【エッセイ】猫と生きたがる何者でもない女の年の暮れ

猫と生きたがる何者でもない女の年の暮れ

今年何をした? と聞かれたら、何を思い出すだろうか。

2021年の幕開け時の自分を言葉で表現するなら、「呆然自失」だった。

私は、2020年12月1日に16年連れ添った猫を亡くしている。
大学を卒業して間もなく引き取った保護猫が、病気を次々と発病させたのは2019年年末からだったから、入退院や通院期間は一年に及んでいた。

出血や腫瘍による息苦しさの中、弱っていく愛猫を見るのは辛かった。
いや、怖いという方が正しい。

通院の度に獣医師から厳しい話を聞かねばならなかった。別の誰かが私の代わりに愛猫を病院に連れて行き、私の代わりに獣医師から話を聞き、私の代わりに誰かがショックを受けて欲しかった。

でも私がやるしかなかった。
愛猫を看取るための心構えをしなければならなかった。

逃げずに愛猫に寄り添い、その時を待つ。それが私の、愛猫への愛だった。

愛猫の苦しみが終わった日。
今か今かと命が尽きる恐怖から解放されて、私はホッとした。

愛猫を思ってのことなのか、自分のことしか考えられていないのかわからないまま、愛猫が楽になってよかったと思い続けた。

しかし少し経つと、私の人生の半分近くを知っている愛猫の穴に気が付いた。
私の半身に、水なのか血なのか正体の分からないものが滴り続けている感覚。歩くたびに、話すたびに動く大気に晒されて、スースーと心を冷やすのだ。私は寒く、寂しかった。

出張火葬に頼み、骨壺に入った愛猫と年を越した。

暖かい部屋で、家族と団欒した年越しだったのに、どこか現実味がなかった。

私が産まれた家には、猫が一匹いた。
私が産まれる一年前に、両親が拾ってきた猫だ。

両親はたいそう仲が悪く、私と弟は耳を塞ぎ、寄り添って育った。
母に手をあげる父を止めに入るのは私だったが、母は家庭の問題のほとんどを私のせいだとこじつけ、責め続けるようになった。私は口をつぐみ、部屋に籠って母を庇うこともなくなっていった。

弟は学力をつけ、親を大きく上回る成績優秀者となっていく。両親に認められて居場所を確保した弟に反し、私は相変わらず母親の攻撃対象のままで、所在がなかった。

外出を制限されていた私は、部屋に籠り、本を読むか文章を書くか、或いは布団に潜り込んで泣くか寝ていた。

猫はどうしてわかるのか、辛いときには必ず側に来た。

寄り添って、一緒に眠った。
温かかった。

猫は私が高校2年生になった頃、18歳の誕生日を迎えた。その頃から目に見えて老いていった。

夜になると、何もないはずの壁を猫が目で追う。
死神が迎えに来ているのかもしれないと恐ろしくなり、猫を抱きしめて「あっちに行け! この子を連れて行かないで」と心で叫ぶのが日課だった。

母に責められる日々に、頭が狂いそうだった。耳の聞こえが悪くなり、皮膚の感覚も鈍るようになる。全身に薄いビニールを被っているようで、息苦しかった。

家に居たらおかしくなってしまうと思い、大学進学と共に家を出たいと考えるようになる。

経済的に許されないと思っていたが、親戚に自慢できる学歴を優先させる母親が、推し進める形で実現した。

家を出られるのは嬉しかったが、年老いた猫が心配だった。

私が家を出たら、この子の死に目に会えないだろうと分かっていた。
それでも実家に居続けることができなかった。

私は、私だけの事を考えて家を出た。

初めての一人暮らしに不安や寂しさがなかったわけではない。
でも自分のことだけすればいい家事は楽だった。怒号を聞かなくていい、意味の分からないことで責められなくていい生活はとても楽しかった。

反面、あの家に老いた猫と弟を置いて来てしまったことや、学生生活が奨学金と親が祖父母にした借金で賄われていることに罪悪感を感じながら、過ごした。

私が家を出て一か月で、猫が亡くなったと知らせが入った。
実家を出たあと、空になった私の部屋で、猫が寂しそうに鳴き続けていると聞いていた。猫の寿命を縮めたのは私かも知れない。

実家から解放されたはずなのに、それまで抑えていた理不尽に対する不満や漠然とした不安が私を襲った。
以降、体に精神的な影響があらわれていく。

悲観などしていなかった。
いつも必死だった。

家を出て知ったのは、「自分次第で何者にでもなれる」という事だった。

働けば働いた分の金が手に入り、学べば知識が手に入る。「私は何もできない」と思ったらそこまでの人間になり、「ここまで行ってみよう」と計画を立てて実行すれば、叶うことを知った。

実家に居た時は、アルバイト先以外に出かけてはいけない。携帯電話を持ってはいけない、金を使ってはいけない、家事をして母の意のままに返事をしなければいけないなどと、制約が多かった。何かを言えば否定される、それが普通だったので、私は何者にでもなれるという発見は大きな希望となった。

それなのに、男性との付き合いは今思うと保守的だった。
愛されていることを求めて、愛することを上手く表現できなかった。

熱烈に愛情を表現してくれる、不安定な思考の男性を好む傾向があり、同じように愛情を求められるとどう接していいかわからなかった。

不景気の中卒業を迎えた。
就職した先で学ぶことは多かったが、約束された給料や社会保険が守られず、生活が苦しかった。

当時付き合っていた年下の彼氏と同棲をしたが、私と同じように不安定な人だった。被虐待児で気性が激しい。ずっと一緒に居られる人ではないと思いながら、生活をした。

何を思ったか、そこで私は保護猫を引き取ろうと考えた。

守るべき存在が欲しかったのかもしれない。

当時は今と違い、猫より犬の人気が高く、保護猫の引き取り手は少なかった。
独身の私でも、身元を証明して誓約書の内容を守れば、簡単に里親になれたのだ。

そして出会ったのが、16年付き添うことになる愛猫だった。

愛猫は私の男性遍歴の大半を見ることになる。

私は引き取ってほどなくして転職をした。同棲していた彼氏を置いて、地方から都内に引っ越しをしたのだ。

シェアリングをして、昔の彼氏と友達との3人と一匹で暮らすようになる。
昔の彼氏は私に散々復縁を迫ってきた。愛猫と遊び、よく世話をしてくれたし家柄も良かったが、どうしても好きになれなかった。

シェアリングを解消したのは復縁を迫られるのが面倒だったことや、シェアリングをしていた友人が当時性依存となっており、元カレに迫って危うい関係になったからだ。

寂しくて、帰宅すれば一番に愛猫の名前を呼び、抱きしめて一緒に過ごした。

ある男性と出会い付き合うようになると、休日外出する機会がずっと増えた。
私は家で過ごすことが好きなのだが、外出好きの彼氏に引っ張り出されるようにして出かけた。

その間愛猫は家で一匹で過ごしていた。

彼氏と付き合って4年経つ頃、婚約をして同棲を開始した。
当然愛猫も一緒に。

仕事が忙しく、深夜働くことも休日出勤も多くあった。
そんな中一緒に暮らし始めた彼氏は、態度を一変させる。

婚約をしたから「もう簡単に離れて行かない」と高を括られたらしい。生涯を共に過ごすなんて、考えられないほど粗暴な態度だった。

彼が愛猫の口に手を入れて、嫌がる素振りを笑うのにも我慢できなかった。彼氏は遊びの一環と言うが、愛猫は少しも喜んでいない。
笑っているのは彼氏だけだった。

散々引き留められたが、振り切って婚約を解消して家を出た。

私は家族運がないのだと思った。

引っ越しを重ねて貯金がなくなった私は、一旦大きな荷物と愛猫を実家に預けた。
通勤に都合がいい弟が一人暮らしをする部屋に泊まらせてもらい、度々実家に帰って愛猫と過ごした。

その頃、後に夫となる男性と出会う。
彼は猫が好きで、一人暮らしをする家で猫一匹と住んでいた。

婚約破棄と忙しい仕事で疲れ果てていた私は、流されるようにスピード婚をする。

夫婦と猫二匹の生活が始まった。

相性を心配していた猫たちは、一緒に遊び、一緒に寝るなどして仲睦まじく過ごした。

夫と私の間に子どもが生まれ、日当たりのいい古い一軒家に引っ越しをすると、猫たちは陽だまりでくつろいだ。
その姿を見るのが幸せだった。

しかし育児は大変だった。
二人目の子どもが生まれると、私は余裕を失った。夫も自由になる金がなくなり、ストレスを抱えた。

夫が連れていた猫が病気になったのに、私は育児に手一杯で中々気がつけず、気が付いたころには手遅れだった。

入院や通院の甲斐なく、発覚から二週間程度で亡くなった。もう二度と猫たちの観察を軽んじないと、強い後悔を感じながら心に決めた。

愛猫は、もう一匹が亡くなったことを静かに受け止めていた。

愛猫は歳を重ねるごとに子どもたちをうるさがり、避けるようになっていった。
私が愛猫の所在を探して撫でていると、子どもたちがやってきて騒ぐので、愛猫は別室に移ってしまう。

愛猫は私の腕枕で寝ていたが、子どもが産まれてからは両脇に子どもがいたため、中々入ってこれなかった。
愛猫はお気に入りの場所を作り、そこで眠るようになった。

夫のギャンブル中毒や不貞が発覚して、私は人生に経験したことのない激しい感情に襲われた。
荒れ狂い、大声で夫を罵倒した。子どもたちが不安そうに夫と私を見て、その奥で愛猫が静かにこちらを見ていた。

感情の波と闘いながら、長い時間をかけて夫と話し合った。
私はどれだけ泣いたかわからない。

気が付くと愛猫がそばで座っていた。

泣き言も激しい感情も、愛猫がそばでただ聞いてくれた。

抱きしめて撫でて、気持ちよさそうな顔する愛猫の顔を見ると幸せを感じた。

何者にでもなれると思っていた私は、何の変哲もない主婦になっていた。
どこにでもいる普通の主婦は、子どもに翻弄されながら日々を過ごし、夫に裏切られた。

何者にもなれなかった価値のない私の手が、愛猫を幸せな気持ちにさせていることが唯一の救いだった。
私はこの子に支えられている。

酷く荒れた日々を過ごしていたが、夫と身を切るような話し合いを重ねたことで、新たに分かり合うことができた。
決して楽な道ではなかったが、夫婦の再構築に進むことになる。

暫くして私は三人目の子どもを妊娠、出産した。
根治が望めない難病を持って生まれ、悩んだ時期もあったが、夫婦で支えあって生活をした。

滞っていた古家の建て替えの計画が進み、仮住まいに移ることになった。

子どもの校区の関係でペット可住宅が契約できなかったため、愛猫をまた実家に預けることにした。

両親は不安定な精神の持ち主だが、猫好きだ。
愛猫の世話を喜んで引き受けてくれた。

滅多に両親と連絡を取らない私だが、愛猫のことで頻繁に連絡をとるようになった。そんな中、愛猫の様子がおかしいと知らされた。

猫の様子がおかしいと分かった時には、手遅れなことが多い。猫は狩りをする動物だが駆られる動物でもある。弱っていることを隠す習性があるからだ。

実家と距離があったため、費用を負担するので病院にかかってほしいと頼んだ。
結果は、先天性の骨の奇形に筋肉が癒着したことによる痛みだった。

手術をしても良くなる見込みが少ないとのことで、薬で騙しながら生活をすることになった。
勧められたサプリを、以来亡くなるまで服用するようになる。

家の建て替えが終わり、愛猫を引き取った。

愛猫は程なくして家に馴染み、寛ぐようになった。
サプリと薬の服用は続いており、ストレスだったようだ。

しかし上の子どもたちが子ども部屋で寝るようになり、愛猫はまた私の腕枕で眠ることが増えて行った。たまに子どもたちの布団に潜り込んで、一緒に眠るようにもなっていった。

一年が経つ頃、愛猫がご飯を食べなくなった。

すぐにおかしいと気が付き、病院に連れて行くと足が肥大化していた。

腫瘍かもしれないと言われ、点滴入院をして様子を見ることになる。
一週間ほど入院をする間、毎日見舞いに行った。

点滴が効き、腫瘍ではなかったと診断されて家に帰ったが、通院は続いた。
年が明けて感染症の拡大が心配される頃、床に血がついていることに気が付いた。

愛猫の鼻血だった。

引き取った時から、くしゃみをする子だった。
腫瘍の可能性もあるし、鼻炎の可能性もあるという事で、まずは鼻炎の薬を試していくことになった。

前年に足の肥大で入院してから、一週間から二週間に一度の通院が亡くなるまで続くことになる。

愛猫は家から出ると酷く緊張した。
猫はなわばりを持ち、決まったエリアで活動する習性があり、連れ歩く動物ではない。病院に行くのを嫌がり、病院に行った日はご飯を食べなくなった。

鼻血は再発を繰り返した。
これはほぼ腫瘍で間違いないでしょうと言われた頃、愛猫はすっかり元気をなくしていた。

検査をして治療をするとなったら、高齢で病院を怖がり元気をなくしている愛猫に、全身麻酔を打たねばならない。麻酔にはリスクがある。また、手術や治療をしても進行すると説明された。

治療には副作用があり、ストレスでやられてしまう子もいるという。治療で1年から1年半命が長引くというが、愛猫らしい生活ができるとは思えなかった。

治療を続けるかどうかの判断を、私がしなければならないのが辛かった。

夫は私に任せると言ったが、その実、判断するのが怖かったのだと思う。

愛猫の通院回数をできるだけ減らし、残された時間を薬で緩和しながら、家族でゆっくり過ごすことに決めた。

愛猫が亡くなる朝、歩くこともままならない愛猫をお気にいりのカゴに移し、撫でた。
苦しそうではあったが、最後の最後は静かだった。

呆然自失の年を越した頃、私は自分の罪を振り返った。

愛猫の人生-猫生を振り回した私は、愛猫にストレスを与え続けただろう。

私の不安や悲しみを、猫と過ごすことで紛らしたかった。
あの子を利用したのだ。

16年間振り回し、寂しい思いをさせた結果が愛猫の病気だったのではないかと考えては、泣いた。

泣く度に私の半身がスースーと冷えたが、気が付くと芳香現象という線香の香りが現れた。
芳香現象なんて名前をこの時まで知らなかったのだが、親しい人が亡くなった後、気配が香りで現れる現象を言うのだそう。

一緒に座っていたソファー、一緒に眠った布団に入っているときに、よくその香りが現れた。

私の側にいたいの?
ありがとう。会いたい。また会いたい。ごめんね。大好きだよ。

何度も心で思った。その度に、愛猫にしてあげたかったことや、自分の弱さについて考えた。
時々声に出して愛猫の名前を呼んだが、返事はなかった。

数か月して気が付くと、香りは現れなくなっていた。
私の半身も、冷たくなくなっていた。

夫はまた猫を迎えたいと言ったが、私が首を振った。
愛猫は私にとって特別だった。あの子以上の存在と出会えることはない。

そう思う度に、私の身勝手さについて考えた。
私の弱さの原因は私の中にある。愛猫を利用して自分を保っていたのだと、いつも思い至った。何度も反芻した。

今私には、以前よりずっと親密になった夫と、私の愛情を求めてやまない子どもたちがいる。
私には家庭という居場所がある。ずっと欲しくてたまらなかったものだ。

私は何者にもなれなかったけど、居場所を獲て、誰かを愛する意味が分かるようになった。
誰かを支えるという意味も。

分かった気になっただけかもしれないが、愛猫に与えきれなかった愛情を、絶えることなく与えられるようになったのではないかと思うようになった。

家族の希望もあり、新たな猫を迎えることにした。
産まれた子猫を引き取ってほしいという依頼に応募し、二匹を引き取った。

猫たちはわが家の中心になった。
猫の習性や健康のことを、子どもたちによく説明するようにしている。私が愛猫を振り回してしまった後悔も、全て話している。

いつか子どもたちが私と同じ後悔をしないよう、無駄なストレスを与えられる猫がいないよう願っている。

呆然自失で明けた年が暮れようとしている。

新たな猫二匹と共に、賑やかで暖かい家庭がここにある。
私はこの家庭を守りたい。

2021年は、何者でもない私に夢ができた年だった。

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