第8波コロナ感染・ヤングケアラー状態となった小学生娘と、わが家の隔離生活

感染対策が叫ばれて早3年。

2022年末に訪れた第8波にて、わが家は初めて感染しました。

夫婦と子ども3人、猫2匹のわが家の感染の様子と、発熱外来受診のドタバタ。
療養期間の様子を、備忘録もかねて記します。

第8波コロナ感染は幼稚園児の末っ子からだった

わが家は横浜にあります。

私の周囲では、2021年夏ごろから感染者が多く現れるようになります。

夫の会社の同僚の家族が発症して本人にも感染したり、子どもの通う小学校や幼稚園で多数の感染者が出て、学級閉鎖になることもありました。

一時的に味覚がなくなった人がいましたが、大抵は発熱と喉の痛みが主で、2日~3日程度で復活。
後は療養期間の暇つぶしに何をしようか悩む程度だったと、口をそろえました。

わが家は買い物先や習い事から帰る際に、必ず手をアルコールで消毒していました。
小学生の子どもは自主的にアルコール消毒を持ち歩いて、給食を食べる前や放課後遊びに出た先でおやつを食べる時などに使っています。

それでもかかる時はかかる。
そう覚悟していました。

感染症対策が叫ばれるようになって丸3年近く、わが家は感染しませんでした。

若い人の重症化が少なく療養期間が短くなったことから、2022年の9月下旬をもって65歳未満のコロナ感染者に医療保険が下りなくなります。

このままかからずに2022年を終えるのだろうと思っていた、11月中旬のある土曜日の朝のこと。
5歳の三女が「頭が痛い」と言いながらリビングに入ってきました。

三女は普段、長女と次女と共に子ども部屋で寝ています。昨晩寝付いたときはいつも通りで、体調の不良はありませんでした。三女が頭が痛いと言ったのは、恐らく産まれて初めてのことです。

熱を測ったところ、38.5度ありました。風邪の症状がなく突然高熱を出したことに、戦慄が走りました。

第8波コロナ感染のドタバタ発熱外来受診

三女は頭痛に加えて目が痛いと言い出し、べそをかきながら抱っこをせがんできました。

親にとって、子どもより優先することはありません。
拒否する選択肢はなく、すぐに抱っこしてブランケットを被せました。

リビングにいた長女と次女に、「マスクをして。そしたら窓を開けて欲しい。換気しよう」とお願いします。長女と次女はすぐに状況を理解し、動いてくれました。

長女「どういうこと? もしかしてコロナ?」
私「わからないけど、可能性があると思う」

時刻は7時半頃でした。
夫は毎日朝6時に家を出て、7時には職場に着いています。職場にいる夫に連絡をしました。

夫の職場は感染症対策が求められる前から、インフルエンザ患者の出勤にも厳しい対策が取られていました。
社員の家族がインフルエンザに罹ったら、3日間は出勤停止。本人がかかったら、発症から5日間の出勤停止となります。発熱でも、インフルエンザかどうかがわかるまで出勤停止となります。

感染症対策が叫ばれるようになってからは、家族が37.5度以上の発熱をしたら自宅待機となり、抗原検査キットで陰性が確認出来たら出勤できるようになっていました。家族や交際相手が陽性者となったら濃厚接触者となり、会社都合の特別休暇扱いに。本人が陽性者となったら、国が定める期間、有給休暇を消化して自宅療養となります。

社員本人が陽性者となった場合には、会社独自の判断で社内の濃厚接触者を割り出して、特別休暇扱いで休ませることも多々ありました。

夫に電話をして、三女が熱を出したことを伝えました。
この時の三女の熱は、38.7度でした。

夫は「え……」と小さな声を上げた後、「わかった。上司に伝えて指示を仰ぐわ。多分病院でコロナかどうかの確認をしてもらわないといけないと思う」と言って電話を切りました。

単なる風邪による発熱なら様子を見るのですが、前兆がなかったことから、それ以外が原因である可能性が高いという危機感がありました。

とにもかくにもかかりつけ医に!

三女の発熱が確認された時点で、夫は出勤停止となり、収入に響きます。陰性報告をしなければ暫く出勤停止のままとなってしまいます。

検査をすべく、どの病院にかかるべきなのかを教えてもらおうと、救急の電話相談窓口(#7119)に電話をしました。すると「救急が終わる時間なので、かかりつけの小児科が開くのを待って受診してください」と言われます。

「コロナかもしれません。かかりつけ医はコロナ禍以降、発熱者を断っていたのですが、診てもらえるのでしょうか」と聞くと、「各医院がどう対処しているのかは把握していないので、事前にかかりつけ医に問い合わせてから受診してください」との返答。

発熱外来等の案内もなく、コロナ情報は得られないのだと分かりました。

コロナのコールセンターの番号を教えてもらったのでかけてみましたが、音声ガイダンスで「まずはかかりつけ医にかかって下さい」と流れています。まずはかかりつけの小児科の診療が開始する9時まで待って、問い合わせるしかないと分かりました。

三女は辛いといって涙を流しながら、リビングのソファで横になっていました。
かかりつけ医での待ち時間を減らすために、ネットの予約サービスを使って、かかりつけ医の朝一番の予約を取りました。

かかりつけ医は家の近所でしたので、診察開始15分前くらいには電話が通じるでしょうから、発熱していても診てもらえるかを確認してから家を出ても、予約時間に間に合うと考えてのことでした。

しかし診察開始10分前になっても、電話は留守電のままで通じません。
仕方がないので、ぐったりする三女を着替えさせて車に乗せようとしました。着替えている間に嘔吐して、私は吐しゃ物を被りました。

三女と私の汚れた服を着替えて、サッと洗って洗濯機を回し、車に乗り込みました。

電話が通じたのは、診療開始3分前くらいでした。
かかりつけ医の目の前まで来て、車内から電話をかけました。

発熱者専用の部屋に通して診察することはできるが、発熱外来ではないので、PCR検査も抗原検査もできないと説明がありました。コロナかどうかを知りたいのであれば発熱外来にかかるか、自費購入した抗原検査キットで検査するしかないというのです。

コロナは現在、高リスク者以外は解熱剤を処方されるのみだと聞いています。かかりつけ医にかかれば解熱剤がもらえますので、それでも十分なはずでした。しかし夫の会社には、検査結果を報告しなければなりません。

恥ずかしいことに私は、この時初めて「発熱外来なんてものがあったな」と思い出しました。
この3年間、予防接種以外で病院にかかることがなかったので、コロナ禍で発熱外来なるものができたことを、すっかり忘れていたのです。

その時、車の後部座席で三女が派手に嘔吐しました。噴水のように吐いたので、持たせていたエチケット袋に吐けず、服やフランケットを汚しました。

後部座席に向かって身を乗り出し、ティッシュなどで三女の周囲を拭きながら、かかりつけ医に「発熱外来は近くにありますか?」と聞きました。自分で調べればいいのに、この事態を早く収集させなければと焦っていました。かかりつけ医に違う医院の発熱外来について聞くなんて、失礼ですよね……。

「新しくできた医療センターの小児科に発熱外来があると聞いたことがあります」と、親切に教えてくれました。そこに問い合わせてみることにしました。

小児発熱外来予約と、隔離部屋の設定

即、教えてもらった発熱外来を調べて電話をかけました。

発熱外来は電話予約ができず、ホームページからネットで予約が必要だと案内され、車内でスマートフォンとにらめっこをして予約を取りました。(医院によって予約方法は異なります)

そのクリニックでは一般診療と時間が分けられており、発熱外来は昼からとなっていました。
運が良かったのか、小児専門の発熱外来だったからなのか、昼一番の予約を取ることができました。

あわよくばこの足で発熱外来にかかりたかったのですが、叶わず。一旦帰宅することにしました。

後部座席でぐったりしている三女に、ごめんね、一旦帰ってゆっくり寝ようね、と声をかけながら帰宅し、コロナの可能性を考えて隔離しやすい夫婦の寝室に三女を抱えて運び、着替えさせた後に寝かせました。

夫から「会社判断でこれから帰宅する。今日の出勤はなかったことになった(出勤扱いではないので手当がつかない)」と連絡がありました。

小児外来を受診

夫が帰宅後、私は三女を抱えて車に乗せ、予約した発熱外来に向かいました。

三女は吐き気が治まっていましたが、頭が痛い、目が痛いと辛さを訴え、歩けないというので終始抱っこして移動しました。

発熱外来は完全予約制だからなのか、空いていました。
受付も看護士も皆ビニール製の防護服とゴーグルとマスクをしています。

ネット予約と同時に問診票の入力をする形式だったため、保険証を渡しただけですぐに診察してもらえました。
体調不良を確認してから6時間も経っていなかったため、抗原検査では正しい結果が出ないということで、PCR検査をすることに。

医師がサッと三女の舌をぬぐい、「15分で結果が出るので、車で待機していてください」と言われて、保険証を受け取ることもなくすぐにクリニックを出ることになりました。

クリニックにいたのは5分もなかったと思います。

エレベータで三女はマスクを外してしまいました。エレベータ内には、私と三女の他に、年配の女性が一人乗っていました。
私は三女を抱っこしていて手が塞がっていたので、「辛いかもしれないけど、マスクしてね」と三女に声をかけました。

すると年配女性は、「私は構わないわ。マスク嫌よね。いいのよ、しなくても」と朗らかに言ってくれました。ありがたいお言葉でしたが、今や三女はコロナ濃厚者です。もし年配女性に移してしまったら大変だと思いました。

「もしかしたら悪いものに罹っているかもしれなくて……」と妙に言葉を濁しながら伝えました。年配女性は「大丈夫大丈夫」と最後まで朗らかに言って、降りていきました。

PCR陽性結果の連絡は早い

6歳を目前にした5歳の三女は、18kgあります。上着やら何やらを持ちながら抱っこするのは、中々骨が折れました。

何とか車に辿り着き、後部座席に乗せてブランケット(汚れていない新たなもの)をかけてホッと一息ついたとき、クリニックから電話がかかってきました。

PCR検査をしてから、8分経つか経たないかの時間です。悪い予感がする……と思いながら電話に出ると、「陽性でした」と報告されました。医師から診断結果が伝えられ、その後看護師から今後の説明がありました。

クリニックから調剤薬局へ処方箋が渡され、薬局のスタッフが車に届けてくれました。解熱剤のカロナールや吐き気止めでした。
保険証も車まで届けてくれたので、延々と車内で待つのみで、帰宅できました。

※発熱外来でも、PCR検査ができるところ、抗原検査だけのところ、PCR検査をクリニック内でできるところ、外部の機関に出すため結果が出るまで時間がかかるところと様々です。三女がかかったクリニックは、クリニック内で検査ができました。

忘れがちな陽性者登録と、幼児から保護者への感染、発症

陽性の報告を受けてから、家にいる夫に連絡をしました。

陽性だったこと、夫婦の寝室を隔離部屋とするので、夫の寝具を子ども部屋に運び、三女の寝具を寝室に運んでほしいと伝えました。5歳の幼稚園児を一人で隔離するのは無理があるので、私一人が世話役となり、就寝時も共に過ごすことを決めました。

家の中でも家族皆がマスクをして過ごしました。

忘れていた陽性者登録

三女は発症初日の深夜、何度かうなされて起きました。
その度に薬を飲んだり、抱っこするなどして過ごします。

熱は38度台に上がったり37度前半に下がったりと安定しませんでした。
相変わらず目が痛い、お腹が痛い、喉が痛いと言います。

バタバタしていたので、小児発熱外来でもらった資料をきちんと読めていませんでしたが、よくよく見ると、陽性者は自らネットを使って陽性者登録をしなければならないと説明が書かれていました。

医療機関を受診して陽性が分かっても、病院が登録をするのではなく、患者がしなければいけないシステムとなっていたのです。(2022年11月現在。)

陽性者登録を忘れていた私は、一日遅れて登録しました。
たまたま資料を見返して登録が必要だと気が付きましたが、人によっては登録をしないまま療養を終えるのではないでしょうか。

今は65歳以下の患者に医療保険がおりなくなっていますので、陽性者登録をして得られるメリットはありません。(神奈川県で支援物資を受けとれるのは生活困窮者のみ)

そう考えると、公表されている感染者数を大きく上回る感染者がいるのではないかと想像しました。

幼児から保護者への感染、発症

私は三女の吐しゃ物を被っていましたし、抱っこ続きだった上、同じ部屋で就寝しているので、感染は免れないだろうと思っていました。そして案の定、三女の発症から3日後の朝に発熱しました。

何だかふらふらするな、ちょっと喉に違和感があるかも? と思いながら朝食を食べたところ、気持ちが悪くなり嘔吐。以降悪寒が出てきて、熱を測ったところ38.5度。明らかな感染でした。

夫が会社に妻も発症したと伝えると、「妻も検査をするように」と求めてきました。

調べなくても間違いないだろうと思うのですが、調べて、その結果を写真で撮って送るように言われます。

実は自宅に抗原検査キットを2セット常備していたのですが、この一か月ほど前に私が微熱を出した際、使ってしまっていました。抗原検査は発症から時間が経ってからでないと正確な結果が出ないと聞いていたので、念のためと思い、発熱から一日たった翌日に二個目も使ってしまっていたのです。(どちらも陰性)

その後検査キットを購入しておこうと思ってはいたのですが、国に認められている抗原検査キットは「体外診断用医薬品」または「第1類医薬品」と限られています。

認められていない「研究用」は一つ¥1500程度と安価で、ネットショップ等で簡単に手に入るのですが、「体外診断用医薬品」や「第1類医薬品」は倍以上の価格がする上、限られた店でしか購入できないため、どうしようかと躊躇っているうちに感染してしまったのです。

発熱外来にかかれば検査をしてもらえるし、解熱剤も処方してもらえると思い、近所の発熱外来に問い合わせました。
三女がかかった小児発熱外来は、小児のみ対象のため、別の発熱外来を探す必要があったのです。

一度もかかったことがない、小さな個人クリニックだったのですが、電話をすると受付の女性が明らかに焦っている様子で話しました。「今、たくさんの人が来てるんです。若い方(65歳未満)の方は診られません。薬の処方もできません。抗原検査キットは取りに来ていただければお渡ししますので、ご自分で検査してください」と矢継ぎ早に説明されました。

え、抗原検査キットって、もらえるの? 知らなかった。ラッキー!!
薬を処方してもらえないのは残念だけど、家に少したくわえがあるし、とりあえず検査ができればありがたい!

そう思った私は、濃厚接触者ではあるものの発症者ではない夫に取りに行ってもらうと伝えて、電話を切りました。

抗原検査キットは発症から6時間経っていても陰性になることがある

クリニックからもらってきた抗原検査キットは2セットありました。
発症当日の16時頃、発症から軽く6時間以上経過した時点で検査をしましたが、結果は陰性でした。

夫は結果を知って、「コロナじゃなかった! よかった!」と言いましたが、ではこの発熱は何なのだろう? という疑問が残ります。

状況からしても、三女から感染したとしか思えませんでした。

そこで発熱から24時間が経過した翌日の朝に再度検査をしたところ……。

陽性。

そりゃそうですよね。
医療用の抗原検査キットでも一日経ってから再度検査をしないと、信憑性が薄いと感じました。

未感染家族の不安

私が発症をしてから、私も隔離部屋に籠るようになりました。

夫はたまにドアから顔を覗かせては、寂しそうな、不安そうな顔をして「大丈夫?」と声をかけてきました。

夫は三女が発症して私と別部屋で寝るようになってから、「夫婦で一緒に寝られないなんて……」とブツブツと言っていました。

夫は私の前では饒舌ですが、私以外の人の前では口をつぐみがちです。
それは子どもに対しても同じでした。

私が隔離部屋に籠るようになると、食事は夫が観察の元、小学校5年生の長女が中心となり、3年生の次女が補助する形で調理されました。

三女の熱は発症から5日経っても下がりきらず、ダルさは解消されたものの、腹痛や喉痛を訴えたり、鼻水を多く出すようになっていました。

私は発症から3日経っても38度台になったり、37度台になったり。
熱のわりにだるさが強い感じたり、頭痛に悩まされましたが、もともと引きこもり体質であることもあって、寝ているだけで三食の食事が隔離部屋に運ばれてくる生活は、快適でもありました。主婦は普段、体調を崩しても中々休めませんから。

しかし食事を運んでくる夫の表情が、徐々に暗くなっていることに気が付きました。

「大丈夫?」と夫に聞くと、「ああ、体調は問題ない」と言います。「体調より、精神面は大丈夫?」と聞くと、「……良くない」と答えました。

私が感染したことで夫は慣れない家事をして、上二人の子どもたちの相手をすることになりました。
二人とも小学生ですし、しっかりしていますからそれほど手はかからないのですが、「妻がいない」という不安が大きく影響しているようでした。

夫が発症・やはり会社からは検査を求められる

私が発症して三日目の朝。

夫が隔離へにいる私にLINEで「体調が悪い」とメッセージを送ってきました。

私は驚いて隔離部屋を出て子ども部屋に入り、横になっている夫に声をかけました。
夫の首を触ると、明らかに熱くなっています。測るとやはり38度を超えていました。

慌てて夫の寝具を隔離部屋に運び、子ども部屋の窓を開けて喚起しました。

夫はふらふらになりながらも隔離部屋に移動して横になると、にやりと笑いました。そして「やっと夫婦で眠れる!」となぜかテンションをあげて、昨日より明るい表情をしていました。

夫が会社に連絡をすると、またも「検査をして陽性か陰性かを報告するように」と言われました。

家族に感染者がいる場合は神奈川県の場合「みなし陽性」が認めれられるはずなのですが、夫の会社にはそれが通用しません。

私が抗原検査キットをもらった発熱外来に電話をかけました。
夫が発熱したと伝えたら、再度検査キットをもらえると思ったからです。

しかし営業日であるはずなのに、どれだけ電話をかけても繋がりませんでした。

そこで違う発熱外来を調べて問合せました。そのクリニックの発熱外来は夕方からで、発熱外来の予約は前もって取れず、夕方の診療が始まって受付をして待つしかないとのことでした。非常に混みあうため、かなり待つだろうとのこと。

夫が診察を受けるためには、私が車を運転をすることになります。
診察までの待合が長引く場合、夜に幼稚園生を含めた子ども3人が家に残ることになります。

私は多少の喉痛が残っていて微熱があるものの、動ける程度に回復していますが、三女は発症から5日経っても熱が上がったり下がったりしていて、体調が安定していません。未発症の上二人の子どもに三女の面倒を見させるわけにもいきませんでした。

他の発熱外来では抗原検査キットをもらえたのだけれど……と聞いてみると、「それはしばらく前まで認められていたやり方だが、現在は検査キットを渡す対応はできないはずだ」とのこと。私が抗原検査キットをもらえたのはたまたまであり、本来のやり方ではないということがわかりました。

せめて夜ではなく、昼間に診察が受けられる発熱外来はないものかと、違うクリニックに電話をかけました。

そこで「家族に感染者がいる」「65歳未満でリスクがない」という聞き取りがされた後、「子どもと65歳以上、高リスク者以外は診察しません」ときっぱりと言われました。

「患者は診きれないほど沢山います。優先順位をつけなけれななりません。会社に申請するための検査はしません」

そう言われ、私は恥ずかしくなりました。

どこに電話をかけても、患者が詰めかけている様子はよくわかりました。
それなのに「会社に報告しなければならない」と検査を求める私は、厚顔無恥そのものです。あれほどニュースなどで「検査ありき」の社会が問題だと言われていたのに……。

「お忙しい中お手数をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」と謝ると、クリニックの方は「どうしても検査が必要な方に、無料のPCR検査場での検査を案内しています」と言いました。

神奈川県が設置している、無料のPCR検査場があることは知っていました。

そこでは「濃厚接触者や症状がある人の検査はできません」と案内されています。ですから当然そこでの検査はできないと思っていたのですが、クリニックの方は「実際は症状がある方も沢山検査されています。医療機関はリスクが高い方を見て、そうでない方はそういった場所を利用いただくのが適当です」とサラッと言いました。

電話を切った後、「……無料のPCR検査場を案内されたんだけどいいのかな?」と夫と相談をしました。

夫も私と同様に、感染者が行っていいの? と戸惑ったものの、結局行ってみることにしました。
車で現地まで行き、私は車内で夫の帰りを待ちました。

名前と住所、結果の送信先となるメールアドレスを用紙に書き込み、身分証を係員に見せると、プラスチックの容器が渡されます。そこに唾液を入れて所定のBOXに入れるだけで終了しました。

朝一番で検査を受けて、結果は夕方送られてきました。

やはり陽性でした。

小学生が両親と妹の食事を用意する、ヤングケアラー

夫が発症した時、家族全員の感染を覚悟しました。
体調が回復してきている私が、食事作りなどの家事をする他ないと思ったのです。

夫を隔離部屋に移した後、さっそく私が食事作りをしようとキッチンに向かうと、長女が「私がやるから、ママは隔離部屋にいて!」と言いました。

長女は料理が好きですし、しっかりしている子ではありますが、小学生に家族全員の食事を用意させ続けるわけにはいきません。火の扱いも、精神面も心配でした。

家族全員が感染したとしても仕方ない。親である私が家事をすると説明したところ、長女も次女も、「絶対に感染したくない。料理はできるから、部屋に籠ってて」と強く求めてきました。

特に長女は力を入れて習っているダンスを休み続けています。(週に3回のレッスンがある習い事)これ以上休んだら、次の大会に間に合わなくなると焦りがあるようでした。年に数回大会がありますので、仮に今回出られなくても仕方がないと話したのですが、「とにかく感染したくないから隔離部屋に戻って」の一点張りです。

その頃、ママ友が私たち一家を心配して連絡をくれていました。

長女と次女以外が感染したことを伝えると、買い出しを買って出てくれました。子どもたちが食事を作ると知って、使い捨ての紙皿やスプーン、割りばしなどと、軽食を差し入れてくれました。

隔離部屋にゴミ袋を用意し、食事が済んだものはそのゴミ袋にまとめるなどして、できるだけ子どもたちの助けになるようにしました。

小学生が作る三度の食事

朝食は食パンにチーズをのせて焼くなどした総菜パン。
昼はパンケーキや麺類。冷凍チャーハンを温めたものを用意してくれました。

火を使う際は事前に長女のスマートフォンからLINEで連絡をもらい、何かあれば私が隔離部屋から出て対処することにしました。

夜はレシピを検索して作った食事が運ばれてきました。

シンプルなメニューですが美味しかったです。

私が教えなくても、これだけの物を作って運んでくるなんてすごい!!
私と違ってレシピ通りに作っているからか、味が安定していて美味しい! と夫婦で感激しました。

反面、無理していないかと心配になりました。

強がりか、本当に楽しんでいるのか

何度聞いても、長女は「料理作り楽しい!」としか言いませんでした。
次女も、長女と喧嘩をしながらではありますが、楽しいと言います。

感染への不安の方が大きいらしく、夫が発症する前に買ってきていた消毒スプレーの大ボトルがほぼ使い切られるほどに、空になっていました。

冷蔵庫の材料を使って好きに料理が作れるのは、確かに楽しいのでしょう。
しかしこれが義務になってくると、辛くなってくるものです。

実際夫が隔離部屋に入って2日目、3日目となってくると、朝食や昼食の時間が遅れるようになりました。

「辛いんじゃない? 無理しないで」と長女にLINEをして何度か聞きました。長女は「大変だけど大丈夫。楽しいし」と答えました。

この状況が進むとヤングケアラーになるのでしょう。
子どもが思ったより頼りになってしまうと、ついつい親が甘えてしまう状況は理解できました。

わが家の場合は一時的ですし、場合によってはデリバリーで賄うこともできますから(実際に一食は購入した弁当でまかないました)子どもだけでも乗り切れましたが、ヤングケアラーが生まれてしまう家庭では、親の病気や経済的理由でやむを得ず子どもの労力を頼り続けてしまうケースがあると聞きます。

そうなる背景は理解できますが、やはり親は、子どもに甘え過ぎてはいけないことを覚えておかなければいけないと感じました。

隔離期間終了後の感染対策と、後遺症

夫は最初こそ隔離部屋に入ったことを喜んでいましたが、隔離生活が3日経つ頃には窮屈さを感じるようになってきていました。私もそうだったのですが、狭い寝室でできることは、寝てテレビを観ることくらいでした。

身体をあまり動かさないので、段々と体が痛みだします。
感染によるダルさなのか、寝続けることでダルくなっているのかもわからなくなってきます。

自ら籠るのならいいのですが、世間から「外に出てはいけない」と責められているような窮屈さがありました。

隔離生活のストレス

ストレスに弱い夫は「辛い。しんどい」と言い出しました。

途中隔離部屋についているベランダに布団を干すなどして体を動かすと、精神面も少し回復したように感じました。

三女と私がそうだったように、鼻水がダラダラと出てくるようになった夫は、何度言っても鼻をかまず、吸い込んでいました。次第に目が痛いと言い出し、蓄膿症かもしれないと繰り返しました。

私は「とりあえず鼻をかみなよ」と言いました。鼻水を吸い込み続けておきながら、蓄膿症かも、辛い、と言われても、そう仕向けているのだろうと思ってしまいます。

一向に鼻をかまず蓄膿症かもと言う夫と、鼻をかめと言う私の会話は繰り返され、隔離部屋の狭い空間で互いに若干のストレスを抱えることになりました。

療養生活が明けた解放感と、家族との食事

夫が隔離部屋に入って4日後、私の療養期間(発症から7日間)が明けました。

私の療養が明ける3日前には三女が療養期間を明けていましたが、症状が残っていたので隔離部屋で生活を続けてもらっていました。私の療養期間が明けると同時に三女も隔離部屋から解放。私は家事に復帰しました。

解放感がたまりません。

10日は感染力が続くと聞きましたので、私も長女も次女もマスクの着用を続けました。

三女は発症から10日が経過しており、元気いっぱいでしたので長女と次女と三女で食事を摂ってもらい、寝具も洗った後に長女と次女が眠る子ども部屋に戻しました。私は隔離部屋に食事を持ち込んで、夫と食事を摂り、夫の隣で寝ました。

夫は相変わらず蓄膿症かもと言っていましたので、薬局で薬を買ってこようかと言いましたが、夫は首を振りました。

夫の療養期間が明ける晩に、隔離部屋で久しぶりに夫と少しお酒を飲みました。
久しぶりの晩酌は美味しかったのですが、夫のテンションを見る限り全開とは言えない状態なのが気がかりでした。

療養期間を終えてもなお検査。必要?

夫が療養期間を終えた翌朝、会社に呼ばれました。
そこで会社にある抗原検査キットを使って、検査をすることになりました。

国が認めている療養期間を終えているのに、改めて検査をするとはどういうこと? と疑問でしたが、無事に陰性が認められ、翌日からの出勤が認められました。これで陽性だったらどうするのでしょう。しかも会社が用意している抗原検査キットは、国に認められていない研究用だったとのこと。徹底した対策なのか、何なのか……。

夫は約2週間ぶりの出勤を前に、「仕事のテンションに戻れるか心配」と愚痴を漏らしました。休んだ分手当がつかず、収入に大きく影響することはわかっていましたので、頑張ってもらうしかありません。

夫は隔離部屋を出ると、「やっぱり蓄膿症じゃなかったかも。目の痛みもなくなった」と言い出しました。
私も恐らく蓄膿症ではなく精神的なものだろうと思っていたので、やはり、と思いました。

出勤日の朝、笑顔で夫を見送りましたが、夫は職場で蕁麻疹を発症して帰宅しました。

隔離生活のストレスと蕁麻疹

夫は出勤初日に、苦手な職務に当たらなければなりませんでした。隔離生活のストレスや日に日に変わる症状のストレスに加えて、苦手な職務へのストレスが加わった結果、蕁麻疹に繋がったように想像しました。

夫は蕁麻疹の痒みにより、益々ストレスを抱えます。

翌日職場を抜け出して、職場の近くにある内科(なぜか内科に行った夫)にかかりましたが、処方された薬が効きません。夫は益々ストレスを募らせて、仕事を休みました。

皮膚科に行くために休んだのに、その日は蕁麻疹があまり出ていなかったので病院に行かないといいます。自宅待機と療養期間が長引いたことにより、給料の手取りが18万程度低くなることは明確でしたが、身体の不調で休みを取るのは仕方ありません。だからこそ、家計を握る妻としては、皮膚科に行ってほしかった!!

翌日出勤した夫は、案の定、蕁麻疹が出たことに悩んで帰宅し、また会社を休みました。
やっぱりね!! 妻の悪い予感は的中するのです。

今度こそ、絶対に、絶っっっ対に皮膚科に行こう! と言い、夫を連れて皮膚科に行きました。
皮膚科医から蕁麻疹の原因はアレルギーや感染症、ストレスなど多岐に渡り、大抵は原因不明であること。効く薬かどうかをひとつひとつ試していくしかないことを説明されました。

そこで出してもらった薬がてきめんに効いたのか、皮膚科からの帰路で、「コロナの隔離生活で溜まったストレスと職場復帰のストレスが乗っかったせいで蕁麻疹が出たのかもよ!?」と笑い飛ばすように話したのが効いたのか、あっという間に蕁麻疹は消えてなくなりました。

隔離生活中に気を付けたこと

隔離生活中に気を付けたことはこちらです。

・感染者は隔離部屋に入り、極力部屋を出ないこと。
・隔離部屋に近いトイレは感染者専用とすること。
・隔離部屋もそうでない部屋も、手分けをしてこまめに換気をすること。

衛生面で問題があるのは承知していますが、感染をできるだけ防ぐために感染者の入浴を3日に一日としていました。
また、感染者の入浴の後に十分な換気をして、乾いた浴室に未感染者が入るようにしました。アルコールを吹きかけて消毒もしました。

歯を磨いた後も洗面所にアルコールを吹きかけて、感染者と未感染者の歯ブラシを別の場所で保管しました。

隔離部屋で役立ったもの

隔離部屋に実際に持ち込むことになったのは、以下の通りです。

・スポーツドリンク
・水のペットボトル
・使い捨ての紙皿や箸、コップ
・隔離部屋で食事をするための小テーブル
・エネルギーチャージゼリー
・ティッシュ(症状が数日ごとに変わって行きました。鼻水が大量に出続けた時にティッシュを沢山使ったため)
・ゴミ袋
・スマホ充電器
・解熱剤
・体温計
・マジック、身分証明証(抗原検査キットで陽性を確認後、陽性者登録するのに必要)
・テレビ、ゲーム(サッカーワールドカップ中だったので、見られて良かった)
・着替え
・バスタオルなどの大判タオル(熱が高いときに寝具に汗が染み込むのを防ぐ)

初めは水筒を持ち込んでいたのですが、洗ってつぎ足す際に感染の可能性が上がってしまうため、ペットボトルと使い捨てのコップが役立ちました。

少し回復してくるとポテトチップスが異様に食べたくなり、部屋に持ってきてもらい、ちびちび食べました。
食欲自体は落ちていたので、少ない量でも満足できたのが良かったです。

感染者の症状3人分

あくまでわが家の症状です。
味覚障害などは全くありませんでした。

後遺症は、恐らくは隔離期間のストレスが出たのだと思われる、夫の蕁麻疹くらいです。
皮膚科にかかり、一週間~10日程度でなくなりました。

三女の症状

・発熱:発症から5日目くらいまで、38度台、平熱、37度台を行ったり来たり。高熱は最初の2日間。
・頭痛:発症から3日程度。段々軽快。
・目の痛み:発症から3日程度。その後は全く訴えなくなった。
・嘔吐:発症が確認されて2時間程度の間に2回のみ。
・腹痛:発症から2日程度
・鼻水:発症から3日くらいから出始める。5日程度でなくなる。
・咳:発症から4日程度から出始めた。一週間半程度でなくなる。
・喉の痛み:発症翌日くらいから喉の痛みを訴える。一週間後くらいになくなる。

私(三女の母・アラフォー)の症状

・発熱:発症から4日目くらいまで、38度台、37度台を行ったり来たり。
・頭痛:発症から4日程度。結構辛かった。
・鼻水:発症から3日くらいからじゃんじゃん出始める。7日程度で軽快。
・咳:発症から3日程度から出始めた。発症から二週間程度続いた。
・喉の痛み:発症から4日程度からほのかに痛む。数日で気にならなくなる。発症前にうがい薬を多用していたので、軽かったのかもしれない。

夫(三女の父・40代中盤)の症状

・発熱:発症から3日目くらいまで、38度台、37度台を行ったり来たり。
・頭痛:発症から4日程度。
・目の痛み:発症から4日程度。
・鼻水:発症から3日くらいから増える。7日程度で軽快するが、蓄膿症を疑う。
・咳:発症から3日程度から出始める。発症から二週間程度続く。
・喉の痛み:発症から2日程度から突然焼けるように痛む。数日で消えた。

会社、学校、幼稚園への連絡

夫の勤め先には、前述したとおり、家族に感染者が出るたびに報告しなければなりませんでした。

学校、幼稚園へは最初に感染した三女の発症が土曜日だったため、月曜日を待って電話で連絡をしました。

長女と次女が通う小学校に電話をすると、校長先生から聞き取りがあると電話を代わられました。
校長先生からどんな細かな聞き取りがあるのかと思いましたが、家族のだれが感染したか、何日まで休むかを説明するだけで終わりました。

濃厚接触者は基本5日間の自宅待機が求められていますが、現在は家族に感染者がいる濃厚接触者であっても、発症から3日経過して抗原検査キットかPCR検査で陰性が認められれば、普段通りの活動が認められています。小学校でも陰性が分かれば短縮が可能なのかと聞いてみたところ、「学校が〇日まで登校しないでと指示することはなく、自粛期間はあくまで自己申告」とのことでした。

その後三女の通う幼稚園に電話をしました。「感染したため、〇日まで休みます。次いで感染者が出た場合は追って連絡します」と伝えると、「わかりました~♡」と言われて終わりました。感染報告は慣れっこ、といった感じ。拍子抜けでした。

コロナにかかると経済的に辛い!

コロナに罹って何が一番辛かったかというと、収入が大きく落ち込んだことです。

これは勤めている会社のシステムによって変わるのでしょうが、夫の仕事はリモートができる職種ではないうえ、出勤日の手当で額が上がっていくため、かなり収入に響いてしまいました。

この物価高の影響もあり、節約に励む年末年始となりました。

医療保険が下りてくれれば、こんなに苦しい思いをしなくて済んだのに!! と地団駄を踏みたくなります。

2022年末時点で、この第8波のピークはまだ来ていないと言われています。
皆さんも、十分お気を付けください。

 

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