私には先天性の難病を持った子ども(三女)がいます。
三女が初めて話した言葉は、ママでもパパでもなく「いあい(痛い)」でした。
難病は皮膚に関わるものです。
体の欠損や変形を伴い、痛みと痒みと戦う病気です。
根治はありません。
日本国内に患者が少ないため、身バレ防止のために病名を伏せています。
同じ年の患者となると、国内に数人からせいぜい十数名に絞られるからです。
そんな娘が昨春幼稚園に入園しました。
最初は楽しんでいた幼稚園生活に大きな変化が訪れたのは、冬になってからのことでした。
きっかけは持病によるものでした。
病気を持つ子どもの保護者の参考になりますよう、詳細をお伝えします。
病気の影響・幼少期の過ごし方
未就園児時代の遊び方
幼稚園の入園まで、同じ年の子どもと遊ぶ機会がありませんでした。
幼ければ幼いほど軽微な刺激で皮膚が傷つき、繰り返し皮膚が剥ける病気です。
幼い頃に傷ついた箇所は大人になっても繰り返し傷つきやすくなり、感染症にかかりやすくなるため、3歳まで頻繁に公園に行くことをしませんでした。
親子の広場(児童館など)は裸足になることが求められる場所が少なくないため、皮膚を守るために行けませんでした。
またそうでない場所も、他の子どもとおもちゃの取り合いになると手の皮膚が剥けて出血することがあるため、本人と、他の子どものショックを考えて行きませんでした。
姉が2人いるため、三姉妹で遊ぶことが殆どでした。
足を保護していても、姉に踏まれて怪我をしたり出血することは日常茶飯事でした。
皮膚を守ることは大事だけど、怪我をして学ぶこともあると医師に言われていましたので、幼稚園の入園を機に何も言わずに見守るようにしようと決めていました。
入園前の相談
子どもが保育園や幼稚園に入園する前、多くの保護者は園の見学に訪れます。
私も同様に幼稚園の見学をしました。
三女の病気の詳細を資料にまとめました。
主な症状と使用している医療グッズ。園に対応をいただきたいこと。入園の許可をもらえるかの返答をもらうための連絡先、病気で通っている大学病院名と担当医、緊急連絡先を盛り込みました。
見学の日、私は少し緊張していました。
もし断られたらどうしよう。どこも引き取り手がなかったらどうしようと心配でした。
患者会では度々、幼稚園や保育園から入園を断られる話しが上がっています。
保護者はただただ「ショックだった」と口を揃えていましたので、私も味わうかもしれないと思っていました。
見学に行ったのは「しっかりと子どもを見てくれる」と評判の、大型の幼稚園でした。
ベテランの園長先生は拍子抜けするくらいあっさりと受け入れてくれました。
確認されたのは「脳に問題はあるか」という一点だけでした。
身体的に手がかかる中で脳にも影響があると人手がかかりますので、その点の確認のようでした。
三女の発達について心配したことはありませんでしたので、そう伝え入園することができました。
外傷的難病を持つ子の園生活
入園直後
同じ年の子どもと接してこなかった三女は、多くの園児に囲まれて、少し緊張しているようでした。
手遊びや歌も黙ってただ見ている時期がありました。
そうかと思ったら皆の前ではっきりと発言するようになり、様子を窺いながらも少しずつ変化をしていきました。
遊ぶ時間が好きで、家に帰ると「今日はブロック遊びをした」「(園庭の)滑り台を滑った」と話してきました。
「家が好き。家にいたい」とたまに言いましたが、幼稚園バスには自分から乗り込んで行きました。
幼稚園のトイレを怖がり、家でほとんどしないお漏らしを、園で頻繁にするようになりました。
三女は「先生がトイレについて来てくれないから怖くて行けない」と言いましたが、各教室にトイレがついていますし、大勢の園児を見ている先生が毎度ついてこれないのは理解できました。
姉二人は違う幼稚園でしたが、園児時代はやはり一人でトイレに行っていたと聞いています。
末っ子で、年上に囲まれて育った三女の甘えかなと考えました。
先生に相談をしたものの、やはり毎度付き合うのは難しい状況でした。先生からの声掛けをしてもらい、本人に怖さを克服してもらうしかないという結論に至りました。
足の爪の欠損が進み、三女も自覚するようになります。
「あーし(わたし)の爪はどこ行っちゃったの?」と言うようになりました。
夏の水遊びの体の処置
三女は疑似皮膚にあたるドレッシング材を常時皮膚に貼っています。
水遊びは可能ですが、ドレッシング材が剥がれないようにするためと、怪我の防止のためにラッシュガードとウォーターソックスを履かせていました。
着替えに少し手間があるため、先生の手を借りることがありましたが、それ以外は「ほとんど手間がかかっていない」と先生から聞きました。
一般生活に混ざれる軽度の度合いであることを、幸運に感じていました。
秋の遊び
園庭で遊ぶのが好きで、遊びの時間になると先頭集団に交じって教室を飛び出していくと聞きました。
幼稚園に入るまで外で遊ぶ機会が少なかったので、楽しくて仕方がないようでした。
芋ほりなどのイベントで園外に出た時に、何度か転んで怪我をしました。
普通の人であればかすり傷程度にもならない衝撃で、深く皮膚がズルっと剥けてしまいます。
一度剥けると、数年単位で治りません。
一見治ったように見えても、例えば指で少しつまむだけでまたズルっと剥けてしまいます。
三女はイベントを嫌がり、歩くのも嫌がるようになって先生に抱っこをせがむようになりました。
先生たちは三女の体質を知っているため、抱っこして運ぶことが度々あったと言います。
冬のマラソン
園には冬の数か月間、健康のために朝一番にマラソンをするカリキュラムがあります。
三女も最初は走っていたのですが、一度転んで皮膚が剥けてからは断固拒否するようになりました。
その直前にあった園のイベント時に転んで剥けたところが再度剥け、痛みが酷かったようです。
マラソンをしたくない。遊びたいと主張し、泣き続けるようになりました。
園庭で遊びたがりましたが、安全上の理由で一人で勝手に遊ばせることはできませんでした。
それが叶わないと、教室に入ることも拒否し、泣き続けました。
制服から活動着に着替えることも拒否しました。給食を食べない日もありました。
その拒否の仕方は非常に頑固で、何の言い聞かせにも反応しなくなりました。
先生は三女に付きっ切りになるわけにいかず、放っておく時間が多くなっていきました。
私は少しの間、そんな状況であることを知りませんでした。
怪我を繰り返していることだけ把握していました。
先生から電話をもらい、幼稚園での様子を聞いたのは、三女が断固拒否をして二週間経たない頃でした。
給食を食べなくなったのを心配したようです。
非常にしっかりとした先生で、子どもによって聞き入れやすい言い方や、話しをしやすい切り口があるのだと言い、それを探したいと話していました。
三女は「幼稚園に行きたくない」とはっきりと言うようになりました。
お漏らしも園で毎日するようになりました。
家ではいつも通りで、泣き続けることもなく姉たちと仲良く遊んでいました。
適度に甘え、適度に騒ぎ、適度に子どもらしいわがままを言う程度でしたので、幼稚園とのギャップを感じていました。
園生活を拒否する理由
三女に幼稚園で何が楽しいかを聞くと、何も楽しくない。行きたくないと言いました。
何が好き? と聞くと、園庭で遊ぶこと。
何が特に嫌? と聞くと、マラソンが嫌と答えました。
どうしたいかを聞くと、幼稚園に行きたくない。家で遊びたいと言いました。
そっかー。嫌になることもあるよねと話しましたが、それ以上何を言っていいのかわかりませんでした。
園の活動のほとんどを拒否していましたが、園庭で遊ぶときは元気に走り回っていたと言います。
マラソンを嫌がっているのに遊びでは走ることから、傷がずっと痛んでいるわけではないようでした。
つまり、やりたいことしかやりたくないようでした。
〇 園庭で遊べる時間が、楽しくて仕方なかった。
〇 園庭で遊びたかったけど遊べず、イベントで立て続けに怪我をして痛みを感じ続けた。
〇 思うように遊べず痛い思いをするのなら、家で好きに過ごしたい。
園を好きになるための作戦
年末の試み
子どもが拒否反応を見せる場合は、子どもに共感をして要望を満たすと良いとネットで読みました。
長女が小学校入学後に心因性発熱と腹痛を繰り返したことがありました。
その時は原因が担任教師だとわかっていましたので、無理に行かせても悪化するだけだと思い、休ませていました。
幼稚園で楽しい思い出を作り、園=楽しいところと印象付けたいとのことでした。
三女が通う幼稚園はイベントや工作でたくさんの経験ができる分、遊ぶ時間が限られました。
特に三女のバスコースは園の到着が一番遅く、到着後すぐに着替えてマラソンをしなければならないスケジュールでした。
早い子は8時半に幼稚園に来て、マラソン前に存分に遊ぶ時間がありました。
その差が一時間半あることがわかりました。
遊ぶ時間を確保するため、バスを使わずに朝一で園に送ることにしました。
初めて園に送った日、三女は昇降口から中に入りたがりませんでした。
私にしがみつき、「一緒に帰りたい、ママと居たい」と言いました。
そのまま20分程度経ちました。
こんなに嫌がるなら、気持ちが落ち着くまで休ませるべきかと心が揺れました。
昇降口から中に入れないまま、バスが何台か園に到着し、園児たちが入って来ました。
同じクラスの園児が「三女ちゃん、いつもずっと泣いてるんだよ!」と私に教えてくれました。
「そっかー。遊べるときは一緒に遊んでね」とお願いすると、「遊んでるよ」と笑顔で答えてくれました。
三女は友達付き合いは順調だそうで、色々な子と仲良く遊んでいると聞いていました。
その子たちが教室にいた先生を呼んできてくれました。
先生の顔を見ると、三女は驚くほど拒否反応を見せました。
除け反って泣きわめき、床に転がる勢いでした。
「大丈夫大丈夫。行ってらっしゃい」と笑顔を作り、三女を先生に引き渡しました。
何が大丈夫だか自分でもわかりませんでしたが、それしか言えませんでした。
先生は三女と一緒に床に半分転がるような形になり、両手両足を使って三女を引き留めました。
三女があれほど泣きわめくのを始めて見ました。
先生に怒られたことはないし、優しいと三女から聞いていました。
先生がおかしな対応をしていたわけではありません。
園が嫌になり、先生も嫌になってしまったようです。
毎日対応している先生たちに申し訳なくなるのと同時に、それほど嫌がっているのだとショックを受けました。
翌日は「教室までママと行こう」と声をかけると、すんなり教室に入ることができました。
狙い通り、朝遊ぶ時間を作ることで、他のイベントや工作への拒否感が徐々に減っていきました。
先生とも話し、基本的にマラソンを休ませることにしました。意識させ過ぎないよう、園の様子を聞き過ぎないように注意しました。
年始の変化
冬休みに入りました。
新年は試しにバス通園に戻しましたが、以前のように拒否反応が強くなってしまいました。
朝一の送迎を復活させました。
徐々に園の拒否反応がおさまっていきました。
一か月程度経った頃、三女は自発的にマラソンを走りだしました。
園での拒否反応もかなり少なくなりました。
「以前の三女ちゃんが戻ってきました」と先生が報告してくれました。
もう大丈夫ではないかと先生が言っていましたが、三女の希望もあり二週間は送迎を続けました。
「来週からは朝もバス通園にしようね」というと、「うん」と三女が笑顔で答えました。
今はバスで元気に通っています。
「マラソン走ったんだよ」と楽しそうに報告してくれるので、「頑張ったね」と言って抱っこするようにしています。
子どもと園を信じて待つ
結果的には、「できるだけ三女の希望に沿い、ただ待っていた」ら解決しました。
希望に沿う行動をしたのは2か月程度のことです。
先生は「マラソンを嫌がる子は毎年いる。三年間ずっと走れない子はいない(ぜんそくなどの持病がある子は走りません)ので、大丈夫ですよ」と声をかけてくれていました。
三女の持病の絡みがありましたし、拒否反応が一日中出ていたので心配はありましたが、先生の言っていた通りになりました。
親にできるのは、園と子どもを信じてじっと待つだけなのだとわかりました。
私は持病がありません。
三女の気持ちを本当の意味で理解することはできません。
どこまで行っても想像しかできません。
どうしたらいいのか手探りでした。
これからも手探り状態が続くでしょう。
できることをやる。
あとは子どもを信じる。
それしかないのだと思いました。
どなたかの参考になりますように。