署名の危険・無知の善意が「悪」になることも

何年も前の話です。

私は幼い長女を抱っこし、ある駅のバス停でバスが来るのを待っていました。
すると高齢女性がバス待ちの列の先頭から一人ずつ声をかけ、署名集めを始めました。

署名は大規模開発が予定されている土地の、反対運動賛同者を集めるものでした。

その土地は当時、森と畑が大半でした。

森のごく一部では、数十年前から大学の研究者が手入れをし、希少生物の住処となるように環境を整える試みがされていました。
以来、継続して手入れがされ、希少生物を毎年放つことによって、土着するかどうかの試みがされていました。

私はNHKの番組でその取り組みを観ていました。当時の時点では手入れがされていても、自生には至っていませんでした。

開発予定地域にその森の一部が含まれていました。

反対運動活動家が希少生物がいることを理由にしていることをあらかじめ知っていました。開発予定地域の土地を所有している友人から、詳しい話を聞いていたからです。

20年数年ほど前に開発の話が持ち上がり、大手建設会社が土地の所有者を回って購入する約束を取り付けていました。
それは公的な町おこしとも絡んでいる開発でした。

後に買い取るという約束があったため、近隣の渋滞を解消するために土地に公道を通す案に賛同し、道路分の土地を譲ったのだと言います。公道が開通し、渋滞が解消され、辺りは便利になりました。

ところが、そういった背景を知らない地域住民が、開発反対運動を繰り広げました。
運動員の多くは、その土地に40年近く住む、高齢者たちでした。

反対運動が起こったことで、開発の話しは滞りました。

土地の売買契約は約束に過ぎず、正式な契約をする前のことでした。
開発地域の土地の所有者の多くは、地主たちでした。

開発の話が止まったまま、何年もの月日が流れました。その間地主たちはバカにならない額の固定資産税の支払いを続けることになりました。

地主と言えば「お金がある」と思われるのでしょうが、「長男が資産を継ぐ」時代は終わっており、世代が変わるたびに財産分与が行われていったため、資金の余裕がある地主ばかりではなくなりました。

反対運動が「希少生物のいる森を守る」を目的に掲げていたため、建設会社は建築予定地だった森を含む土地の7割を保全する計画を打ち出しました。しかし反対運動の活動家は森以外であっても、近隣に開発があると希少生物に影響が出ると、全ての計画に反対をしました。

そのまま10年の月日が流れ、しびれを切らした土地の所有者たちは、「このままでは大規模開発を諦め、土地の所有者たちが個別に土地を売り払うことになる。そうなれば緑の保全は全く望めなくなる」と地域の新聞に記事を載せました。

その新聞をどれだけの方が読んだのかわかりませんが、私は土地の所有者から話を聞いていたこともあり、興味を持って新聞を読ませてもらいました。

バス停で署名を求められたのは、その直後で、土地を持つ友人の家に遊びに行くときのことでした。

「大手建設会社の開発が計画されているが、希少生物が居場所を失ってしまう。開発は止めるべきだ」と高齢女性が声をかけると、列に並んだ方は「知らなかった。守られるべきだ」と当たり前のようにサインをしていきました。

私が声をかけられたとき、「すみませんが、私は反対ではないんです。土地の所有者を知っており、困っていることも、希少生物の環境の実態も知っています。宅地になり若い世帯が入ってくれば高齢化が進む地域の税収も望めると聞いています。サインはできません」と断ると、女性は怒り出しました。

「希少生物が死んでもいい人がいるなんてね」そう言いながら私の後ろに並ぶ女性に声をかけました。受け答えから、その方は県外に住む方だったようです。「希少生物は守るべきですね」と賛同しサインをしていました。

高齢女性は「開発に賛成する人がいるなんて、自分勝手な人」と背後から私に言い、去っていきました。

私は反対運動そのものが悪いとは思っていません。

ですが実態を知らない人が安易にサインをする危険や、盲目的に反対運動が「正しい」と思い込んでいる活動家に恐怖を感じました。

バスの乗車待ちの列と言う、逃げられない場に署名を求めに来られ、なぜこんなに嫌な思いをしなければならなかったのかと考えました。

「その場のノリに合わせてサインをすれば、嫌な目に遭わずに済んだのか」と保身の感情が渦巻きました。
娘の夜泣きで寝不足でしたし、私が非難されると、子どもまで同じ目で見られてしまうような怖さがありました。

「人によって正解は違う。人に流される人は責任を取らない。その裏に被害者がいても、それを知ることもない。それは暴力と同じである。私は私の答えを言ったまで」

幼い娘を抱えながら、知らないことの危険、意見を持つことの大切さ。
人の答えを否定しない尊さを教えられる母親になろうと思いました。

その後も開発は止まったままです。
年月が流れ、実際にいくつもの土地が個別に売られました。

私の知り合いも財産分与により他家の所有となり、その後売られたと言います。
個別に開拓され、開発が滞れば滞るほど緑の保全は望めなくなります。

現在、反対運動は国や自治体に土地の買取りを願い出ているようですが、ただでさえ高齢者が増えて社会保障費が嵩み、財政難となっていますので、難しいでしょう。

開発反対派の資料には開発地域と希少生物の自生地が隣接しているような記載が見られることがありますが、開発会社の資料と実際の生息地を照らし合わせると、かなり距離があることがわかります。希少生物の保全はされて欲しいと願っていますが、知識のない人に口頭で正解とは言い難い説明をするのは賛同できません。

視点が変われば正解は変わります。
自分と違う意見を悪と捉えるのではなく、尊重する姿勢を忘れてはいけないと感じた一件でした。

 

署名をする際には、背景を知ってからされることを願います。



 

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