「私が見た未来」を描いたたつき諒さんが、アンビリーバボーにご出演されました。
たつき諒さんがどんな方だったか、番組の内容、「私が見た未来完全版」に掲載されなかった新たな夢について、備忘録をかねて記します。
たつき諒さんが奇跡体験アンビリーバボーに出演
2022年4月7日に放映された奇跡体験アンビリーバボーの題名は「夢で未来を見た女性漫画家!話題の彼女にテレビ初取材!」でした。
私が見た未来完全版の愛読者であれば、誰のことを指すかわかりますね。
番組は“夢で未来を見た女性漫画家”の再現VTRから始まりました。
そしてその人物は、「私が見た未来」の著者であるたつき諒さんであると、紹介されます。
緩いモザイクが入ってはいますが、たつき諒さんご本人が座って話をする様子が映し出されました。
声は処理されておらず、地声です。
紹介された内容は、以下の通りです。
実現した、たつき諒さんが見た夢
たつき諒さんが見た夢は、再現VTRで紹介されています。
エピソードごとのあらすじは以下の通りです。
EPISODE1友人を振った男性と夢で逢い、振った理由を聞いていた
たつきさんは「好きな男に告白をしたら、フラれてしまった」と泣く、女友達の話を聞いていました。
初めて見た、友人がフラれた相手の写真には、既視感がありました。
たつきさんは夢でその男性に会っていたのです。
男性は夢の中で、「彼女のこと嫌いじゃないんだけど、恋愛感情は持てないんだよね」とたつきさんに話しました。
たつきさんは友人に「嫌いじゃないんだけど、恋愛感情は持てないと言われた?」と聞くと、「なんで知ってるの」と驚かれました。
EPISODE2
友人とハイキングをしている最中、初めて訪れた土地にも関わらず、“知っている場所”に出くわしたたつきさん。
友人に来たことがあるのか聞かれると、たつきさんは「夢の中でこの場所を通ってるの」と答えました。
たつき諒さんが記した夢日記の紹介
たつき諒さんが見た夢の中で、印象に残るものを記録した夢日記が紹介されました。
夢日記と似た現実が起こった例1
蛇行した道を見た夢
実際に出くわした道
夢日記と似た現実が起こった例2
印象的な構造物(?)
実際に出会った物
たつき諒さんが夢を見るようになった経緯
たつきさんは20歳で少女漫画家としてデビューしました。
たつきさんはデビュー後、アイデアを書き留めるために筆記用具とメモ用紙を持ち歩くようになりました。それは眠る時も変わりません。
その頃から、不思議な夢を見るようになりました。
白イルカが泳ぐある浜辺に、たつきさんは倒れています。
白人の男性に「しっかりしろ」と揺り起こされる夢でした。
普通の夢とは違って目覚めた後でも鮮明に記憶に残るような、印象的な夢を見るようになったのです。
たつきさんは、「見たことがない場所や人なのに、鮮明な写真みたいにはっきり見えて記憶に残っている」と夢で見る様子を語りました。
夢の内容をメモに書き留めるようになります。
そして31歳になるころには、夢日記として本に記すようになったのです。
夢の内容は、起きてすぐに、2~5分程度で書き留めていたそうです。
意味を持ち出した、夢の内容
たつき諒の夢①謎の空洞
1989年8月27日に見た夢の話です。
後に起きた事実がショッキングだったために、たつきさんは描き止めていた夢日記の一部を、破り捨てています。
破り捨てた部分に描かれていた絵を、たつきさんが改めてその場で描いて再現しました。
それがこちら。
トンネルのような暗い空洞に、たつきさんと「何かを言いたそうな」人物が立っていました。(漫画「私が見た未来」の中では、佇む人物は女性だと説明されています)
夢から2年後の1991年8月。
地元横浜にある、それまで行ったことがなかった公園を訪れると、似た場所に出くわしました。
当時のたつきさんが、実際に撮影した写真がこちらです。
これは掩体壕(えんたいごう)と呼ばれるもので、戦時中に物資や人を守るために作られた施設でした。
たつきさんは夢で見た場所と同じであると感じました。
写真を撮影してから半年後の1992年1月。
その公園で、女性の遺体が発見されたというニュースが報じられました。
バラバラになった遺体がビニール袋に入れられ、公園にある展望台(掩体壕のすぐ横に展望台がある)下の、雑木林に捨てられていたのが発見されたのです。遺体は展望台付近から投げ捨てられたものとみられ、司法解剖の結果、死後半年以上が経過していることがわかりました。
掩体壕事件の時系列
たつきさんは1989年8月27日に、掩体壕に佇む女性の夢を見ました。
司法解剖により判明した、事件が発生したとされる日は1991年6月。
たつきさんが初めて公園を訪れて掩体壕を撮影した日が1991年8月です。
遺体が発見され、事件がニュースで報じられたのは1992年1月のことでした。
つまり、たつきさんが公園を訪れた時には、遺体がその周辺に放置されていた可能性が高いことがわかります。
たつきさんは嫌な夢だと思い、夢日記の該当箇所を破って捨ててしまいました。
横浜の掩体壕・野島公園
余談(番組で紹介されたものではありません)
番組では公園について詳しく触れられていませんでしたが、この公園は恐らく野島公園です。
野島公園は横浜市金沢区に位置する大型の公園で、公園内に掩体壕(前出の写真に酷似)があることで知られています。
また、掩体壕のすぐそばに展望台もあります。
たつき諒さんの夢日記に酷似
たつきさんが怖さのあまり、破り捨ててしまったという夢日記のスケッチには、掩体壕と思われる特徴的な空間と、暗さ、奥に海が描かれていました。
私が見た未来完全版にもこの事件の話が紹介されていますが、完全版では空間が掩体壕とは紹介されておらず、夢日記のスケッチになぜ海が? と疑問におもいました。
しかし番組でそれが掩体壕だと知り、野島公園の航空写真を見てみました。
すると掩体壕のすぐ裏に、海があることがわかります。
掩体壕の中に実際に海が流れ込んでいるかは不明ですが、たつきさんの夢は象徴夢ですので、現実そのものが映し出されるとは限りません。“要素”や“暗示”が込められているものなのです。
夢と現実が酷似している夢だった、と言えるでしょう。
余談おわり
たつき諒の夢②ロックスターの死
1976年にたつきさんは、イギリスのロックバンドQUEENのボーカルフレディマーキュリーが流行り病で亡くなった夢を見ます。(当時は夢をメモ書きに残していたため、捨ててしまって今は手元にないとのこと)
QUEENのファンだったため、彼らの夢を見たのだろうとたつきさんは分析します。
その10年後の1986年10月28日に、再び夢を見ました。(この時には夢日記として本に記していたので、記録が残っています)
夢の内容は以下の通りです。
たつきさんはテレビでQUEENの映画を鑑賞していましたが、フレディの姿はなく、他の3人のメンバーのみが出演していました。
また、QUEENのメンバーの銅像が出てきましたが、4つの銅像の内一体が知らない人物となっていました。台座の一番左に一体分のスペースがありますが、銅像が外されたような跡だけがあり、フレディの像がありませんでした。
二度目の夢を見てから5年後の1991年。
友人からの知らせで、たつきさんはフレディマーキュリーが亡くなったことを知ります。死因はエイズによる肺炎でした。
エイズが発見されたのは1981年で、フレディが亡くなった1991年は、エイズが世間に認知されて間もない頃でした。つまり「流行り病」と世間が認知していた頃だったのです。
QUEENはフレディの死後に新しいメンバーをボーカルとして迎え入れて活動をしていますが、たつきさんは番組のスタッフに伝えられるまでその事実を知らず、とても驚いた様子でした。
スタッフが、「銅像にあった“知らない人物”が新しいメンバーではないか」と告げると、たつきさんは「そういう捉え方もありますね。今聞いて思いました。なるほど」と納得されていました。
たつき諒の夢③田舎の風景
1993年9月14日に見た夢の話です。
どこかの田舎の、Y字路の風景を見ました。
そこにはたくさんのビワが実っています。それを家族と食べながら歩くという夢でした。
夢から一年後の1994年。
山形に住む伯父が亡くなったため、自宅のある横浜から車で向かいました。翌朝山形に着き、伯父の自宅まで歩いている途中で、夢日記で見た光景に出くわします。
たつきさんは驚いて、いつものように写真に残しました。
夢日記とたつきさんが実際に撮影した写真の比較がこちらです。
ビワではなくぶどうという違いがありましたが、構図や、家族とこの場を通る設定が似ています。
一番驚くべきことは、この夢日記を書いたのは1993年9月14日。写真の右下に記された日付は1994年9月14日という、日付の一致でした。
この一件以外にも、たつきさんは夢日記と現実に起こった日付が一致するという夢を見ています。
1992年8月31日に、女性とDIANNAという文字の夢を見ました。
その5年後の1997年8月31日に、ダイアナ元皇太子妃が死去しています。
このように、夢を見た日と現実になる日が重なることがあったのです。
私が見た未来完全版に載らなかった夢の詳細
番組では、「私が見た未来完全版」に載っていない夢についても取り上げられました。
たつき諒の夢④地球の波動
2001年12月25日の夢日記です。
この日は宇宙から地球を見る夢を見ました。
インドネシアあたりから微弱な電波のような波動が広がっており、インドネシアの真裏にあるアメリカの近くでも、波動のようなものが出ているのが見えました。
これが何の夢かわかるのは、3年後の2004年12月26日でした。この日、インドネシアでスマトラ島沖地震が発生して、大きな被害が出ます。夢日記と一日違いの日付でした。
さらに半年後の2005年8月。
アメリカ南部を襲った、史上最大の大型ハリケーン「カトリーナ」の衛星写真が載った新聞を目にします。
この衛星写真と夢日記に記された波動の位置が、酷似していました。
たつきさんは「偶然はこの世にないと聞いたことがあるので、じゃあメッセージなのかと、疑問符がずっとついている感じ」と語りました。
私が見た未来表紙に大災害は2011年3月と書いた経緯
1999年に、夢が現実になる体験を描きました。
それが後に大きな話題を呼ぶことになる、漫画「私が見た未来」です。
漫画本の締切日に、表紙を描いていたたつきさん。
特に印象に残っていた夢の内容を表紙に描き込んでいましたが、コマの数を計算していなかったために、一コマ余ってしまいました。
何を書こうか考えるために、休憩を取りました。
仮眠をとったたつきさんは、夢を見ます。
それは真っ白な映画のスクリーンのような中に、黒い文字がブワッと浮き上がる夢でした。前後に何もなく、文字だけの夢です。
「メッセージ性が強かったので、描かなきゃ、描いた方がいい、描かなきゃ(二回目)という使命感みたいなものがあった。表紙の一コマ。空いたところに描きました」とたつきさんは話します。
それが「大災害は2011年3月」というメッセージでした。
「私が見た未来」の単行本を発表した、12年後の2011年3月11日。
東日本大震災が起こり、地震と津波によって多くの命が失われました。
たつきさんは1999年に「私が見た未来」の出版を最後に漫画家を引退していました。一般の生活を送っていたため、表紙に何を描いたかも忘れていました。
震災が起きた時も、周囲と同様に驚いたと言います。
その後、漫画「私が見た未来」が東日本大震災を予言していたとしてネット上で話題となり、親戚からたつきさんの耳に入ったことで、「大災害は2011年3月」と描いたことを思い出しました。
たつき諒さんが見た、強いメッセージ
2021年7月。
出版社から依頼があり、「私が見た未来」の再販を持ち掛けられました。後の、「私が見た未来完全版」です。
再販に向けて担当者と会うことが決まり、就寝して夜を過ごした朝方、夢を見ました。
「大災害は2011年3月」と見た1999年と同様に、白いスクリーンのような光景が現れ、「大災難は2025年7月」という文字が浮かび上がる夢でした。
この夢にはさらに続きがありました。
空から日本や近海を眺めていました。
すると、日本とフィリピンの中間あたりの海底が破裂します。
破裂の影響で波が広がっていき、香港から台湾、フィリピンまでもが大陸と陸続きになるイメージのものでした。(番組では津波という表現はありませんでしたが、完全版では、津波が押し寄せると描かれています)
たつきさんはこの夢を、2021年に出版された「私が見た未来完全版」に書き加えました。
たつき諒さんが伝えたいこと
たつきさんは番組でこう語られています。(出典:アンビリーバボーたつき諒さんの言葉)
・「予知夢というのは現実そのままを見るというイメージがあったので、私のは一度もそういう夢は見たことがない。だから予知(夢)は見たことがないと思います」
・「同じ場所じゃないんですけど作りが凄く似ていて、なぜか見た時に(夢)と同じだと言うのがわかるんです」たつきさんは予言者なのですか? という問いに対し。
・「いやいや全然。自分では思ってないです。夢と現実はそのままではないですから、実感がないんです」
現実とリンクしない夢の方が、圧倒的に多いとも話します。
印象的な夢を見るのは、一か月に2~3回程度でかなり少ないのだとか。
今まで見た夢の中で現実になった夢の回数を聞かれると、(記した夢の中の)1/10(程度)で、確率は低いと答えられました。
しかし「大災害は2011年3月」という印象深い夢のメッセージは、最悪な形で的中しています。
震災後に自分の漫画が話題になっていると知った時、もし震災前に本が知られていれば、注意喚起になり助かった命があるかもしれないと考えるようになりました。
・「わかっていれば逃げる方法があったんじゃないか。助けられる方法があったんじゃないかって思ってます」
たつきさんは「大災難は2025年7月」が予言だとは思っていません。何も起きないほうが良いと考えていますが、これまでの経験から、東日本大震災と同様に「大災難は2025年7月」が現実となるかもしれないと、考えています。
・「もし現実になるのであれば、(知ることで)助かる人とか、前もって準備ができれば(被害を)小規模にできるとか、助かるってことが考えられるんじゃないかって思って」
夢が現実になるならないに限らず、災害への備えになればと思い、完全版に「大災難は2025年7月」と加筆したり、今回の出演依頼を受けられたそうです。
たつきさんは「大災難は2025年7月」のメッセージと同時に、明るい未来像も見ていました。
・「事前に準備しておいたことで多くの人が助かって、復興に向かって人々が生き生きと暮らしている状況が見えたので、本当に大きな災害が起きたとしても、大丈夫なんだなって私は信じています」
たつき諒さんの人物像
たつきさんは終始柔らかい声で、可愛らしい印象のある方でした。
たつきさんは私と同じ横浜在住と公表されています。
海に割と近い地に住む私と、同じ生活圏内に居られるのだと思います。
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探してしまいそうです。(わざわざ探し回ったりはしないですよ。街行く方に似た人がいないかなと、心のどこかで思う程度です)たつきさんは探されることを望んでいないと思われますので、心にしまっておくだけですが!
たつきさんはメッセージを広めて注意喚起をすることが、使命と話されています。
では私も、微力ながら参加させていただきたい! (弱小ブログなので微力すぎますが……)
私はこれまで、予言者など信じたことがありませんでした。
案の定、何も起こりませんでした。
でもたつきさんは信じる根拠があります。完全版の文章を見ても、驕った印象が微塵もないこと、それでいて一貫して「皆を助けるために発信する」姿勢や夢の内容すべてに、「本当に起こり得るのかも」と思わされます。
アンビリーバボーで無修正のたつきさんの声や話しぶりを聞いても、それが感じられました。
だからこそ、「大災害が起こり得る」ことを忘れずに、準備に励みたいと思います。
あぁ、たつき諒さんの肉声が聞けるなんて、感激だったな。
たつき諒さんのメディア情報ください
私は「私が見た未来完全版」のファンであり、たつき諒さんのファンです。
愛好家……と言われると、少し違うでしょうか。
「私が見た未来完全版」を読んだり、たつき諒さんの発言を聞くたびに「本当に起こるかも」と思い、気になって仕方がないのです。
それなのにアンビリバボーに出演されることを知らず、見逃していたと知った時は思わず「え!!」と声を出すほど悔やみました。
しかし放送後すぐにこのブログのコメント欄で教えてくださった方がおり、放送後一週間は無料で視聴できるTverで見ることができました! 感謝します!!
まだ無料で観られますから、興味のある方でまた視聴されていない方は見てみてはいかがでしょうか。
これから他の番組やメディアにも出られることがあるかもしれません。
2025年7月の危機感を高めることが使命とおっしゃられていますからね。
私はテレビ番組をあまりチェックできないので、もしまたメディアに出られる情報がありましたら、是非教えてください!!
飛びつきます。
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