「マルチエイジ・レボリューション」は泉みゆきという女性について書かれたノンフィクション本です。
著者は代々木忠。AV業界の巨匠といわれている監督です。
みゆきは雑誌の読者参加企画をきっかけに、AV業界に足を突っ込んでいました。
代々木忠監督は当時23歳のみゆきと偶然出会います。
みゆきは多重人格者でした。当初みゆきは自覚しておらず、他の人格が起こす行動に困惑をしていました。
代々木監督の施す呼吸法によって、みゆきは各々の人格の存在を自覚していくことになります。
人格を作り出したのは、みゆきの母による痛ましい虐待の影響であることも分かっていきました。
みゆきと人格たちは交互に入れ替わりながら、代々木監督や笠原氏と精神的な触れ合いをすることで変化していきます。
マルチエイジ・レボリューションは泉みゆきという女性の、壮絶な精神の戦いを知る本です。
この記事では、泉みゆきの精神の葛藤の流れ。
生育環境に悩み、苦しい思いをしている人に参考になるであろう抜粋。
私の個人的考えについて記していきます。
代々木忠という男
著者、代々木忠の人生は波乱に満ちています。
1938年福岡県に生まれます。
3歳の時に母親を病気で亡くし、父親は日本軍の技術者だったために家を離れていました。
母亡きあとは親戚の家を転々として育ちます。
1945年に終戦を迎えた後に、父親が再婚相手と家庭に戻りますが、実家は売春宿になりました。
高校を中退後、華道の道に入ったのち、極道の世界に入ります。
29歳で暴力団をやめてAV業界に入ります。
代々木忠はアダルトビデオ業界で地位を築きました。
著書の中で彼自身が言うには「異端」な監督なのだとか。
私は「マルチエイジ・レボリューション」という本に出会うまで、著者である代々木忠という人物を知りませんでした。
これだけ破天荒な経歴を持ち、さらに催眠療法や呼吸法を学んでいるんだから、敵に回してはいけない男であることは確かです。
著書マルチエイジ・レボリューションについて
マルチエイジ・レボリューションは1998年に発売されました。
みゆきと代々木監督が出会ったのはその2~3年前となっています。
マルチエイジ・レボリューションあらすじ
代々木監督がAV監督をする中で女性たちの精神に変化を感じるところから始まります。
催眠療法の効果
代々木監督はAVに出演する女性が、オーガニズムに達しにくいケースが多いことに気が付いていました。
過去のトラウマなどから、自分で性的な刺激の感受性にセーブをかけてしまっている場合が多いのです。
そんな女性たちを解放するために、催眠療法を取り入れていました。
年齢退行をさせてトラウマを生んだ時期の精神を呼び起こし、感情の塗替えをするのです。
それは明らかな効果を発揮していました。
しかしある時から、催眠療法が効かない女性たちが現れました。
催眠療法が効かない世代・団塊の世代ジュニア
催眠療法には深呼吸して体をリラックスさせ、トランス状態にする必要がありますが、深呼吸自体ができない世代が現れました。
それが団塊の世代の子どもたちでした。
団塊の世代は戦後のベビーブームに生まれています。
彼らが親になるころ、「男は仕事をするもの」と父親が家庭を省みなくなりました。
「家庭のために」と大義名分を抱えて家庭を省みず、しかし仕事で募らせたストレスを妻や家庭に向ける時代でした。
妻は夫に不満があっても我慢するべきと強いられる社会でした。
「子どものために我慢するべき」と積もらせたストレスは、いつしか子どもへの苛立ちに繋がりました。
団塊の世代の子どもは息苦しさの中で育ち、ストレスで浅い呼吸しかできなくなっていました。
深呼吸を教えるところから療法を始めなければなりませんでした。
深呼吸ができるようになるだけで、過去の怒りや悲しみが自然と出てくるケースがあったといいます。
催眠療法の限界
年齢退行の催眠療法には、限界がありました。
トラウマとなっている年齢がはっきりしていれば効果が大きいのですが、わからない場合や、該当する年齢がいくつもある場合は、的外れな治療になりかねませんでした。
呼吸法
催眠療法が難しい場合に、呼吸法を使いました。
呼吸法は、楽な姿勢を取り、ゆっくりと腹式呼吸を10分程度繰り返します。
その後ブリージングと呼ばれる早い呼吸に移ります。手足が痺れるなどして体の感覚はなくなっていきますが、意識が鮮明になり、過去の記憶が蘇るというものでした。
手足の痺れや苦しさは、トラウマが重いほど強く現れる傾向がありました。
泉みゆきの人格たちと精神の葛藤
代々木監督とみゆきは、知人の笠原氏を通して偶然出会います。
初対面でみゆきは突然意識を失って倒れました。
意識を失っている間、みゆきは第三者として倒れている自分を眺めていたと言います。
黒い影が体から抜け出たのを見た途端に、自分が体に戻ったと話しました。
みゆきと呼吸法
代々木監督の前で倒れて以降、みゆきは自分以外の人格がいることを自覚するようになりました。
しかもその人格がみゆきを嫌っていることから、みゆきは悩んでいました。
何かしらのトラウマが関係しているはずだと考えた代々木監督は、みゆきに呼吸法を行いました。
すると記憶の一端が蘇ると同時に、酷く苦しみだします。
通常それはすぐに治まるはずのものでしたが、みゆきの場合は一向に治まらず、代々木監督が宥めなければなりませんでした。
最初に蘇ったのは、レイプされた記憶でした。
代々木監督はその記憶を塗り替えるために、次の呼吸法でレイプ場面に遭遇したら「気持ちいいから犯して!」と言うように求めます。
ネガティブな記憶をポジティブに変えようとしたのです。
しかし再び呼吸法をしたみゆきが、その言葉を発することはありませんでした。
呼吸法でリストカットを防ぐ
それ以降、しばらくみゆきは代々木監督の前に姿を見せませんでした。
呼吸法がきっかけとなり、みゆきの中の人格がリストカットしたときに「やめて」と叫んで止めることができるようになっていました。
みゆきの人格たち
泉みゆきには7人の人格がいることがはっきりしていきます。
幼い頃の凄惨な記憶と共に切り離された人格が4人と、みゆきと、みゆきと同年齢で理性的な人格、攻撃的な人格でした。それぞれに名前がついています。
母親に水を張った浴槽に落とされた年齢の人格。
母親に首を絞められた年齢の人格。
母親が借金をしていた男性にレイプされるよう母親が手引きし、被害に遭った年齢の人格。
これらの子どもの人格を、大人の人格が世話をし、守ろうとしていました。
それぞれの人格は統合し、消されることを怖がりました。代々木監督はどれもみゆきの記憶であり人格であるから、消す必要はないと考えていました。
人格同士は相性があり、皆が仲が良いわけではありませんでしたが、人格同士が存在を認め合うことで少しずつ変わっていきました。
しかしあまりに辛い体験を抱えた人格が現れると、突発的な自殺を図るため目が離せませんでした。
みゆき本人の休息
人格が笠原氏と代々木監督に心を許して頻繁に入れ替わるようになると、みゆき本人は滅多に出て来なくなりました。
精神の箱に入り出てこないのだと他の人格が証言します。
みゆきの精神は疲れ果てていて、休息が必要でした。
しかしその休息があまりに長くなると、みゆきの中の人格たちや笠原氏が心配をするようになりました。
長い休息が終わっても、みゆきは殆ど現れなくなっていました。
記憶の追体験と性の解放
みゆきの中の“神様”が、生まれた時からの記憶をみゆきに追体験させていて、苦しんでいると他の人格が証言しました。
みゆきが記憶と闘っている間に、人格たちは助け合って生活をしていました。
人格たちはそれぞれに好きな人ができ、性的な解放と精神的な繋がりを求めました。
代々木監督の作品「多重人格 そして性」にみゆきの人格たちが出演し、性行為をします。
オーガニズムを感じたことが精神の解放になりました。
苦しみながらも記憶の追体験を終えたみゆきは「私の役目は終わった」と告げます。
一人の人格を主体にひとつになるけれど、一人一人は消えないと話し、みゆきが出てくることはなくなりました。
終わり
マルチエイジ・レボリューション感想
団塊の世代の虐待
核家族化が進み、父親が仕事だけに専念すると、子育ては母親一人にのしかかります。
「女が生意気なことを言うな。女は家事と子育てをすればいい。稼いでいないのに大きな顔をするな」と言われる時代でした。
母は行き場のないストレスのすべてを、娘である私にぶつけました。
育った環境は伴侶の選び方や子どもの育て方に影響します。その結果、虐待の連鎖が生まれやすくなると実感しています。
男女の性の違い
犯して!は無理だろ……
ネガティブな記憶をポジティブに変える意図は理解できますが、レイプは代々木監督が考えているより遥かに屈辱的で受け入れがたいものです。
女性に選択権がなく性を侵害される行為は「お前は死ねばいい」とじわじわと殺されるのと同じです。
「気持ちいいから犯して」はあまりに侮辱する言葉だったと思います。みゆきが言わなかったのは当然でした。
また、みゆきの人格たちがAV男優との行為でオーガニズムに達したことで、心と心の触れ合いができたと描写されていますが、私は共感しません。
心の繋がりがない異性との性行為は、女性にとって自傷行為に近いと感じています。
本人が自ら関係を持っていても、一時的な慰めにしかならず、長じてみれば心の傷が深まることもあります。
私には性依存になった友人がいます。
本人は積極的に異性と関わりを持ちますが、体の相性がよかったとしても決して満たされていません。
満たされたように感じるのは“男性に求められている”と感じる一瞬だけです。快感ではなく、存在を求められることに充足感を獲るのです。
それも一瞬で終わってしまいます。なぜなら愛がなければ性行為だけが目的となり、体が離れたら終わるからです。
その結果「足りない」と感じて多くの異性と繰り返すことになります。
本当に満たされるのは、心から愛されているという実感が持てる相手との行為だけです。
性行為の満足感は、行為以前に心の満足感が必要です。
……私が知らないだけでしょうか?
みゆきの心の変遷
みゆきの人格たちがみゆきを守っていました。
笠原氏や代々木監督がみゆきや人格たちと向き合ったことで、人格たちが変化し、みゆきが長い休息に入ることができました。
辛い記憶を背負った人格たちに守られ、また代々木監督や笠原氏を信用できたことで「過去を受け入れなければいけない」と記憶を直視するようになったのだと感じました。
もしみゆきや代々木監督が人格たちの存在を否定していたら、過去を受け入れることは延々にできなかったかもしれません。
辛い記憶を都合よく消すことはできません。
それと同じで、辛い記憶を背負っている人格を消すこともできません。
できるのは認めることだけです。
☟毒親に悩んだら読む本で「毒になる親」をセルフカウンセリングできる本として紹介しました。
「毒になる親」は傷が深ければ深いほど、読むのが辛くなる本です。
実親から性的虐待を受けた友人は、苦しくて不安定になり、途中でやめざるを得なかったと話しました。
過去の記憶に向き合う中であまりに不安定になる場合は、記憶を直視せずに避けるよう求める精神科医がいます。
私は専門家ではありませんので個人的な感覚しか言えないのですが、どんなに記憶に蓋をしても、日々の生活の中でズレて感情が漏れ出します。
或いは、蓋をした記憶が重くて、「なぜだかわからないけど心が重い。苦しい。立ち上がれない。誰か助けて」と精神的やまいや依存などを引き起こす原因となるように思います。
蓋をしたまま一生を暮らせることもあるのですが、苦しさや重さを減らしたいと思うなら、直視して分析して受け入れる他ないようにも感じるのです。
それは加害者を許せと言うことではありません。許せるわけがありません。
加害者の精神を分析し、自分の感情を肯定し、ただ事実を客観視して自分を納得させるという工程が必要に思うのです。
それが、あまりに辛いのですが。
三浦瑠璃さんが自叙伝「孤独の意味も、女であることの味わいも」で14歳の時にレイプ被害に遭い、高校時代は自殺願望に苛まれ、突然意識を失って倒れることがあったと書かれています。
三浦さんは大学で夫と出会い理解者を獲たことが支えとなりました。
「ワイドナショー」で性の発言を聞いていると、理論的によく分析している様子がうかがえます。理解者を獲て、自分の記憶に向き合い、整理していった結果、今の三浦さんになったのだと想像します。
傷が深いほど、記憶が重いほど一人で向き合うことはできなくなるでしょう。
信頼できる誰かの存在が必要です。
それがみゆきの場合は笠原氏であり、代々木監督であり、自分の中の人格たちだったのだと思います。
笠原氏と代々木監督の献身
性については理解できないことが多かったのですが、代々木監督と笠原氏の献身は素晴らしいものでした。
被写体としての興味もあったのでしょうが、心が不安定な人に正面から向き合い続けることは簡単ではありません。
特に笠原氏の献身ぷりは、本来親が与えるべき包容力だったのではないでしょうか。
本文抜粋
本文中に気になった個所を抜粋します。
みなみとかおるの言葉
【みなみという人格が、あきという人格について語る場面P241】
あきは母親からの愛を欲しがってる。(中略)
ではどうやってそういう部分を癒すんだろうと考えたとき、自分が子どもを産み、その子に愛情を注ぐことによってはじめて癒されるのかなぁという気がしたんです。(中略)
【かおるという人格が愛について記す場面P251】
拒絶や否定は人間としての自信を奪う。人間性を歪めてしまうこともある。
それが幼い子どもなら尚更だ。(母親からの拒絶で)「自分」を見失ってしまうのだ。「自分」がないから自分自身に頼ることができない。自分以外の人間に全て依存して生きることしかできなくなる。その人との関係が壊れた時に「生きること」も壊れてしまう。そしていつかまた次に依存できる人を探して繰り返していく。(要約)
みなみとかおるは上記の発言後に精神的な解放を求めてAVに出演しています。
代々木監督はそれが彼女たちにいい方向に進んだと捉えていましたが、果たしてそうだったのだろうかと疑問です。
愛情が不足して育ったみゆきから生まれたみなみは、幼い人格を守ることに疲れ、ネガティブな感情に囚われていました。
その上、心の解放より体の快感にベクトルが向くのは、不安定な証拠に感じられました。
私が母親になってよく実感したのは、心の整理ができていないと、子育てに大きく影響するということでした。
心の整理ができていないと。
〇 私ばかりが辛い目にあっている。
〇 子どもの幸せは私の我慢で成り立っている。
と思いかねないのです。
当然、子どもに罪がないことはわかっていますので、理性で感情に蓋をします。
しかし夫婦の不和や経済的不安、子どもの反抗などで、蓋は簡単に外れてしまいます。
特にみなみはまだ少し整理が足りないように感じました。
こういった考えから子どもを持つと、辛い時間を過ごすことになりそうで心配です。
代々木忠の言葉
【代々木忠の考えP299】
本能には善悪の判断がない。あるのは「快」と「不快」だけである。(中略)不快は泣くという感情表現で外へ伝えられ、気づいた母親がお乳を飲ませたり、おむつを替えることによって快へと変わってゆく。不快→快の転換がスムーズにくり返されていけば、本能は自然に成熟を遂げるのだと思う。
ところがスキンシップが足りなかったり、不快がいつまでも取り除かれないと、本能は未成熟なまま取り残される。
未成熟のままだと、本来なら乳幼児期に与えられるはずだった母性を、いつまでも自分の外側に求め続けることになる。
男女の関係も、自分が親になっても終わることはない。(要約)親が母性を求めているから、子どもが可愛いうちは機嫌がいいが、ひとたびそれが得られないとなるとわが子であっても放り投げてしまう。
【代々木忠が6歳の人格まいから教わったことP310】
子どもにとって満ち足りたエネルギーは「快」だ。子どもが傷つき頼って来た時、親自身が満ち足りていればいいというわけである。子の本能は癒され、自ら解決の方法を想像してゆくだろう。次にまた傷ついたときも「快」を求めて親のところにやってくる。子どもは決して孤独ではないのだ。
だからといって子どもの前で演じる必要はない。苦しいときは感情表現をする。これまで「快」を与えられていた子どもなら、今度は親に「快」を返してくれるに違いない。
子どもの前で苦しさを見せてはならないと思うと、溜め込んだ苦しさをやがてぶつけてしまうはめになる。子どもにしてみれば怒られる理由が理解できず、人間関係の自信もなくしてしまう。子どもにとってみたら、これほど恐怖な存在もない。
「いい母親になろう」と無理をしたつけは、子どもの恐怖に繋がるということだと理解しました。代々木監督に同感です。
私の母は「私は頑張った。私は苦労した。私が一番大変なんだ。全部麒麟のせいだ」と泣き叫びながら私に怒りをぶつけるのが日常でした。
母親に責任はなく、全て私一人のせいだと言われて育ちました。子どもの私にとって、家はただの地獄でした。
代々木監督が私の育った環境や気持ちを肯定してくれたようで、嬉しく感じました。
マルチエイジ・レボリューションまとめ
マルチエイジ・レボリューションを読んだのは、古本屋のノンフィクションコーナーで安かったからです。
しかし非常に興味深い本でした。
性の捉え方については疑問があったものの、代々木忠に不思議な魅力を感じました。
「多重人格 そして性」にみゆきの人格たちが出演しているので観てみたいと調べました。
2020年12月29日現在ヤフオクに一件出品されていましたが、¥20000と高額なうえに、パッケージを見る限りAV丸出し。何よりわが家はVHSが見られないので諦めました。残念です……。
本はとても勉強になりました。
今は古本が主となりますが、機会があれば読んでみてはいかがでしょうか。
考えさせられる内容です。
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