戦争を子どもたちにどう伝えるか・悲惨な写真がトラウマになった私が親になって思ったこと

小学生のころ、母から第二次世界大戦について知るべきだと言われました。

その後しばらくトラウマとなり、大人になるまで戦争の話し、番組、イベント全てを拒絶していました。

結婚し子どもを産み、子どもたちに戦争をどう伝えるべきか考えるようになりました。

トラウマを抱えた原因と、母が伝えたかったこと、伝え方について考察します。

「戦争を知る」とはどういうことなのか

私は小学校5年生になるタイミングで、転校をしました。

初日の登校は母が付き添っており、体育館で行われた始業式に立ち合っていました。
始業式では、知らない歌が歌われていました。

君が代でした。

そのころは君が代斉唱が法制化されておらず、それまで通っていた小学校では、教師たちの意向により君が代の歌唱がありませんでした。

母は私の横で君が代を聞きながら「この学校は君が代を歌う学校なのか」と呟きました。

帰宅した私に母は、「君が代を当たり前に歌う前に、戦争を知るべきだ」と言いました。

当時10歳の私には、何が何だかわかりませんでした。

戦争体験を聞く行事と子どもたちの受け止めかた

それまでも、何度か戦争体験を聞く機会がありました。

学校の行事の一つに「戦争体験を聞く」というイベントがあり、体育館に集められ、壇上に上がった戦争体験者から国内で空襲に遭った経験を聞くといった内容でした。

今思えばとても貴重な機会でしたが、具体的なエピソードは記憶に残っていません。
ただ「大変だな。怖そうだな」という感想しか残りませんでした。

今のように空調が整っていない時代でしたので、暑い体育館で全校生徒が床に座り「いつ話が終わるんだろう」と思いながら痛くなった尻を浮かしつつ話を聞く。そんな状態でした。

しかし行事後に書かされる感想文には、「戦争はいけないこと。二度としてはいけないと思いました」と皆が揃って書きました。

皆、それが正解だとわかっていました。

戦争の学び方・悲惨さを無理やり伝える危険性

小学5年生の夏休みに、自由研究として戦争を学ぶよう、母に言われました。

母方の祖父母から戦争の体験を聞くように言われます。
祖父が東京大空襲、祖母が長崎の原爆の被爆者だったからです。

母方の祖父母宅に泊まる機会が多かったので、聞きやすい環境でもありました。

しかし祖父母から直接聞くことはできませんでした。
断られたからです。

祖父母は後日、体験を手紙に書いて送ってくれました。

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祖父母からの手紙を待つ間、母が県立の中央図書館から大きく分厚い資料を4、5冊借りてきました。

本の題名は覚えていないのですが、遺体や戦場の写真が集められた資料と、爆弾や飛行機の殺傷能力がまとめられた資料でした。

あまりに恐ろしく、怖くて「見たくない」と言いました。

拒否する私に苛ついた母は、「戦争とはこういうものだ。全てに目を通すまで部屋を出てはいけない」と、自分の部屋から出ないよう言いつけました。

私は恐怖で何時間も泣きました。

分厚い資料を少し開いては閉じを繰り返し、気持ちが悪くなり、そのうち日が暮れて部屋が暗くなりました。
電気を点ける気にならず、薄暗い中資料をめくりました。

暗くてよく見えなくなり、見えないまま全てのページをめくり終えると、部屋を出て「全部見た」と母に伝えました。

君が代の是非がタブー視される危険

・戦争中、天皇は神だと言われてた。君が代は天皇を讃える歌として歌われ、神を守るために命を惜しまず戦えと言われた。・戦争でたくさんの人たちが悲惨な死を遂げた。
・戦争が終わっても、心の傷を抱えている人たちがたくさんいる。
・君が代を聞くことで、それが蘇ってしまう人たちがたくさんいる。
・だから君が代の斉唱に反対する人たちが少なくない。
・日本の教育は戦争を教えない。子どもたちが日本を非難することを恐れているから。
・君が代を歌うか拒否するかは自分で決めなさい。

母はそう言いました。

祖父母が君が代をどう思っていたかは知りませんが、母が君が代に反対していることは知っていました。

暫くの間、寝る前に資料で見た遺体が瞼の裏に浮かび、怖くて堪らなくなりました。

「君が代を歌わない」と母に言いました。
母は満足していました。

私はその後中学、高校、大学卒業まで君が代を歌うことはありませんでした。

そのころ君が代反対派を「愛国心がない」と決めつける世論が増え、反対派を「左翼」と呼び、あっという間に法制化されて斉唱に反対する教師が罰せられるようになりました。

私は君が代を歌っていなかったけど、日本を非難するとすれば「戦争を教えない姿勢」に対してであって、日本が好きだし、君が代が戦時中にそんな扱いされていなければ国歌を歌いたいと思っていました。

天皇制反対でもありません。
昭和天皇は一部暴走した軍部に利用されたのであって、一種被害者であったと思っています。
戦争を悔やみ、慰霊の活動に励んだ平成天皇の姿勢からも認識は明らかと受け取っています。

臭いものには蓋という精神と、戦争で傷を負った人たちを軽視している姿勢と、「愛国心がない」と非難する世論が戦時前を想像させて怖いと感じましたし、「愛国心がない」と声高に言う人ほど、戦争を知らないのだと思いました。

その後君が代の議論が持ち上がりかけると「法制化されているんだから」と一蹴し、強制してしまう姿勢にも恐ろしさを感じました。

社会人になり、「君が代を歌いなさい」と強制される場に立つことがなくなりました。

サッカーワールドカップなどで君が代が歌われる場面をよく見るようになりました。
仲間と観戦すると、皆が君が代を歌って盛り上がっていました。

「一緒にスポーツを戦う」という一体感と精神を共有するのに、君が代は大きな役割を持っていました。
殆どの仲間は戦争を知りませんし、君が代の問題を知りませんでした。

私は相変わらず君が代を歌っていませんでしたが、「国歌」を歌う人を非難する気は終始ありませんでした。
一体感を感じられる「国歌」はとてもいいものだとも思います。

私は大人になってからも相変わらず、戦争の番組やイベントを避けていました。それは20代後半に子どもを産むまで続きます。

母に見せられた「戦争」が完全にトラウマになっていました。

子どもにどう戦争を伝えるか

私が親になると、戦争がより身近に感じられるようになりました。

私自身は体験したことがありませんが、命の奪い合いである戦争を子どもが体験することになったら、と考えるととても怖くなりました。

大抵の親は子どもの未来を案じるものです。

子どもが戦争に行き死ぬことを求められたり、国内にいたとしても飛行機から標的にされ撃たれて死ぬなんて、絶対にあってはならないと考えるでしょう。

恥ずかしいことですが、私は親になり、守りたいものができて初めて、戦争の恐ろしさと愚かさを自分の身に置き換えて感じるようになりました。

戦争をしないためには、一人一人が意識を持つことが重要です。
戦争を起こすのは国を舵とるどこかの「偉い人」です。しかしその人たちに権力を与えているのは国民です。

権力者がいつしか本分を忘れて、国民の命を自分の駒にしてしまうことがあります。
平和ボケせずに、自分たちの代表としてその人がふさわしいのかを見極める。そんな意識が必要だと気が付きました。

子どもには祖父母の戦争体験を知ってもらいたいと思い、改めて私も知るべきだと考え、ずっと拒否していた戦争をテーマにした番組を観るようになりました。

NHKのクローズアップ現代は、戦争体験を語り継ぐ人が減り、利用者も減り、施設の閉館が相次いでいると伝えていました。

その番組で、戦争で亡くなった方の映像が流れました。
その時私の娘がそばを通りかかりました。

小学生の娘は「怖い!」と言って目を覆いました。

「あれは何?」と遺体から蒸気が出ている映像を指して聞いてきました。

番組内で詳しい説明はなかったものの、恐らく腹部に銃撃、或いは砲弾を受け、吹き飛ばされ亡くなった場面で、その痕だろうと話しました。

「怖い。見たくない。」

そう言う娘の姿が、10歳の頃の自分の姿に重なりました。

無理に見せるものではないと思いました。
戦争について改めて話をするつもりでしたが、具体的な被害を見て知るには早いと感じました。

「無理に見なくていい。戦争はとても恐ろしいものだから、それは忘れないで。
例えばパパが戦争に行かされて死んだり、空から雨のように爆弾が降ってきてママが死んで、家を失った子どもがたくさんいる。
子どももたくさん亡くなったし、食べるものもなくて餓死した人たちもいた。
戦争をやっていいことなんてない。それだけは覚えておいてほしい」

と伝えました。

戦争の悲惨さを知らせるには、遺体を見せたり映像を見せるのが手っ取り早いのはわかります。
しかしそれがいい良い方法とは思えませんでした。

母の強硬なやり方で私は戦争の怖さを知ることができましたが、戦争がどうして起こったのかを考えることも恐怖に感じるほど、トラウマを抱えることになりました。ただ目を背ける傍観者になってしまったのです。

積み重なった亡骸が戦争の結果なのは確かです。
しかし結果を知るだけでは防ぐことができません。防ぐことができなければ悲しい歴史を繰り返すことになります。

戦争の知り方はとても大事なのです。

学校が戦争教育をしないのであれば、家庭で教えるしかありません。

子どもが小学校高学年になったら、私の祖父母の手紙を読んでもらおうと思っています。
写真や映像で知るのは、本人の意思に沿い、少しずつ。

戦争が怖く悲しいものであると知ったあとは、どうして戦争をしたのか、どうしたら戦争をせずにいられるのか、考えてほしいと願っています。
大事なのは子どもに考えさせることだと思い至りました。

君が代については、「戦争を思い出して歌えない人がいるんだよ」と話しました。

そういう人たちがいることを知ってほしかったからです。
歌えない人達を「愛国心を持たないのは罪」と決めつけず、認める世の中になるよう願っています。

「過去日本が犯した過ちがあり、たくさんの人が亡くなったという悲惨な事実がある。
過去を反省して平和に暮らしていくために、日本のいいところもダメなところも知って、好きになってほしい」

そう締めくくりました。

子どもたちは、私が君が代を歌ったことがないと知りません。特別言う必要もないと思っています。隠す必要もないですけどね。
親の主義主張は、幼い子どもに与える影響が大きいので、伝えるとしたら成人してからでしょうか。

子どもたちは小学校で教えられるがまま君が代を歌っています。

過去の事実は知るべきですが、知ったうえで、これからの日本に期待と意識を持ち堂々と歌ってほしいと願っています。

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