育った家庭にストレスが多かったことから、長く精神不安を抱えていた経験があります。
早くから実家を出て親と距離をとっていたにも関わらず、社会人になってからも振り回される事案がありました。そこに仕事の多忙と、長く付き合った婚約者との別れが重なり、身体に影響を及ぼしました。
結婚して退職し、数年をかけて徐々に落ち着いていきました。最近になって、「パニック障害」のコミックエッセイを読みました。「え、これがパニック障害なの? 私も経験したけど。」
思い起こしてみれば、その症状が出ていた時期は通勤電車で酷く症状が現れ、欠勤や遅刻を繰り返していたのです。
私が発症した要因と、病院で治療をしなくても自然治癒した背景についてお知らせします。
※医師の診断は受けていません。しかしあまりにドンピシャに当てはまっているので、「パニック障害だった」と断定してお伝えします。
パニック障害とは
厚生労働省メンタルヘルス総合サイトでは、パニック障害・不安障害をこのように説明しています☟
パニック障害・不安障害とは
※以下は厚生労働省メンタルヘルス総合サイトを参考にまとめています。
症状
パニック障害は不安障害の一つです。
不安障害とは
不安障害とは不安を主症状とする疾患群の名称です。
主症状は不安です。
不安は誰でも経験するものですが、はっきりした理由がなかったり、理由があっても不釣り合いに強かったり、繰り返し起きたり、続くのが病的な不安です。
パニック障害は不安が典型的な形で現れることから、不安障害の代表的疾患と言われています。
パニック障害とパニック発作
パニック障害とは、パニック発作 、予期不安 、広場恐怖が3大症状の、急性、突発性の不安発作です。
予期しないパニック発作がパニック障害の必須症状です。予期不安、広場恐怖は二次症状として現れることがあります。
パニック発作の定義はこちらです☟(参考厚生労働省)
予期不安とは
「また発作が起こるのではないか」という不安が続くことを「予期不安」といいます。
「心臓発作ではないか」など発作のことを心配し続け、発作を心配して「仕事をやめる」などの行動上の変化がみられる場合も当てはまります。パニック発作がない時も不安があり、1ヶ月以上続くものが該当します。
広場恐怖とは
広場恐怖とは、パニック発作が起きた時、そこから逃れられない、助けが得られない場所や状況を恐れ、避ける症状をいいます。
そのような場所や状況は広場とは限りません。一人での外出、乗り物、人混み、行列、橋の上、劇場、美容院、会議などがあります。
パニック障害ではほとんどが広場恐怖を伴っていて、日常生活や仕事に支障を来す場合が多くみられます。
罹患率と男女率
2002年から2006年に厚生労働省の研究班が行った調査によると、不安障害の生涯有病率は9.2%でした。
内訳は特定恐怖症が3.4%、全般性不安障害が1.8%、PTSDが1.4%、パニック障害が0.8%という結果が出ています。
パニック障害は決して珍しい病気ではなく、生涯有病率は100人に1~2人です。
アメリカのNCS調査によると不安障害は女性に多く、特にパニック障害については男性の2.5倍の罹患率となっています。
治療法
治療法は薬物療法と精神療法に分けられます。
薬物療法はパニック発作の抑制や、不安や自律神経症状に有効な薬を使用していきます。
精神療法は認知行動療法が効果的と言われています。認知療法は暴露療法や認知療法があり、暴露療法は広場恐怖の治療として有効です。認知療法は不安を膨らませてしまう癖を自覚し、自分に言い聞かせて認知の修正を図る療法です。
治療の経過
寛解と増悪をくりかえす慢性経過が一般的です。
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_panic.html
ほかの精神障害の併存が多く、経過に影響を与えます。とくにうつ病、アルコール・薬物依存、パーソナリティ障害などが加わると、症状が悪化し経過が長引くことが分かっています。初診時までの罹病期間が長い、サポートが乏しいといった環境も経過を長引かせる要因とされています。
パニック障害の実例
私は一時期、パニック障害を発症していました。
症状が濃かった期間は一年未満でした。その数年前から体の不調が多く、総合病院にかかり検査をしましたが原因が分からず、心因性と結論付けられていました。
仕事に影響が出ると困るため、精神薬の処方を断っていました。
その時は自覚がなかったのですが、今思えば精神的にかなり厳しい状況だったのだと思います。
育った環境の影響で根本に慢性的な不安と恐怖を抱えていました。
もともと乗り物に弱く、吐き気や立ち眩みのような断続的な眩暈、手足の痺れがよくありました。これは5年程度続いていました。(大体の場合電車に乗り続けられる程度だったため、この時期についてはパニック障害とは捉えていません)
仕事の多忙と婚約者との関係の悪化が重なり、婚約破棄を決めたあたりから症状が濃く現れるようになりました。
症状が出るまで
家から会社まで1時間程度の距離を、電車に乗って通勤していました。
若干の息苦しさを感じながら乗車待ちの列に並びます。※首都圏内の通勤電車はどこも閉鎖的な空気があります。息苦しさは誰しもが感じているのではないでしょうか。
5分から10分程度待って乗車し、吊革を掴んで立ちます。
乗車してどれくらいの時間だったのかは覚えていないのですが、強い動悸を感じ始めます。
手足が痺れ、視界が白くなるような貧血状態に陥ります。呼吸が浅くなり、深く息をしたくても苦しくて吸えません。
吐き気を感じ、冷や汗が出てきます。
痺れている手足の指が冷たくなっているように感じます。
このままでは過呼吸になるか、その前に嘔吐してしまう。という恐怖が襲います。
早く駅について! と祈りながら、吊革を離さないよう努めます。吊革を離したら倒れてしまうと思うからです。
途中駅につくと、満員の人をどうにか縫って下車します。
ホームに降りてしゃがみ込んだり、ベンチが空いていたら座る、或いはふらふらした足取りのまま手洗いに駆け込み嘔吐しました。
しゃがみ込んでいると、時々「大丈夫ですか」と声をかけてくれる人がいました。
私は体に水を溜め込んでいるせいや、症状から低血圧症だと思っていましたので、「貧血なので大丈夫です」と顔も見られないままお礼を言っていました。(血液検査では貧血はなく、血圧は高い方だったため低血圧症である根拠はありませんでしたがそう思い込んでいました)
吐き気も辛かったのですが、一番つらかったのは過呼吸を起こすのではないかというくらい、呼吸が浅くなり、苦しくて仕方ないことでした。
動悸が激しいため心臓部分を太鼓のように叩かれている衝撃と、眩暈で視界が白くなって自分を保つことが難しくなり、体が重いはずなのに高熱を出した時のようにふわふわした気持ち悪さが全て一挙に押し寄せてくるため、「電車で粗相したら周囲に大変な迷惑がかかる」という恐怖との戦いになりました。
ホームで10分程度休み、電車に乗り、また途中下車をして休み、また乗るを繰り返して通勤をしました。
水分を溜め込んでいるのが吐き気に繋がっていると聞いていましたので、てっきりそのせいだと思っており、他の可能性を考えていませんでした。また、毎日途中下車を繰り返していると、同じように具合を悪そうにしてホームで休んで電車に乗りなおす若い女性を見ることがありました。
そのため、「よくある症状なんだな」と思っていました。
婚約破棄をして同棲していた家から引っ越し、弟の家に居候を始めました。
その後、出会った人に流されるようにスピード結婚が決まります。
余裕もなく声は挙げませんでしたが窒息するかと思いました。
そこも人がいっぱいで、多くの人がしゃがみ込んで電車の再開を待っていました。
私も立っていられなかったためしゃがみ込みました。
手洗いに行くことも難しく、吐き気は何とか我慢しました。冷や汗を流し、手足の痺れを感じながら、上司に遅刻することを伝えようと電話をかけましたが周囲に人が多かったせいか電波が繋がらず、半ば気を失ったように壁にもたれたまま眠りました。
2、30分経つ頃、上司から電話がかかってきて気が付きました。
その時はまだ電車が再開しておらず、人が溢れかえったままでした。「電車が止まって再開を待っています。一度連絡したけど繋がらなくて、気分が悪くなって休んでいました。すみません。」と伝えると「着信が残ってない。何時何分にかけたんだ」と怒り出しました。
「電波が捕まらなくて発信歴は残っているけど繋がらなかったんです。またかければよかったんですが、かけられずすみません。」「着歴がないぞ。かけた時間を言え!」普段から非常にしつこい上司で、フェミニストを装いながら人目につかないところで唯一女性の営業である私に当たる人でしたので、その時ばかりは非常ーーーーに煩く感じ、10年経つ今も根に持っています。(笑)
結局この日はまともに歩けるまで回復するのに時間がかかり、電車も数時間止まってしまったため、欠勤の連絡をしてタクシーで帰宅しました。
タクシーは電車ほどの症状が現れませんでした。窓を開けさせてもらい、空気の流れを感じるようにして吐き気を抑えていたように記憶しています。
このような症状が半年程度続きました。
それまで遅刻や欠勤は余程のことがない限りありませんでしたので、不本意でしたし申し訳ない気持ちで一杯でしたが、どうしても体が思うように動きませんでした。
帰宅する電車でも起こることがありましたが、朝の電車に比べると途中下車の回数は少なかったです。酒を飲んで帰宅することもあったため、アルコールの影響もあったと思います。帰宅時は兆候を感じるとすぐに下車し、タクシーを利用するなどして凌いでいました。
医師から環境を変えないと治癒しないと言われ、入籍したばかりの夫と相談して退職することにしました。
電車が苦手という思いはずっとありましたが、仕事をする上では乗らなくてはいけない乗り物でした。耐えてきたことから解放されました。
自然寛解の経過
退職をして電車に乗ることも会議に出ることもなくなりました。
電車には年始の初詣で夫と乗りましたが、その時は乗車時間が短かったからか、夫と一緒だったからか、多少の息苦しさを感じるだけでした。
その後妊娠し、健診のために一人で電車に乗った時に症状が現れました。酷いパニック障害の症状が出るようになってから、一年ほど経っていました。
しかし目的地が近かったことで、症状が出始めてすぐに下車することができました。それからは電車を使わず、一時間程度歩いて健診に行くようになります。
同時期に、開店時刻直後の駅ビルに入り、発症したことがあります。
平日のオフィス街にあるショッピングビルでしたので、開店直後で客が非常に少なかったです。
眩暈と吐き気、動悸、冷や汗と視界の白さで立っていられなくなり、近くにあった手洗いに這うようにして入りました。
トイレで嘔吐して個室を出ましたが、立てずに床に倒れました。お腹の赤ちゃんを守らなければと怖くなりました。すぐそばにベビーベッドがあることに気が付き、足を曲げて横になりました。
そこで30分ほど横になっていると段々と症状が落ち着きました。
客が入ってきて、私の姿を見て驚きました。咄嗟に「すみません」と起き上がり、その場を後にしました。このようなことが一人で、或いは夫とショッピングビルに入った時に度々起こりました。
その時も低血圧症だと思っていました。産婦人科の担当医に相談しましたが「聞いたことがない」というような返答をされました。「血液検査も問題ないから、倒れてぶつけることがないよう気を付けるように」と言われたように記憶しています。
その後はますます「電車と相性が悪い」と思うようになり、年に一、二回使う程度になりました。
車やタクシーでも全く症状が現れないわけではありませんでしたが、ふと何かしらのストレスを思い出した時に手足の痺れや吐き気の症状が出る程度でした。私の場合、パニック障害と言える症状は電車と会議中に限られていたように思います。
第一子を出産して二年ほど経ってからは、一時間以上電車に乗っても症状が現れなくなっていました。出産してからは一人で電車に乗ることがなくなっていましたので、そのせいもあるかもしれません。
パニック障害の寛解と現在
強い症状を発症してから10年が経つ今は、一人で一時間程度電車に乗っても、症状が現れなくなっています。
私は過去を振り返る記事に精神的不調だったことを多く書いていますが、学生時代も社会人時代も「私は精神不安とは無縁」と思っていました。社会人時代は学生時代を振り返って、不安定だったなと思いましたが、それでも「私は大丈夫。強い」と思っていたのです。
周囲から見ても強いと思われていたと思います。実際に、悩みがなさそうだとか、お前は何言っても大丈夫だろうと言われていました。
結婚して安定した家庭を築くにつれて、私は昔から随分と不安定だったのかもしれないと自覚することができました。
根本に育った環境による不安を認識し、両親の性格を分析する延長で、自分の分析もするようになりました。
私は自分の不安や弱さを隠すために人に弱音を言えず、強く見せかけるために落ち着いた態度を装い、理性的なふりをして武装していたのだと思います。
本当に弱い部分を突かれると、どこまで崩れ、どこまで気持ちが揺れてしまうかわからなかったからです。
感情的になって暴れる両親のようになりたくないという恐怖心もありました。
それが積み重なったところに、やりがいを感じていた仕事の限界や、結婚を考えた人と上手くいかなくなって婚約破棄したことが合わさり、限界を迎え、パニック障害を発症したのだと思います。
色々なストレスから離れ、電車や会議といった引き金からも年単位で距離を置くことで、自然と症状が落ち着いていきました。
夫と気持ちがすれ違った時や、実家のトラブルに巻き込まれた時に動悸や眩暈がしたことがありますが、一か月以上続くことはありません。パニック障害に該当しませんので、寛解していると言えます。
パニック障害で死ぬことはありません。
しかしパニック障害は精神的病を併発していることが多くありますし、かなり苦しく、発作が怖くて引きこもりになる可能性もあります。環境を変えることなく放置して治るものではありません。
パニック障害かもと思ったら、精神科や心療内科、またはメンタルクリニックにかかることをお勧めします。
症状が出始めたのは20代中盤の時でした。
一人で通勤や仕事の打ち合わせで電車やバスに乗ると眩暈がしたり、吐き気や手足の痺れを感じるようになりました。
不快だけど深呼吸をして、冷たい飲み物を飲んで落ち着かせていました。数年後、会議中にも表れるようになりました。腹部の静脈瘤の鼓動も激しく、心が落ち着かず、手指の痺れもあって周囲にバレないよう深呼吸を繰り返すようになっていきます。
夜一人暮らしの家に帰ると吐き気が込み上げて嘔吐したり、深夜の現場仕事中に嘔吐するようになりました。
数年放っておきましたが会社でも一日に一度から二度嘔吐し、気を抜くとボーっとしてしまうようになったため、総合病院の内科にかかりました。
十二指腸潰瘍や胃がんが疑われ、胃カメラを飲むなどして検査をしました。
結果はどこも悪くなく、精神的なものと結論付けられました。精神安定剤の処方を提案されましたが、企画営業職という仕事柄、ボーっとしやすくなる副作用は困ると思い断りました。
さらに数年後に偶然かかった内科の医師に、「体に非常に強い慢性的なストレス症状が現れている」と診断されました。
水分の溜め込みが原因と言われましたので、漢方治療をしましたが改善は見られませんでした。そのころ、主に電車で現れた症状がパニック障害そのものでした。
症状の具体例
家から会社まで1時間程度の距離を、電車に乗って通勤していました。
若干の息苦しさを感じながら乗車待ちの列に並びます。※首都圏内の通勤電車はどこも閉鎖的な空気があります。息苦しさは誰しもが感じているのではないでしょうか。
5分から10分程度待って乗車し、吊革を掴んで立ちます。
乗車してどれくらいの時間だったのかは覚えていないのですが、強い動悸を感じ始めます。
手足が痺れ、視界が白くなるような貧血状態に陥ります。呼吸が浅くなり、深く息をしたくても苦しくて吸えません。
吐き気を感じ、冷や汗が出てきます。
痺れている手足の指が冷たくなっているように感じます。
このままでは過呼吸になるか、その前に嘔吐してしまう。という恐怖が襲います。
早く駅について! と祈りながら、吊革を離さないよう努めます。吊革を離したら倒れてしまうと思うからです。
途中駅につくと、満員の人をどうにか縫って下車します。
ホームに降りてしゃがみ込んだり、ベンチが空いていたら座る、或いはふらふらした足取りのまま手洗いに駆け込み嘔吐しました。
しゃがみ込んでいると、時々「大丈夫ですか」と声をかけてくれる人がいました。
私は体に水を溜め込んでいるせいや、症状から低血圧症だと思っていましたので、「貧血なので大丈夫です」と顔も見られないままお礼を言っていました。(血液検査では貧血はなく、血圧は高い方だったため低血圧症である根拠はありませんでしたがそう思い込んでいました)
吐き気も辛かったのですが、一番つらかったのは過呼吸を起こすのではないかというくらい、呼吸が浅くなり、苦しくて仕方ないことでした。
動悸が激しいため心臓部分を太鼓のように叩かれている衝撃と、眩暈で視界が白くなって自分を保つことが難しくなり、体が重いはずなのに高熱を出した時のようにふわふわした気持ち悪さが全て一挙に押し寄せてくるため、「電車で粗相したら周囲に大変な迷惑がかかる」という恐怖との戦いになりました。
ホームで10分程度休み、電車に乗り、また途中下車をして休み、また乗るを繰り返して通勤をしました。
水分を溜め込んでいるのが吐き気に繋がっていると聞いていましたので、てっきりそのせいだと思っており、他の可能性を考えていませんでした。また、毎日途中下車を繰り返していると、同じように具合を悪そうにしてホームで休んで電車に乗りなおす若い女性を見ることがありました。
そのため、「よくある症状なんだな」と思っていました。
婚約破棄をして同棲していた家から引っ越し、弟の家に居候を始めました。
その後、出会った人に流されるようにスピード結婚が決まります。
余裕もなく声は挙げませんでしたが窒息するかと思いました。
そこも人がいっぱいで、多くの人がしゃがみ込んで電車の再開を待っていました。
私も立っていられなかったためしゃがみ込みました。
手洗いに行くことも難しく、吐き気は何とか我慢しました。冷や汗を流し、手足の痺れを感じながら、上司に遅刻することを伝えようと電話をかけましたが周囲に人が多かったせいか電波が繋がらず、半ば気を失ったように壁にもたれたまま眠りました。
2、30分経つ頃、上司から電話がかかってきて気が付きました。
その時はまだ電車が再開しておらず、人が溢れかえったままでした。「電車が止まって再開を待っています。一度連絡したけど繋がらなくて、気分が悪くなって休んでいました。すみません。」と伝えると「着信が残ってない。何時何分にかけたんだ」と怒り出しました。
「電波が捕まらなくて発信歴は残っているけど繋がらなかったんです。またかければよかったんですが、かけられずすみません。」「着歴がないぞ。かけた時間を言え!」普段から非常にしつこい上司で、フェミニストを装いながら人目につかないところで唯一女性の営業である私に当たる人でしたので、その時ばかりは非常ーーーーに煩く感じ、10年経つ今も根に持っています。(笑)
結局この日はまともに歩けるまで回復するのに時間がかかり、電車も数時間止まってしまったため、欠勤の連絡をしてタクシーで帰宅しました。
タクシーは電車ほどの症状が現れませんでした。窓を開けさせてもらい、空気の流れを感じるようにして吐き気を抑えていたように記憶しています。
このような症状が半年程度続きました。
それまで遅刻や欠勤は余程のことがない限りありませんでしたので、不本意でしたし申し訳ない気持ちで一杯でしたが、どうしても体が思うように動きませんでした。
帰宅する電車でも起こることがありましたが、朝の電車に比べると途中下車の回数は少なかったです。酒を飲んで帰宅することもあったため、アルコールの影響もあったと思います。帰宅時は兆候を感じるとすぐに下車し、タクシーを利用するなどして凌いでいました。
医師から環境を変えないと治癒しないと言われ、入籍したばかりの夫と相談して退職することにしました。
電車が苦手という思いはずっとありましたが、仕事をする上では乗らなくてはいけない乗り物でした。耐えてきたことから解放されました。
自然寛解の経過
退職をして電車に乗ることも会議に出ることもなくなりました。
電車には年始の初詣で夫と乗りましたが、その時は乗車時間が短かったからか、夫と一緒だったからか、多少の息苦しさを感じるだけでした。
その後妊娠し、健診のために一人で電車に乗った時に症状が現れました。酷いパニック障害の症状が出るようになってから、一年ほど経っていました。
しかし目的地が近かったことで、症状が出始めてすぐに下車することができました。それからは電車を使わず、一時間程度歩いて健診に行くようになります。
同時期に、開店時刻直後の駅ビルに入り、発症したことがあります。
平日のオフィス街にあるショッピングビルでしたので、開店直後で客が非常に少なかったです。
眩暈と吐き気、動悸、冷や汗と視界の白さで立っていられなくなり、近くにあった手洗いに這うようにして入りました。
トイレで嘔吐して個室を出ましたが、立てずに床に倒れました。お腹の赤ちゃんを守らなければと怖くなりました。すぐそばにベビーベッドがあることに気が付き、足を曲げて横になりました。
そこで30分ほど横になっていると段々と症状が落ち着きました。
客が入ってきて、私の姿を見て驚きました。咄嗟に「すみません」と起き上がり、その場を後にしました。このようなことが一人で、或いは夫とショッピングビルに入った時に度々起こりました。
その時も低血圧症だと思っていました。産婦人科の担当医に相談しましたが「聞いたことがない」というような返答をされました。「血液検査も問題ないから、倒れてぶつけることがないよう気を付けるように」と言われたように記憶しています。
その後はますます「電車と相性が悪い」と思うようになり、年に一、二回使う程度になりました。
車やタクシーでも全く症状が現れないわけではありませんでしたが、ふと何かしらのストレスを思い出した時に手足の痺れや吐き気の症状が出る程度でした。私の場合、パニック障害と言える症状は電車と会議中に限られていたように思います。
第一子を出産して二年ほど経ってからは、一時間以上電車に乗っても症状が現れなくなっていました。出産してからは一人で電車に乗ることがなくなっていましたので、そのせいもあるかもしれません。
パニック障害の寛解と現在
強い症状を発症してから10年が経つ今は、一人で一時間程度電車に乗っても、症状が現れなくなっています。
私は過去を振り返る記事に精神的不調だったことを多く書いていますが、学生時代も社会人時代も「私は精神不安とは無縁」と思っていました。社会人時代は学生時代を振り返って、不安定だったなと思いましたが、それでも「私は大丈夫。強い」と思っていたのです。
周囲から見ても強いと思われていたと思います。実際に、悩みがなさそうだとか、お前は何言っても大丈夫だろうと言われていました。
結婚して安定した家庭を築くにつれて、私は昔から随分と不安定だったのかもしれないと自覚することができました。
根本に育った環境による不安を認識し、両親の性格を分析する延長で、自分の分析もするようになりました。
私は自分の不安や弱さを隠すために人に弱音を言えず、強く見せかけるために落ち着いた態度を装い、理性的なふりをして武装していたのだと思います。
本当に弱い部分を突かれると、どこまで崩れ、どこまで気持ちが揺れてしまうかわからなかったからです。
感情的になって暴れる両親のようになりたくないという恐怖心もありました。
それが積み重なったところに、やりがいを感じていた仕事の限界や、結婚を考えた人と上手くいかなくなって婚約破棄したことが合わさり、限界を迎え、パニック障害を発症したのだと思います。
色々なストレスから離れ、電車や会議といった引き金からも年単位で距離を置くことで、自然と症状が落ち着いていきました。
夫と気持ちがすれ違った時や、実家のトラブルに巻き込まれた時に動悸や眩暈がしたことがありますが、一か月以上続くことはありません。パニック障害に該当しませんので、寛解していると言えます。
パニック障害で死ぬことはありません。
しかしパニック障害は精神的病を併発していることが多くありますし、かなり苦しく、発作が怖くて引きこもりになる可能性もあります。環境を変えることなく放置して治るものではありません。
パニック障害かもと思ったら、精神科や心療内科、またはメンタルクリニックにかかることをお勧めします。