大切な人の死が近づいたとき、私は恐怖を感じました。
離れて暮らしているその人に会いたいと思うと同時に、会いたくないと思いました。
薄情な気がして、会いたくないとは周囲に言えませんでした。
友人の母親が余命宣告を受けました。
彼女はそれまで、長期休みになる度に長く帰省していましたが、余命宣告されてから帰らなくなりました。
大切な人の死期と看取りの覚悟について考えました。
大切な存在の死
長い闘病の末の祖父の死
数年前に、私の祖父が亡くなりました。
若い時から心臓を患っており、度々発作を起こしました。
次に大きな発作が起こったら助からないかもと言われながら、長い時を過ごしました。
大好きな酒をやめるくらいなら死んだ方がマシと言う祖父でしたので、量を抑えながら飲酒も続けていました。
私は、両親と上手い関係を築けていませんでした。
しかし母の父である祖父とは、仲が良かったのです。
長期休み中、母は幼い私と弟を連れて、祖父のいる実家に長く滞在するのが恒例でした。
実家では母の精神が安定していました。父と母の喧嘩の音も聞かずに済むので、私と弟はのびのびと過ごしました。
祖父は私を興味深く観察していました。
親と祖父母は養育の責任に違いがあるからか、従わせるような押しつけは全くありません。
幼い私が話すことに興味を持ち、一人の人間として接してくれました。
それが私を肯定してくれているようで、心地よかったのです。
時が経ち、祖父は定年退職をしました。
退職後は二日ごとの通院に加え、三味線、唄、絵画、無線、カラオケ、パソコンと同時進行でいくつも趣味を抱え、忙しくしていました。
私が酒が飲めるようになると、正月や盆に会うたびに一緒に飲みたがりました。
相変わらず私の話しを面白がり、議論や討論をして時間を過ごしました。
私の両親が酷く揉めて安否が不明な時も、祖父とは客観的な話をすることができ、心の整理に役立ちました。
私が結婚して子どもが産まれたころ、祖父は80代を越え、体の自由が失われて行きました。
80代中盤頃から味覚を失って食欲を無くし、眠る時間が増えていきました。
電話をかける度に、祖母は「おじいちゃんはもう長くない」と言いました。
祖父母宅はわが家から車で2時間強の距離でした。
私は子育てが忙しいと理由をつけて、以前より遊びにいく頻度を減らしました。
遊びに行こうと思い立ち電話をかけると、昨日から調子を崩しているから、検査があるからなどと断られることもあり、益々会う機会が減りました。
電話で話すたびに祖母は「(祖父が)激やせした。年は越せないだろう」と繰り返しました。
「今会わないと、いつ会えなくなるかわからない」という気持ちと「死を前にした祖父に会いたくない」という気持ちが私の中に混在しました。
死は特別なことではない。
長く病気を患いながら、80代中盤まで生きたなら大往生。
「年は越せないだろう」と言われながら2年が経ちました。
電話で様子を聞くたびに心が沈みました。
年に一度ほど顔を見に行きました。味覚がなく食欲を失っている祖父も、私が遊びに行くときはいつもより食べるのだと祖母が話しました。
苦しそうな祖父を目の当たりにして、怖いと思いながらも、未来の話しをし、明るく振る舞う自分とのギャップを感じました。
ある時、いよいよ祖父が危ないと連絡を受けました。
入院先の病院に見舞いに行く途中、血の気が引く感覚がありましたが、「ついに終わるのか」という妙な安堵感もありました。
死を見たくないという連続する恐怖の終わりが見えて、どこかホッとしたのです。
不謹慎ですね。でも正直な気持ちでした。
祖父が長い闘いの後亡くなった話はこちらです☟
持病により頻繁に病院を受診していた祖父は、食べ物の味がわからなくなり、食欲を失い、息苦しさや痰に悩まされながら数年生き延びました。祖父はいっそ死にたいと言いました。祖父の死をきっかけに安楽死や尊厳死について調べ、考えたことを記します[…]
人生の支えだった猫の死
独身時代から一緒に暮らしていた猫が体調を崩しました。
里親として引き取って以来、16年もの間、一緒に過ごしてきた子です。
仕事が上手くいかなかった時も、彼氏と別れた時も、愛猫が支えとなっていました。
結婚をして子どもが産まれると、愛猫に割く時間が減りました。
3人の娘が産まれて忙しくしている中、祖父が亡くなりました。
祖父の死をきっかけに親戚間でトラブルがあり、それも落ち着いたころ、愛猫が体調の不良を連発しました。
入院や通院治療が続きました。
腫瘍の疑いが強まりました。治療のストレスによる体調不良が見られる中、治療をしても長くは生きられない可能性があることを説明されました。それでもできる治療を続けていました。
病院からの帰り道、毎度ストレスを感じました。病院で現実を知らされることが怖く、予想される症状の通りに現れていくのを見るのも辛い。そんな日々が続きました。
夫の子どもたちも猫の心配をしましたが、世話をするのは私の役目でした。
出血や粗相をするので、掃除をして、愛猫の体を拭きました。
死に近づいていく愛猫を一人で看るのは辛かったです。
居なくならないでほしい。
私を置いて行かないでほしい。
夫は猫好きですし、愛猫を家族だと言う言葉に嘘はありませんでしたが、病院についてくることはなく、様子を私に訊ねるだけでした。
私の方が付き合いが長いとはいえ、夫には苦しみを共有して欲しかったです。
我が家の愛猫(仮名ツチノコ)が息を引き取りました。ツチノコと私は16年連れ添いました。現在は亡くなって三日目です。喪失感が酷く、気持ちの浮き沈みが激しい状況です。そんな時に救われたのが、経験者の言葉でした。現在ペ[…]
癌ステージ4の実母に会うのが怖い
友人の母が癌の診断を受けました。
ステージは4。何も治療をしなければ余命半年という宣告でした。
小さな男の子二人を連れた家族が、周囲の注目を集めていました。妻が大声で夫に「あなたも教育しなさいよ!! なんでわたしばっかりなのよ!」と怒りをぶつけていたのです。周囲を歩く男性の中には、怪訝そうな表情の方がいました。「みっともな[…]
口数が減った友人に、帰るのが怖いのかと聞くと、少し黙って「怖い」と答えました。
もう実家に帰っても元気な母はいない。そんな母を見たくない。
抗ガン治療が辛いらしくて、やめたいと言っている。
母の希望を尊重するべきだと思うけど、生きていてほしいと思う。そういったことを考えたくない。
私も祖父の時にそう思ったからです。
会わなければ、例え亡くなったとしても「会っていないだけで生きている」と思える。それが自分の心の支えになる。
散々世話になった母親なら、母親の希望を聞いて、添うように行動をしたらどうか、と思ったのです。
薄情と感じたのは、第三者として見るからです。行動だけを見てジャッジする意味はありません。
死の覚悟は、ただ行動を見ただけではわからないのだと思いました。
看取り看護士の話
在宅で看取る看護師と知り合い、話を聞いたことがあります。
呼び出しがあれば、深夜でも個人宅に向かうのだそうです。
しっかりとしていて、簡潔な言動で、厳しさも感じる方でした。
死の受け入れ方に正解はない
近しい存在であればあるほど、その死を怖いと思うのは自然な感情です。
直視したくないと思うことも、避けたくなるのも自然です。
その上で何かできることを探すのも、会いに行くことも選択の一つであって「こうしなければならない」という正解はありません。
私個人に限っていえば、当人と会話を交わせるほうが心残りが少ないと感じました。
また、当人をすぐそばで支える立場では、家族に深く関わってほしいと思いました。
ただ立場によって正解は変わります。
当人はどう思うのでしょうね。
私はまだその立場に立っていないのでわかりません。
悔いが残りませんように。
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