子どもの要望にどの程度答えますか?
公園に遊びに行くために、車の送迎をしますか?
断ったら子どもに「ママは私のことを思ってくれていない」と言われました。
それでも送迎をしなかったら、子どもを放置していることになりますか?
私が憤り、迷った話です。
子どもにどれだけ手をかけるか
当時小学校一年生だった長女が、友達と公園で遊んでいた時のことでした。
「ママー。転んで膝すりむいちゃった。絆創膏持ってきて」
長女がキッズ携帯を使って、私に電話をかけてきました。
絆創膏のパシリ
私:「……すごく怪我したの?」
長女:「ううん。擦りむいただけ」
擦りむいただけ?
私:「じゃあ自分で帰っておいで」
長女:「えー! 痛いもん。一回帰ったら遊ぶ時間少なくなるし。遊んで待ってるから、ママ絆創膏持ってきてね」
遊びながら待てる程度の擦り傷だという事が、よくわかりました。
私:「その程度の傷ならママはいかないよ」
長女:「えー! なんでー!?」
私:「友達と遊んでるんでしょ。きるよ」
電話を切りました。
一体親を何だと思ってるんだ?
☟心の炎
親の愛情は、どれだけ子どものために動いたか、なのか?
たっぷり遊んで帰宅した長女は、開口一番こう言いました。
長女:「なんで来てくれないの!? 痛かったのに!」
ん?
私:「大きな怪我なら迎えに行くけど、遊びながら待てる程度の擦り傷なら行かないよ。絆創膏貼りたいなら自分で帰っておいで」
怪我を確認しましたが、想像通り軽い擦り傷でした。
絆創膏も貼る必要がない程度。
長女:「あいちゃんが怪我した時は、あいちゃんのお母さん来たよ!」
私:「大きい怪我だったんじゃないの?」
長女:「小さい擦り傷でも来た!」
マジか。
怪我の具合がわからなかったのでは?
長女:「あいちゃんのママは、遊びに行くときに車で送迎してるし、雨が降った日は学校も車で送迎してるんだよ。ママは何でしてくれないの!?」
え?
登校班があるのに、雨が降ったら自分の子どもを車で送迎するの?
私:「公園や友達の家までの送迎をしているのは何度か見たことがあるけど、学校も送迎してるの? 登校班は?」
長女:「晴れの日は登校班で来てるよ」
凄いな。
あいちゃんも、あいちゃんのお母さんのことも知っています。
親しくはありませんが、会えば軽く話をする程度の間柄です。
控えめで穏やか。優しいお母さんです。
こんな感じ☟
お母さんは自身について、「滅多に怒ることがない」と話していたことを思い出しました。
反対に、私は度々長女にイライラしてしまいます。
☟メラメラ
この時も
長女:「ママはあいちゃんのママみたいに、私のことを思ってくれてない! ヒドイ!」
と言われて、心の中で炎がごうごうと燃え上がるのを感じました。
ちょっと待って。
母親は子どもの遊びの送迎や、絆創膏を持って行ったり、豪雨でもないのに雨なら送迎をするのがデフォルトなの!?
子どもの遊びの送迎、する?
長女:「ママー、友達と遊ぶ約束した公園、坂の上だから車で送って!」
私:「自分で行けないなら、遊びに行くのをやめなさいよ」
長女:「えー!! だってあいちゃんもそらちゃんも、お母さんが車で送ってくれるんだよ! なんでママは送ってくれないの!?」
長女の話では、送迎をしてもらっている友達がいるのだと言います。
長女は送迎してもらっている子が羨ましく、送迎しない私に不満を感じていました。
長女:「ママは私を大事にしてない!」
とまで言われて何度か送迎をしましたが、それが習慣づいてくると、「途中にある〇〇ちゃんの家と〇〇ちゃんの家にも寄って友達乗せて、〇〇公園まで行って」と言うようになりました。
長女が得意になって、友達に「迎えに行く」と勝手に約束をしてしまうのです。
送迎は責任が伴うことですし、相手の保護者に連絡を取れないこともあり困りました。
それでいて当日に約束をしてくるので、迎えに行かないと約束をすっぽかすことになってしまいます。
親は送迎をする道具ではない。
勝手に約束をしないで。
と何度も伝えましたが、同じような約束を繰り返ししてくるので、散々怒った挙句「もう送迎はしない」と宣言しました。
実際長女の予定に振り回されて非常に困っていましたし、幼い下の子を二人連れての送迎は大変で、どちらにしろ続けることができませんでした。
過保護と放任、放置の境界線
大きい子どもを持つママ友に、「子どもの遊びの送迎をするか」と聞いてみました。
ママ友:「いるねぇ、送迎する家。する家はするし、しない家は全然しないよね。因みに私はしない」
私:「そうだよねぇ。皆がみんな送迎するわけじゃないよね」
ママ友:「小学校低学年の、特に女の子の家庭は送迎するケースが多い印象かな」
長女は当時、小学校低学年の女児でした。
確かに小学校に上がってすぐは、子どもだけで遊びに出すのが心配でした。
送迎をする保護者の気持ちがわかります。
しかし常に送迎をするのは難しいですし、坂を上るのが嫌だから「親を使って楽に行こう」という魂胆を、親が飲んでしまっていいのだろうか? という疑問がありました。
親が共働きの家庭は物理的に送迎ができません。
長女も私が外で働いていれば送迎を求めなかったのでしょうが、家にいるので求めるようでした。
贅沢だと思う反面、手をかけられている友人達と自分を比べている長女の精神面も気がかりでした。
私:「送迎を求められているのにしないのは、放置しているという事になるんでしょうかね」
ママ友:「難しいよね。昔なら送迎なんて過保護だって言われてただろうに。今でも送迎しないことが放置になるかというと違うと思うけど、送迎している親からしたら、子どもが誘拐でもされたら送迎しないからだって思う人もいるのかもね」
子どもが少なくなっている今、親が子どもにどう向き合っているかを世間が評価するような風潮があります。
子どもを狙った犯罪が後を絶ちません。子どもが減っている今、被害に遭う確率が上がっているとも考えられました。
また、子どもの意向に沿うよう行動する親が増えていることも、送迎が増えている原因ではないかと思いました。
送迎以外にできること
下の子を抱えて長女の言うままに動いたら、過労になりそうでした。
たまには送迎をしますが、毎日欠かさずすることはできません。
・公園から公園に移動する時は、キッズ携帯で教えてほしい。
・少しでも不審な人がいたら、駆けつけるから連絡してほしい。
と伝えました。
これが無理なくできる範囲だと考えました。
実際「知らない男の人がうろうろしている」と連絡をもらい、すぐに駆け付けたことが2度ほどあります。(散歩住人だった模様)
高学年になった今は、送迎を求められることが少なくなりました。
(遊ぶ場所を移動しても、連絡をくれなくなりました)
前述したあいちゃんの家庭は今でも頻繁に送迎をしていますが、子どもだけで遊びに出ることが増えているようです。
自分に構ってほしいというアピールかと思い、休日に長女だけを連れて出かける等していましたが、単純に親を使っていただけなのだと今は思っています。
因みに次女も小学校に上がりましたが、私に「送ってほしい」と言ったことは一度もありません。
この違いはいったい何なのでしょう……。
性格?
環境でしょうか。
子どもとの距離感が難しい
子どもに手をかけることがよいとする風潮がありますが、手をかけ過ぎることは自主性を阻み自立心を養わないとも言われています。
その境界はどこにあるのでしょうか。
子どもの性格や環境によるので、一概には言えないのだと思いますが、親の価値観と子どもの価値観は違いますし難しいと感じた一件でした。
……遠足は家を出てから帰宅するまでが遠足。
遊びも、家を出てから帰宅するまでが遊びの一環ではないのでしょうかね?
はー、わからんわからん。
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