精神科医、岡田尊司著書「死に至る病」にこのような一文があります。(抜粋)
「死に至る病」とは愛着障害にほかならない。愛着障害とは、神どころか、親の愛さえも信じられないことである。
自分のことをとても愛しているように見えるときでさえも、実は本当には愛せていない。本当には愛せない自分だから、理想の自分でないとダメだと思い、自分に完璧を求める。自信に満ちて見えても、それは、ありのままの自分を隠すための虚勢にすぎない。彼らが自分のことを、愛される資格がない、生きる値打ちがないと思っているのには、その確信の根拠となる原体験がある。
https://toyokeizai.net/articles/-/306661?page=3
彼らにとって最も大切な存在が、彼らをあからさまに見捨てたか、かわいがっているふりをしていたとしても、本気では愛してくれなかったのだ。
「本気で」とは、口先ではなく行動で、ということであり、彼らがそれをいちばん必要とした幼いときに、彼らのことを何よりも優先し、気持ちだけでなく時間と手間をかけてくれたということだ。
自己肯定感は、これまでの人生の結果であり、原因ではない。それを高めなさいなどと簡単に言うのは、本当に苦しんだことなどない人が、口先の理屈で言う言葉に思える。
いちばん大切な人にさえ、自分を大切にしてもらえなかった人が、どうやって自分を大切に思えるのか。
単に気持ちの問題にとどまらない。
それに対する答えが、「愛着障害」なのである。
私は精神科医でもなければカウンセラーでもなく、ただ両親との関係に悩んできたごく普通の主婦です。
なぜか私の周囲には、両親との関係に悩む、或いは虐待を受けた経験者が多数集まりました。
驚くのは、普段溌溂として意見をはっきり言えたり、いつも笑顔で、しっかりとした芯を持って(印象)いて、ゆるぎなく、魅力的な人ばかりでした。
悩みがなさそう
強い
鷹揚としている
そんな評価を受ける彼女たちですが、反面、非常に弱く脆い心を持っていました。
彼女たちは両親の愛情を欲しいと思いながら、しかし諦めなければならず、それでも欲しいと思うはざまで揺れ続けていました。
欲しい欲しいと思いながら、両親を反面教師に、社会を渡る処世術を学んでいました。
それが過剰なまでの気遣いや笑顔となり、周囲に人を集める結果に繋がりました。
普段、彼女たちが脆さを出すことはありません。
一度出してしまえば、どこから壊れてしまうかわからないからです。
常に気を張り、脆い部分を武装していました。
どれが自分で、どこからが演技なのか、自分でもわからないのです。
彼女たちは自分の脆い心を照らし合わせ、人が欲しがるものを感じることができました。
愛されたい欲求が合わさり、与えることを続けた結果、知らず知らずのうちに心が疲れてしまいました。
時にそれが伴侶への強い依存や、自分のすべてを受け入れてほしいという激しい欲求に繋がる人もいます。休みたい、守られたい、愛されたい結果なのですが、幼い頃から不足した愛情分も求めてしまい、疲れさせて破局することがあります。
或いは、やっと手に入れた幸せに恐怖を感じることも。
私は望んだ形ではなかったにしろ、愛情を与えられて育ちました。
恐らく本にあるような、愛着障害ではありません。
それでも結婚し、生活が安定していくと、こんなに幸せで大丈夫なのだろうかと不安が押し寄せました。
どこかに落とし穴があるのではないかと疑ってしまうのです。
夫と揉め、止める夫を突き放して離婚に突っ走ろうとした時は、「やっぱり、簡単に幸せになれるはずがなかったんだ。」とどこかで安心さえ感じていました。
少しでも疑いが残る夫婦関係なら、要らないと強く思いました。見せかけの形には絶望しかないのです。
そんなものならない方がいい。
夫婦喧嘩をして、相手の悪口を言いながらも、「どうせ帰って来る。」と安心している人の話を聞くと、驚き、感心しました。
努力をしなくても愛される、居場所があると思える自信は私にはありませんでした。
夫は離婚に突っ走る私の反応に驚いたと言います。私と夫はその後、長い時間話し合いを持ちました。
私の愛情が0か、100しかないことを知った夫は大きく変わり、夫を見て私も変わりました。
幸せを感じていい。安心していい。信じていい。私は夫を支えていきたい。そして夫も私を愛し支えてくれる。家族が私のすべて。
幸せの代わりに払わなければいけない代償は、ない。
そう感じられるまでに結婚して10年かかりました。
どんなに周囲に人が集まっても、誰かに特別に愛されることとは違います。
本当に幸せだと思えた時、それまでの環境と落差があればあるほど、怖いと思うでしょう。
これ以上頑張らなくてもいい。
きっと今が私の絶頂期。疲れた。満足した。
こういう揺り返しの感情もまた怖いものです。
愛しているから、幸せだからこそ死にたい。そう思うこともあるのです。
……こう書いていますが、死を肯定しているわけではありません。死んだらダメですよ。
幸せのためにあなたが必要だって求めている人がいるから。
死にたいって思っているときは盲目になっているから、自分を必要としてくれている存在に気がつけないだけです。
そういう病気です。(その人が金銭や依存の対象で重荷になっている場合は除きます。)
もし自分のパートナーや大事な人に危うさを感じたら、一般論とか、そんなことは放っておいて、ただ、あなたに代わりはいない。あなたが必要だと求めてください。
弱い部分を隠すのは、怪我をした動物と一緒です。
隠しているから周囲が気がつけないのは仕方がありません。
でももしどこかで感じることがあったら、その方の存在を求めてください。
☝なに、その非科学的な気休め。宗教ですか? と思われるかもしれませんが、私はお坊さんさえ呼ばない完全な無宗教です。
これ、いいおまじないだと思ってます!! 笑
大切な人が落ち込んでいたら、是非やってほしいと思います。