第二子の出産で、当時二歳後半だった長女と初めて離れました。
夫は仕事があったため、近所に住む義母に長女の世話をお願いしました。
出産後に第二子の顔を見に義両親が長女を連れて見舞いに来てくれましたが、「もうママには会わないほうがいい。」と義母に告げられ、退院まで上の子に会えなくなりました。
産後のガルガル期で非常に腹立たしくなった話と、長女の戸惑い、夫の変化についてお知らせします。
第二子出産前の長女
長女は産まれた時から少々気性が激しく、泣き方や癇癪が派手でしたが甘えん坊でもありました。
常に私にべったりとくっついていて、一人で遊ぶことをせず、私と一緒に遊びたがりました。
出産前にこう言い聞かせていました。
赤ちゃんが生まれて少しの間は、ママが病院にお泊りしなきゃいけないから、おばあちゃんたちと一緒にご飯食べたり、寝たりするんだよ。
ママと一緒がいい!
赤ちゃん産んで退院したらまたずっと一緒だよ。おばあちゃんたち優しいし、いつも美味しいお菓子くれるから楽しみだね。
おばあちゃんお菓子くれるー! やったー!!
寂しさを感じているようでしたが、お菓子につられて喜んでいました。
自宅で破水し病院に向かう前、近居の義両親が長女を引き取りに来てくれた時には、素直に車に乗り込んで行きました。
出産
第二子の出産は母子ともにトラブルなく終えることができました。
第一子の長女を出産後は出血量が非常に多かったため、体調が戻るまで長くかかりましたが、次女の産後は後陣痛と疲れがあるものの、以前と比べて余裕がありました。
大部屋に移ったあと、出産に立ち合った夫は帰宅して寝ています。
新生児の次女がとても可愛くて仕方ない反面、義両親に預けている長女が気になりました。
大部屋の様子
4人部屋のベッドは全て埋まっていました。
一つは水商売をしているらしい若い奥さんでした。
ホストをしているらしい旦那さんと友人たちが常に何人も出入りして盛り上がっており、看護師にラウンジに行くよう何度も注意をされていました。
一つは出産に合わせて旦那さんが連休を取ったらしく、毎日実母と旦那さんと子どもたちが見舞いに来ていました。
もう一つのベッドも毎日旦那さんらしき男性が見舞いに来て、静かに会話をしていました。
夫は出産には積極的に立ち合いますが、見舞いに来ることはなく、退院時に来ただけでしたので、次女の産後も退院まで来ないだろうと予想していました。
義両親と長女の見舞い
私が出産した日の夕方に、両親が見舞いに来てくれました。
次女の写真を撮って長居をせずに帰りました。
夕方、義両親と長女がやって来ました。
長女!!
会いたかったー!!
たまには一人になりたい、自分の時間が欲しいと思っていたにも関わらず、いざ離れると寂しくてたまりませんでした。
ママ!!
と飛びついてくることを期待しましたが、長女はその場に立ち尽くし、私を見ても無言のまま、きょとんとした顔をしました。
長女、おいで。どうしたの?
あらあら、どうしたの長女ちゃん。ママよ。
出がけにママと赤ちゃんに会いに行くよ、と言ったらすごく喜んでたのよ。
長女はそのまま義母にしがみつき、顔を隠してしまいました。
そうなんですね。ありがとうございます。
でもどうしたんだろう?
長女は新生児用のカートに寝ている次女に気付いていましたが、見ようとしませんでした。
ママは長女にずっと会いたかったよ。
何度か言うと、義母から離れて私にしがみつき、顔をうずめてしまいました。
長女に会えて嬉しいな。
おばあちゃんたちたくさん美味しいものくれるし、遊んでくれるでしょ?
みんな長女のこと大好きだからね。
少しの間言い聞かせていました。
産まれた赤ちゃん見てみる?
うん。
やっと反応してくれました。
ベッドに座り、赤ちゃんを抱っこさせてみると、
赤ちゃん、手ちっちゃい。
足もちっちゃいね。かわいいー。よしよし。
次女を可愛いと言い、あやそうとしました。
長女の妹だよ。早く一緒に遊べるようになるといいね。
うん、一緒に遊ぶ!
いつもの長女が戻ってきました。
義両親にも次女を抱っこしてもらい、少し話をしたところで、
じゃあ遅くなっちゃうし、ママが疲れちゃうから帰ろうか。
やだ!! 帰らない!!
もう少し長女と一緒にいたかったですが、義両親は高齢で、孫の世話だけでも大変なはずでした。
帰りが遅くなれば日が落ち、車の運転にも支障が出かねません。
また来ればいいじゃない。今日はもう帰ろうね。
いやだー!! ぎゃあああああーん!!
長女お得意の、恐竜泣きが始まりました。(恐竜泣きとは、ジュラシックパークやゴジラの叫び並みに激しい泣き方です。)
またすぐに会えるよ。大丈夫。
それにあと四回寝たらママがお家に帰るから、そうしたらずっと一緒だよ。
義母と私が言い聞かせを続け、最後は半ば強引に抱えるようにしてエレベータに乗り込んで行きました。
エレベータが閉まる時には、泣き止み、私に手を振りました。
次はいつ会えるかな。
大部屋で次女の面倒を見ながら、長女のことを考えました。
誰も来ない
案の定夫は見舞いに来ませんでした。
夫の職場のすぐ近くの産院ですが、
行ってもやることがないから。
と言ってきません。
病院と自宅の間にある義両親宅にも、同様の理由で顔を出していませんでした。
翌日、翌々日と義両親が見舞いに来ることはありませんでした。
そうこうするうちに退院日が決まり夫に伝えたところ、
仕事を休めないから無理。行けない。
と言われます。
抱っこ紐を使えない新生児を抱えて、大荷物を抱え会計をして、一人で帰宅するのは危険だな。
何かあったら頼ってね。
義母に言われたことを思い出し、送迎を頼めるか電話をかけました。
退院の送迎は私たちがやることじゃないわ。
退院日を夫君の休みまで伸ばしてもらいなさいよ。
入院日や退院日は自分で決められるのよ。
出産の場合は変えられなかったと思うんですが、聞いてみます。
ナースステーションに確認しましたが、やはり退院日は個人の都合では変えられないと言われました。
どう? 退院日変えられたでしょ?
出産の退院日は変更できないと言われました。
そんなはずないわ! 変えられるはずよ。もっと上の人に確認してみなさい。
退院は自分で何とかします。
ありがとうございました。
長女の様子はどうですか?
元気よ。でも見舞いにはもう行かない。
ママには会わないほうがいいと思うの。それでいいわよね?
え。
どうしてですか?
この前帰りのエレベーターの扉が閉まってからまた大泣きし続けて、歩こうともしなくて大変だったの。泣きすぎて車で嘔吐もしたの。
だから刺激しないほうがいいと思うのよ。そうでしょ?
そうだったんですね。
すみません、お手数おかけしました。
……会いたかったな。
他のベッドが騒がしい分、出産日以降誰も来てくれなくて寂しさを感じていました。
それが義母に伝わったようです。
それが長女ちゃんのためだから。
わかりました。
ガルガル期発動
電話を終えてベッドに戻ると、沸々と怒りが湧いてきました。
〇 入院日は変更できないって言ってるのに、しつこいな。
〇 頼ってって言う割に、車で20分程度の距離も迎えに頼むのはダメなのか。
〇 長女に会いたいのに会わせてもらえないのは酷い!
〇 入院中周囲のベッドは賑やかなのに、私は次女と二人きりで寂しい!!
〇 一人で退院ってなんだよ。危険だろ!
この時、怒りの矛先は義母でした。
無性にイライラが続きます。
恐らく電話でした退院日を延ばす、延ばさない話しにストレスを感じたからだと思います。
結局退院は夫が休みを取ってきてくれました。
退院後、義両親宅に長女を迎えに行きました。
きゃー♡ パパ、ママ!!
長女は私と夫が迎えに来たことをとても喜びました。
そして、ほんの5日だったにも関わらず、丸々と太っていました。
美味しいものをたくさん食べさせてもらったようです。
ありがとうございました。
長女は非常に活発な子で、買い物に連れて行くと力づくで手を放して走って行ってしまったり、スーパーの床に20分以上寝転んで泣きわめいたりと手がかかる子でした。
義母が迎えを断ったのは、大変だったからなのだと思います。
退院の送迎は私たちがやることじゃないわ。
これも、夫の仕事だと言いたかったのだと今はわかります。
息子には苦言を言いにくいようでしたので、そんな言い方になったのでしょう。
それでも夫に、
麒麟さんがこちらに迎えを頼んできたわよ。
と言ってくれたおかげで、夫が休むことになりましたので、義母のお陰でした。
あの時は義母に怒りが湧いてしまいましたが、怒るべきは夫でした。
私が産後に唯一経験したガルガル期でした。(産前のガルガルは結構ありました。)
三女誕生
夫は次女の誕生あたりから私を舐め腐っていた時期がありましたので、退院時にわざと休みが取れないと言ったのだと思います。
その後は長女の赤ちゃん返りで手を焼きました。
夫と心のすれ違いが続き、夫がパチンコ中毒に陥っていることが発覚します。キャバクラやら風俗やらと使い込みが発覚し、ブチ切れて離婚を突きつけました。
焦った夫が平謝りして態度を改め、長い期間話し合いを重ね、以前よりずっと仲良くなりました。
その時期の話がチラッと出ています☟
夫が家族のありがたみを感じ家族ファーストになった頃、肺炎を起こして入院します☟
入院中、すごく寂しかった。
麒麟や子どもたちが毎日来てくれるのが本当に嬉しかった。
……私も出産時に寂しかったけどね、と思いながら胸にしまっていました。
少しして第三子を妊娠しました。
三女の産後は何度も見舞いに来てくれました。
夫は変わったなー。
難病を持って産まれた三女の出産の話☟
子どもが出産などで初めて母親と離れ、あまりに動揺してしまう場合は、毎日会って安心させるか、逆に期待をさせないよう一時会わせない選択をするのも子どものためなのかもしれません。
会いたいと思うのは私の希望であって、長女の身になって考えられていませんでした。
三女の出産で入院した時には、長女と次女の世話を他県に住む実両親に頼みました。
義両親の高齢化が進んでいたからです。
長女と次女が二人で遊べるからか、寂しがって泣くことはありませんでした。
寂しいのは私だけだった。
出産には家族の歴史と成長を感じました。
どなたかの参考になれば幸いです。