公共事業の反対運動の終わり方。惰性と正義感と生きがいの狭間

ある公共事業に、付近の自治会全体で反対運動を起こした事例があります。

活動は効果を発揮し、事業が止まることはなかったものの、住民に譲歩した形となって行きました。

多くの住民が容認するようになった中、公共事業計画が着工するのですが、熱心に活動を続けたがる方達がいました。

住民間に温度差が生まれ、摩擦が起こります。
その実例をお知らせします。

熱心な反対運動が起こるまで

閑静な住宅街に、ある公共事業の開発計画が持ち上がりました。
今から30年近く前のことです。

40年以上前に販売されたその地域は、都内の一等地にはかなわないものの、地価の高い横浜のなかでも高級住宅地として知られています。住人は大手企業の重役や弁護士、医師、パイロットなどが多くいました。

住宅街を一部横断する形で計画されていることを知った住人たちは、怒り心頭で役所に抗議をしました。

外部の人間が出入りしない、まさしく閑静な住宅街であるはずのその土地に、多くの工事業者が出入りし、不特定多数の身元が分からない人間が出入りする……。

住人は挙って公共事業に反対する意思を表明し、自治会に「反対運動委員」を設けて、継続的に活動していくことになりました。

反対運動の足並み

しかし工事のために必要な土地の買い上げが始まると、一軒また一軒と、家を手放す人が現れました。

抵抗したところで公共事業は強行されるし、不毛な争いをしても得られるものはない。新天地に移るのも一興、と割り切るようになっていったのです。

買い上げられた土地にはフェンスが張られました。
住人は反対の意思を表すべく、工事反対の横断幕を作ってフェンスに貼りました。

住人は大学教授や研究機構の手を借りて、地層や地上にもたらす公害について調べました。
また、住人の住環境を守るために工事の方法についても、強く意見をし続けました。

役所と工事業者と住民の譲歩

公共事業の工事が遅れているのは、この地域だけでした。
別の地域では若干の住人が反対をしたのみで、大きな運動にはならず、すんなり工事が進んでいきます。

社会的地位がある住人が多かったこともあり、良くも悪くも一度言い出したら聞かない傾向がありました。反対の仕方もまた根拠を示して申し立てたことから、何度も説明会が繰り返され、役所や工事業者が住人の提案した方法をのむようになりました。

長い時間をかけて工事方法の譲歩がされたこともあり、反対する住人はどんどんと減って行きました。

公共事業の反対運動の終わり方

私がこの土地に引っ越しを決めたのは、このころです。

社会的地位があった住人たちは多くが高齢者となっており、一気に過疎化が進んだこともあって、土地の値段が下落の一途をたどっていました。便利はあまりよくないけれど、子育てをするにはいい土地だと思い移住地に選びました。

反対運動があることを知っていましたが、工事は進められ始めた頃でしたし、予め計画を知っていて引っ越しを決めたため、むしろ早く工事を終えてほしいと願っていました。

ご近所の方達は多くが高齢者でしたが、若い私たち家族を温かく迎え入れてくれました。子どもの声がうるさいとか、中学校の吹奏楽の音がうるさいとか熱心に苦情を入れる方もいますが、ほんの一部です。

良い土地を選んだと思ったのですが、一つ気になるのが、自治会の「反対運動委員」でした。

実際は「反対運動委員」なんて名前ではありません。
一体何の役割を果たす係なの? と何ともよくわからない名称で、〇〇委員と名付けられていました。

様子がよくわからないまま順番で回ってきた「反対運動委員(仮称)」の担当になって、初めて活動内容を知ります。

発足当時から何十年も公共事業に反対する方達がおり、その補佐を自治会員が順番に担当しているのだとわかりました。

反対運動熱心派と、そうでない住人の関係

地域が開発された当初から住む隣家の奥さんに、「私は公共事業計画を知って越してきているので、反対ではないんです」と話すと、「もう反対している人は極々一部なのよ。いつまで反対運動をするのかしらね」と教えてくれました。

殆どの家庭が納得しているのに、反対運動を続けている方々が熱心だから、反対運動委員がなくならないのだと言います。

高齢化が進んで体の自由が利きにくくなり、本当は委員をやりたくないのだけれど、他の高齢家庭に役割を回すわけにもいかず、かと言って若い家庭に押し付けるのも酷だから仕方なく、順番通りに委員を担っているのだとか。

特にわが家の所属する自治会の班は公共事業計画地に近い割に誰も反対していないので、一月ごとに委員を交代していく方法をとっていました。

しかし初期から反対運動を続けている方達から、“物言い”が入ります。

彼らは「一月ごとの交代では公共事業に無関心になってしまう。一年ごとの交代制にして、住環境を守るべく関心を持つようにするべきだ」と訴えました。

この時彼らは既に表向き、「公共事業に反対をしていない」という立場をとっていました。
実際公共事業は進んでいますから、反対のしようがなかったのです。

それでも大規模な工事の端々に、見逃してはならないことがあるのは事実でした。
「工事のために盛土されたこの土は、完成後不要になるはずだがその後どうなるんだ」と説明会で投げかけると、地域にとって不利益になるにもかかわらず「そのままになる予定」と答えられるなど、一つ二つ、突っ込みどころが残されていました。

反対運動を初期から続けているメンバー(以降は初期メンバーと呼称)は怒りを露わにして、やはり反対運動委員は必要なのだと声高に役員に訴えました。

詰め寄られた当時の役員たちは、反対運動委員の活動が全くの無意味でないのも確かだったために「反対運動を縮小するべきでは」と言えず、一年単位で委員を交代する方法をのんでしまいました。

一年交代で委員をすることになった一般の自治会員は、口々に不満を言いました。

一月から二月に一度の長時間の会議と、配布物の管理、アンケート回収や工事説明会の出席、視察、検査状況の立ち合い等で時間を取られるからです。そこまで労力をかける必要があるとは思えないという内容でした。

また、初期メンバーは問題がないことまでこじつけて、事業者に詰め寄ることがあり、よい目で見られていない現状がありました。

惰性と正義感と生きがいの狭間

私はこの一年、この反対運動委員を担当していました。

担当する年度が始まる前に、ある女性がわが家を訪ねてきました。女性は初期メンバーの一人で、反対運動委員の初回会議の時間や仕事内容を記載した書類を持ってきていました。

反対運動のやり方

会議は毎回土日の夜から始まり、二時間半から三時間かかると言います。
子どもの同伴は不可。しかしできるだけ参加して欲しいという内容でした。

私には子どもが3人居り、夫は夜勤がある仕事で土日休みではありません。一番上の子は小学校中学年になっていましたので留守番をさせられますが、真ん中は低学年、下の子は4歳です。

夕飯や風呂、寝かしつけまでの忙しい時間に丸々外出しなければならないのは、抵抗がありました。
夫に休みを取ってもらうことも考えましたが、以前自治会役員を担当した際に私が悪阻中で、休みを取ってもらったところ収入が減った経験があります。

近年の感染症問題で収入が落ち込んでいたこともあり、仕事を休ませられません。

「夫が休みになり会議に出られる状況であれば出るが、そうでない時には欠席する。その代わり配布物やその他できることはする」と話して納得していただきました。

熱心な活動家と、そうでない人のストレス

話の流れの中でさりげなく、しかしはっきりと「事業に反対していない」と伝えましたが、「は?」と明らかに怪訝そうな表情をされたあとは、聞かなかったかのように話を続けられました。

その後は何気ない世間話で盛り上がり、問題なくその場を終えたのですが……。

その女性は2~3日に一度の頻度でわが家を訪れ、活動について話して行くようになりました。既に聞いたことや、配布済みの書面を読めばわかるようなことを、改めて熱心に話すのです。

これが数週間続くと、ストレスを感じるようになりました。まるで嫁が拒否しているのに、嫁を所有物だと思いアポなしで突撃する姑のようだと思いました。

ある日いつものようにインターフォンが鳴りました。その日体調がよくなかった私は、インターフォン越しに体調を伝え、体面はできないと説明したのですが、まるで無視していつものように「玄関先に出てくれ」と求められました。

感染症対策が騒がれている最中ですし、何度も断りましたが「出てきて」の一点張りだったため、距離を開ける形で玄関先に出ました。体調を気遣われることもなく、いつものように20分~30分程度話して帰って行かれました。

この一件で、その女性の熱心さに嫌悪感を感じるようになりました。女性だけではなく、初期メンバーの活動自体にも強く疑問を感じるようになります。

その後も相変わらず女性のアポなし訪問が続きました。

居留守を使うようになり、夫が在宅の時は夫に出てもらうよう頼みました。

夫が対応をすると、必ず「奥さんを出してくれ」と求められましたが、夫は「妻は手が離せない状況のため無理」と断ってくれました。それが何度か続くと、訪問がぱたりとなくなりました。

反対運動活動家の会議進行

感染症対策で会議が何度かなくなるなどしたことから、会議に出ないまま約一年を過ごすことになりました。

罪悪感はありましたが、一般の自治会員から「出る意味がない会議」と聞いていたこともあり、その他の活動をしっかり勤めることで一定の役割を果たしたと思っています。

先日、最期の会議が行われました。
やっと夫の休みと会議の日が重なったため、子どもを夫に任せて初めて参加しました。

そこで驚きました。

まず、40名以上いるはずの参加者が10名強しかいません。
会議の目録等、資料はしっかり作ってありますが、内容がスカスカで、一体何に二時間半から三時間使うのか不明でした。

私は初めての参加でしたので、黙って進行を見守りました。司会進行は初期メンバーの一人の男性がいつも務めているようです。頻繁にわが家を訪れていた女性と、恐らく初期メンバーと思われる別の女性1名が、彼の傍らに控えていました。

男性が話し始めてすぐに小さな違和感を覚えます。
要領が悪く非常に説明下手で、内容が不明瞭なのです。

この時間、無駄ではなかろうか。なぜこんなに話下手な人が進行を務めているのかしら。と疑問に思いました。

初期メンバーの女性(わが家に突撃した女性とは別)は男性の説明下手を理解しているようで補足をしようとしましたが、男性が邪険に止めました。女性を下に見るタイプでプライドに触るのか、はたまた自分の説明下手を理解していないかのどちらかだと思いました。

一般の自治会員から「出る意味がない会議」と言われた記憶が蘇ります。

反対運動活動家への苛立ち

そんな中、会議に少し遅れて入ってきた男性がいました。
着席して会議の目録を一瞥すると、即手を挙げて、怒った口調で「この項目、必要ないでしょ」と厳しく言いました。

目録の時点で中身がスカスカなのに、会議のメインと思われる一項目を「必要ない」と一刀両断したのです。

あまりの厳しさに、「この人、ちょっとヤバい人なのかな」と心配しましたが、その方は一般の自治会から反対運動委員に選ばれた中の会長役(毎年選出必須)を務めてくれている方でした。

会議のたびに「欠席させていただきたい」と電話で連絡を取っており、「全く無理をする必要はないので、問題ありません」と感じの良い返答をいただいていたのですが、会議中のその方は、丸で印象が違いました。

議題内容や進め方に苛立った様子で「これは必要ない。無駄」と言葉を選んで何度も伝え(大分ストレートな物言いだったけど)、その上「いつも言っていますが、皆、忙しい中集まってるんですよ」と言い、必要と思われる議題(正直どれも必要ない内容だったけれど)を聞くと、途中で帰宅していきました。

私だけではなく会長も「こんな会議無駄」と思い、怒り心頭なのだとはっきりとわかりました。

反対運動をしたい人たちの時間稼ぎ

会長が帰宅した後に、「これは必要ない」と言われた項目にあった、あるテレビ番組の録画を視聴する時間がありました。
番組自体は個人的に興味があるものでしたが、観終えて「反対運動と全く関係がないのに、なぜこれを見せたの?」と疑問を持ちました。

恐らくは初期メンバー内でこじつけた“関係”があるのでしょうが、説明はありません。反対運動委員の面々も「?」と思いながらも黙っているようでした。中には無言で席を立って帰られる方もいました。

意味を聞こうかと思いましたが、私は年度末の最後の会議にして、初参加という不届きものです。さらに下手に発言をして、また家に頻繁に突撃されるのは避けたいと思い、黙ってしまいました。

会議不参加が大半を占めるのも納得の内容でした。

反対運動の引き際

今や、自治会員の恐らく9割近くが容認している事業です。

反対運動初期メンバーに「いつまで続けるのか」と冷ややかな目が向けられているのですが、彼らにとってその活動が生きがいになっているように見えました。

大義名分は「強硬に進められた公共事業に対して、無関心にならないよう活発に活動すること」だと初期メンバーは口を揃えます。
わが家に突撃して来ていた女性は、「みんなのために私たちが活動しているのだ」と使命感を熱く語られていました。

しかし内容はスカスカ。
さらに子連れ不可の会議のために、ますます自治会員が白けているのが現状です。

身のある反対運動ももちろんありますが、長く続いてうだうだになっている反対運動もあるのだと知りました。

初期メンバーが活動を開始した当初は、自治会の不満や不安をまとめて、意味のある活動をしていたのだと思います。
その引き際が難しいのだと感じた一件でした。

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