イベントの仕事をしていた時の話しです。
予期せず万引き犯と対峙することになりました。
その場の責任者だったため私に判断が委ねられ、非常にテンパりまくった話です。
万引き犯を捕まえる際の必須事項についても記しています。
万引き犯が出没
都内の会場を借り、一般客を対象にした食の展示会を開催しました。
私はイベント本部の一端を担っていました。
勤める会社は協力会社を束ねる役割もありましたので、私よりずっと年上で経験豊富な協力会社の担当者達の力を借り、会場を仕切っていました。
立ち上げたばかりのイベントでしたが、広報や立地、芸能人を招いたステージが功を奏し客入りは好調で、継続した開催が見込まれる大規模なものとなりました。
初日、二日目が盛況に終わり、最終日を明日に控え、ホッと一息ついていました。
控室の椅子に座り後輩と談笑していると、協力会社間で共有しているインカムに一報が入ります。
「後片付けをしていた★★(出展企業名)様より、怪しい動きをしている女性が◇◇ホールにいるとの報告を受けました」【協力業者】
二日目の展示会は終了時刻を過ぎており、一般の客はいないはずです。
会場には後片付けのために残っている一部の出展者と、会場の調節に入っている協力業者のみで閑散としている時間でした。
「もう一名、△△(出展企業名)様からも、先ほどと同様の女性が各出展者のブースを覗き物色している旨と、何かをカバンに入れたのを見たと報告を受けました。」【協力業者】
控室外にいた私の上司が返答しました。
「◇◇ホールのどこ? 特徴は?」【上司】
「◇◇ホール内を動いています。若い女性です。」【協力業者】
私と後輩はインカムのやり取りを聞きながら、事件が起こっていることを認識しました。
「俺、生で万引き犯見たことない。見たくない?」後輩がそういいながら私を見てにやりと笑いました。
確かにどうやって捕まえるのだろう、と興味が湧きました。それに人の手が必要になるかも知れない。
万引き犯の正体
後輩と二人で控室から走ってホールに向かう途中、若い女性とすれ違いました。
奥から先ほどインカムで一報を飛ばしていた協力業者さんが小走りで歩いてきます。
おや、もう解決したのかな? と思っていると、
「それそれ!!」【協力業者】
と私がすれ違った若い女性を指さし、ジェスチャーで示しました。
え、この人!?
私も後輩も足を止めます。
小走りに去ろうとしているその若い女性は、二十代前半辺りの細身で小柄。
品の良いほんのりとした色合いの茶髪でボブカットヘア。
ピンクがかったふんわりとしたスカートを履き、男性ウケしそうなOLコーデをしていました。
万引き犯と言えば子どもか高齢者のイメージしかなく、こんな人が万引きするの!? と衝撃を受けました。
しかし彼女の腕に持っているキューブ型のトートバックは明らかに膨らんでおり、中が見えないようにハンカチが被せてあります。
そして女性は顔を隠すかのように俯き、小走りでエレベータまで向かっています。
明らかに不自然でした。
万引き犯と対峙
協力会社さんと後輩は私を振り返ります。
その顔には、
さあ、どうする!?
と興奮した目が輝いていました。
私、この場では一番の責任者だった!!(心の声)
しかし迷っている時間はありません。
女性は追われている自覚があり、明らかに逃げようとしていました。
私は咄嗟に女性に向かって、
とにかく足を止めて時間を稼ぎたかったのです。
心臓はバクバクです。
女性は一瞬怯んだものの、足を止めません。顔もあげません。
その不自然な動きから、これは確実にやっている。そう思いました。
しかし女性は全く無視をしているわけでもなさそうです。
会場で何をされていたんですか?
「片づけを……。」
消え入るような声で女性が答えました。
「どちらの出展者様ですか?」
「○○です。(会社名)」
〇〇は本当に出展している出展者名です。全国でも有名な出展者名でした。
しかし、彼女がいた◇◇ホールとは別のホールに出展しています。
「出展者バッジはお持ちですか?」
出展者は出展者バッジの着用を義務付けられていました。
バッジは首からぶら下げるタイプで、パスケースに入った専用の身分証です。
それを持っていれば、出展者である証明になります。
「会社の人間が持って行ってしまって……。」
手元にはないと女性が答えました。
ここで出展者ではないと断定できればよかったのですが、バッジが手元にないのは、度々起こる事態でもありました。
出展者バッジを着用しないと会場内には入れないのが前提ですが、退館するときには着用がなくても問題がありません。
管理のために会社の代表者がバッジを集めている出展者もいるのです。
そうこうしている間に、エレベータ前まで来てしまいました。
引き止めたい! だけど、協力業者さん自身が万引きをする場を見ているならまだしも、目撃した別の出展者からのまた聞きです。
わざわざ嘘の報告をするわけがありません。でももしカバンに入れたのが見間違いだったら。
いやいや、別の出展者も怪しいと報告しています。
そして私の目から見ても女性の動きは明らかにおかしい。やっているはず! でも私がカバンに入れたのを見たわけではない!
グルグルと思考が回りました。
これが万が一間違いだった場合、大変な責任問題になると思いました。
有名な出展者の会社の人間だと彼女は言いました。もし問題になって次年度以降出展しないと言い出し、責任を取って私の会社を外せと言われたら、会社の大損になります。
打算打算打算……。
グルングルン思考が回り、心臓はバクバク大行進をしています。
でも彼女、十中八九やってるよー!?
私が瞬間的に自問自答する横で、後輩と協力業者さんは黙って事態を見守っています。
エレベータが到着し、彼女は逃げ込むように乗り込みました。
大きな声で投げかけました。
彼女は俯いたまま答えすに扉を閉めて去っていきました。
最後の質問はわざと投げかけました。
腕をつかみ引き止めることは、あまりにリスクが大きすぎ無理だと判断しました。
しかし、訴えられない程度に「あなたを疑っています」と印象付けておきたいと思いました。
翌日に控えている最終日にまた万引きをされないように、予防線を張っておきたかったのです。
周囲に人がいなかったので言えましたが、場合によっては名誉棄損になるかもしれません。
キツイ!!
「あれ、行かせちゃってよかったの?」
私には無理だった。あまりにリスクが高すぎた。
「うーん。」【協力業者】
思いっきり、麒麟が万引き犯を逃がした! という空気が流れました。
上司は遅れて到着しました。
遅いよ!!
万引き犯を逃がしたと怒られる
上司になぜ逃がしたのかと叱られました。
カバンに入れた場面を見ていなかったこと。
証言はまた聞きのまた聞きで証拠がなかったこと。
十中八九やっていると実感したものの、もし間違った場合のリスクがあまりに高いと判断したと伝えました。
散々怒られましたが、後に警備会社に万引き犯の対処を聞いた上司は、
「万引き犯を捕まえる際は、捕まえる人が目撃していることが基本。
見ていない場合は、リスクが高いため手が出せないらしい。」
と私に報告してきました。
私の対処は正しかったということでお咎めなしとなりました。
物品がなくなっている出展者には本部が補償しました。
翌日より顔が知れた出展者であっても入退場時にバッジ着用がなければ会場に出入りができないよう、警備が徹底されました。
万引きと窃盗症、クレプトマニア
宝飾の展示会で数億円の宝石が盗まれるなど、イベント時の盗難がニュースになることがあります。
宝飾の展示会は特に非常に警備を厳重に敷いていますが、出展者だけで数百から数千人、来場者は数十万から数百万人に及び、イベント本部の協力会社の人数も数百から数千人にのぼります。
イベント専門の盗犯もいますので、安全に会期を終えるためには警備が大きな要となります。
怪しい女性が名前を挙げた会社に確認をしましたが、無関係だと言うことがわかっています。
状況や態度からも彼女は黒だったのだと思いますが、展示会を狙うあたり常習犯だろうと想像します。
捕まえずに帰らせてしまったことは、果たして彼女にとって良かったのでしょうか。
そうは言っても、私にできることはなかったのですが。
窃盗を繰り返す人をクレプトマニアと言います。精神障害の一つです。
彼女の未来が明るいものであるように願います。