死について大真面目に語る人をどう思いますか。
死後の世界はあるのか。
亡くなった人が現世に現れるという、度々聞かれる不思議な現象の正体は何なのか。
生きとし生けるものに、生物学的な死は必ず訪れます。
しかし“精神の死”はどうでしょう。
日本に古くから根付く風習の一つに「盆」があります。祖先の霊を祀り、供養する行事です。仏教が主となりできた行事ですが、日本古来からある祖霊信仰と結びついたことで、定着したと言われています。
没した人間の霊を祀り供養する行為には、死すると霊になるという前提があります。では霊とは何なのかを説明するならば、肉体を離れた精神の本体、と言うのがふさわしいでしょうか。
自然や生への畏怖から、精神の拠り所を作るべく起こったものが宗教であるなら、教訓が含まれているとしても、多くは創作だと考える方もいるでしょう。霊などいるわけがないと。
しかし霊が起こしたとされる不思議な現象について、とても嘘とは思えない話しを聞くことがあります。私自身不思議な体験したことがありますし、メディアや本、身近な霊感の持ち主から見聞きすることもあります。
肉体が死しても、精神は残るのでしょうか。
肉体的な死が生物学的な死であるなら、精神の死はいつ訪れるのでしょう。
「死とは何なのか」という問いの答えは、実証のしようがないため常にファンタジーであり、嘘くさささえ感じる危ういテーマでした。
宗教やスピリチュアルを信じない者にとって、ましてやリアリストである科学者にとってタブーともいえる「死とは何なのか」について、科学者として著名な田坂広志氏が最先端量子科学を用いて根拠立てて語ったのが、「死は存在しない」という本です。
科学者が死を語ると聞くと、「頭ごなしに否定するのだろう」と思われるかもしれませんが、違います。
それが田坂広志氏の著書の面白いところです。
これは「死は存在しない」を読んだ感想を述べる記事です。
一部ネタバレを含みます。
「死は存在しない」著者/田坂広志氏は何者なのか
田坂広志氏は1951年に産まれ、東京大学、東京大学大学院を卒業された、原子力工学が専門の工学博士です。
現在は多摩大学大学院名誉教授であり、シンクタンク・ソフィアバンク代表。田坂塾の塾長を務め、元内閣官房参与もされています。
シンクタンク・ソフィアバンクとは
シンクタンク・ソフィアバンクは2022年に創設された団体です。
元世界銀行副総裁の西水美恵子氏や日本サッカー協会副会長の岡田武史氏、世界的な賞を数多く受賞している米国の社会起業家ロザンヌ・ハガティ氏を始め、写真家、映画監督、ヴァイオリニスト、起業家たちが参加する、知の資本について検討を深める団体です。
シンクタンク・ソフィアバンクのHPには、団体について以下のように説明されています。
シンクタンク・ソフィアバンクは「知のパラダイム転換」を通じ
21世紀の新たな社会システムの創出をめざす
「ソシオ・インキュベーター」です
すみません。
凡人の私には理解できませんでした。
シンクタンクのtwitterには、このように説明されていました。
ソフィアバンクは、世界各国で活躍する13名のパートナーによるグローバル・シンクタンクとして、21世紀の新たな社会システムのビジョンやコンセプトを提言しています。
社会システムのビジョンやコンセプトを提言する団体だそうです。
twitterの説明の方が凡人にわかりやすいですね。
ああ、来世はIQ高く産まれたいものです。
田坂塾とは
田坂氏は2013年に「田坂塾」を開塾しています。
田坂塾は「現実を変革する知の力」として「21世紀の知性」を身につけた人間像をめざして活動する場とされています。
参加者は経営者に限らず、主婦や学生、現役引退世代等、制限はありません。人間成長を求める方であれば、誰でも参加可能です。現在は7200名が参加しています。
つまり田坂塾は、「向上心がある方が集まって未来について考え、互いの話しを聞き合う場」という事でしょうか。面白そうですね。
田坂塾とシンクタンク・ソフィアバンクの活動内容は近い物を感じます。田坂塾がより社会に影響力を持つために、シンクタンク・ソフィアバンクが創設されたという事なのでしょう。田坂氏の本気が窺えます。
怖い?安らぎ?死とは何なのか/死について語る田坂氏の目的
「死は存在しない」の冒頭で田坂氏は、死について恐れを抱いている方の救いになり、死について思索を深めたい方の助けにもなる本だ、と述べています。
読了した私が付け加えるのなら、田坂氏が述べたことに加えて、「死に逃れたい、しかし生き続けたい」と揺れる人にとっても救いになる本であると感じました。
最先端量子科学で示す「死は存在しない」
これまでの「科学」は、「死後の世界」の存在を、否定してきた。
それゆえ、「死後の世界」を肯定する「宗教」とは、決して交わることが無かった。
しかし、近年、最先端量子科学が、一つの興味深い「仮説」を提示している。
その「新たな仮説」は「死後の世界」が存在する可能性を、示唆している。では、その「仮説」とは、どのようなものか、どのような科学的理論か。
もし、その「仮説」が正しければ、「死後の世界」とはどのようなものか。
この「死後の世界」において、我々の「意識」はどうなっていくのか。(中略)本書はそのメッセージを語ったものである……
「死は存在しない」序話より
「死は存在しない」は、多くの科学的根拠にもとづいた仮説の積み重ねから、「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」を提示しています。
宇宙に存在する「量子真空」の中にゼロ・ポイント・フィールドがあり、そこには宇宙で起きた過去のことから、これから起きるであろうことも全て記録されているというもの。人間の肉体も精神も、ゼロ・ポイント・フィールドの一部に過ぎないという仮説です。
田坂さんは本の中で、科学的仮説や宗教を用いて多くの事柄について説明(証明)を重ねています。
この本を手に取る方が知りたいのは、やはり肉体の死の後、或いは同時に訪れるかもしれない「精神の死」についてでしょう。
記事にするにあたり、どう要約するのが正しいのだろうと考えていた時、ふさわしい説明がレビュー内にありましたので引用します。
人間が生を自覚できるのは、意識があるからだ。死は生体験できないので、自覚している生の反対から死を考えるしかない。生で自覚しているものが消滅すると考えた結果、不安や恐怖を覚える。
しかし本書では、自覚している生の意識の根底にある無意識領域に関しては、個人の意識から超越した宇宙意識と繋がっており、そのつながりは肉体的な生死と関係なく、続いていくという。
そして人生を通じて個人が蓄積した意識は、ゼロポイントフィールド=宇宙意識を無目的に成長させていくことに貢献している。肉体的に生きている間に宇宙意識から助けてもらう事もあれば、肉体的な死後、宇宙意識の発展にも貢献する。
意識は宇宙意識に統合されて生き続けるので、死なないとも言えるが、自我は消えるので、自分という個体としては死ぬとも言える。
参考:死は存在しない|田坂 広志|Amazonレビュー(一部要約)
自我が消えるというと少し怖い印象がありますが、怖さは全くない、包み込むような次元の違う巨大な何かに「還る」のだと、私は捉えています。
大きな流れに合流するだけで、死してもなお、ある意味生き続けるのだと感じられました。
だからこその「死は存在しない」なのです。
夢想と根拠と科学
音楽を突き詰めれば数学に繋がり、絵画や彫像等の芸術は、突き詰めれば数学にも、生物学にも繋がります。
同時に科学者は「そこに見えているもの」をただ検証するものではなく、妄想にも似たものから仮説を立てて、根拠を見出す学問なのだと知りました。
評判の高い「死は存在しない」ですが、宗教の勧誘のような印象を受けるというレビューがチラホラ見られました。私はレビューをみて驚きました。全く勧誘と感じなかったからです。私が育ったのが、葬式に坊さんを呼ばず仏壇もおかない、神棚も十字架もない完全なる無宗教家庭だったからでしょうか。
死後の精神世界を説く中で宗教と共通する話が多く出てくるのは、仕方がありません。むしろ宗教を避けることなく、多々用いて語ることに面白みを感じました。
しかし田坂氏が、日本人という環境から、それこそ無意識に仏教などに影響されて来ただろうことは、容易に想像できます。田坂氏が提示する「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」を、宗教観が全く違う科学者が検証をしたらどのような表現となるのか、興味があります。
冒頭でも紹介しましたが、私が以前影響を受けた本の中に“亡くなった方が生存する方の前に現れた実例”をまとめた本「魂でもいいからそばにいて」があります。
東日本大震災後に被災地で「亡くなったはずの人を見た」という証言が相次いだことがきっかけで、ノンフィクション作家である奥野修司さんの元に取材の依頼が入り、実例がまとめられた本です。
奥野さんはノンフィクション作家として、実際にあるわけがない話を取材することに、抵抗があったと述べています。しかし取材を進めるうちに、作り話とは思えなくなっていったのだとか。
私自身、不思議な体験をしたことが何度かあります。
私の意思とは関係のないタイミングで“いるはずがない者”が現れます。或いは感じます。
“何かあるかもしれない”という畏怖が精神を刺激し、脳に錯覚を起こさせることもあるでしょう。しかし何の前兆もなく、複数人が同時にそれを見た(感じた)という事実があるのです。
私はかつて、自死願望に苛まれていた時期が長くありました。育った環境が不安定だったことから自己肯定感が低く、逃げ場もなくて自身の殻に閉じこもっていたのです。
「過去に戻れるとしたら、いつに戻りたい?」という、そんなことを聞いて何になるんだと疑問な定番の質問がありますが、私はどの過去にも戻りたくありません。あの苦しみを再度経験し直す悪夢など、見たくありません。
結婚して出産して、夫と揉めたこともあったけれど、今、愛情のある落ち着いた環境にやっと居れるようになりました。するとふとした時に、もう私の人生は終わってしまったのではないかと思うようになりました。いつどうなっても良い……と。
いやいや、子どもはまだ小さいし、何をやり遂げたつもりでいるのだと自分に活を入れるのですが、田坂氏の「死は存在しない」が確かなら、私が死んでもただ大地に吸収されるように宇宙の記憶に還っていくだけなのだから、恐怖もなければ期待もありません。
死自体がないもので、過去も現在も未来も全てひっくるめて世界が一つの記録となっている中で生きているのなら、私が過去苦しんだ記憶はとてもちっぽけなものであり、私の精神的な死がどうというよりも、生物学的な死さえ、私が決めることではないのだと感じられました。
そう考えると、「ああ、そうか」とストンと心に落ちました。
そして、急いで死んだところで何も変わらないという、ある意味での希望を抱きました。
死に期待はなく逃げ場にはならないけれど、怖いものでもないのです。言ってみれば、生という摂理の中で、なる様にしかならないという事。これを科学者が「死は存在しない」という本の中で切々と説くのですから、面白いわけです。
前向きな意味で、肩の力が抜けました。
田坂氏が前述するように、大切な人を看取らなければならない方や、死を目前にして恐怖を感じている方の救いにもなる本です。
興味がある方は読んでみてはいかがでしょうか。
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