大きなストレスを抱えた時、どう消化していますか。
ある電車の駅のホームで人身事故を目撃した友人は、その詳細を私に知らせることで精神的なバランスをとりました。
書くことで整理、消化することについて、経験をもとにただ考える記事です。
人身事故目撃の衝撃と自己顕示欲・書いて消化する行為
私が大学生だった頃の話です。
芸術大学に進学し、実家を出て一人暮らしをしていました。
奨学金を借り、家賃や生活費、画材代、活動費をアルバイトで賄っていました。
平日は深夜のビジネスホテルのフロントに立ち、休日や長期休みにはイベント会場で案内をするアルバイトをしていました。
床一面のFAX用紙
ある日の朝、フロントバイトを終えて部屋に帰ると、2、3mに及ぶFAX用紙が床を埋めていました。
携帯電話を持つことを親に反対されていたので、家に電話を引いていました。
その電話には、ロール感熱紙式のFAX機能がついていました。
あまりに長いFAXにいたずらを疑いましたが、差出人を見ると高校時代の同級生でした。
高校は美術科でした。個性豊か、そして感性豊かなクラスメイトが多くいて、彼女もその一人でした。
頻繁に連絡をとるタイプの子ではありませんでしたので、「珍しい」と感じました。
FAXには大小の文字で書かれた文章と、ところどころに絵が描かれていました。
人身事故の衝撃を書き出す
FAXは、彼女がある駅のホームで電車を待っている様子から始まりました。
乗る予定の電車がホームに入ってくると同時に「キャー」という悲鳴が聞こえます。
悲鳴に呼ばれるように顔を上げると、駅に入ってきた電車のワイパーに、切断された人の腕が乗っているのが目に入りました。電車は腕を乗せたまま、予定通りの位置に停車しました。
電車がホームに入る直前の踏切で、飛び込みがあったようでした。
駅が目前だったために、そのままホームに入ってきた旨の放送が流れました。
電車は乗客を降ろして、暫く停車することになりました。
彼女は酷く動揺し、動悸で気分が悪くなりました。
恐怖で体をこわばらせ、少しの間身動きが取れなくなります。
その電車に乗る気になれず、全ての予定を取りやめて、逃げるように帰宅しました。
誰かに知らせる意味
帰宅後、動揺する気持ちを抑えるために詳細を紙に書き、私にFAXを送り続けました。
私はアルバイトに出ていましたので、それを見たのは12時間以上後のことでした。
電話をかけると、まだ動揺が残るものの、彼女は落ち着きを取り戻していました。
「長々とFAXを送ってごめん」と彼女は謝りました。
私は「大変だったね、大丈夫?」と声をかけましたが、不謹慎にも、彼女のFAXを一つの作品のように感じて“面白い”と感じていました。
書いて消化する行為
衝撃や動揺が、感熱紙一杯に表現されていました。
言葉の意味もさることながら、文字の形、大きさ、紙面に対する配置が動揺を表していて、情景が目に浮かぶのです。
私は小説のショートストーリーを読むように、そのFAXを読みました。
歌も絵も文字も文章も、感情が乗ると面白いのです。
面白いといっても、「楽しい」わけではなく、「興味深い」意味です。
内容は悲惨なものでしたので、気分が悪くなる感覚も伝わってきました。
私がそうであるように、彼女も書き出すことが消化となり、ストレスのはけ口になっている様子がよくわかりました。
ストレスのはけ口
私は当時、感情のはけ口として絵を描いたり作品を作っていました。
ストレスが消化されていくと、絵や作品作りへの情熱もなくなっていきました。作品を作ることがどれだけのエネルギーを持っているか、よく知っています。
私は自〇願望に悩まされていた過去があります。電車通勤をしているとき、特に地下鉄でホームに走る風を感じて線路に吸い込まれそうになることがありました。
しかし人前でどうにかなりたいと思ったことはありませんでした。
吸い込まれそうになる度に「嫌だ」と全身で抵抗しました。
電車に飛び込みたいと思ったことも、誰かに迷惑をかけたいと思ったこともありません。
それはきっと吐き出す方法を持っているからでしょう。
具現化し形にしたものを自分以外の人の目に触れさせ、消化するのです。
ストレスと自己顕示欲
そういった手段を持たない方は、何かを考える余裕などなく、ただ手段として身近にある電車を選ぶのでしょうか。
あるいは自己顕示欲を消化する方法として、飛び込みを選ぶのでしょうか。
腕の持ち主がどうだったのかはわかりません。
とにかく誰かの死が彼女に強い影響を与え、その作品が生まれたのでした。
FAXを綺麗に折りたたみ日の当たらない場所で保管していましたが、感熱紙の寿命は短く、気が付くと文字が消えていました。
彼女とはそれ以来連絡を取ることはありませんでしたが、今は結婚し子どもがいると聞きます。
彼女は私にFAXを送ったことを覚えているでしょうか。
感熱紙のように彼女の記憶も薄れているよう願うのと同時に、FAXのコピーを取っておけばよかったと惜しい気持ちがあります。
紙面から衝撃を受けたのは、あの一度きりです。
事故を起こした罪悪感と自己顕示欲
ある雨の日の夜。
私は車の下で雨宿りしていた小動物に気が付かず、車を発進させて轢いたことがあります。
助かりませんでした。
私は自分の喉からでた、消え入りそうな悲鳴を自分の耳で聞きました。
病院の敷地内のことでしたので、混乱しながらも他の車に再度轢かれないよう一旦移動したあと、警備員に相談をしてその後の対応を仰ぎました。
一緒にいた義母に「仕方がないことだった」と散々宥められても、申し訳なさとショックで上手く息が吸えなくなりました。
暫くの間車を運転したくなかったのですが、子どもの送迎で嫌でも乗らねばならず、その度に酷く息を吸い過ぎてしまい、頭がくらくらと揺れました。私が音を出して「ひー」と強く空気を吸うので、子どもたちは不審がりました。
自責の念に駆られ、心配した義母から後日何度も電話をもらい、慰められました。
夫も塞ぎ込む私を心配しました。
心配されること自体が甘えなような気がして、普段通りに振る舞うよう努めました。
息を吸い過ぎる行為は二年近く続きましたが、徐々に頻度が減り、軽くなっていきました。
本来であればその場に弔いに行かねばならないのですが、丸3年が経つ今も、行けないでいます。
ブログでは過去を振り返る記事をたくさん書いていますが、この件は全く書けずにいました。
様々なことを書いてきた私が書かずにいるのは、「なかったことにしようとしている」とか「自分の罪を認めていない」現れで卑怯なように感じられました。
しかし書くことで消化しようとしているようで、これもまた卑怯であるように感じました。
今でもよくわかりません。
この件では、できるだけ泣かないようにしていました。
それでも、泣いてしまうことはあるのですが。
過去を思い出して泣くのは消化です。
感情を発散して整理する行為です。
私には泣く権利がない。
書く権利もないのでしょうかね。
とことん考え続けて、決して忘れないよう、記憶が薄れないようにしなければならないと思いました。
考えていると、日々食べている肉、殺虫剤で追い払う虫の命との境についても考えるようになりました。
「仕方のないこと」と捉えるのは、結局のところ自己弁護です。
私はたぶん、この先もずっと、消化しないためにこの件を詳しく話すことはないのだと思います。
様々な感情が混在したままこの記事を書いていますが、この行為自体が、私の自己顕示欲でしょうか。
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