被ばく者の出産が妨げられないために【福島第一原発事故】

被ばく者の差別・原爆被ばく者である祖母の体験

私の祖母は第二次世界大戦における長崎の原爆の被ばく者です。原爆者健康手帳の交付を受けています。

震源から近かったものの震源から山を一つ隔てていたため、そしてたまたま家の裏手に入っていたため助かりました。
ピカッと光るのと同時に家のガラスは全て割れ、飛び散りました。混乱した祖母は家に入ろうとし、踏み入れた足にガラスが深く刺さります。

その後意味が分からないまま避難する人々に流されるように山に向かったと言います。
道すがら皮膚がただれ落ち、うめき声を出しながら歩く人を何人も見たそうです。息絶えた赤子を抱え、真っ赤な皮膚を露出した母親らしき人も。

そのまま知人の家に身を寄せることになりました。たくさんの人が亡くなっていきましたが、祖母は生き延びました。
怪我をした足にできた膿がなかなか治らなかったものの、それ以外の症状はなく、すくすくと育ちました。当時祖母は10代でした。

後に待っていたのは、被ばく者への差別でした。

被ばく者は子どもを産めない、産んでも障害児が生まれてくる、子どもを産むべきでないという言葉でした。

東京大空襲で両親を失い、苦労してきた大学生と出会い、祖母は結婚しました。祖父は理系思考で責任感の強い人でした。二人は覚悟のうえで三人の子をもうけました。そしてどの子にも障害はありませんでした。

祖母が出産を諦めていたら、私はここに居らず、私の子どもたちも産まれませんでした。

被ばくの影響

祖母は幸運でした。

当時広島と長崎に落とされた原爆がどういうものなのかを国民は知りませんでした。しかし爆心地から1km以内の被爆者は無傷であっても94%が亡くなっており、異様なものであることだけは認識されていました。
原爆投下直後から当年末まで、下痢、嘔吐、発熱、鼻血や血便吐血などの出血、口内炎、脱毛などの症状を発症する被爆者が続出したことからも嫌煙する風潮が広まっていました。

祖母も不安を感じていました。

のちの調査により、後障害として悪性腫瘍が発生することが知られています。

被ばく量

長崎原爆の被ばく量について長崎大学原爆後障害医療研究所のデータでは下記研究結果が公表されています。

長崎大学原爆後障害医療研究所サイトより引用

全身に4グレイ(4シーベルト)/1hの放射能を浴びると一か月以内に死亡する確率が50%と言われているので、かなりの障害だったことがわかります。

Gy(グレイ)は放射線が「もの」に与えるエネルギー量、シーベルトは放射線が「人間」に与える影響を評価するための単位です。(厳密にはGy=シーベルトではないのですが、大まかに表しています)

100ミリシーベルト(0.1シーベルト)/1hを超える被ばくをした場合、線量に比例して癌に罹患する確率が上がると言われています。

以下のURLで厚生労働省が日常生活で受ける放射線量を図解しています。

福島第一原発の被ばく量

福島原原発の放射能は核分裂するウランの量が広島や長崎の原爆の数十倍あり、影響は数百倍になるとみられました。
チェルノブイリ原発事故に匹敵する可能性があると海外、国内共に報道されました。
確かに重大な事故であり、9年が経過する今も収束していないことからも、非常に厳しい現状であることは間違いありません。

しかし人体に与えた影響は大きく相違していることがわかっています。

東京電力や国が「福島第一原発による被ばくの影響が少ない」と言っても、補償をしたくないのだろう、被災地の作物が売れなくなるからだと憶測が飛び交い、信じられないという声にかき消されて、情報が広まらない現状があります。

計測結果による確かな真実

東京大学医科学研究所の坪倉正治医師は、東日本大震災直後に医師不足を懸念し現地入りしました。現在は東京と福島の医療活動を継続しながら、相馬市や南相馬市においてボディカウンターを使用した内部被ばく検査を進められています。
その結果、被ばく量は想定されていたものより非常に低いということがわかりました。

原発事故とは無関係の日本国内で、年間1ミリシーベルトに近い放射線量が計測される地域が少なくない中、同程度の放射線量となっていることもわかっています。

坪倉医師と志を同じくして現地入りをした医師たちと多数の論文を発表し、世界から驚きの反響を得ています。
これらの情報は福島県内で広く知られていますが、他県では大きく報道されていません。

震災の傷は深い

1995年に阪神淡路大震災が起きました。5年後の2000年に被害が大きかった明石市の出身男性と知り合いました。私は興味本位で「震災の時は大丈夫だったの?」と聞きました。彼は「俺はたまたま家族を含めて無事だった。でも友人には、自分以外の家族を失った人や、火事で家を失ったり、婚約者を失った人もいる。心に深い傷を負っている。軽々しく聞いてはいけないよ。」と言いました。
私は傷つけてしまったことを深く後悔しました。

冒頭の祖母の被爆体験は、私が幼い頃に聞き、「今は話せないから、後でお手紙を書いて送るね」と書面で伝えられたものでした。

東日本大震災のあと、横浜では福島ナンバーの車が度々見られるようになりました。近所に引っ越して来られた方がいましたし、子どもの同級生にもいます。応援する気持ちが多分にあったものの、触れてはいけないと思ってきました。

被爆者が親になるという選択

三年前、私は難病の子どもの親になりました。
遺伝性の病気ですので、子どもの将来にも影響します。隠したい、触れてほしくないと思う親がいる他方、私のように、触れられず気を使われることや黙っていることを辛く感じる親がいます。
出産を諦める親もいれば、あらゆる想定をしたうえで出産を望む場合もあります。

発覚して数年程度は病気や治療法の研究について調べるのですが、「この病気はこういうものなんだ」と気持ちの整理をつけた後に情報から離れてしまい、最新の情報を知らないままということもあります。

内部被ばく量が低水準だったことは、県外に移られた方に正しく伝わっているのでしょうか。被ばく量に問題がないにも関わらず、情報を知らず、妊娠を諦めている可能性はありませんか。

内部被ばく量は検査でわかる

ホールボディカウンタによる、内部被ばく量検査を希望される場合について、福島県庁ホームページにて詳細が掲載されています。検査対象者は無料です。

また有料になりますが、内部被ばく量の検査ができる病院が全国にあります。

不安は検査で解消できる場合があります。正しい情報が広く知られることを望みます。

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