患者内で起こる偏見
ある日、難病を持つ3歳の末っ子の診察を受けに、専門外来に行きました。
午後の診察が始まる前でした。
待合のベンチの多くが、隣の科の診察を待つ患者で埋まっています。
見渡すと、一角だけぽっかりと空いていました。
末っ子の手を引いてそこに座りました。
その一角には、同じ病気を抱える患者が座っていました。30代くらいの男性でした。
なぜわかるのかと言えば、末っ子の難病は見た目に大きく現れるからです。
その患者は全身に症状があり、髪の毛もまばらでした。
包帯が多く巻かれていますが、皮膚が露出した部分の大半に瘢痕が見られました。
恐らくは中程度から重度の患者でした。
見た目に症状が見えるため、周囲の誤解から、汚い、移る、怖いと避けられることが珍しくない病気です。現在治療法はありません。
私は病気の正体を知っています。彼を避ける理由はありませんでした。
末っ子は椅子に座り、度々男性患者を振り返りました。
そして「この人怖い。嫌だ。違うところに行こう。」と男性患者を指さして言いました。
咄嗟に「同じ(病気の)仲間だよ。」と言いましたが、「違うところに行きたい」と椅子から降りました。
男性患者は末っ子の言動を目の当たりにしていました。
末っ子にどう言うべきか迷いました。
何て言ったら男性患者を傷つけないのか、或いは、非礼を詫びるべきかと思考を巡らせました。
もし自分が言われる立場だったらと考えると、謝られたらもっと辛いと思いました。
重症度の違い
末っ子は軽度患者です。一口で軽度と言っても幅が広いのですが、末っ子は軽度の中でも軽度と言われています。
症状が多岐に渡り、平均寿命が30歳と言われている厳しい病気のため、軽度であっても明らかな症状が現れます。
末っ子は現在、局所に保護用の包帯を巻き、また、体の一部の変形が進行しています。
細かい作業ができなくなり、運動や体の露出が制限され、痛みや痒み、他の皮膚疾患を引き起こすといった症状が現れていきます。しかし一般の生活に混ざることができ、感染症にかからなければ生涯を全うできる程度です。
患者とその家族は仲間です。
そこに重症度は関係がないと思っていました。
しかし患者会に参加したとき、重度患者の前で言える言葉がありませんでした。
歩行や睡眠さえままならず、命の危険と共に生きる過酷さを、軽度患者がわかったつもりになってはいけないのだと感じました。また「理解した気にならないでほしい」と言われているようにも感じました。
彼らから見たら、軽度患者は恵まれています。それでも、軽度患者には軽度患者の悩みや理不尽さを抱えています。
軽度患者は一般生活に混ざれる分、制約や見た目の違いに悩み、心のバランスを崩すことが珍しくないのだと、出席していた専門医が発言しました。
患者たちの前で弱音を言えない軽度患者は、どこで吐き出せるのだろう、と心が重くなりました。
命の危機を前に闘っている患者と家族からしたら、甘えとしか感じられないことはよくわかります。
誰も、悪くないのだと感じました。
疎外感を作るのは
「同じ病気の仲間だよ。」と言った私の言葉は本心ですが、どこか後ろめたさがありました。
綺麗ごとで飾ったって、どす黒い感情が渦巻いているのです。
〇 末っ子が軽度でよかった
〇 病気がなければどんなにいいだろう
〇 軽度患者の苦悩をまるで大したことないような言い方をしてほしくない
〇 重症度が高いほど過酷だから、軽度患者の苦悩がわからなくても当然だ
〇 軽度患者は恵まれているのだから、へこたれてはいけない
〇 偏見を受けやすい重症患者の助けにならなくては
〇 誤解されやすい病気の認知度を上げたい
〇 同じ病気の仲間だ
〇 同じ病気でも重症度によって感じ方は全く異なる。仲間意識はもてない
全く相反する感情が渦巻き、自分の感情を「汚い」と感じました。
無垢な感情
末っ子が股を気にする仕草をしたので、「トイレに行こう。」とその場を離れました。
お手洗いで用を足した後、個室の中で言い聞かせました。
「さっきの男の人は、末っ子とママの仲間だよ。一緒に病気と闘っているんだよ。好きで皮膚が弱いんじゃないんだよ。怖いって言われたら傷つくよ。末っ子もそんな言われかたしたら悲しいよね? もうああいう言い方はしないでほしい。」
「うん。」
末っ子は私の目を見て答えました。
まだ3歳の子どもです。
それまでも、定期検診や患者会で度々重い症状の方と会っていました。
以前にも言い聞かせていて、その日まで何かを言うことがありませんでしたので、わかっているのだと思っていました。
子どもがある日突然、できることが増えたり、新たな疑問をもつことは珍しくありません。
成長の一つです。末っ子が悪いわけではありませんでした。
誰かが悪いのだとしたら、「わかっているだろう」と思い込んでいた私のせいでした。
好きで病気になるわけではありません。男性患者もどれだけの苦悩を抱えてきたでしょうか。
同じ病気なのに苦しめてしまったことを、ただただ申し訳なく感じました。
病気と向き合うということ
お手洗いから戻ると相変わらず混雑していて、先ほどと同じ一角だけが空いていました。
同じ席に戻り、座りました。
末っ子はもう男性を振り返ることはなく、私と手遊びをしながら呼ばれるのを待ちました。
手遊びをしながら、私の伝え方は間違っていなかったか、末っ子が純粋に感じた感情を、否定してしまってはいないだろうかと考えました。
末っ子の病気が判明したとき、同時に夫からの遺伝であることがわかっています。