猫の避妊、去勢手術の是非について、思うことを綴る記事です。
猫の「避妊、去勢手術が正しい」という風潮
私が産まれ育った実家には、猫がいました。
私が生まれる一年前に公園に捨てられていた子を、両親が拾って育てていました。
メス猫でした。
家の中で飼育していて、外に出すつもりもなければ子どもを産ませるつもりもありませんでした。
女性器系の病気のリスクを避けるため、また、盛りの時期の遠吠えをなくして室内で飼育しやすいようにと避妊手術を受けさせていました。
私は両親から「猫を思うからこそ避妊手術をするべき」と教わっていました。
テレビなどのメディアでも、殺処分を減らすために手術することは「善」なのだと度々報道されていました。
何の疑いもなく、避妊、去勢手術は「正しい」のだと思っていました。
避妊、去勢手術は人間のエゴなのか
中学生の時、猫好きの同級生の男の子と避妊、去勢手術について話をしたことがありました。
彼の家でも猫を数匹飼っていました。
基本的に家と外を自由に行き来できるようにしており、避妊、去勢手術も受けさせていませんでした。
「避妊、虚勢手術を受けさせるなんて、エゴだろ。猫がそんなこと望んでると思うか? 人間の勝手なんだよ」
そう言われて、ショックを受けました。
「そうかもしれない」と思ったのです。
種族繁栄の本能を同意なく断つということ
人間が「自分の子どもが欲しい」と思うように、きっと猫だって思っているでしょう。
本能がそう思わせるのです。
街に猫が増えすぎて殺処分になる子が増えたり、交通事故に遭う子がいたとしても、生き延びる猫は必ずいます。
危険があったとしても、命を繋ぐことを望んでいるのかもしれない。
それを人間が自分の都合で断っているのなら、これほどの人権侵害はありません。
猫に権利などないと言うのなら、それこそ人間の傲慢ではないかと思いました。
猫の避妊、去勢手術の正当性
私が大学生になって少しして、産まれた時から一緒にいた実家の猫が亡くなりました。
大往生でしたし私は既に家をでていましたが、喪失感は大きいものでした。
大学を卒業するころ、また猫と暮らしたいと思うようになりました。
そのころは猫より犬が好きという人が多く、保護猫のもらい先はあまりありませんでした。
一人暮らしの女性でも、保護猫を引き取ることができました。
私はインターネットを通じて保護活動家にコンタクトを取り、一匹のメス猫を引き取りました。
事情があって私の家ではなく、実家での引き渡しとなりました。
保護活動家は「避妊手術を必ず受けさせることが譲渡の条件」だと話しました。
私は了承しました。
その場に、私の弟も立ち合いました。
弟は当時大学生で、学内の猫に餌をあげる代わりに避妊、去勢手術を受けさせるサークルに所属していました。
猫が増えすぎると、人間との暮らしの共生が取れなくなる。
そうなると殺処分の対象になりかねないことから、望まない殺処分を避けるために手術を受けさせるのです。
学内での募金運動が、唯一認められているサークルでした。
保護活動家は弟と考えを共有し、盛り上がっていました。
私も殺処分を減らすために手術を受けさせるのは「仕方がないこと」「必要」だと思いなおしました。
譲渡された猫は生後6ヶ月が経過するのを待って、手術を受けさせました。
優生保護法と避妊、去勢手術
私は結婚しました。
三人の子どもを出産をして、生活が大きく変わっていきました。
三人目の子どもは先天性の難病を持って産まれました。
国によっては安楽死の対象となっている病気です。
三女は軽度のため気をつければ生涯を全うできると言われていますが、発覚当初は酷く動揺しました。
数か月して落ち着いた後も、日本の優生保護法の対象にされていたという話しを聞いて動揺がぶり返すことがありました。
優生保護法とは
優生保護法とは、1948年から1996年まで存在した法律。
障害をもつ人に中絶や不妊手術をさせる条文があり、本人の同意がなくても不妊手術を行うことができました。つまり「強制不妊手術」です。
被害を受けた人の数は、分かっているだけで1万6千を超えると言われています。
“遺伝性”とされた疾患の場合は、不妊手術にかかる一切の費用を国が負担していました。(出典:NHKハートネット)
優生保護法がいきていた当時、三女の病気は日本国内でほとんど知られていませんでした。
それほど患者数が稀少だったからです。
しかし遺伝性だったため、「原因不明の異様な病気」としてみられていました。
見た目でわかる病気だったため、似た症例の強制不妊手術が行われていたというのです。
時代が違えば自分の子どもが強制不妊手術をされていたかもしれないと思うと、とても恐ろしくなりました。
どれだけの屈辱か、どれだけ尊厳を踏みにじることかとただただ恐ろしくなりました。
私が避妊手術を受けさせた愛猫を見ては、「私が子どもが欲しいという本能を身勝手に潰してしまったのだろうか」と考えました。
猫を飼うというエゴ
暫くして愛猫が病気になり、治療の甲斐なく見送ることになりました。
16歳でした。
家族そろって猫好きだったため、少しして子猫を引き取りました。
オス猫とメス猫一匹ずつです。
あと少しで生後半年を迎えます。
避妊、去勢手術を受けさせるつもりです。
覆ることはありません。
それでも、罪の意識があります。
私の勝手でこの子達を引き取り、自分の都合で子どもを産めなくするのだと思うと、心が痛くなりました。
保護活動家と避妊、去勢手術の是非
そんな時、猫の保護活動をしている知人の話を聞きました。
その男性は野良猫を保護し、必要があれば治療を受けさせ、ワクチンや避妊、去勢手術をさせて譲渡先を探したりリリースする活動をしています。
インターネットや生配信サイトで発信し、収益を足しにして活動をしているようです。
「避妊、虚勢手術は虐待」と意見されることが少なくないのだと、教えてくれました。
現在は猫の人気が高まり、都心部では保護猫を引き取りたいと思っても叶わないケースが少なくありません。
需要の高まりと、保護活動家たちが長い時間をかけて避妊、去勢手術を進めてきた結果、野良猫が減った影響がありました。
このままでは猫の繁殖が猫を商売としているブリーダーに限られてしまうのでは? という極端な意見が出て来るようになっています。(地方では依然として野良猫が多くいるようですが、土地もあるので駆除対象となりにくい傾向があります)
「避妊、去勢手術の是非は昔からある」と保護活動家は話します。
私は自身が行う避妊、去勢手術に対して複雑な思いがありますが、保護活動家の方達の手術の推進を「エゴ」だと感じたことはありませんでした。
車に轢かれて亡くなった母猫を待つ子猫たちが、カラスに食べられていたり、駆除対象として保健所に持ち込まれるのをただ見ていることはできない。助けたい。でも保護したあとの今後を考えたら、手に負える数は限られています。
ご飯、トイレの世話、子どもが増える問題、病気の治療には多額のコストがかかります。
綺麗ごとだけで片付く問題ではありません。
責任をもって活動するからこそのジレンマが生まれ、その結果が避妊、虚勢手術をして人間と共生しやすい数に抑えるという、苦肉の策なのです。
対して手術に反対の方達は、大抵が放し飼いです。
室内飼いで手術をしない場合は多頭飼育崩壊を招き、共食いなどの悲劇を生むケースが少なくありません。
猫を欲しがる人に譲渡し続けている方もいますが、出産が度重なると譲渡先の選定に時間を避けなくなり、猫の運命を運に任せる他なくなるのが現状です。
手術をせず放し飼いにしている方たちは、「猫は沢山子どもを産み、その一部しか生きることができないのが自然界の摂理」と捉えています。
それも間違いではありません。
ただご飯を与えている時点で、助長していると言えますね。
自然の摂理を見守る(見過ごす)のか、今ある命を安全な環境で全うさせたいと願うのかは価値観の違いです。
敷地を荒されたり道端に亡きがらがあるなど、生活に密着した影響を受け入れられるのならそれも一つの理でしょうし、エゴだと批判されても今ある命を全うさせたいと思って行動するのも、また理なのだと思います。
飼い主の責任とは
私は猫と暮らしたいと思って引き取りました。
そこにあるのは「私の希望を通したというエゴ」です。
一度くらい子どもを産ませたいという願いはあります。
一匹でも子どもがいれば、種族繫栄の本能が満たされるのではないかと思うからです。
しかし猫が産む子どもは一匹ではありません。
その子どもたち皆に、一度の出産をさせていくのか?
面倒が見きれるのか?
生涯責任を持てるのか?
生まれた子どもたちを誰かに譲渡するにしても、譲渡先の家庭が本当に猫を大事にするかどうかはわかりません。
今いる子猫を譲ってくれたある女性は、やはり安心して任せられるかどうかに神経を割き、酷く疲労したと話していました。
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猫は人間と違い、その場限りの避妊はできません。
性行為で妊娠する可能性はほぼ100%と言われています。
猫の避妊、虚勢手術は「正しい」ことなのか
「手術を善と言い切ることはできない。でも生まれた命を無暗に終わらせるような環境は残酷だ。殺処分を増やさないために仕方がないことだ」
こう話す保護活動家の言葉に、私はただ頷くことしかできません。
いたずらに失われる命を見たくない。
それ自体がエゴだとしても、私は手術を受けさせます。
賛否があって当然です。
でも多くの命を救おうと懸命に活動されている方を非難するのは、納得が行かないのも事実です。
必要悪。
苦肉の策。
人間のエゴ。
見過ごすことは自然の摂理?
命の責任を持つとはどういうことなのでしょうか。
難しい問題です。
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