youtubeで話題になっている「うっせぇわ」について、三姉妹の母である私が個人的意見を述べる記事です。
「うっせぇわ」とは
私がうっせぇわを知ったのは、朝の情報番組でした。
youtubeで公表されている曲が若者に支持されているというもので、印象強いアニメーションと力の入った歌声、攻撃的とも思える歌詞が紹介されていました。
私の第一の感想は
でした。
世の中にただ悪態をついているように感じました。
視野が狭い、子どもの思考だと思いました。
姿を見せていない歌手の「Ado」さんは高校生と言われています。
そう言ったこともあり、高校生あたりの不安定な思春期を連想させました。
私は決して精神的に安定した思春期ではありませんでしたが、周囲に攻撃的になることがないタイプでした。
鬱憤や攻撃は全て自分に向かい、外に出すくらいなら自分が消えた方がいいと、そんなことばかりを考えていました。
ですから、私とは別タイプの子どもの、ストレス発散の仕方なのだろうと思ったのです。
それから少しして、小学校中学年の長女が「ママ。うっせぇわって知ってる? あれ好きなんだ」と言い出しました。
へぇ。
好きなんだ……。
と少々複雑な気持ちになりました。
そこで、改めて「うっせぇわ」を聴いてみることにしました。
うっせぇわの歌詞
理不尽や抑圧の社会
テレビで一度聴いただけの時とは違う印象を受けました。
「遊び足りない」
「何か足りない」
は命の危険がなく、変化のない日常を生きてきた証拠に感じました。
満たされない感覚は誰かのせいではなく、自分の選択の結果です。
ですからやはり子どもっぽい印象を持ちましたが、次の歌詞には、新米社会人が言われるであろう言葉が登場します。
「酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい」
「皆がつまみ易いように串外しなさい」
「会計や注文は先陣を切る」
おや、20代前半くらいの子の気持ちを代弁しているのかしらと不思議に思います。
私も言われた経験がありました。
特に職場では女性一人だった時期が長かったので、忘年会などで「女なんだから鍋の灰汁を取れ」「女だから取り分けろ」「女のくせに気が利かない」とも言われ、腹が立ったことを思い出しました。
その癖、“今は男女平等だから”と職場で重い荷物を運ぶよう言われ、男性でも重労働の荷物を一人で運ぶ理不尽さを感じていました。
※皆がそう求めたわけではなく、一部の男性でしたけどね。やらざるを得ませんでした。
「うっせぇわ」と思ったことはありませんが、「くそー!!」と思っていました。
私は飲み仲間の同僚や友人に適度に吐き出すことができていましたので、「うっせぇわ」ほど荒ぶらずに済んでいました。
従順な社会人の悪態
「うっせぇわ」は、職場の仕事熱心な同僚が、周囲をボロクソに言いまくっている裏アカウントに似ています。
言いたいことがあるけど、職場の雰囲気を乱したくない。
そう考えて本心を隠して笑顔で頑張る同僚が、ネットで攻撃的な書き込みをしているのを見たような感覚でした。
実際にそういった例を見たことがありますしね。
「もう見飽きたわ。二番煎じ言い換えのパロディ」
「丸々と肉ついた顔面にバツ」
「ああつまらねえ。何回聞かせるんだそのメモリー」
社会人を経験して来た身としては、容易に想像できるシチュエーションですね。
言葉の選び方が激しいので少々病んでいるのかと心配になりますが、「あなたが思うより健康です」と言っているので、大丈夫なのだと思います。
とも言われてしまった
尾崎豊とうっせぇわ
「うっせぇわ」は現代の尾崎豊かしら、とも一瞬想像しましたが、何かが違いました。
置かれている環境に苛立ちを感じているのは共通していましたが、訴えていることはまるで違いました。
例えば尾崎豊の「15の夜」は思春期の苛立ち、将来への不安が情緒を持って描かれていました。
尾崎豊は好景気で物に溢れた時代に育ち、自分で未来を選ぶことができましたが、今は違います。
不景気が続き、働きたくても働けないケースが多く生まれ、将来に夢を持つことが難しい時代となっています。
「うっせぇわ」は断罪や拒絶が目立ち、何より「放っておいてくれ!」と訴えているように感じました。
「うっせぇわ」と言いたくなる時代
未来が見えない不景気世代
今は尾崎世代のように「型にはまりたくない」「スーツを着て仕事をしたくない」と言えなくなりました。
そんなことを言うのは世間知らずの贅沢者だけとなりました。
仕事に就き、お金を稼ぐことができたらそれだけで一旦“未来”が手に入ります。
そうでなければ平均的な暮らしを手に入れることが難しい世の中だからです。
好景気時代に比べ、“幸せ”の基準が下がっているように感じました。
私も不景気の時代に就職活動をしましたので、決して恵まれてはいませんでした。
しかし私の場合は数年遡れば好景気を知る先輩がいました。
常識の違いに腹が立つこともありましたが、好景気時代を知る世代の影響は、少なからず「いつか景気が回復するかもしれない」という想像をさせるものでした。
出生率が下がっている分、初任給は上がっていますが、税金はそれ以上に上がっています。
どう未来に希望を持っていいかわからないのです。
慣習と少数層への批判
圧倒的多数である上の世代に囲まれて、批評される一方となりました。
若い層、子育て世帯は批判対象
多くの妊婦、子どもが溢れていた時代には問題なく受け入れられていた、ちょっとした個人差が目立つようになり、批評の対象となりました。
赤ちゃんはこうあるもの。
不寛容で経済的余裕のない社会が作り出す「生きづらさ」
声を上げても意味がない。
しかし腹は立つから心で悪態をつく。
20代の夢のなさを女子高生が歌う
排他的で攻撃的な曲が好きだという長女に、その理由を聞いてみました。
「聴いてるとスッキリするんだよね」と言いました。
親としては非常に複雑でした。
正直なことを言えば、乱暴な言葉で人を拒絶する人にはなってほしくないからです。
「なんでスッキリするんだと思う?」と聞くと「ストレス発散になるんだよ」と言います。
「ストレスの原因は何だと思う?」「わからないけど、やりたいことを否定されるとか」
長女の行動を否定したことがあったっけな? と心配になり、「例えばどんなこと?」と聞きました。
すると「遊びから帰る時間とか。遅くならないように帰っておいでって言うし」
ガクッ。
そりゃ暗くなるまでに帰っておいでと言います。
長女は放っておいたら遊びたい欲だけで突っ走るタイプですから。
長女はまだ10歳にも満たないので、曲の意味を捉え切れていないのかもしれません。
因みに小学校低学年の次女は、「この歌好きじゃない。歌詞が怖い」と言っていました。
ちょっとホッとしました。
「うっせぇわ」の曲を作っているのはsyudouという20代の方だそうです。
それを高校生のAdoさんが歌われています。
不景気が続いて夢が持てない社会なのよ、という教えが下の世代に続いているようで寂しくも感じます。
音楽の影響は大きいです。
あくまで一曲の歌として聴き、それについて考えられる人になってほしいと願います。
自尊心はどう育つ
私は社会で感じた理不尽を先輩や上司にある程度言うことができました。
しかし言いたくて言っていたわけではありません。
言わなければ変わらないと思って行動し、「生意気だ」「何もわかってない」「お前はバカか」と度々言われました。
結果的にストレスが体に出て退職しています。
娘には正面を切って発言できない人になってほしくはないけれど、先陣を切って世代間の摩擦を背負って欲しいとも思えません。
やはり非常にストレスを抱えることになり、心と体にダメージを負うからです。
「私が俗に言う天才です」
これくらい心で言いきれていたら、私も潰れずにやっていけたのかなぁと考えさせられました。