周囲には「話し合いができない夫婦」が多く居ることに気が付きました。
自身、周囲の実例から原因と対策を考えます。
話し合いができない夫婦の実例①ー不仲の両親
私の両親は非常に激しい気性の持ち主です。
両親は毎日早朝から晩まで、飽きずに喧嘩をしていました。
両親は冷静に言葉を発することができず、話し合いもできませんでした。
「自分が正しい。だから従うべきだ」と主張する場を「話し合い」と勘違いし、喧嘩に発展していました。
自分が言い負かされそうになると、過去の話しを持ち出して「あの時あれほど大変な思いをさせられた。悪いと思わないのか」と相手に罪悪感を抱かせ、優位に立とうとしました。
感情で多くの話しを持ち出すので、話の筋が通らず矛盾だらけでした。
矛盾を突かれると、母は泣いて喚いて威圧しました。
父はそんな母に苛立ちを募らせました。
大声を出し物に当たり、暴力をふるいました。
母にとって話し合いは「自分が勝つ」ことが目的で、終着地点でした。
相手の話しを聞く姿勢は全く持っていません。
高齢となった今でも、二人は同じことを繰り返しています。
話し合いができない夫婦の実例②ー婚約破棄
私が20代後半のころの話しです。
4年間付き合った彼氏と両家の顔合わせを済ませ、結婚の届けを出す前に同棲を始めました。
結婚が目前となり、彼は態度を一変させました。
仕事は私の方が多忙で、稼ぎも彼よりありましたが、家事は当然のことのように全て私がやることになりました。
家事をしてほしいとお願いすると、「家では母親がやっていた」と女性が家事をするのが当たり前だという発言をされました。
「家事が嫌ならやらなければいい」と言われましたが、彼はゴミをゴミ箱に入れられず床に捨てるので、煙草のフィルムやティッシュのゴミが散乱して足の踏み場がなくなり、私が拾わなければなりませんでした。
また、手を洗ったり顔を拭くたびにタオルを洗濯に出すため、あっという間に洗い物が溜まりました。
「使えるタオルがない」と不機嫌に私に言って、暗に家事をすることを求めました。
金曜の晩、彼は毎週昔からの仲間と遊びに出かけ、深夜に友人達を連れて帰宅しました。
開いている部屋に籠り、日曜日までマージャンをし続けました。
私が声をかけても無視されていました。
彼の母親が3日に一回は物を持って訪れました。
私が食事を作っている時にも彼に「今向かっている」と連絡が入ります。
暫くして何の声かけもなく彼が玄関から出ていきました。
すぐに物を持って帰って来ましたので、母親から差し入れをもらったのだとわかりました。
台所仕事の手を止めて「挨拶する」と言いましたが、「もう帰った。俺が出ていくのに気付くべき。出ていくってことは母親が来たってわかるだろう。挨拶もなく帰らせて、母親に失礼だ」と怒られました。
家事をしているのだから言ってくれなければわからない。なぜ声をかけてくれないのかと言っても「お前が悪い」の一点張りでした。
彼は私と暮らすまで実家暮らしでした。
母親への態度が悪いことは知っていましたが、私には優しかったので、母親への態度をとがめることくらいしかしていませんでした。
一緒に暮らしだし、私を母親と同一視しているのだとわかりました。
何度も話し合おうと持ち掛けました。
「このままでは一緒にはいられない。私の負担が大きすぎるし、対等ではない」と何度も訴えました。縋るような気持でした。
「麒麟は俺が嫌いなの?」と聞かれます。
好きだと答えると、「それじゃ問題ないじゃない。解決してる」と言われて話になりませんでした。
彼にとって、愛情は免罪符のようでした。
愛があれば受け入れるもの。許されるものと思っていたようです。
婚約してしまえば、私が離れていくことはないと安心して、本性を現したようでした。
両親に婚約を破棄すると伝えた上で、「もう無理。出ていく」と彼に伝えました。
彼は驚き「別れるのか。俺が好きじゃないのか」と聞くので「わからない。とにかく一緒にはいられない」と伝えると、「一度家を出たら俺の親が許さない。別れたくないなら出ていくな」と言われました。
こんな脅し方しかできないのかと呆れ、家を出る準備を進めました。
引っ越し当日「さようなら」と言った私に「麒麟は俺から離れられないはずだ。必ず戻ってくる」と言いました。
それが彼との最後の会話になりました。
彼にとって、「話し合い」は存在しないものでした。
彼の両親もまた話し合うことをせず、仮面夫婦でしたので、話し合うモデルケースを全く見ていないようでした。
話し合いができない夫婦の実例③ー夫とすれ違う
話し合いができる人
婚約破棄をしたのちに夫と知り合いました。
夫には私の状況を話していました。
結婚願望を全く失っていた私に、結婚願望を持った彼は何度も話し合いを持ち掛けました。
当時仕事が多忙を極めていて、婚約破棄をして疲れていたこともあり、物事を深く考えられていませんでした。
「話し合おう」と言われると、心を覗かれるようで怖かった覚えがあります。
夫に「こんなことを言ってもいいのだろうか」と躊躇いがありました。
夫が何度も聞き出そうとしてくるので、これ以上黙るわけにはいかないと心の内を絞り出しました。
夫は受け入れ、待つと言ってくれました。
受け入れられている実感がありました。
夫の希望も分かっていましたので、私も夫を聞き入れなければと思いました。
そして婚姻届けを出すに至りました。
話し合うとは、受け入れあうことなのだと知りました。
話し合いが攻撃になる時
私は結婚前から体調不良があり、病院にかかっていました。
結婚後、夫と義母の勧めもあり退職をすると、夫は自ら給与口座を任せてくれました。
子どもが産まれ暫く経つと、夫と気持ちのすれ違いが増えました。
主にはお金の使い方について険悪な雰囲気になりました。
裕福な家庭で育ち独身時代が長かった夫は、お金が自由に使えないことに苛立ちを抱えるようになりました。
バイクや車で頻繁に数十万の出費をし、同僚との旅行で10万単位の出費を繰り返しました。
独身時代でも苦しくなったであろう出費を続けました。生活が苦しくなりました。
私は出費を求められるたびに、嫌な顔をするようになりました。
その顔に夫も苛立ちを募らせていきました。
私が幾度か話し合いをしようと持ち掛けましたが、夫は黙り込むばかりで無視をしてくるようになりました。
そのまま数ヶ月の月日が経ち、夫のパチンコ中毒とキャバクラ、風俗通いが発覚します。
私が怒りを爆発させて離婚を求めると、焦った夫は私に向き合うようになりました。
しかし今思えば、私がお金のことで夫に話し合いを求めた時、自分がいかに正しいことを言っているかを主張し、夫を黙らせ、従わせるかしか考えていませんでした。
金使いを改めてもらわないといけなかったのは確かですが、全く譲る気がないまま求めた話し合いが成り立たないのは、当たり前のことであったと今は思います。
話し合いができるように戻った今
私が大暴れしたことをきっかけに沢山の話し合いを重ねました。
主張はしますし、大きな怒りも抱えていましたのでそれも散々ぶつけましたが、私が勝つこと、夫を負かすことが目的ではありませんでした。
どちらが正しいとか、間違っているではなく、お互いがどうしたいのかの折り合いの付く地点を探したり、理解しようと努めるのが話し合いの場だと思い出しました。
話し合いの中で、お互いの取っていた行動を誤解していたことが発覚しました。
思いやりからとっていた行動が、全く逆の意味に捉えられていたこともありました。
お互いの認識のずれに驚き、お互いの気持ちを聞きあっていく中で「俺は何もわかっていなかった」と夫が言いました。
それからは夫が驚くほど変わりました。
その時の話を書いている記事☟
夫の変化を見て、私も自分の主張ばかりではいけないと感じました。
話し合いで夫は「麒麟はいつも正しいことを言う。俺が間違っているのはわかっていた」と言いました。
確かに私は間違っていないと思っていました。
だからと言って、夫の希望を全て潰してよいわけではないと気が付きました。
夫が不必要な物を家計で買ってくると、それまでは金額を気にしていましたが一緒に楽しむようにしました。
食品の買い出しに付き添ってもらい、財布を任せてどれだけの出費があるかを肌で感じてもらいました。
夫は未だに金遣いが荒いですが、小遣いの範囲内でやりくりをするようになりました。
少しずつの歩み寄りでも、「受け入れられている」実感が双方あるので、不満が大幅に解消されていきました。
話し合いができない夫婦の実例④ー有責夫とサレ妻の話し合い
ある夫婦のケースです。
夫の不倫が発覚しました。
妻は大きな悲しみと怒りに呑まれました。
妻は離婚を求めましたが、夫は妻を愛していると言い、離婚を拒否しました。
妻もまた夫への愛が残っており、怒りをぶつけながらも夫婦を続けていました。
発覚から一か月以上が経っても妻の怒りはおさまりませんでした。
それだけのショックを受けているのですから仕方がないのですが、再構築をするのであれば夫婦で向き合って話しをした方がいいと勧めました。
しかし妻は夫を責めることしかできません。
その根底にある愛情を伝えることはできませんでした。
裏切られた悲しみとプライドが邪魔をしていました。
妻は夫が縋って来るのを求めました。
どれだけ拒絶しても求めてくる姿を見て、安心したかったのです。
夫は言葉では「愛している。離れたくない」と言いましたが、妻が責める度にため息をつき、大抵の場合黙ってしまいました。
何か言えと求められたときにやっと、「何度も言ってるのに」と前置きをして話し出しました。
妻はそれが気に食わず、夫が本当に自分を必要としているのかが実感できませんでした。
また意にそぐわない話があると、双方とも話の途中でも否定して遮っていることも問題でした。
相手に聞き入れる姿勢がないとき、「理解してほしい」という思いから攻撃に転じやすくなり、事態は悪化するばかりでした。
私は双方から相談を受けていました。
妻の感情が激しく揺れる波の中で、たまに訪れる落ち着く時間にだけでも「夫を愛しているからこんなに辛いのだ」と夫に伝えた方が良いと感じました。
夫は傍目から見ても自発的な発言が少なく、字面ではしっかりした返答をしながらも、心が感じられませんでした。
自分が蒔いた種なのだから、妻と同じようにボロボロになって縋り、心の底からの妻への愛を伝え続けるべきだと思いました。それを妻も求めていたからです。
これらのことを伝えました。
攻撃や防御、プライドを捨てて話しを聞きあうのが話し合いであり、話し合いができなければこのまま悪い状態が続くばかりなことも伝えました。
双方の話しを遮らないことなどを求め、感情の根底を出し合って話し合うよう言いました。
しかし夫から返って来たのは「話し合いってどうやってやるんですか」という問いでした。
夫は私に「何を言ったらいいかわからない」「どうして妻が俺の気持ちをわかってくれないのかわからない」と言いました。
どうしたら伝わるのかわからないことも、それでも妻を愛していることも、湧き上がる不安も後悔も全て伝えて、妻の本心を聞き出すよう言いました。
自分の弱い部分を出さなければ、相手も強がるばかりだからです。
しかし夫も妻も自分の弱い部分を言葉にして伝えることができませんでした。
夫婦共に、話し合いがどういうものかわかっていませんでした。
夫にとっても妻にとっても、話し合いは自分の意見を通す場だと思っていました。
不倫が発覚して揉めるまで、話し合いを一度もして来ていなかったのです。
何か問題があった時、どちらかが怒ってどちらかが黙る。又は男性を立てるべきだと学んできた妻が譲ってきていました。
不満をぶつけあうこともせず、他人に愚痴を言って過ごしてきました。
向き合わずに生活してきたツケがここで出ていました。
妻の両親は意思疎通がうまくいかずに離婚しています。
夫の両親もまた、父が母を言い負かすので、母は父の前で言葉を発しない家庭でした。
話し合いが何たるかをわからないまま大人になり、話し合えない、二人の答えを見つけることができない夫婦が出来上がっていました。
話し合いができない原因
話し合いができない原因の多くは、話し合いがどういうものかのモデルケースを知らないことにありました。
話し合いができない人の多くで、その両親もコミュニケーションが取れていませんでした。
両親がコミュニケーションを取れない背景には、「女は男に従うもの」という文化が根底にあるように感じられました。
女性は社会的立場が弱く、離婚をしたら生活ができない時代が長くありました。
理不尽なことを言われても、我慢して耐えるもの。という意識が植え付けられていた世代があり、大抵妻が不満を抱えたまま夫の意見を尊重しなければなりませんでした。
妻は意見することを諦め、夫婦で話し合う場は持たれませんでした。
私の夫は穏やかな両親のもとで育ちました。
経済的にも安定しており、精神的にゆとりがありました。
義父は義母の希望を聞き入れ、自由にさせていました。
そんな両親を見て育っている夫は、人の話しを聞く姿勢を持って育ちました。
そんな夫でも私に「言い負かされる」と感じて「言っても無駄だ」と思い、無言の抵抗をした時期があったわけです。
私は話し合いができない両親のもとで育ちましたが、たまたま自分の考えを伝えたり、人の考えを聞いて折り合いをつける製作の場にいましたので、経験をする中で少しずつ学ぶことができていました。それでもまだまだ未熟でした。
人の言葉を受け入れるということがどういうことなのか、体験すればすぐにわかります。
その心地よさに、「話し合い」の良さを感じることができるでしょう。
ディベート文化の必要性
日本には相手の気持ちを推し量り、想像をして気遣いをする文化があります。
「空気を読む」というものですね。
根掘り葉掘り聞くのは失礼にあたると教えられ、本心を言うことも聞くこともなく育ちます。
相手の気持ちを想像しますが、自分の感情が基本となりますので、的外れな認識をすることがあります。
相手を思いやっての行動であっても、相手からすると的外れな行動をされる意味が分かりません。時には反感を感じることさえあります。
すると、思いやっていたはずの立場でも「こんなにやってやっているのに感謝がない」と怒りを感じることがあります。
こうやって生じた擦れ違いは話し合いをすることで解決します。
しかし日本にはディベート文化がなく、自分の考えを言葉にする習慣がありません。
人の思考を聞き入れる訓練もしていないので、話し合いをしようとするとストレスが溜まります。
慣れないストレスの中、自分が意を決して気持ちを言葉にした時に違う意見を言われると「否定された」「攻撃された」と感じ、自分を守ろうとして攻撃に転じることがあります。
目の前に相手がいるのに、いつまで経っても分かり合えない状況が続きます。
それが夫婦間となると「結婚は墓場」なんて言葉に変わります。
幼い頃から人と向き合って思いを伝えること、聞く姿勢を育てることが大切だと感じました。
話し合いに必要な心掛け
経験から学んだ、話し合いに必要な事項をまとめました。
〇 でも、だって、違うなど、否定の言葉から入らないこと。
〇 過去の話しを持ち出さないこと。目の前の議題に焦点を当てて話し合うこと。焦点がブレると何も解決しないまま終わるので危険。
〇 怒りの感情がある時は話し合いを避けること。怒りは攻撃に変わりやすく拗れる原因となるので落ち着いた頃合いで臨むこと。
〇 意地やプライドは話し合いの邪魔になるので捨てること。
その姿勢があれば、途中で相手の話しを遮ることはしません。
こうすることで、自分の話しを聞いてくれている。理解しようとしてくれていると感じることができます。「受け入れられている」と相手に伝わると、言葉を引き出しやすくなります。
話し合いができないまま夫婦を続けていたら、今私は夫と良好な関係を築けていなかったでしょう。
不満を溜めて、愛情の感じられない家庭になっていたように思います。
話し合いは大切です。
以上、「話し合いができない夫婦の原因・実例と対処方法」でした。