この記事は、知的障がいのある男性から性被害を受けた経験と、今親になって思うことを記しています。
性被害については、当時の感情のまま表現しています。
ご了承ください。
知的障がい者から痴漢をされる
私が大学生のときの話です。
深夜のビジネスホテルのフロントバイトをしていました。
勤務が終わると、朝8時頃に家の最寄駅に着きます。ロータリーに停まっているバスに乗り込み、出発を待つのが日課でした。
バスは無人で、エンジンも止められています。
出発を待つ客のために、バス後方の乗車ドアを解放。降り口である前方のドアを閉めてエンジンを切り、運転手は出発直前まで待機所で待っているのが常でした。
大抵は私一人がバスに乗っていて、出発直前にバスルートにある障がい者就労支援施設に行く人たちが4〜5人と、サラリーマンが数人乗り込んで出発します。
その日もいつものように眠い目を擦りながらバスに乗り、乗り込み口に近い、車内後方にある二人掛けの席に座って出発を待っていました。私が乗り込んでから出発するまでは、10分ほど時間がありました。
すると一人の男性が乗ってきました。
私は下を向いて半分眠っていましたので、物音と気配で気が付きました。
こんな早い時間に珍しいなと思っていたら、私の座る椅子に向かって体を密着させるように立ちました。
男性が障がい者就労施設の人であることはすぐにわかりました。
以前にも何度も見たことがありましたし、障がいのある方独特の風貌をしていました。
男性が何歳なのか正確にはわかりませんが、30歳くらいに見えました。
体が大きく、太っていました。
男性は私の逃げ場を塞ぐように立ちはだかり、私を向いてズボンと下着を下ろし、私を凝視しながら自慰行為を始めました。
心臓がバクバクと音を立て、吐き気と恐怖心で一杯になりました。
男性から顔を背けて窓の方を向き、どうするべきかグルグルと思考を巡らせました。
ロータリーには人気がなく、誰かに助けを求めることもできません。
この痴漢行為に遭ってから18年近く経ちますが、今書いていても吐き気がしますし、手が震えます。それほど嫌な記憶です。
男性は私に触れませんでしたが、限りなく体を寄せてくることから私を女性だと理解し、性的対象にしていることが明らかでした。
男性は私が逃げないように、私の座る椅子の入り口を塞いでいるのだとわかりました。
運転手が来ないことも、他に乗り込む人がいないことも分かって行動しているのです。
気持ちが悪い、気持ちが悪い。
怖い、怖い、怖い!
抵抗したら、逃げようとしたら何をされるだろう。もっと酷いことをされる?
首を絞められたりする?
怖い!
男性の息遣いが荒くなり、汚されるのではないかと吐き気がしました。
意を決して立ち上がると、ボタボタと精液を垂らすのが視界に入りました。
私が立ち上がったことで男性はたじろぎました。それが功を奏したのか、精液が私にかかることはなく、男性の靴にかかりました。
一歩下がった男性の横をすり抜け、車内前方に走りました。
本当はバスから降りたかったのですが、そのためには男性の身体に触れなければいけません。恐ろしくて体に触れることはできませんでした。
私は誰もいない運転席を見つめながら、後方に神経を傾けました。怖くて後ろを振り返ることができないので、男性がどうしているのかもわかりません。
また私の側に来られたら、何をされるだろう。私はどうするべきなのかと思考を巡らせましたが、答えがわかりませんでした。
その場で警察に電話をすることは考えられませんでした。
逆上されたらどうしようという恐怖心が、圧倒的に勝ったのです。下手をすれば殺されるかもしれないと思いました。
シンと静まり返った車内に、障がい者就労施設の女性達が乗り込んできたことが、賑やかな声と足音でわかりました。
女性達も障がい者でしたが、同じ女性が乗ってきてくれたことに心の底からホッとしました。
それでも私は後ろを振り返れませんでした。
もし私を凝視していたらどうしようと考えると、身動きが取れなくなりました。
運転手と一般客が乗り込み、バスが出発しました。
私は運転手のすぐ後ろの一人席に座り、相変わらず後ろを振り返れないまま身を縮めていました。
障がい者就労施設に着き、女性達が降りていきましたが、男性の姿がありませんでした。
まさか私の跡をつけたりしないよね??
怖くなり、家の最寄ではないバス停で下車し、周囲を警戒しながら帰りました。
男性の姿はありませんでした。
知的障がい者への正直な気持ち
不快な思いをされる方もいらっしゃるでしょう。予めご承知おきください。
世の中から消えてほしい。
自制が効かないなら、一人で行動させないでほしいと思いました。
脳に障がいがあっても動物としての本能が最後まで残ってしまい、性的衝動に駆られるのでしょう。それでもし子どもができてしまったら、遺伝的に障がいが継がれてしまい、人間は理性を失ってしまうのでは? とまで考えました。
私が将来子どもを身ごもった時に、お腹の子に障がいがあるとわかったら。さらにそれが男の子だったら、絶対に産めないと思いました。
私のような被害者を出してはいけないのです。
責任が取れないならできる限りの予防をすべきであり、それがつまり「産まない」という選択であるべきだと考えました。
……子どもを持つまでは、こう考えていました。
性犯罪を警察に通報するか、周囲に相談
一人暮らしをしている部屋に帰り着くと、ただ泣きました。
気持ちが悪い。
もうあのバスには乗れない。
そんな思いがうずまきました。
警察に通報するべきかと迷いました。
しかし相手が障がい者だと、罪に問えないと聞いたことがあります。
それでは野放しとかわらず、次の被害者が出ることを社会が容認しているようなものです。
やられるがまま耐えなければならないの?
思考がグチャグチャになりました。
親に相談すると、母が、「へー。それは嫌だねえ」と珍しく理解を示してくれました。
父は笑ってこう言いました。
「それは麒麟が悪いよ。そういうことしちゃダメ! って叱るのが大人の役目。警察に言っても、そうですか、で終わりだよ。無駄無駄」
世間がこういうものであると聞いていましたので、わかっていたことでしたが、ショックでした。
それでも……。
何で?
重度知的障がい者ボランティアの話し
父の言葉にショックを受けたあと、高校の先輩の話しを思い出しました。
男性の先輩二人は、知的障がい者が暮らす施設にボランティアとして参加した経験がありました。(※施設入居者と就労支援に通う方たちでは症状の重さや状況が違いますが、連想して思い出したということです。)
先輩たちは、「正直、介護対象者を人間だと思えないんだよね」と言いました。
ショックでした。
私は施設に行ったことがありませんが、こんな認識のボランティアに世話をされるのは不幸ではと感じました。真面目だと思っていた先輩たちを軽蔑しました。
「そんなこと言うなんて酷い。なんでボランティアに行っているんですか?」 と聞きました。
施設で働く人も、入居者を大人として扱わないと言ってるよ。赤ちゃん扱いというか。そう思わなきゃ神経がもたない。決して乱暴に扱うという意味じゃないよ。
施設は入居者の家族にとって必要な場所なんだよ。家族や社会を助けるためにボランティアに行くんだ。将来障がいを持つ人のために働きたいと思っていたけど、正直なところ覚悟が揺らいでるんだよね。テレビなどのメディアは綺麗ごとばかり取り上げるから知られないけど、実情はこうなんだと思う。
先輩たちの話しを聞いて、「そういう世界があるのか」と衝撃を受けました。
「現実を知る前は尊厳を守って、対、人として接したかった。しかしそれは綺麗ごとで、介護として成り立たなくなるし神経ももたない」と先輩は付け足しました。
誤解がないように記しますが、先輩たちは津久井やまゆり園で事件(相模原障害者施設殺傷事件)を起こした植松聖のような思考ではありません。
職種に現実を受け止め、施設の必要性を訴えていました。
障がい者の性暴力問題
一口に障がい者と言っても、障がいの内容や重さは様々です。
施設で暮らす方たちと、就労支援施設に自分で通うことができる方たちとでは違います。また、自分で学校に通い学習ができる発達障がい児とも違います。
就労支援施設に通うことができる人でも、本能の制御が難しいケースでは痴漢をします。
バレないための状況判断をしたり、行為を隠す工作をすることも。
一般と言われる人の中にも自制が効かずに性犯罪を犯す人がいますので、個人の問題なのでしょう。しかし知的障がい者の性処理が問題となっているのは確かです。
知的障がい者による性被害者の私が親になる
知的障がい者から痴漢を受けて数年後、私は結婚しました。
程なくして妊娠します。
お腹にできたとわかった時点で愛おしく、守るべき存在となりました。
多少たりとも流産のリスクが伴うと説明されたこと、もし障がいがわかった場合に堕胎する覚悟もなかったため、出生前の検査はしませんでした。
初めて子どもを抱いた時、「こんなに可愛い生物がいるのか」と不思議な感覚でした。
第一子である長女は手がかかりました。
発達障がいを何度も疑いました。
私の友人が子どもを産み、発達障がいであることが発覚するケースが多数ありました。よくよく調べると友人自身も発達障がいだったということが数件ありました。自閉症やADHDなど診断結果は様々でした。
私は高校大学と美術の道を進んできたのですが、その中で出会った、個性豊かで面白い友人達です。魅力的な絵や考え方がとても好きでした。
定型に嵌めたがる日本で暮らすのは息苦しいかも知れません。親は本当に大変です。でも私は友人達の唯一無二の個性を羨ましいと感じていたので、決して悪いことばかりではないと感じました。
私が友人たちと同じ立場になる可能性は十分にありました。友人たちが子どもの障がいに悩み、受け入れる姿を見て、応援していました。そして障がいを持つ子の親の気持ちを、想像するようになりました。上辺だけしか想像できないのですけれど……。
長女は非常に手がかかり、気が狂いそうになって逃げたいと思うことが珍しくありませんでした。でも可愛いのです。責任もあります。
すべてをひっくるめて背負おうとするのが親です。「そうせざるを得ない」現状もあります。
でも障がいの有無に関わらず、子育ては親だけではできません。
これは私が出産して実感したことです。
子どもが成人するまでは子どもの責任を親が負う気概が必要ですが、事実として子育ては親だけで成り立つものではありません。周囲の関りが必要なのです。
生活環境や障がいの重さにより、周囲の、社会の手がさらに必要になります。
その狭間に、私が遭った性被害があったのではないでしょうか。性被害に遭って“泣き寝入り”することが「社会の手を貸す」ことではなく、障がい者の性暴力をどうするべきか、世間が一緒に考えることが「手を貸す」ことになるのです。
ですから私は、被害を警察に通報するべきでした。
そして「こんな性暴力があってはならない」と警察や社会に訴えなければならなかったと、今は思います。それが多様性を認め、共存する社会を作る第一歩になるからです。
障がいを免罪符にしてはならない
どんな障がいがあったとしても、人を傷つけ、性を侵害することを許してはいけません。
それを許せば必ず軋轢が生まれ、かつての私のように障がい者を否定することに繋がりかねません。
被害を抑えるために、当人や親たちだけの努力ではどうにもならないことを、社会が支える必要があると考えます。それは罪を「許されて当たり前」のことにするのではなく、「罪は罪として認める」ことから始まります。
あまりに性への執着が強い場合は一人で行動させることを見直さなければならないし、そうでない場合にも周囲の理解が必要です。
障がいを持つ人が痴漢をしそうになった時、「ダメだよ!」と言って本当に効果があるのでしょうか? 私は男性に障がいがあることはわかりましたが、どういう人なのか全くわからず、それが恐怖の源でした。
例えば「私は耳が聴こえません」と表示するバッジがあるように、「いけないことをしたらダメだと言ってください」とバッジを下げてくれれば、できることはあるように思います。
叱り方に工夫が必要だったり、個人差や人権の問題から難しいでしょうか。
私にできることは何ですか。
難しい。
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