アルコールの摂取量や接種時間をコントロールできない場合は、アルコール依存症である可能性が高いと言われています。
私はかつてアルコールを毎日飲み、摂取量を自分でコントロールすることができませんでした。
周囲にはアル中だと言われていましたし、自分でもそうかもしれないと感じていました。
結婚し、妊娠出産を経た今は、たまの失敗以外は飲酒をコントロールできるようになりました。その変遷と精神的変化についてお知らせします。
※この記事の例はあくまで素人基準の“アルコール依存症疑い”を精神的な安定で脱することができた過程に過ぎません。アルコール依存症は精神力だけで乗り越えられるものではありません。専門の病院や施設での治療が必要です。
アルコール中毒の実例
大学生で酒を知る
飲酒が日常化したのは大学に入り少ししたころでした。
仲間の集まりでは酒を飲むのが普通でした。
経済的な余裕がなかったことや、深夜のアルバイトをしていたため、飲酒をする機会はそう多くありませんでした。
精神的に不安定な部分があり、時間がある時や落ち込んだ時にドッと酒を飲み、同期の寮のトイレで嘔吐したり、友人たちと散歩したときに畑の脇道で寝たことがありました。数分で友人に起こされました。
社会人になりアル中と言われる
社会人になってすぐにテキーラと日本酒を覚えました。
日本酒を勧められるままに飲んで倒れ、両手両足を先輩達に持たれて車に運ばれ、自宅まで送ってもらったことがあります。
途中車内で嘔吐したそうですが、全く記憶にありません。
翌日は仕事がありましたが酷い二日酔いで、さらにその翌日も酒が抜けず、三日酔いになりました。
先輩に叱られ、記憶がないまま謝り倒したことがあります。平日仕事が終わると、帰宅の途中にあるラーメン屋で焼酎を飲んで帰りました。
転職した先でも職場で飲み仲間ができました。
そのころクライアントに赤ワインの美味しさを教えてもらい、ワインばかり飲むようになります。
帰宅できる日は毎日のように誰かしらから誘われ、飲みに行きました。
酒をたらふく飲むと満腹中枢がおかしくなるようで、食べても食べてもお腹が空きます。
食べて飲んでを繰り返し、気分が悪くなるとトイレで嘔吐し、席に戻って飲みなおしました。
足元がおぼつかなくなることがたまにありましたが、仲間も度々失敗することがありましたし、お互いさまでした。
大抵はタクシーで帰宅し眠るのですが、記憶がないことがよくありました。
帰巣本能なのか、なくしたものもなければ、服もいつもの場所に片づけられていました。帰宅後も酒を飲んでいたようで、コンビニで買ったらしい酒の缶や食事のゴミが増えていました。
翌朝まで酒が残っていることが度々あり、シャワーを浴びて水分を取りみそ汁を食べてアルコールを抜く努力をしました。
仕事が忙しかったので、日付が変わるまで会社にいることが珍しくありませんでした。その時には先輩が会社に差し入れとして酒やつまみを持ってきて、軽く飲みながら仕事をすることがありました。
「酔っぱらってても、話す内容が素面と変わらないからわかりにくい」と言われていました。
クライアントに誘われて飲みに行くことも多くありました。
酒を飲んで酔うと、嫌なことを忘れられました。
楽しくなって、自分が無敵になったようでした。
酒を飲みながら、酒を飲みたいと思っていました。周囲には、
とよく言われていました。
酔って足を挫いて骨折
ある晩、馴染みの店から違う店に移動する際、ピンヒールを履いたまま足を挫いたことがありました。
当時は酔っていたので痛みの感覚が鈍く、なんとなく痛いな? と思いながら足を引きずって次の店に行きました。一杯酒を飲みましたが、痛みが引かないので早めに帰宅しました。
翌朝足の激しい痛みに気付き病院に行くと、足を骨折していました。
ギプスで飲みに行く
ギプスをして仕事に行きました。
現場仕事もギプスのままこなし、いつも通り飲み仲間と飲みに行きました。
馴染みの店のマスターに、
と言われるほど、酒好きとして知られていました。
休日の飲酒
休日を一人で過ごすときは、近くの輸入食品の店でワインを1、2本買い、つまみを買って家で飲みました。
酒がなくなるとまた買いに出ました。
唇が赤ワインでどす黒くなっていることに、翌朝気が付くことがよくありました。
私より酒癖の悪い友人がいて、度々家に泊まりに来ては一緒に飲みました。
やはり近くの輸入食品の店で買い出しをして、家で煽るように飲みます。
酒がなくなったら買いに行く、を繰り返し、二人で5時間ほどをかけ、ワインを7本空けたこともありました。
彼女は酒を飲むと叫んだり、ナンパについて行ってしまうので、私がしっかりしなきゃと意識が働きました。
比べて安心していました。
彼氏に酒を止められる
20代中盤から後半に差し掛かるころが一番酒への依存が強かったように思います。
彼氏と休日に出かけていても、朝から酒が飲みたいと思っていました。
それを口に出していたようで、「なんでそんなに酒を飲みたがるの? 飲酒をやめなよ。」と言われるようになりました。
彼氏は酒が嫌いで、飲みません。
しかし煙草をやめられず、喫煙者は入社できない会社に勤めながら、隠れて喫煙をしていました。
私の酒を止めるなら、煙草やめられるの?
飲酒を止められると、異常に腹が立ちました。
ランチの飲酒は諦め、彼氏と別れ、帰宅してから思う存分飲みました。
彼と婚約し、同棲生活が始まると、益々酒を止められるようになりました。
家賃や光熱費は折半、食費は殆どを私が持っており、家事も私がしていましたので、文句を言われる筋合いがないと感じていました。
彼氏がいないすきを狙ってアルコール度数の高い酒を一気飲みして、飲酒を隠していました。
ゴミ捨てもしない彼でしたので、空き瓶や缶に気が付きませんでした。
その後婚約を破棄し、家を出ました。
結婚
夫と出会い結婚しました。
夫は私と同じように赤ワインが好きでしたが、酒に弱く、あまり飲めませんでした。
結婚を機に引っ越して会社から遠くなったこともあり、飲み仲間と飲みに行く機会が減り、家で夫と飲むことが多くなりました。
夫は量より質を求める人で、ワインも量より味や香りを求めました。
ゆっくりと落ち着いた生活をする中で、飲酒量が次第に減って行きました。
妊娠
体の不調があったことから仕事を辞めることになり、ストレスが軽減しました。
程なくして妊娠しました。悪阻が酷く、酒のCMを観るだけで嘔吐し、水も受け付けなくなりました。
自然と断酒することになりました。
産後飲酒を再開し、妊娠して悪阻で断酒、再開を子どもを妊娠する度に繰り返しました。
末っ子を出産し3年半経つ今は、ほぼ毎日夫と晩酌をしています。
たまに失敗することがありますが、それほど量を飲まなくなり、昼間から飲みたいと思うこともほぼなくなりました。
夜も、飲んでも飲まなくてもいい程度の飲酒欲で、夫が仕事でいない晩は飲まずに寝ることが多くなりました。
酒を飲む理由
今でも酒は好きです。
しかし昔と今とでは酒を飲む理由が変わりました。
昔は酒の味より、「酔いたい。」と思っていました。
楽しい。無敵になれる。
そう思っていました。
今は酔って忘れたいことがありません。お酒は相変わらず好きですが、酔いすぎると子どもたちの世話ができなかったり、夫との会話が楽しめないので嫌だと思うようになりました。
今が幸せで、手放したくなくて、忘れたくない。
そういう思いが酒の飲み方に影響しているように感じています。
酒癖が私より悪かった友人も、結婚し子どもを産み落ち着いてからは以前より落ち着いた飲み方になったといいます。
彼女の場合は母親がアルコール中毒でしたし、父親から金をせびられるなどして子どもらしい子ども時代を送れなかった逃避や鬱憤の矛先であったように感じます。
アルコール依存症
生命保険の担当者からこんな話を聞きました。
「アルコール依存の可能性がある方は、申告の必要があります。申告がない場合は保険が下りないことがあります」
肝硬変や糖尿病、うつ病など様々な病気を引き起こすことがあるため、アルコール依存は看過できない症状といいます。
知り合いにも、酒癖が悪くて離婚に至った人がいます。
肝硬変になって「飲んだら死ぬぞ」と言われているのにやめられず、酔っぱらって電話して来たり、連絡なく会社を休んだり、出社しても酒臭いですし酔っぱらっていて仕事にならないのです。誰が何を言ってもきません。
数日出社しないと死んでいるのではないかと同僚が確認に行きます。
土気色の顔で体を腫れあがらせていても、酒を止められません。
ここまでくると、誰もなにも言わなくなりました。
保険屋は「アルコール中毒はとても重い病気です。世間は軽く考えすぎだと思いますね。」と言いました。
酒は楽しいものですが、身を亡ぼすものでもあります。
酒というハードル
私の両親は酒好きでした。
祖父母も従兄弟達も酒を楽しんで飲んでいました。
喧嘩ばかりの両親が揃って酒を飲むときは、平穏な時間が流れていました。
私の中で酒は平和の象徴でした。
という意識が強かったように思います。
虐待を受けて育った友人がいます。可愛らしく、酒が強い子で、よく一緒に酒を飲みました。
酒を好きなわけじゃない。でも酒を飲んでしまう。
酒に依存する人は、育った環境や今の環境に不安を感じている人が多いという実感がありました。
私や酒癖の悪かった友人は、精神的に安定したことで酒への依存状態から抜け出すことができましたが、いつまたぶり返すかは分かりません。
一度依存が深くなると、自分の精神力だけで抜け出すことは難しいと言われています。
身を亡ぼす前に、専門家の治療を受けることをお勧めします。
アルコール依存症治療ナビ