妻が認知症になったある夫の苦悩と努力と結末・夫が介護者になった時に必要なこと

一家の家事や家族の調整役として活発に動いていたある女性が、認知症を患いました。

女性の代わりに、夫が慣れない家事に挑みました。
そして夫は倒れ、帰らぬ人となりました。

家族が認知症を支えるとはどういうことなのか。

考えさせられた一件です。

妻が認知症になったある夫の苦悩と努力と結末

わが家は横浜の住宅街にあります。

40年以上前に一気に開拓された地域です。

当時はバブル好景気の真っただ中。
高級住宅街として売り出されたそこには、働き盛りの医師や弁護士、パイロット、政治家や役職者が多く移り住みました。

喧騒から離れたゆとりある土地の広さが売りの地域でしたが、共働きが基本となった現在では、駅から距離がある割に地価が高いという理由で若い世代に嫌煙されました。

徐々に土地の価格が下落して行ったものの、高齢化は進むばかりです。

そこに引っ越したのがわが家でした。

世間では高齢者が子どもの声に苦情を寄せる話がよく聞かれますが、わが家のご近所さんは皆一様に子どもたちを可愛がり、私の子育ての愚痴を聞いたり相談に乗ってくれました。

中でもよく話をしていたのが、はす向かいに住むある高齢女性、春さん(仮名)でした。

溌溂だった女性の変化

春さんは高齢なもののスタイルがよく、溌溂とした方でした。
三人の子どもを国立の小学校に入れるところから始まり、高学歴で育て上げた人で、春さん自身も学習塾の先生をしていたと言います。

現役を退いた後は何キロも離れた図書館に徒歩で通うのが日課で、それが終わると庭の手入れや道路の掃き掃除をして過ごしていました。

掃き掃除中に私が幼い子どもを連れて通りかかり、立ち話をすることがよくありました。

春さんは子どもたちが赤ちゃんの頃から知っているので、とても可愛がってくれました。
子ども用のお皿をくれたりお菓子をくれるなどして、一緒に成長を喜んでくれました。

また、私の愚痴を聞いてくれ、自分の子育ての苦労話を聞かせてくれました。
子どもが小さく家に籠りがちだった私には、憩いの時間でした。

しかし徐々に、春さんの口からご近所に対する文句を聞くようになりました。

バリバリと仕事をして子育てをしていた方が現役を引退すると、ご近所のことが気になりだすのかしらと疑問を感じるとともに、若干の不快感を感じるようになりました。

子育ての愚痴を言っている私のことも、他のご近所さんに話すのだろうと想像しました。

噂話と悪口を繰り返す違和感

春さんは、春さん宅の北側に建つ家の南向きの窓が摺りガラスでないことを「非常識だ」と言いました。
南側に建つ家に配慮して、摺りガラスにするのが常識だと言うのです。

北側の家が増築した際、摺りガラスでないことに怒って抗議したのだと力説していました。北側に建つ家の奥さんと春さんは引っ越してきてから40年来の付き合いで仲が良かったはずです。意外でした。

家同士が接近しているなら配慮が必要なのはわかりますが、この地域は区画が広く、ゆとりがあります。
また春さんの家と北側の家の間には道路が通っており、距離があります。

北側の家が道路方面を見ることができないのは、不自由だと感じました。
本当に摺りガラスでなければならないのか疑問を持ちました。

古家を買ったわが家を建て替える話が進む中で、ホームメーカーに北側の窓を摺りガラスにするべきか相談したところ、そのような義務はないと言われました。

どうするべきか悩みましたが、わが家は春さん宅のはす向かいと近いこともあって、トラブルを避けるために摺りガラスを選びました。

風貌の変化

家の建て替えの話がまとまり切ったころ、春さんの姿をほとんど見ることがなくなりました。

数か月に一度見かけることがありましたが、以前のような溌溂さはどこにも見られなくなっていました。
髪は乱れて背が曲がり、暗い表情をしています。

驚きを隠しつついつも通りに声をかけると、春さんは体調を崩していたと話しました。

元々体が強くないと聞いていましたので、心配になりました。

そしてまた暫く姿を見ない生活となりました。

暫くして、わが家の隣家であり、春さん宅の北側に建つお宅の奥さんとじっくり話をする機会がありました。

たわいない話から、「春さんは体調を崩されているそうですね?」と聞くと、「認知症が進んでいるみたい」と答えました。

これまでの春さんと「違う」と感じた理由がわかりました。

主婦と認知症

「夕飯時に何度かうちに来たのよ。ハンバーグの作り方がわからなくなっちゃったって、ボウルと卵持って手が汚れたまま来たり、みそ汁の作り方がわからないから教えてと鍋を持って来たりしたの」

材料を用意したときは作り方をわかっていたようだけど、いざ作り出したらわからなくなってしまったと言って、泣き出したのだそうです。

少し迷いましたが、春さんが言っていた北側の窓の苦情の話を聞いてみました。

「北側の窓を摺りガラスにしろなんて言われたことないわよ。初耳。何でこんなゆとりある土地ですりガラスにしなきゃいけないの?」と奥さんは驚いていました。

ご近所の悪口を言い出したり摺りガラスの話をし出したのは、認知症の始まりだったのかもしれないと思いました。

悪口などが気になりだしたのはこの三年ほど前でしたが、はっきりと認知症とわかったのは二年ほど前だったと奥さんが教えてくれました。

春さんの姿をほとんど見なくなったのも二年くらい前のことでした。

「今は春さんどうしているんですか? ごくたまに姿を見ますが」

「今は旦那さんが春さんに変わって家のことをしているみたい。ずっと独身で家にいた40代の息子さんの世話まではできないと言って、息子さんには家を出てもらったんですって。だから今は夫婦二人だけで住んでる。結婚して家を出ていた娘さん二人がたまに様子を見に来ているみたい。徘徊はないみたいだけど、何かあったらいけないからご近所で見てあげたいわね」

「そうなんですか。大変ですね。私も姿を見ることがあったら気をつけておきます。」

夫が妻の代わりをする

春さんの旦那さんが買い物袋を提げて歩いているのを、よく見るようになっていました。

慣れないことをするのは大変だろうと思いましたが、旦那さんの奥さんへの愛情なのかもしれないと感じました。

しかし息子さん……。

いくら働き盛りとはいえ、これまで世話をしてもらい続けた母親が認知症になった途端、家を出ていくとはどういうことか!? 父親を支えるくらいはできるだろうにと少々腹が立ちました。

その後建て替えが着工を迎え、約7ヶ月の間その土地を離れることになりました。

無事に建て替えが終わり、戻ってきました。

すると度々、春さんの姿を見るようになりました。

立派な家が建ったわねと褒めてくれ、世話話をしました。

春さんはやはり風貌に気を遣わず、歯も抜け落ちていましたが、明るい表情で話してくれました。
そして毎回、「お子さん3人もいるの? いつの間に! 知らなかった。おめでとうございます」とお祝いの言葉をくれました。

わが家がその土地に引っ越してきた時にいた生後三週間の長女の記憶はあるようですが、次女や、認知症になってから生まれた三女の記憶はまるでないようでした。

私は「そうなんです。生まれたんですよ。これからよろしくお願いします」と笑顔で返すようにしていました。

救急車のサイレンの音

新居での生活は快適でした。
気密性が高いこともあり外の音が聞こえにくくなっていましたが、ある冬の晩、救急車のサイレンの音で目が覚めました。

近くに救急車が来たらしいことはわかりましたが、高齢化が進む地域だったこともあり度々そのようなことがありましたので、そのまま眠りにつきました。

少ししたある日の昼間。
春さん宅のガレージから居間に、大きな額縁に黒いリボンがかかったものを運び入れる喪服姿の男性達を見ました。

誰かが亡くなったことはわかりました。

春さんが亡くなったのだろうかと思いましたが、わが家には何の知らせもありませんでした。

慣れない家事と介護の疲れ

少しして隣家の奥さんから、春さんの旦那さんが亡くなったことを聞きました。

冬の晩、何の前触れもなく突然倒れたのだと言います。

春さんは倒れた旦那さんを前に何もできずにいたのだとか。

その日は娘さんが様子を見に来ることになっていて、倒れた直後に居合わせて救急車を呼んだのだけど助からなかったのだとか。

原因は心筋梗塞でした。

隣家の奥さんも、春さんのお子さんたちも一様に「ストレスだろう」と言いました。

できることは何か

「春さんが認知症になるまで旦那さんは殆ど家事をしなかったようだし、育児も春さんに任せっきりだった。そんな人がいきなり家事や妻の介護をするのは無理があるわよね。子どもたちだって自分の家庭があるから世話をするのも限界がある。施設だってすぐには入れないし、最初は抵抗があったみたいで……」

奥さんは言葉を詰まらせました。

「春さんは家にいるんですか?」

「いるみたいよ。今は子どもたちが順番に面倒を見ていて、できるだけ早く施設に入れるって言ってる。旦那さんが亡くなったことも分かってないんだって。ある意味幸せかもしれないわね」

旦那さんは寡黙な方でした。

私は新参者で年齢も離れており、道端で挨拶をすると会釈で返してくれるくらいの付き合いしかありませんでした。
もっと声掛けをして、助け合えることがあったかもしれないと思いました。

しかし実の息子も娘も自分のことや自分の家庭で手がいっぱいなように、私も幼い子どもの世話で一杯でした。

私に何ができたのだろうと考えました。

施設に入り、息子が家に戻る

数ヶ月後、春さんは施設に入りました。

春さんが家を出てすぐ、独身の長男が家に戻ってきました。

今になって戻って来るのか。
なぜ両親を助けなかった? と頭の片隅に疑問が浮かびました。

しかしよくよく考えてみれば、旦那さんの強固な願いだったかもしれないとも思いました。

夫が介護者になった時に必要なこと

旦那さんは子どもたちや近所に迷惑をかけたくないと思い、夫婦二人の生活に絞ればやっていけると踏んで、息子さんに家を出るよう強く求めたのかもしれません。

男性が地域で孤立しやすい背景には、「男たるもの」という固定概念から助けを求められなかったり、コミュニケーションの不足があると言われています。

背負いがちな男性介護者に必要なことは何なのでしょうか。

認知症の人と家族の会

妻が一手に家事育児をするのは、将来的に夫を孤独に追いやることがあるのだと感じました。

妻に先立たれたり、今回のように認知症になるなどして動けなくなった時、夫は不慣れなことに挑戦し続けなければなりません。

さらに育児に関わりが薄かった夫は子どもとのコミュニケーションが不足気味で、物事が伝わりにくい傾向があります。
介護者が助けを求められず、家族も気づかない場合があるのです。

家事育児に慣れていても介護は大変です。
介護従事者であっても家族の介護は難しいと話すこともあります。とても一人でこなせるものではありません。

春さんの旦那さんのような方が身近にいる時、どうするべきなのかを調べました。

認知症の人と家族の会という公益社団法人があることを知りました。

妻を介護する夫の、実際の声を知ることができます。(出典:アルツハイマー病の妻の言動を受入れることができません

妻は物の置き場所を忘れ、私を疑ったり責めたりします。私にはそんな妻が受け入れられません。
娘たちは「構いすぎだ」と言いますが、私は「妻からひどいことを言われる私の気持ちは、お前たちにわからないだろう」と思っています。実際に介護している人たちの本当の気持ちが知りたい。相談者(76歳、夫)

介護者の集まり「つどい」もあり、飾らない意見交換ができているようです。

男性介護者は弱音を吐くことを恥としがち。こうしてつどいに出てきてくださったことは本当に救いです。介護者のつどいのあることを知らず、ふたりだけの閉じられた世界で煮詰まってゆく方が少なくないのです。特に男性介護者は弱音を吐くことを恥としがちで、心を開くには「後押し」が必要です。男性介護者の会などにも参加して同じ立場の人と出会い、仲間として長くつきあってください。(つどい世話人)

非常に有意義な活動をされていると感じました。

同じように悩んでいる人がいる。
こう知れることが、救いになることがあります。

介護で集いに参加できない方でも、電話相談を利用することができます。

ご近所の付き合いが希薄になっていると言われる今。
介護も子育ても孤独に挑んでいる方が少なくありません。

時代に逆行するようですが、ご近所が声掛けをしてストレスを吐き出させたり、たまにであっても料理を持ち寄るなどして負担を減らしたり、認知症の人と家族の会のような団体があることを知らせられるような付き合いが必要だと感じました。

私はまだ介護経験がありません。

いずれ私も介護する側、される側になるでしょう。

考えさせられる一件でした。

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